滞在67日目。6月20日(金)の午前4時20分。
ワールドカップ。日本はギリシャと0-0の引き分け。緒戦のコートジボワール戦に1-2で負けたので,これで0勝1敗1分の勝ち点1。同組のコロンビアは2勝して一抜けしたので,後の一席を3チームが争うことに。まぁしかし,コートジボワールはすでに日本に1勝しているので,とにかく勝てば決勝T進出だし,引き分けても日本がコロンビアに負ければ進出。日本はとにかく,コロンビアに勝つしかない。
そういうわけで,数日後に,グループリーグ最後のコロンビア戦である。
当然だが,つい,日本に勝って欲しい,日本に負けて欲しくない,と観戦していて力が入ってしまう。90分間力が入りっぱなしになる。母国を観戦しているのだから,いや,さらにいえば力が入るのを半ば求めて観戦しているのだから,身体に力が入ってしまう。勝って欲しいと思うのは,日本チームに自分を同一視しているからであり,要は,自分が勝ちたいのである。相手を負かして,喜びたいのである。
しかし,いろんなスポーツの日本戦や日本人選手の試合を観戦していて,そうやって力が入り続けているのが,このところ,辛く感じるようになってきた。日本(人)が勝とうが負けようが,心穏やかではない。身体も穏やかではない。心身共に興奮し疲労する。
たぶん,一般的にはそういうワクワクドキドキを求めるのがスポーツ観戦なんだと思うけれど,そういうワクワクドキドキがだんだんと負担になってきた。肩入れして,感情移入して,勝ち負けにこだわって,喜んだり悲しんだり,というのが煩わしくなってきた。人間というのは,勝つとか負けるとか,本質的にはどうでもよいことに,つい心が引っ張られてしまう。勝つということは,魅力的な欲望なのだ。
それがスポーツ観戦の醍醐味といえば醍醐味であり,だから,必然と言えば必然なわけで,だったら観なければ良いのだが,それでも日本(人)の試合は気になって,つい観てしまう。もどかしい。
観戦の仕方として,だから,よりメタな視点から,スポーツとしての一瞬一瞬の美しさを堪能できるようになりたい。その意味では,もちろん日本(人)の試合に注目はするけれども,せめて,どこかに偏って肩入れしすぎることなく,そのスポーツ競技全体を眺めて,それが生み出す一つ一つの運動美を楽しみたい。無理矢理言えば,マインドフル観戦術。
その方が,観戦していて辛くないだろうし,興奮しすぎないだろうし,疲労しないだろう。次戦,コロンビア戦でこの観戦術を試してみよう。
6/20/2014
6/19/2014
続・尾てい骨
滞在66日目。6月19日(木)の午前4時30分。
尾てい骨を見つけ感じながら練る。尾てい骨が身体の軸やバランスを支える中心であり,尾てい骨を頼りに身体をコントロールする。これが太極拳の最も重要なポイントであり,さらには,太極拳の神髄は尾てい骨である,とスティーブは言っていた。
昨日の稽古で教わったこの表現に基づく感覚は,とても新鮮だった。なるほど,尾てい骨を常に意識して,これをガイドに,ゆっくり丁寧に身体を操作していく。そうすると,身体全体の軸が安定する。
がむしゃらに安定しようと思うと,つい,足に力が入ったり,上半身のバランスが崩れたりする。そうではなく,尾てい骨を見つけて,尾てい骨を立てて(股の間に巻き込んで),尾てい骨を感じながら,尾てい骨を中心に身体を動かす。尾てい骨を中心に据えて,そこから身体全体を感じる。今ある身体の状態を再構成する。静かに動く身体を,尾てい骨を軸にして,捉える。
こうすると,自然に安定する。身体全体に統一感が生まれる。動きにまとまりが出る。
尾てい骨を見つけ感じながら練る。尾てい骨が身体の軸やバランスを支える中心であり,尾てい骨を頼りに身体をコントロールする。これが太極拳の最も重要なポイントであり,さらには,太極拳の神髄は尾てい骨である,とスティーブは言っていた。
昨日の稽古で教わったこの表現に基づく感覚は,とても新鮮だった。なるほど,尾てい骨を常に意識して,これをガイドに,ゆっくり丁寧に身体を操作していく。そうすると,身体全体の軸が安定する。
がむしゃらに安定しようと思うと,つい,足に力が入ったり,上半身のバランスが崩れたりする。そうではなく,尾てい骨を見つけて,尾てい骨を立てて(股の間に巻き込んで),尾てい骨を感じながら,尾てい骨を中心に身体を動かす。尾てい骨を中心に据えて,そこから身体全体を感じる。今ある身体の状態を再構成する。静かに動く身体を,尾てい骨を軸にして,捉える。
こうすると,自然に安定する。身体全体に統一感が生まれる。動きにまとまりが出る。
6/18/2014
規定と伝統
滞在65日目。6月18日(水)の午前5時。
楊式の10式が紹介されている珍しい本が本屋にあったので,買ってきて読んでいる。太極拳の背景や流派などについて,分かりやすく簡単に解説している良書だと思う。10-minute primer Tai Ji Quanと書いてるので,強いて訳せば,『10分間で超入門!太極拳』ってなところか。
著者は中国の大学で身体教育として太極拳を教えている専門の人らしく,他にもいくつか中国武術の本を出しているから,おそらく正当派なちゃんとした人なんだろう。だから,この本に詳しく解説されている楊式太極拳(10式)は,オーソドックスな,見本的な,太極拳なんだと思う。他書やYoutubeで見る規定の楊式太極拳,一般的に目にする太極拳通りである。
やはり,僕が習っているスティーブのとは,動きの質が違う。手の高さ,足の幅,腰の高さ,そしてそれぞれの向きだとか動かし方が,ところどころ違う。全体的には同じ動作をしているのだけれど,ずいぶん違うといえばずいぶん違う。
規定,というのは実際,素晴らしいシステムだ。みなさん,この「動き」で統一しましょう,ということだから,情報に誤差が少なく,時間と場所を越えて一定なので,教える方も習う方も混乱が少なく,したがって,普及にはぴったりである。そして,その規定の「動き」ができるようになれば,それをまた人に教えることができる。それがまた普及につながる。
ここでポイントは,どう「動く」かだけが伝わって普及している点だ。そう。急速で広範な普及は,それはそれで素晴らしいことだけれど,そこで伝えられるものというのは,目に見える「動き」のみである。
なんでそう動くのかとか,そういう動きにどういう意味があるのかとか,動いているときの身体感覚はどうなのかとか,そういうことは後回し。ただ,見た目の形式のみを習って教える。教える側も教わる側も,「動き」にしか注意が向かなくなる。これに競技(試合,大会)が拍車を掛ける。競技は見た目でしか判断しないから,ますます「動き」にしか注意が向かなくなる。
こうして,規定が規定として固定化し,そのマニュアル性が高まっていく。
その後ろで,術としての太極拳の本来的な良さが,失われていく。ただ形の上での「動き」だけを伝えても,それは太極拳を伝えることにはならない。空手にもまったく同じことがいえる。
武術として何をどう習うか,どう伝えるか。本当の意味での伝統とは何か。世の中で,自分のことを武術家(武道家)だと思っている人は,その辺,どう考えてるんだろうか。
楊式の10式が紹介されている珍しい本が本屋にあったので,買ってきて読んでいる。太極拳の背景や流派などについて,分かりやすく簡単に解説している良書だと思う。10-minute primer Tai Ji Quanと書いてるので,強いて訳せば,『10分間で超入門!太極拳』ってなところか。
著者は中国の大学で身体教育として太極拳を教えている専門の人らしく,他にもいくつか中国武術の本を出しているから,おそらく正当派なちゃんとした人なんだろう。だから,この本に詳しく解説されている楊式太極拳(10式)は,オーソドックスな,見本的な,太極拳なんだと思う。他書やYoutubeで見る規定の楊式太極拳,一般的に目にする太極拳通りである。
やはり,僕が習っているスティーブのとは,動きの質が違う。手の高さ,足の幅,腰の高さ,そしてそれぞれの向きだとか動かし方が,ところどころ違う。全体的には同じ動作をしているのだけれど,ずいぶん違うといえばずいぶん違う。
規定,というのは実際,素晴らしいシステムだ。みなさん,この「動き」で統一しましょう,ということだから,情報に誤差が少なく,時間と場所を越えて一定なので,教える方も習う方も混乱が少なく,したがって,普及にはぴったりである。そして,その規定の「動き」ができるようになれば,それをまた人に教えることができる。それがまた普及につながる。
ここでポイントは,どう「動く」かだけが伝わって普及している点だ。そう。急速で広範な普及は,それはそれで素晴らしいことだけれど,そこで伝えられるものというのは,目に見える「動き」のみである。
なんでそう動くのかとか,そういう動きにどういう意味があるのかとか,動いているときの身体感覚はどうなのかとか,そういうことは後回し。ただ,見た目の形式のみを習って教える。教える側も教わる側も,「動き」にしか注意が向かなくなる。これに競技(試合,大会)が拍車を掛ける。競技は見た目でしか判断しないから,ますます「動き」にしか注意が向かなくなる。
こうして,規定が規定として固定化し,そのマニュアル性が高まっていく。
その後ろで,術としての太極拳の本来的な良さが,失われていく。ただ形の上での「動き」だけを伝えても,それは太極拳を伝えることにはならない。空手にもまったく同じことがいえる。
武術として何をどう習うか,どう伝えるか。本当の意味での伝統とは何か。世の中で,自分のことを武術家(武道家)だと思っている人は,その辺,どう考えてるんだろうか。
6/17/2014
尾てい骨
滞在64日目。6月17日(火)の午前5時40分。
昨日,太極拳の稽古の後,スティーブに,尾てい骨(tailbone)のところの操作の仕方について詳しく聞いた。すると,面白い説明の仕方をしてくれた。
尾てい骨を股(尻)の間に巻き込む(挟み込む)感じなのだ,と。
こうすると,骨盤が立つ。同時に下丹田の辺りが上を向く。腰がごろりと少し縦回転する感じである。そう,まさに,サンチンの時の腰腹の使い方と全く同じなのだ。やはり正解だった。
それで,無礼を承知で,空手ではこうして腰腹を締めるんだけれど,これと同じことかと,実際にサンチンの締めをやってみたところ,そうそれだ,それと同じだ,その腰腹の操作でタイチーを練るのだと教えてくれた。そして,武術の要諦は,結局同じだね,という話になった。
こうして,説明の仕方が違うのが本当に興味深い。スティーブは,尾てい骨を探せ(Find),尾てい骨を感じろ(Feel),と練っている間,盛んに言う。探して感じて,尾てい骨を巻き込むと,腰が立つ。腰が広がる。
たしか,気功だと,腰の後ろにある「命門」という経穴(ツボ)があって,そのツボを開くように,という説明をする。これもたぶん同じことをしようとしている。
ただ,立てようとして,広げようとして,背中の下部(lower back)を丸めすぎてはいけない。腰を丸めてまっすぐにすることではない,とスティーブは言っていた。あくまで尾てい骨を巻き込み,下丹田のある下腹を少し上向きにするのだ,ということだった。丸めすぎては力が伝わらない。腰が反っていても(骨盤が斜めでも),逆に丸くなりすぎていても(骨盤が立ちすぎていても),良くない。
ここがミソだ。この微妙な立て方が,ミソだ。サンチンやナイファンチをするときも,ここがミソだ。
昨日,太極拳の稽古の後,スティーブに,尾てい骨(tailbone)のところの操作の仕方について詳しく聞いた。すると,面白い説明の仕方をしてくれた。
尾てい骨を股(尻)の間に巻き込む(挟み込む)感じなのだ,と。
こうすると,骨盤が立つ。同時に下丹田の辺りが上を向く。腰がごろりと少し縦回転する感じである。そう,まさに,サンチンの時の腰腹の使い方と全く同じなのだ。やはり正解だった。
それで,無礼を承知で,空手ではこうして腰腹を締めるんだけれど,これと同じことかと,実際にサンチンの締めをやってみたところ,そうそれだ,それと同じだ,その腰腹の操作でタイチーを練るのだと教えてくれた。そして,武術の要諦は,結局同じだね,という話になった。
こうして,説明の仕方が違うのが本当に興味深い。スティーブは,尾てい骨を探せ(Find),尾てい骨を感じろ(Feel),と練っている間,盛んに言う。探して感じて,尾てい骨を巻き込むと,腰が立つ。腰が広がる。
たしか,気功だと,腰の後ろにある「命門」という経穴(ツボ)があって,そのツボを開くように,という説明をする。これもたぶん同じことをしようとしている。
ただ,立てようとして,広げようとして,背中の下部(lower back)を丸めすぎてはいけない。腰を丸めてまっすぐにすることではない,とスティーブは言っていた。あくまで尾てい骨を巻き込み,下丹田のある下腹を少し上向きにするのだ,ということだった。丸めすぎては力が伝わらない。腰が反っていても(骨盤が斜めでも),逆に丸くなりすぎていても(骨盤が立ちすぎていても),良くない。
ここがミソだ。この微妙な立て方が,ミソだ。サンチンやナイファンチをするときも,ここがミソだ。
6/16/2014
気に合う
滞在63日目。6月16日(月)の午前5時。
昨日,朝の稽古で站椿(立禅)をしていたら,胸の前で抱えている腕の中に,弾力のある(「気」の)ボールがあるかのようにありありと感じた。重力に反して腕が持ち上がるぐらいの弾力性。これは非常に面白い体験。
以前に一度感じた,手の平がぼんやり痺れるような温かくなるような感覚は,あれからまったくしていなかったけれど,今回のこれはなかなか良かった。こういう体験は,微細な身体感覚へ意識のチャンネルがピタリと合ったときに起こるのではないかと思う。
こういう身体感覚は,さあ体験するぞと身構えて体験するもの(できるもの)ではなく,日々実践しているとふいにやってくる。ふいにやってくるということは,微細な身体感覚への意識のチャンネル合わせを意識的にやろうとしてもできない,ということだ。
実践を続けていると,おそらくこの,ふいにチャンネルが合う機会が多くなるのかもしれない。自然に,合うようになってくる。合わせようとしてはいけない。自然に,勝手に,合うようになる。
実践しながら,気長にそれを待つ。
昨日,朝の稽古で站椿(立禅)をしていたら,胸の前で抱えている腕の中に,弾力のある(「気」の)ボールがあるかのようにありありと感じた。重力に反して腕が持ち上がるぐらいの弾力性。これは非常に面白い体験。
以前に一度感じた,手の平がぼんやり痺れるような温かくなるような感覚は,あれからまったくしていなかったけれど,今回のこれはなかなか良かった。こういう体験は,微細な身体感覚へ意識のチャンネルがピタリと合ったときに起こるのではないかと思う。
こういう身体感覚は,さあ体験するぞと身構えて体験するもの(できるもの)ではなく,日々実践しているとふいにやってくる。ふいにやってくるということは,微細な身体感覚への意識のチャンネル合わせを意識的にやろうとしてもできない,ということだ。
実践を続けていると,おそらくこの,ふいにチャンネルが合う機会が多くなるのかもしれない。自然に,合うようになってくる。合わせようとしてはいけない。自然に,勝手に,合うようになる。
実践しながら,気長にそれを待つ。
6/15/2014
稽古
滞在62日目。6月15日(日)の午前4時20分。
毎日毎朝,形を練っていると,たまにふと,「一体なんで俺はこんなことしてるんだ」という疑問が浮かび,心底ばかばかしくなるときがある。具体的な効果,目に見える効用,そういう分かりやすい変化や変容は,一切ない。日々の変化や変容は,極めて微細だ(そこを楽しむわけだが)。
したがって,術の実践に,意味などない(としておいた方が良い)。もちろん,やれば色んな副次的効果(短期的には微細な効果,長期的には絶大な効果)が数え切れないほどあるけれど,それら(短期的な効果)自体を目的にすると,その副次的効果が(短期的には)得られない(微妙すぎて気がつかない)場合に,期待はずれとなる。だから,そういう具体的な副次的効果を「狙って」練ってはいけない。というか,狙わない方が良い。
(長期的な)稽古(の継続)の末に到達しようと思っている先は,あるようでない,ないようである,そんなところである。それは禅あるいは空であり,また,タオである。だから,稽古は,やらないよりは絶対にやった方が良いことははっきりしているけれど,やらなければならない,というわけではない。個人の自由だ。
ただひたすら練る。生きることと同じである。
「一体なんで俺は生きてるんだ。なんで俺は今ここにいるんだ」という<疑問>が浮かぶことがあるけれど,それは答えのある問いではない。だから考えても,意味や理由や原因などは見出せない。つまり,これは本質的には,<問い>ではなく<疑い>なのだ。
そういう疑いが生じたからと言って生きることを止める,ということは滅多にないけれど(いや,実際,人が自殺を企図するのはこのタイミングかもしれない),このタイミングに稽古を止める,形を練ることを止めてしまう,というのはありうる。
なんで生きているのかという疑問に答えはなく,では生きるのを止めようかと思っても止められないので,結局そのうちにこの疑問がうやむやになる。なんで稽古しているのかという疑問にも同様に答えはないのだが,ただここで,稽古の場合は止めようと思ったら止められる。稽古は,やらなくても生きていけるからだ。
しかし,稽古をここで止めてはいけない。術の実践(形の稽古)は,阿呆になってひたすら続けることに,道(どう)としてのミソがある。術の実践(形の稽古)を永遠に続けるところに,道(タオ)がある。
さあ,今日もまた,稽古しよう。
毎日毎朝,形を練っていると,たまにふと,「一体なんで俺はこんなことしてるんだ」という疑問が浮かび,心底ばかばかしくなるときがある。具体的な効果,目に見える効用,そういう分かりやすい変化や変容は,一切ない。日々の変化や変容は,極めて微細だ(そこを楽しむわけだが)。
したがって,術の実践に,意味などない(としておいた方が良い)。もちろん,やれば色んな副次的効果(短期的には微細な効果,長期的には絶大な効果)が数え切れないほどあるけれど,それら(短期的な効果)自体を目的にすると,その副次的効果が(短期的には)得られない(微妙すぎて気がつかない)場合に,期待はずれとなる。だから,そういう具体的な副次的効果を「狙って」練ってはいけない。というか,狙わない方が良い。
(長期的な)稽古(の継続)の末に到達しようと思っている先は,あるようでない,ないようである,そんなところである。それは禅あるいは空であり,また,タオである。だから,稽古は,やらないよりは絶対にやった方が良いことははっきりしているけれど,やらなければならない,というわけではない。個人の自由だ。
ただひたすら練る。生きることと同じである。
「一体なんで俺は生きてるんだ。なんで俺は今ここにいるんだ」という<疑問>が浮かぶことがあるけれど,それは答えのある問いではない。だから考えても,意味や理由や原因などは見出せない。つまり,これは本質的には,<問い>ではなく<疑い>なのだ。
そういう疑いが生じたからと言って生きることを止める,ということは滅多にないけれど(いや,実際,人が自殺を企図するのはこのタイミングかもしれない),このタイミングに稽古を止める,形を練ることを止めてしまう,というのはありうる。
なんで生きているのかという疑問に答えはなく,では生きるのを止めようかと思っても止められないので,結局そのうちにこの疑問がうやむやになる。なんで稽古しているのかという疑問にも同様に答えはないのだが,ただここで,稽古の場合は止めようと思ったら止められる。稽古は,やらなくても生きていけるからだ。
しかし,稽古をここで止めてはいけない。術の実践(形の稽古)は,阿呆になってひたすら続けることに,道(どう)としてのミソがある。術の実践(形の稽古)を永遠に続けるところに,道(タオ)がある。
さあ,今日もまた,稽古しよう。
6/14/2014
続・ワールドカップ
滞在61日目。6月14日(土)の午前6時。
いよいよワールドカップが始まった。ESPNでほぼ全試合中継するので,嬉しい限り。
ブラジルとアメリカ本土とはほとんど時差がなく,本土の東部標準時とハワイの時差は6時間なので,こちらではちょうど,午前中に試合が中継される感じになる。ありがたい。寝不足にならずに済む。
オープニングマッチは,開催国ブラジルvsクロアチア戦。この試合の主審を務めたのが日本人の西村雄一氏。1-1の同点で迎えた後半26分。ペナルティエリア内でクロアチア選手のファールを取って,ブラジルにPKを与えたことが,世界中で物議を醸している。まぁ,それぐらい注目の試合だったということと,ワールドカップはそれぐらい世界中の注目を集めているスポーツ大会だということかな。いや,自分がこの大会に注目しているから,西村氏のニュースに注目が行くだけか。興味のない人にとってはどうでも良い話。
一方で,このブラジル大会,開催に反対する地元の人たちのデモが,以前からずっと,そして大会直前まで報じられていた。大会が始まった今でもデモは行われているかもしれない。
ワールドカップに多額の税金が投じられている。こんな玉遊びにそんな大金をかけるなら,他に使うところいくらでもあるだろ(例えば,教育や医療とか),という主張。非常によく分かる。正論だ。貧しそうな人がナイフとフォークを持ち,皿の上にサッカーボールを置いて,悲しそうな顔をしている風刺画を見た記憶がある。サッカーボールは,食えない。腹の足しにならない。
経済的な循環はよく分からないけれど,よく「経済効果」って言葉を耳にする。こういう大会を開催するメリットというのが,ブラジルには,あるはずだ。メリットがなく,それこそ,FIFAやメディアが利益を独占しているのなら(というのがデモに参加する一般市民の主張だったりする),ブラジルは公費を投じただけで丸損ではないか。そんなことはないだろう。
ブラジルだって阿呆ではない。国全体として,色んな方面で色んなメリットがあるにちがいない。素人の発想でも,例えば,この大会を機に,建設業だとか観光業だとかが潤うとか,人的な国際交流が盛んになるとか,ブラジルという国の近代性と機能性をアピールするとか,国際的なプレゼンスを高めるだとか,いろいろ。経済効果として,そういうことが回り回って,教育や医療の分野の充実につながったり・・・ま,そりゃ,遠回りか(笑)。
それよりかは,その多額の公費を直接,目に見える形で教育や医療に投じろ,というのは至極ごもっとも。
ただ,デモで暴れている人を見るにつけ,思うのは,何かこう,日頃の鬱憤を晴らしたいがために暴れている市民,あるいは,有り余るエネルギーを放出したいがために暴れている若者,というのも中にはいるんだろうなということ。
もちろん,まじめに公費の使い道について訴えている人が大半なんだと思う。でも,メディアは暴れてるところばかり報じるから良くない。それの方がニュースとして,映像として,インパクトがあるから。で,インパクトがあって報じられるから,結局,暴れる人が出てくる。ということは,デモの暴力性はメディアが創出していることになる。
結局,ワールドカップに賛成の人も反対の人も,みんな,メディアの思うつぼだね。
いよいよワールドカップが始まった。ESPNでほぼ全試合中継するので,嬉しい限り。
ブラジルとアメリカ本土とはほとんど時差がなく,本土の東部標準時とハワイの時差は6時間なので,こちらではちょうど,午前中に試合が中継される感じになる。ありがたい。寝不足にならずに済む。
オープニングマッチは,開催国ブラジルvsクロアチア戦。この試合の主審を務めたのが日本人の西村雄一氏。1-1の同点で迎えた後半26分。ペナルティエリア内でクロアチア選手のファールを取って,ブラジルにPKを与えたことが,世界中で物議を醸している。まぁ,それぐらい注目の試合だったということと,ワールドカップはそれぐらい世界中の注目を集めているスポーツ大会だということかな。いや,自分がこの大会に注目しているから,西村氏のニュースに注目が行くだけか。興味のない人にとってはどうでも良い話。
一方で,このブラジル大会,開催に反対する地元の人たちのデモが,以前からずっと,そして大会直前まで報じられていた。大会が始まった今でもデモは行われているかもしれない。
ワールドカップに多額の税金が投じられている。こんな玉遊びにそんな大金をかけるなら,他に使うところいくらでもあるだろ(例えば,教育や医療とか),という主張。非常によく分かる。正論だ。貧しそうな人がナイフとフォークを持ち,皿の上にサッカーボールを置いて,悲しそうな顔をしている風刺画を見た記憶がある。サッカーボールは,食えない。腹の足しにならない。
経済的な循環はよく分からないけれど,よく「経済効果」って言葉を耳にする。こういう大会を開催するメリットというのが,ブラジルには,あるはずだ。メリットがなく,それこそ,FIFAやメディアが利益を独占しているのなら(というのがデモに参加する一般市民の主張だったりする),ブラジルは公費を投じただけで丸損ではないか。そんなことはないだろう。
ブラジルだって阿呆ではない。国全体として,色んな方面で色んなメリットがあるにちがいない。素人の発想でも,例えば,この大会を機に,建設業だとか観光業だとかが潤うとか,人的な国際交流が盛んになるとか,ブラジルという国の近代性と機能性をアピールするとか,国際的なプレゼンスを高めるだとか,いろいろ。経済効果として,そういうことが回り回って,教育や医療の分野の充実につながったり・・・ま,そりゃ,遠回りか(笑)。
それよりかは,その多額の公費を直接,目に見える形で教育や医療に投じろ,というのは至極ごもっとも。
ただ,デモで暴れている人を見るにつけ,思うのは,何かこう,日頃の鬱憤を晴らしたいがために暴れている市民,あるいは,有り余るエネルギーを放出したいがために暴れている若者,というのも中にはいるんだろうなということ。
もちろん,まじめに公費の使い道について訴えている人が大半なんだと思う。でも,メディアは暴れてるところばかり報じるから良くない。それの方がニュースとして,映像として,インパクトがあるから。で,インパクトがあって報じられるから,結局,暴れる人が出てくる。ということは,デモの暴力性はメディアが創出していることになる。
結局,ワールドカップに賛成の人も反対の人も,みんな,メディアの思うつぼだね。
6/13/2014
常夏の楽園
滞在60日目。6月13日(金)の午前4時。
ホノルル滞在予定の約半分まで来た。残り60日強。
改めて思うのは,来た当初からずっと夏だということ。当たり前だけど,常夏。これから夏,その後もずっと夏。夏夏夏。
日本にいれば,もうすぐ春だなとか,もうすぐ秋だなとか,もうすっかり夏だなとか,もうすっかり冬だなとか,常に変化していて,春と夏と秋と冬は,環境的に大きく違うわけだけれど,ここハワイは,4月よりは多少暑いぐらいでほとんど環境的に変化はない。
こうして月単位の変化も少ないけれど,日単位の変化も少ない。
雨期がだいたい4月には終わっているということで,こちらに来てから毎日ほとんど晴れ。ときに曇りの日はある。そんなとき,霧雨程度には降るけどせいぜいがにわか雨。だから毎日同じような天気。日本にいれば,天気予報は,傘を持っていった方が良いかとか,出かけない方が良いかといったことを左右する重要な情報だ。雨も降るし風も吹くし雪も降るし,干からびそうなほど暑いし,氷りそうなほど寒い。
というわけで,ホノルルに60日住んで,ふと思ったのは,季節や天気の変化がない,ということ。日中の日差しは強く,日向は暑くて焼けるけれど,乾燥しているから(湿度は低いから),日陰や朝晩は涼しい。激しい風雨は滅多にないから,天気予報を気にしなくて良い(傘不要)。つまり,過ごしやすい。ここの日差しと物価に対応できれば,移住したいと思う人が後を絶たないのはよく分かる。
一方で,日本に生まれて住んで40年の自分はというと,頭ではこうしてここの過ごしやすさに納得しつつも,身体は変化を期待している。変化を求めているというわけではないけれど,大きく変化する季節や天気に芯から馴染んだ身体が,元の通り変化を期待していいのか,この変化しない環境に馴染むべきなのか,迷っているかのようだ。
まぁしかし,暑いことは暑い。それがずっと続く。夏夏夏。快晴。海と空は青。青青青。常夏の島ハワイ。南の楽園ハワイ。常夏の楽園。
暑いと,寒い冬が恋しくなる。寒いと,暑い夏が恋しくなる。春はうきうきした気持ちになり,秋は落ち着いた気分になる。ありきたりだけれど,やっぱり日本の四季ってのは,変化があって,良いね。
ホノルル滞在予定の約半分まで来た。残り60日強。
改めて思うのは,来た当初からずっと夏だということ。当たり前だけど,常夏。これから夏,その後もずっと夏。夏夏夏。
日本にいれば,もうすぐ春だなとか,もうすぐ秋だなとか,もうすっかり夏だなとか,もうすっかり冬だなとか,常に変化していて,春と夏と秋と冬は,環境的に大きく違うわけだけれど,ここハワイは,4月よりは多少暑いぐらいでほとんど環境的に変化はない。
こうして月単位の変化も少ないけれど,日単位の変化も少ない。
雨期がだいたい4月には終わっているということで,こちらに来てから毎日ほとんど晴れ。ときに曇りの日はある。そんなとき,霧雨程度には降るけどせいぜいがにわか雨。だから毎日同じような天気。日本にいれば,天気予報は,傘を持っていった方が良いかとか,出かけない方が良いかといったことを左右する重要な情報だ。雨も降るし風も吹くし雪も降るし,干からびそうなほど暑いし,氷りそうなほど寒い。
というわけで,ホノルルに60日住んで,ふと思ったのは,季節や天気の変化がない,ということ。日中の日差しは強く,日向は暑くて焼けるけれど,乾燥しているから(湿度は低いから),日陰や朝晩は涼しい。激しい風雨は滅多にないから,天気予報を気にしなくて良い(傘不要)。つまり,過ごしやすい。ここの日差しと物価に対応できれば,移住したいと思う人が後を絶たないのはよく分かる。
一方で,日本に生まれて住んで40年の自分はというと,頭ではこうしてここの過ごしやすさに納得しつつも,身体は変化を期待している。変化を求めているというわけではないけれど,大きく変化する季節や天気に芯から馴染んだ身体が,元の通り変化を期待していいのか,この変化しない環境に馴染むべきなのか,迷っているかのようだ。
まぁしかし,暑いことは暑い。それがずっと続く。夏夏夏。快晴。海と空は青。青青青。常夏の島ハワイ。南の楽園ハワイ。常夏の楽園。
暑いと,寒い冬が恋しくなる。寒いと,暑い夏が恋しくなる。春はうきうきした気持ちになり,秋は落ち着いた気分になる。ありきたりだけれど,やっぱり日本の四季ってのは,変化があって,良いね。
6/12/2014
ワールドカップ
滞在59日目。6月12日(木)の午前4時30分。
今日からサッカーワールドカップブラジル大会である。番組情報とハワイ時間の計算に間違いなければ,オープニングゲームであるブラジルVSクロアチア戦は,今日の午前9時30分から,ESPNで中継されるはずだ。
ハワイは,アメリカの東部時間(ET,東部標準時)より6時間遅れ。今回のオープニングゲームは,ETの午後3時30分とESPNのウェブサイトに書いてあるので,そこから6時間引いて,午前9時30分。たぶん,間違いない。と思う。
日本の緒戦であるコートジボワール戦は,明後日の14日(土)の午後2時30分。ESPNで中継予定。
ところで,ESPNのワールドカップ中継スケジュールを見ていて,日本の緒戦の相手コートジボワールは,Ivory Coast(象牙海岸)となっていた。アイボリーコースト?
コートジボワールは通称で,正式名称はコートジボワール共和国。調べてみると,コートジボワール Cote d'Ivoire はフランス語で「象牙(Ivoire)の海岸(Cote)」という意味だそうで。日本もかつて「象牙海岸(共和国)」と呼んでいたらしいけれど,今は音のまま,コートジボワールと呼んでいる。なので,各国,Ivory Coast(象牙海岸)と今でも呼んでいるみたい。
サッカーに詳しいわけではないけれど,こういう世界規模のスポーツの大会は,わくわくする。プレイヤーは身体と精神両面のパフォーマンスを最大限に練り上げ,全神経を研ぎ澄まして本番に臨み,個人としてチームとしてときに想像を超える強さと巧みさを発揮する。彼らの秀でたパフォーマンスは,単純に,美しい。
今日からサッカーワールドカップブラジル大会である。番組情報とハワイ時間の計算に間違いなければ,オープニングゲームであるブラジルVSクロアチア戦は,今日の午前9時30分から,ESPNで中継されるはずだ。
ハワイは,アメリカの東部時間(ET,東部標準時)より6時間遅れ。今回のオープニングゲームは,ETの午後3時30分とESPNのウェブサイトに書いてあるので,そこから6時間引いて,午前9時30分。たぶん,間違いない。と思う。
日本の緒戦であるコートジボワール戦は,明後日の14日(土)の午後2時30分。ESPNで中継予定。
ところで,ESPNのワールドカップ中継スケジュールを見ていて,日本の緒戦の相手コートジボワールは,Ivory Coast(象牙海岸)となっていた。アイボリーコースト?
コートジボワールは通称で,正式名称はコートジボワール共和国。調べてみると,コートジボワール Cote d'Ivoire はフランス語で「象牙(Ivoire)の海岸(Cote)」という意味だそうで。日本もかつて「象牙海岸(共和国)」と呼んでいたらしいけれど,今は音のまま,コートジボワールと呼んでいる。なので,各国,Ivory Coast(象牙海岸)と今でも呼んでいるみたい。
サッカーに詳しいわけではないけれど,こういう世界規模のスポーツの大会は,わくわくする。プレイヤーは身体と精神両面のパフォーマンスを最大限に練り上げ,全神経を研ぎ澄まして本番に臨み,個人としてチームとしてときに想像を超える強さと巧みさを発揮する。彼らの秀でたパフォーマンスは,単純に,美しい。
6/11/2014
太極拳と空手
滞在58日目。6月11日(水)の午前4時40分。
太極拳と空手の身体操作的な共通点を探る。ポイントは,やはり,腰・腹の使い方だ。そこから足,そして首・肩・肩胛骨辺りの使い方。
伝統楊式あるいは正宗楊式と呼ばれる(あるいは自ら名乗る)太極拳をしている団体のウェブサイトだとか,している団体の動画だとかを見ると,そのほとんどが制定(規定)の套路を練習している。「規定の」伝統楊式だったり,あるいは,楊式とともに陳式や孫式や呉式もやったり総合42式というのをやったり武器術をやったりと,とにかく,武術太極拳連盟(ひいては国際武術連盟)のルールや形式に基づいて,行っている。各流派の,本当の意味での伝統(古流・古式・古伝)に基づいてやっている,という団体は少ない。
スティーブの太極拳は,伝統楊式である。そして,明らかに,武術連盟の規定の太極拳と違う。まずもって立ち形が違う。細かいところでは,手の動かし方も違うし,特には足の上げ方(蹴り方)が違う。これはクラシカルなやり方だから,現代式と違う,とスティーブ自身が言っていた通り,だいぶ違う。習いに来ている古参のおばあちゃんが以前に,「スティーブのタイチーは,良いよ。なんたって,よくあるタイチーと違って,ちゃんとした(本式の)中国のやつだからね」と教えてくれたのを思い出した。
現代式の伝統楊式太極拳よりも,この古式の伝統楊式太極拳の方が,より武術的だろうと考えると,たまたま隣でやっていた太極拳教室の先生がスティーブであった縁はすごい。武縁に感謝。
それで,腰・腹の使い方だけれど,現段階では,たぶん,使い方はかなり共通していると見ている。練りながらまた変わるかもしれないけれど,今のところ,ほぼ同じ身体操作になるような気がしている。
そしてこの古式伝統楊式太極拳の基本的な身体操作と技を練る,という意味では,10式(8式)で十分な気もしている。本来の套路は,長い。その中には,もちろん10式には含まれていない身体操作や技,そして技と技の流れ(連関)が,多数含まれている。時間と場所さえあれば,それらをすべて練ってみたいけれども,時間と場所は限られている。そういう意味で,10式(8式)は,ごく基本的な技のみを左右対照に行うよう構成されているため,太極拳の身体操作と技をじっくり練る上で,良い。
この10式(8式)は,入門用の初級太極拳,といった扱いがなされている感もあるけれども,だから,ただの入門用と位置づけるだけなのは非常にもったいない。むしろ,これだけで,伝統楊式太極拳をじっくり味わうことができると思っている。10式なら場所も取らない。時間にすれば5分とかからない。1日1回でも良いし,練ろうと思えば何度も繰り返せば良い。
この10式(8式)を使って,古式の伝統楊式太極拳の身体操作と技を,練る。その練り具合と,サンチンとナイファンチのときの練り具合とを比較してみる。じっくりと確かめつつ,練る。
太極拳と空手の身体操作的な共通点を探る。ポイントは,やはり,腰・腹の使い方だ。そこから足,そして首・肩・肩胛骨辺りの使い方。
伝統楊式あるいは正宗楊式と呼ばれる(あるいは自ら名乗る)太極拳をしている団体のウェブサイトだとか,している団体の動画だとかを見ると,そのほとんどが制定(規定)の套路を練習している。「規定の」伝統楊式だったり,あるいは,楊式とともに陳式や孫式や呉式もやったり総合42式というのをやったり武器術をやったりと,とにかく,武術太極拳連盟(ひいては国際武術連盟)のルールや形式に基づいて,行っている。各流派の,本当の意味での伝統(古流・古式・古伝)に基づいてやっている,という団体は少ない。
スティーブの太極拳は,伝統楊式である。そして,明らかに,武術連盟の規定の太極拳と違う。まずもって立ち形が違う。細かいところでは,手の動かし方も違うし,特には足の上げ方(蹴り方)が違う。これはクラシカルなやり方だから,現代式と違う,とスティーブ自身が言っていた通り,だいぶ違う。習いに来ている古参のおばあちゃんが以前に,「スティーブのタイチーは,良いよ。なんたって,よくあるタイチーと違って,ちゃんとした(本式の)中国のやつだからね」と教えてくれたのを思い出した。
現代式の伝統楊式太極拳よりも,この古式の伝統楊式太極拳の方が,より武術的だろうと考えると,たまたま隣でやっていた太極拳教室の先生がスティーブであった縁はすごい。武縁に感謝。
それで,腰・腹の使い方だけれど,現段階では,たぶん,使い方はかなり共通していると見ている。練りながらまた変わるかもしれないけれど,今のところ,ほぼ同じ身体操作になるような気がしている。
そしてこの古式伝統楊式太極拳の基本的な身体操作と技を練る,という意味では,10式(8式)で十分な気もしている。本来の套路は,長い。その中には,もちろん10式には含まれていない身体操作や技,そして技と技の流れ(連関)が,多数含まれている。時間と場所さえあれば,それらをすべて練ってみたいけれども,時間と場所は限られている。そういう意味で,10式(8式)は,ごく基本的な技のみを左右対照に行うよう構成されているため,太極拳の身体操作と技をじっくり練る上で,良い。
この10式(8式)は,入門用の初級太極拳,といった扱いがなされている感もあるけれども,だから,ただの入門用と位置づけるだけなのは非常にもったいない。むしろ,これだけで,伝統楊式太極拳をじっくり味わうことができると思っている。10式なら場所も取らない。時間にすれば5分とかからない。1日1回でも良いし,練ろうと思えば何度も繰り返せば良い。
この10式(8式)を使って,古式の伝統楊式太極拳の身体操作と技を,練る。その練り具合と,サンチンとナイファンチのときの練り具合とを比較してみる。じっくりと確かめつつ,練る。
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