4/30/2014

稽古する場所

滞在16日目。今,4月30日(水)の午前4時30分。

武当太和拳(武当式太極拳)の動画をyoutubeで何度も見てみる。一般に知られている太極拳と違って,動く範囲は狭い。二畳ほどあれば収まりそうだ。

武術の稽古は,平らな場所であれば,どこででもできた方が良い。広い場所がないとできないのでは困る。また,人前でやるものでもない。となると自宅の狭い部屋の中で,二畳ほどスペースを確保すれば一人で稽古できる武術は,総合的に考えて,良い。その最たるものが,空手である。

伝統的な楊式太極拳は,広い場所が必要だ。さすが中国,大陸の武術だからか,場所は旺盛に使う。これはこれで気持ちがよい。自然と大いに交わるには,やはり,野外で広々とやるのが良い。だから,太極拳は外でやった方がたぶん,気持ちがよいはずだ。

しかし同じ中国でも武当式はなぜか,套路の範囲が狭い。これは山の中の道観(道教寺院)で培われてきた術であるために,套路を練る場所が狭かったり悪かったりしたためかもしれないと勝手に想像する。

また,白鶴拳とか詠春拳とか洪家拳といった南方系の門派もあまり広く場所を使わない。よく,揺れる船の上で稽古したから,なんていう俗説を思い出すが,実際のところ,よく分からない。空手は,おそらく白鶴拳など南方系の中国拳法が源流の一つと考えられるので,サンチンやナイファンチといった重要な形はほとんど場所を取らない。ただ,空手には形がいくつも伝承されているので,広く場所を取る形も存在するにはする。

武当式の目的は,気を練ることであり,武当太和拳とは,道教における「道(タオ)」へ至ろうとするアプローチである。動きは武術がベースになっている。しかし動画を見ていると,もはや,武の術としての意味合いはそれほど残っていないように見える。動きの質は武術由来ではあるが,やっていることは,気功同様,道教的な気の操作をしている(気を練っている)だけのように見える。たぶん,そうなのだろう。また,これはそういうものであり,それでよいはずだ。

一般的な(制定の)八段錦や易筋経といった気功も,たぶん,武術の動きをベースにしている部分があるが,そのまま武の術として役立つわけではない。呼吸とストレッチングと緊張-弛緩に重点を置いた,養生法である。古来,武術(殺人)と医術(活人)は同根であり,身体技法として排他的な区分けはなかったかもしれない。

道家の気功は,心身の健康のための養生に加えて,気を練る。それは,「道(タオ)」へと至るためだ。だから,道教の入り口は,まずは身体的な健康を回復・維持・増進することにある。

仏教は一切動かない座禅を中心に置いた。じっと坐ってマインドフルネスになる。一方,道教は動く方法を採用した。動いて気を練り道(タオ)になる。武術がベースにあるけれども,武そのものが目的ではない。武当山の斜面にある道観で培われた身体技法は,だから,練るための場所をほとんど取らない。「道(タオ)」に至るために,そんなに場所は必要ない。

4/29/2014

骨盤

滞在15日目。今,4月29日(火)の午前4時40分。

昨日の正午前,地元のコミュニティセンターでのTai Chiクラスの2回目に参加。コミュニティセンターの会員にもなり,参加費は会員料金となり1回(1時間)4ドル。これで本格的な伝統楊式太極拳が習えるんだから,かなり良心的。先生のスティーブも非常に良い人で,1時間濃密に教えてくれる。魅力的な人物である。こうして人を惹きつける魅力があるからこそ,自ら修行している術の教室が開けるんだろうなと思う。

今ちょうど,清水豊著「老子と太極拳」を読んでいるけれど,まさに太極拳をひたすら練り続けることが,「道(タオ)」へと向かう有効なアプローチであり,ただひたすらに練ることが大切だとある。そしてそれを5年10年と続けていれば自ずと「道(タオ)」に近づく。スティーブはもともと良い人なんだろうけれど,太極拳というアプローチが彼をより豊かな人物にしているのだとしたら,清水氏の言う通り,太極拳というのは非常に優れた技法だということを実証している。

スティーブは,骨盤を立てろと盛んに言う。腰の辺り,腹の辺り,ここが要だと言う。聞き間違いでなければ,下腹と腰が太極拳のtreasure(秘蔵の宝)だと言っていた。もちろんここは,あらゆる武術で要とされている。

スティーブも骨盤を立てると言っているし,以前日本で習った制定八段錦の先生も骨盤を立てるようにと言っていた。站椿でも腰をまっすぐ立てる。中国の術は,どうも腰のところをまっすぐにするところがポイントのようだ。壁に沿うようにまっすぐにする。

空手はどうか。まず那覇手は,骨盤を立てる。サンチンはまさにそこのところを丁寧に練る。息を下丹田に吸って入れ,吐いて締めるとき,腹圧を上げ尻を締め上げ,骨盤を立てる。だから,腰に関して言えば,少なくとも那覇手の技法は,中国の技法と共通する。

一方で,首里手の場合,例えば,ナイファンチでは,腰を立てるのではなく,あえてやや反り気味になった状態を良しとするやり方もある。例えば,新垣清氏はこれを「袴腰」と称して重視している。僕自身は,腰を反り気味にしろと強いては習っていないが,ナイファンチで立つと,確かに自然にそうなる。

だが,もしかしたらここのところは,実は,あんまり腰を反らない方が良いのかもしれない。腹圧を高め,尻を締めれば,自然に骨盤は立つ。これと腰が反れているのとでは,一見,矛盾している。サンチンとナイファンチで,同じ原理で説明できるとすれば,ここは謎がまた一つ出てきた。

ナイファンチにおける腰(骨盤)を研究してみよう。立ちに違いが出てくるかもしれない。

4/28/2014

ホームレス

滞在14日目。こちらへ来て丸2週間経った。今,4月28日(月)の午前4時40分。

昨日は,アラモアナビーチパークの向こうにある,チルドレンズディスカバリーセンターというところにバスで行ってきた。

幼児や子ども向けの体験型・発見型の娯楽施設で,文化・職業・自然・人体などを遊びながら学ぶというところ。日本で言うと,博物館や科学館などにある,子ども向けの展示や装置を一カ所に集めた感じ。これで楽しめるのは,せいぜい小学校低学年ぐらいまでかな。

日曜日ということもあり,地元の親子連れがけっこう来ていて,賑わってる。センターの職員もみな,子ども好きで,対応も明るくて親切。軽食を出すカフェもあって助かる。

彼ら地元の親子はすべて,自家用車でここまで来る。バスで来る人はいない。センター正面(入り口)は海側を向いていて,車の駐車場も主に海側にある。海側にはカカアコウォーターフロント公園という,芝生を刈り込んだ綺麗な公園。だから,センターは,カカアコ公園前にある,としばしば紹介されている。一方,最寄りのバス停は山側にあり,バス停から向かうとセンターの裏側を見ながら向かうことになる。

それで実は,その最寄りのバス停(アラモアナ通り沿い)からディスカバリーセンターへ行く間,特にディスカバリーセンター裏側の道路に沿って,ホームレスのテントがずらっとものすごい数,並んでいる。正直,ぎょっとした。目に見える範囲でも30~40はテントがある。そのテントが所狭しと,歩道に沿って並んでいる。洗濯物を地べたに乾かしていたり,食べ物が入っていた容器や汚れた服や靴なんかが散乱していて,汚い。ここだけ見たら,かなり治安の悪い場所だと思うはず。

テントは,日本のように段ボールやブルーシートで自作したテントではなくて,キャンプなんかに家族連れが立てるテント。壊れた車をベースに家化してる人もいる。女性も多い。

ホノルルは,ワイキキにもホームレスは多い。ホームレスのいない景色はない。どこにでもいる。その中には中年の女性も多く見かける。ホームレスの数は確か全米ナンバーワン。それもそのはず。気候は年中暖かく,日本のように冬に凍死することはない。海岸沿いの公園やビーチにはトイレもシャワーもある。だから,なんとか食べ物さえ手に入れれば,暮らしていける。

ディスカバリーセンターにくる親子連れはそれなりに裕福な家だと思う。やはり,子どもをこういうところで遊ばせるには,経済的に余裕がないと無理でしょう。入場料だって一人10ドル。そして彼らは,自家用車でセンターの正面から入る。つまり,真裏に群居するホームレスのテントはほとんど目に入らない。

貧富の差というか,層の差のコントラストに驚いた。表は自家用車を持ってそれなりに高い入場料を払って教育的施設で子どもを遊ばせることのできる経済的に安定した家庭。裏は汚れた服を着て汚れたテントに住み,食べ物にも困る毎日だろう,家のない人たち。この奇妙なコントラストに,こっちの人はどう感じてるんだろう。

しかし,なんでこのディスカバリーセンター周辺に,こんなに群居してるのか不思議だ。まるでここから何か栄養のエキスが吸えるかのように,テントがびっしりと寄り添いながら張られている。ここはカカアコ公園の前なわけだけれど,たぶん,公園内には法律的に寝泊まりしてはいけないから,公園にもっとも近い歩道上にいる,それがたまたまこのセンター周辺,ということか。謎だ。

4/27/2014

日本人

滞在13日目。4月27日(日)の午前4時。

ハワイ最大のショッピングセンターである,アラモアナセンターに行ってきた。今までに何度か行ってるけれど,とにかく,でかい。人も多い。観光客と地元の人がごった返してる。

アラモアナセンターには,地元の人は日用品中心に買い物に,観光客は土産物中心に,買い物に来る。だから,ここは,貴金属やブランド品を売る高級そうな店もあるし,安いスーパーもフードコートも充実してる。

地元の人は,基本的に車でここまで買い出しに。だから,ショッピングセンターの周りがぐるりと巨大駐車場になっていて,ショッピングセンター自体は外から見えない。まるで立体駐車場の中に店が複雑に入り込んでいるみたい。2015年にはさらに拡充して新店舗オープンだそうだ。どんだけ大きくするんだ。まるで映画AKIRAの鉄雄よろしく増殖中。

観光客,特に日本人観光客の場合,基本的に日本の旅行会社(JTBとかJAL PAKとかHISとか)が提供しているトロリーバスで来店。それらの旅行会社のパックで来ると,滞在中,乗り放題というわけ。日本人以外の観光客はというと,お金を払えば乗れるトロリーバスや,ローカルのバス(The Bus)で来る。うちはJCBカードを持ってると乗れるトロリーバス(2ドル払えば誰でも乗れる)で向かう。本数は少ない。しかもこれ,誰でも乗れるから,帰りは特に混むんだよね。

日本の旅行会社が出している各種トロリーバスは,ほぼ「日本人専用」状態。今のところまだ空いていて,ラクチンそう。それに本数も多い。これが何台もワイキキ近辺を走っている。ワイキキの免税店や高級品店に来店するのもほとんど日本人。だから日本語表記がそこら中にある。ここホノルルはワイキキの観光にとって,日本人は昔から大のお得意様なのだ。これら旅行会社やカード会社が提供している専用ラウンジがいくつもある。つまりそれは要するに,「日本人専用」ラウンジ。韓国人や中国人の旅行客用のラウンジは見かけない。

こうして時間が経って見ていると,徐々に,「日本人」対応に特化して奇妙に(過剰に)構造化されたホノルルの経済システムが気になってきた。4~5日の短い旅行のときには,ただ単に(その方がラクチンなので)ありがたいと思ったけれど(笑)。日本はホノルルの大株主なのだ。だから露骨に株主優待されているのだ。

そりゃそうだ。ハワイから物理的に(もしかして一番?)近くて,経済的に安定している国は,日本である。アメリカ本土からの距離とほぼ同じぐらいでしょう。最近は,韓国人や中国人も多いのかもしれないけれど,それは日本に観光に訪れる韓国人や中国人が増えているのと同じだろう。国自体が経済的に潤えば,海外旅行に出かける国民の割合も増える。

アラモアナセンターの中に白木屋(Shirakiya)という店がある。2階と3階がエレベータでつながっていて,2階は日本の化粧品とか土産物とかが売られていて,3階は屋台村になっている。たこ焼きだとか寿司だとか牛丼だとか,とにかくいろんな種類の店が並んでいて,そういう日本風な食べ物を買って食べることができる。繁盛してる。ここに来ている客は,ほとんど「日本人以外」に見えた。まぁ,確かに,ハワイに来てまで,短い旅行期間中に,わざわざたこ焼き食べなくても良いよね。なぜか,そのたこ焼き屋,客寄せのためか分からないけれど,店員が唐突に和太鼓をドンドンドンと叩いてた。何かの合図か余興か。

しかし,自分らも含めて,こんなに年がら年中,ものすごい数の日本人がやってきて,トロリーバスやらラウンジやらあって,ビーチや街中やショッピングセンターなどワイキキ近辺を我が物顔で闊歩して,ハワイの人たちは「日本人,うぜぇ」とか思わないのかな(笑)。まぁ,お金をジャンジャン落としてくれるお得意様,まさにカモがネギを背負ってやってくるようなものだから,良いのか。確かに,良いカモだもんね。

ただ,商売してる人だけでなくて,地元の人も,観光客慣れ,外国人慣れしているのか,平均して親切である。車も歩行者に道を譲ってくれることが多い。バーガーキングの店員はかなり無愛想だったけど(笑)。

そういう意味では,何人だとかにこだわっているのは僕自身であって,こっちの人はそんなこだわりはないのかもしれない。東西南北いろんなところからいろんな人が来るから,基本的にオープンでフェアなんだろう,きっと。地元の人にとって,日本人は,それこそ生まれたときからわんさと見かけてる観光客なわけで,ごく自然な光景なんだろうし,それにもともと日本からの移民も多い。良いこと悪いこと含めて,昔から日本とはいろいろと縁がある島だと言えばただそれだけ。

こだわりや囚われを捨てたところで見えてくるものがきっとあるはずだから,そこまで見てみよう。


4/26/2014

カパフル通り

滞在12日目。今,4月26日(土)の午前3時40分。

子どもを寝かせるために,毎晩9時にベッドに入って一緒に寝ている。毎晩大体午前2時頃,つまり5時間後に目が覚める。今まではそこからまた寝ていたけれど,今朝は試しに3時を起床時間にしてみた。二度寝すると,今度は起きにくくなるし,たまに頭痛がすることがある。だったら,この方が調子が良いかも。

昨日はカパフル通りにあるセーフウェイというスーパーに,歩いて行ってきた。ウォルマートに並ぶ,アメリカ最大級のチェーン。品数豊富で,ワイキキのスーパーよりは安い。入会無料の会員になれば,会員価格で,けっこうお得。

こっちには,ポキという,マグロのぶつ切りを漬けた料理があって,これが美味い。いくつも種類があって,スパイシーなのはビールに合う。ご飯にも合う。昨日はそのセーフウェイの魚売り場で,ややスパイシーなのを1パウンド(約453g)買った。それで12ドルぐらい。

そのカパフル通りを歩いていると,日本ではみかけない種類の色んな鳥を見かけた。サギのような小型のツルのような白い鳥,頭が赤くてモヒカンみたいになっている鳥,小型のハトみたいな鳥,日本のスズメの半分ぐらいの大きさの小鳥,他色々。あと,なぜか立派なニワトリも一匹いたぞ。ニワトリって今時,野生じゃないでしょう。

また,自生していたり植えたりしている木や花が,どれも日本とは違って,見かける度に見入ってしまう。やたら大きかったり,クネクネと変な伸び方をしていたり,色鮮やかだったり,形が奇妙だったり。いずれ見慣れてしまうのかもしれないが,今はひとつひとつが新鮮だ。

それからこのカパフル通りには,ポツポツと飲食店も並ぶ。ここまでどうやって食事に来るのかよく分からないけれど,なぜか並んでいる。車でわざわざ来るのかね。それも,例えば,日本食の居酒屋みたいなところとか,ラーメン屋とか焼き鳥屋とか,日本語表記の日本風な店が多い。日本人観光客相手なんだろうなという店構え。

この辺りは地元の人が住んでるカパフルとかカイムキという地域だから,観光客はそれほど来ないと思うんだけど,ゴールデンウィークや夏休みにはこの辺りまで日本人が溢れるのかね。いくつか老舗の有名店などもあるらしいから。

シャミナード大学があるワイアラエ通りの方にも,いくつか観光案内に載っているようなお店があるようなので,行動的な人はどんなところへでもどんどん行けるんだろう。僕一人じゃ,あんまりそういうところまで開拓しに行かないだろうな。

今はまだ日本人の観光客も少なく,街もビーチもそれほど大賑わいというわけではない。ゴールデンウィークで,来週辺りから日本人が増えるのかな。

4/25/2014

気功

滞在11日目。4月25日(金)の午前6時。

ボブに会いに,シャミナード大学まで行った。シャミナード大学はハワイ大学の隣の小さなカソリック系の私立大学。英語ではChaminade。日本語表記だと,シャミナードとかチャミネードとか。

この前行ってきた隣のハワイ大学は学生数も多くて大学も広くてとても賑わっていたが,シャミナードはその点,ずいぶん落ち着いている。学生もそんなに多くないし,大学の敷地もそんなに広くはない。学生もみんな,ゆったり過ごしている。そして特筆すべきは,景色である。山側の斜面が始まるところぐらいにあるので,キャンパスの斜面を登りながら振り向くと,そこはワイキキの街と海と,そして雄大なダイヤモンドヘッド。建物も,キリスト教系だからか,白を基調にした教会風(欧風?)な感じで,どれも綺麗である。全体的によく整備されている。

ボブに会うのは,昨年8月以来なので,約8ヶ月ぶり。そのときも思ったが,この人,おしゃべりで,とにかくずっとしゃべってる。あんまりよく話すので,話している内容を全部理解するのは到底無理で,だいたいのところでうんうんうなずくのがやっと。僕がnon-nativeだということはお構いなし。

ここ数ヶ月,彼の本を翻訳しているのと(今年か来年,日本語版として出版予定),話の内容が気功や中国拳法や武術や意識や身体感覚のことなので,なんとか話についていけるけれど,話題がどんどん展開するものだから,いやはや,圧倒される。おしゃべりなんだね。

昨日はそれで,話の展開上(というか僕がうまく英語で自分の真意を伝えられずに),早速,座式八段錦(sitting baduanjin)を,ロバートのオフィスで実際にやることに。床に座って20分ほど,色んなポーズを実践した。もちろん,これは全部,今翻訳中の本にも出てくる。道元の只管打坐と同じだと,そのときもボブが言っていた通り,道家の訓練なので動きがあるけれど,やろうとしていることは同じである。

今後,定期的に,八段錦と易筋経,それから武当太和拳(wudang taihequan)(=武当式太極拳,武当派太極拳,武当山太極拳)を個人的に習うことに。ありがたい。道教の武当山(=太和山)で伝えられてきた拳法は,武当拳とか太和拳って言われていて,これがいわゆる内家拳(=太極拳,形意拳,八卦拳)のことらしい。だから,この武当の太極拳こそが,気を練る(気功としての)本来的な道教の拳だという説がある。

しかし,「気功」というと,僕自身ももともとそうだったが,なんていうか,手から気を出して人を飛ばすとか,手から気を出して病気を治すだとか,何かそういうスーパーナチュラルな方面の怪しい手技のように思われている節が,あることにはある。気功という名の下に,果てはそういうのをしている人もいるにはいるけれども,しかし,本来的な気功は,まずは心身の健康を整えることを第一の目的とした,古代中国から連綿と続く養生法であり,決して怪しいものではない。

「気」という概念があって,これは目に見えない生命エネルギーだというものだから,それが何やら神秘的な超自然的な力を持ちうるように聞こえてしまうわけだけれど,これはとりあえず身体感覚を意識するための一つの方便だと考えて良いと思う。また,当然,道教の考え方とリンクしているので,そこでは「気」という概念が説明力が高いのだ。

とにかく,いくら気功を練っても,孫悟空のように手からカメハメ波が出ることは,永遠に,ない。

4/24/2014

景色

滞在10日目。今,4月24日(木)の午前6時。

昨日は,ワイキキ中心部にあるロイヤルハワイアンセンターに行ってきた。無料でレイを作るアクティビティが開かれてたからだ。奥さんと娘がそのレイを作っている間に,息子と二人で辺りを散策。といっても高級店と高級ホテルの森だけど。

しかし,ロイヤルハワイアンっていうホテルは超豪華。メインロビーを抜けるとそこはプライベートビーチ?なのかどうか分からないがとにかくビーチで,暗めの館内から外の眩しい海と空とビーチが見えて,そのコントラストが素晴らしい。館内を出れば,綺麗に刈り込んだ青い芝生の庭,左手にカフェがあり,柵の向こう側に白い砂浜が広がる。左手遠方にはダイアモンドヘッド。館内の作りも全体的にヨーロッパ風に仕立てられていて,高級感抜群。

4歳の息子は,そんなことは全く関係なし。座りやすそうな高級なソファがあったからそこに腰掛けると,持っていた落書き帳に落書きを始めた。これが本来の我々人間の姿であり,こういう高級な仕立ては,すべて色である。彼はこの豪華さや高級さには,なんら価値を置いていない。高級なソファでも,街中の固いベンチでも,座って落書きするという機能においては,全く同値である。

子どもは,景色のような,視覚的な壮観さや綺麗さってのにも,あんまり感動しない。多少はすごいと思うのだろうけれど,あっさりしたもので,すぐに興味は逸れる。むしろ,手や足で触れるもの,走ったり登ったりできるところ,乗れるもの,つまり,じかに身体的に直接感じるものに喜々とする。

視覚的な感動はだから,結構,観念的なのかもしれない。これは滅多に見られるものではない,こういう景色は今までに見たことがない,こんなものは生まれて初めて見た,だから貴重だ,希有だ,珍しい,だから神秘的だ,素晴らしい,というように,背景にある経験や知識が視覚的な感動に関連しないだろうか。

子どもにとっては,今のところ,生まれてまだ時間が経っていないので経験も浅く,多くの視覚的情報がまだまだ生まれて初めてなことが多いわけだから,いちいち大人のように感動していたら疲れてしまう。だから,子どものときの視覚的な情報はまず入力してデータベースに入れていくことが優先されるのかもしれない。だから,一瞬は「おお」と思うけれども,すぐに飽きるのは,情報として入力し終わったからなのかも。

だから,子どもの頃に,なるべく多くの(大人が素晴らしいと思う)景色やモノを見せておくのが良いと言われるのかね。そうして子どもの頃に良い景色やモノを経験しておくと,それがベースラインになるから,大人になって本物と偽物に迷わなくなる,というわけ。音楽などの聴覚的な情報も同じかもしれない。いや,実際,よく分からないけれど。


4/23/2014

ハワイ大学

滞在9日目。今,4月23日(水)の午前5時。

昨日は正午前にハワイ大学マノア校に,バスに乗って行ってきた。ロバートのいるシャミナード大学はハワイ大学の隣にあり,この大学行きのバス路線の途中で下車する。明日の昼,ロバートに会うので,約束の時間に遅れないために,事前に下見がてら,路線バスに乗って終点のハワイ大学に行ってきたということ。

やっぱり大学は,良いね。学生が大勢いて,活気がある。やはり大学はこういう風に活気がなくてはいけない。本屋(Bookstore)に行って,うちのチビ二人が落書きするための安いノートを買い,それから学食でランチ。ボリュームたっぷり。よく食うわこれ一人分?という量。4人で二人分で十分。それでも余って持ち帰った(持ち帰りようのアルミホイルとビニールも置いてある)。街中よりはちょっと安い設定になっているのは世界中どこの大学も同じか。唐揚げが甘辛で,めちゃくちゃ美味い。

学食もランチタイムはほぼ満員で,午後1時を過ぎた頃にはまた授業に戻っていくので学生は減ったが,それでも,そこここで飯食ってたり勉強してたりグループで話し合ってたりと,ごくごく大学の大学的雰囲気。良いね。

本屋は,”Bookstore”なんだけど,教科書以外の本は申し訳程度にしか置いてなくて(笑),なんていうか,生協みたいに雑貨から生活用品からパソコンから電化製品まで一通り置いている感じ。やはり,ガイドブックにこのBookstoreが掲載されてたりして,そのせいでしばしば観光客が訪れるためか,そういう観光客向けの雑貨も置いてたりする。

気になったのは,スケボーを持ってる学生が多いこと。持ってる学生はヒップホップな感じのファッションで,これも世界中ありがちなフォーマットだが,しかし,スケボー片手に大学で活動するのは手元が邪魔じゃないかね。まぁ,キャンパス内をスケボーで移動ってのは,とてもアメリカンな感じではあるけれども,実際,ホントにそうなんだと感心。ただ,そう言えば,街中もスケボー野郎が確かに多い気がする。そうか,それはサーファーが多いからか。陸を移動するときはスケボー。なるほど。

それから,学食には当然,昼間に大学中からランチを食べに学生が集まるわけだが,眺めていると,いろんな人種の人たちがこの大学に来ていて,これこそ本当の意味でのグローバルだと思った。なんていうか,単に留学生を何人抱えてるだとか,英語で授業しているだとか,そんなのはグローバル教育でもなんでもなくて,こうして世界中の色んな人種の人たちが集まっている状態が,グローバルなんじゃなかろうか。もちろんそこでの共通言語は結果的に英語だけれども。

ここにいれば,東洋人であることは目立たないし,そもそも何々人だという見た目なんて,まったく特徴にならない。ただの個性。西から東から南から北から,いろんな人がまんべんなく多種多様に集まってる。ここはアメリカの大学だけれど,白人や黒人が多数を占めていない。ポリネシア系な感じの人も東洋系な感じの人もたくさんいる。何系の人だかよく判別できない人も多い。いや,判別する必要がない。判別してもしかたがない。意味がない。それぐらい,もう,いろいろいる。人種なんてどうでも良い。自分の人種的出自など,どうでも良くなる。

そして,当然かもしれないけれど,見た目が似た人種同士で徒党を組んでない。ここまでいろいろいると,そんなのはまるで意味がないし,そもそも不可能だろう。似てる似てないが,よく分からなくなる。アメリカ本土やハワイ州出身のアメリカ人も多いだろうし,ここにはいろんな国から留学している学生も多いだろうけれど,どこの国からとか何々人かとか,そんなのは全然関係なくなるぐらい色々いる。彼らは学生らしく,人種なんていう垣根は軽々と越えて,一緒に学生生活を送っている。

ホノルルは,街中もさることながらこうして大学を見てみても分かるように,洋の東西南北が交わる,世界でも希有な場所なわけで,だからこそここは,アメリカだけれども,東洋的な心身修養法としての気功や太極拳やヨーガなどが,違和感なく存在する。そして,常夏のゆったりした雰囲気がヒーリング(癒し)とも結びつく。身体を通してマインドフルネスに至るアプローチ。太平洋の真ん中に浮かぶ,ある種必然的にそういう歴史と運命にあるかのような,独特な場所な気がする。

もちろん,一方で,ビーチ沿いのカラカウア通りなどは高級なホテルと店が建ち並び,まさに煩悩と執着が渦巻いていて(笑),それはそれで人間の両極がここに体現されているのも面白い。その煩悩と執着の隣で,空手と気功と太極拳を練る。

4/22/2014

太極拳

滞在8日目。今,4月22日(火)の午前5時。

昨日,近所のコミュニティセンターで開かれている太極拳(Tai Chi)の教室に参加した。ホノルル滞在中,これから毎週通おうと思っている。ロバートに気功(Qi Gong)を教わる予定だが,一方で,ここで基本的な太極拳のさわりだけでも定期的に教わろうと思ってる。

ここの先生はスティーブさんといって,中国系のアメリカ人。そのさらに先生はおそらく中国人。来月初めにその大先生がやってきて,ワークショップが開かれるとのこと。できれば参加したい。コミュニティセンター,いわゆる日本の公民館とか近隣センターでやっている太極拳なので,最初は普及版の制定24式でも教えているのかなと思っていたが(もちろん,それでも良かったけれども),スティーブの教えている太極拳は意外にも本格的なものだった。稽古中話していたことや動きを手がかりに,家に帰ってから調べたところ,おそらく,伝統的な楊式太極拳の老架108式(あるいは85式)だと思われる。

太極拳にはいくつかの流派があって(陳式,呉式,武式,孫式など),その中でも伝統楊式の老架108式は,今ある様々な太極拳の中でもおそらく最もオーソドックスで古典的で原点的な套路(套路とは,空手で言うところの「形」のこと)と推察。この楊式老架108式から,呉式や武式が別れたり,楊式をベースにして他流も混ぜて現代の制定24式などが作られたり,様々な楊式の簡化式が編成されたりしている様子である。

なお,力強く速い動きのある独特の陳式は歴史的に最も古いので太極拳の源流という表現がされることが多いが,一方で,そもそも太極拳ではないという極端な説もあり。だから,陳家拳と呼ばれたりしてる。孫式は太極拳に八卦掌と刑意拳を混ぜたものらしいから,こちらもそもそも太極拳ではないという説もあり。だから孫家拳と呼ばれたりしてる。そういうことで,楊式はいわゆる「太極拳」の本質的な形をそのまま継承している,ということらしい。

ただ,太極拳の起源そのものに諸説あるので,これという定説はないんだろうけれども,現代ある様々な流派や套路を通して,おそらく,この伝統楊式の老架108式というのが,本来の太極拳というときの太極拳らしさを最も表している套路なんだろう,たぶん。

そういう意味で,たまたま隣のコミュニティセンターでやっていた太極拳教室が伝統楊式の老架108式を本格的に教えている先生のところで,非常に幸運である。まさに武縁。生徒はみな,地元のおじいちゃんとかおばあちゃん。それよりはもう少し若い女性の方もおられたけれど,基本的には日本の太極拳教室と同じ光景で,シニアの方々が,ゆっくりと套路を練っておられる。

しかし本来,太極拳は別におじいちゃんおばあちゃんのための健康体操というわけではなく(もちろん,そうした養生的要素がベースにあるので扱われ方が間違っているわけではなくて,本質的にもそれで全く正しいのだが),その先に道教的な思想へと向かう修行というプロセスがある。つまり,太極拳とは身体を通した道教修行,つまり,道家的心身修養法と位置づけられる。道教は身体を通して修行する。それは例えば気功であったり太極拳であったりする。

まさに,僕がやっている「空手を通した禅」と同じ構造なのだ。

だから,今,ホノルルにいる。ホノルルでボブに気功(伝統的な座式八段錦と易筋経)とストレスマネジメントを習うためにやって来たが,加えて,スティーブに伝統楊式太極拳を習うことができるようになった。武縁に感謝。

4/21/2014

滞在7日目。4月21日(月)の午前5時40分。

以前,こちらの天気は晴れが多いと書いたけれど,ここ数日は雨模様が続いている。そういう日は風も強い。今,外は,音を立てて雨風が舞っている。もちろん,降ったり止んだりで,日本のように一日中雨が強く降っている,という感じではないけれど。

そうして風が強い日は,プールの水から上がったとき,寒い。子どもは遊ぶ方に意識が行っているようで,寒さを覚えるのはずいぶん後になって,体が冷え切ってから。一方,西洋の人もあんまり寒くないのか,普通に水着一枚でプールに入ったり出たり,日光浴したりしてる。

道を歩く彼らもだいたい薄着だ。例えば,夕方になるとTシャツの上にパーカーをはおってるのは東洋系,それも日本人っぽい人ばかり。日本人は寒がりなんだろう,きっと。実際に生物学的に西洋人よりも東洋人の方が寒さに弱いのかもしれないけれど,そればかりでなく,体を冷やしたくない,冷やすと良くない,という信念もまた,体感温度とそれへの対処の仕方に影響しているのかもしれない。

そういえば,「腹巻き」というのは日本オリジナルみたい。腹を冷やさないために装着する,あれ。バカボンのパパのように普段から巻いている大人は最近ほとんど全く見かけないけど,うちの子どもらには,夜寝るときに巻いて寝かせてる。やはり,腹が冷えると,胃腸の調子を崩したりするという理由から。観念的には,やはり,腹は身体の中心であり,(下)丹田のあるところであり,気の集まるところと考えられているから,ここを守る(暖めておく)ことが肝要だということだろうか。

4/20/2014

フラダンス

滞在6日目。4月20日(日)の午前5時半。

昨日,観光客相手にワイキキのビーチでほぼ毎日?夜に開催しているフラダンスのショーを見に行った。ホノルル市主催のショーで,昨日は地元のフラダンス教室の子どもたちが数チーム,踊っていた。中学生ぐらいの女の子たちはとてもうまく,一方,小学校低学年か幼稚園生の女の子のダンスはとてもかわいらしかった。毎回,出演する人やチームは変わるみたい。

それこそ,「ハワイアンズ」のフラガールのダンスのように,高度に洗練されたプロフェッショナルなダンスとはまた違った,非常にリアリティのある,味わいのある,つまり,そこそこ上手な踊り手とまだ始めたばかりの地元の子どもとが混在していて,非常に良かった。

小さい女の子も,楽器と歌声に合わせて,独特な指先や足や腰の動き,体全体の揺らしや回転を,一生懸命にやっている。ときどき分からなくなると,年上のお姉さんたちの動きを見て真似しながら。そのお姉さんたちに比べたらまだ全体に固いけれども(人前で踊る緊張もあるだろうし),練習を続けていれば,これから徐々に技が身体に染み込んでいって,動きが柔らかく円滑に連関していくようになっていく。指の先,足の先まで,細やかな神経が届くようになる。

大きなバニヤンツリー(菩提樹の一種)の下のステージで,夕暮れ時,日没する海岸で踊るフラダンス。観光客相手の余興なんだろうけど,有料の本格的なプロのステージとは違った,趣ある地元のフラダンスを見ることができた気がする。

4/19/2014

滞在5日目

今,4月19日(土)の午前6時。ホノルルに少しずつ慣れてきた気もするけど,今朝は寝坊してしまった。やっぱりまだ慣れてない。

今回の滞在は観光ではないから,朝から晩まで贅沢に食べて飲んで,開放的に遊び倒そうという状況ではなく,だからこそまた違った感覚で過ごしているのも新鮮だ。

昨日は一日中,雨が降ったり止んだりだった。ただ,降ったとしてもすぐに止むので,雨宿りしていたら傘はいらない。傘を差してる(持ってる)人もほとんど全くいない。どうせすぐに止むのを知っているからだろう。それに,多少濡れてもすぐに乾く。

海と反対側には山脈があり,その上にはいつもだいたい雲が浮かんで,絶え間なく移動してる。その雲がときどきホノルルまで降りてきて雨を降らせる。

そういえば,明日がイースター(復活祭)のようで,そのせいか,学校や公共施設は金曜日(18日)から休みになってる。イースターってのは,よく知らないけれど,ゆで卵に色塗ったりするやつ。だから,そういえば,ウォルマートには,やたらと卵の形したおもちゃが売ってたな。調べてみたら,この時期の日曜日にやるらしい。年によって日が違うようで,今年は4月20日がイースターに当たる。キリスト教でもっとも重要な祭。ふうん。

復活祭だから(生命の開始・源の象徴である)卵。それから,復活祭前には大斎(四旬節)っていう動物性食品を禁じる期間があり(信仰厚い人以外,誰も実践してないだろうけど),イースターがその解禁日ということで肉料理・卵料理を食べる,ということみたい。

4/18/2014

滞在4日目

今,4月18日(金)の午前5時。当面,こっちの日付と時間に慣れるまで,こうして日付と時間を意識的にわざわざ書いている。

昨日はまた買い出しに,今度は近所のスーパーではなく,ちょっと遠出して(といってもバスですぐだけど)ウォルマートに行ってきた。ご存じ,アメリカの大手(世界最大の)スーパー。安い設定でとにかくありとあらゆるものを置いている。日本でいうと,食品スーパーにホームセンターと薬局をくっつけた感じ。つまり,イトーヨーカドーとケイヨーデイツーとマツモトキヨシがまさにスーパー合体した店。でもって,客はみな,大量に買い物してる。

そういえば昨日夕方,宿を出ると目の前で消防車(こっちの消防車は黄色)が勢いよく放水しているので「何事か!」と思ってみてみると,街中の交差点で,椰子の木の先に向かって水を当てているではないか。いったい何をしているのかと,見物している老夫婦に尋ねたら,「自分らもよく分からんけど,来てみたらこの騒ぎ」と笑っているので,事故や事件ではない様子。とにかく,交差点のところだけ土砂降りの雨状態になっていて,見物客が集まってる。

たぶんだけれど,他よりも大きめの椰子の木の葉が枯れかかってて,その椰子の木の葉はかなり大きいから,交差点に落ちてきてきたらそれはそれで事故の元なので,未然に防ぐために,消防車の放水で落としていた,というところだろうか。たぶん。

そろそろ仕事をする時間を確保していかないといけない。子どもの勉強も見なくちゃいけないし,時間の調整が必要だ。身体が慣れたら,徐々に。

4/17/2014

滞在3日目

4月17日(木)の午前8時。ホノルルへ来て3日目。

昨日は部屋をだいたい片付け,少し買い出しに出かけ,子どもとの約束で夕方はビーチに行き,帰りに近くでBBQプレートを買って帰り,食べた。美味い。一皿10ドル前後なんだけど,かなりのボリューム。4人(大人2人,子ども2人)で2皿買ったけど,余るほど。これ一人で一皿全部食べたら太るのは確実。

アメリカの掃除機は吸引部にライトが付いていて,吸引のスイッチを入れると同時に光るのね。うちの奥さんの話では,最近そういうのも日本で売ってるそうだけど,これ必要?と思いつつ,まぁ確かに,吸い込もうとするそこが明るく照らされると,ゴミがあるかどうか見分けが付きやすい,というのはある。しかし,日本とはまた違ったところに力が注がれてる。

そういう意味では,ディスポーザが流し台に付いてる。生ゴミ処理機。どうもこっちのデフォルトみたい。これもまた奥さん情報だが,日本のマンションにもそういうのが付いてるところも最近はあるらしい。

それから,これはホノルル特有なのかもしれないけれど,日本ならどんな飲食店(レストランやファストフード)にも大概トイレは付いているし,スーパーやコンビニにはトイレ常備なのに,こっちはその店々にトイレがない(大型のショッピングモールやちゃんとしたレストランにはもちろん付いてるけど)。ホテルは多いんだが,最近はセキュリティのために,そのホテルの滞在者しか使えないように鍵が掛かってる。これは不便極まりない。もちろん,探せばあるところにはあるけれど,日本ほどそこら中に公共で使えるトイレはない。さて,ホノルル在住の人や観光客は,いったいどこで済ませてるのだろうか。

海は静かで波もおだやか。白い砂浜と透明度の高い海水。そこには,魚が群れをなして泳いでいるのが見える。日本の海水浴場のように,海草と貝殻とゴミで満載なのとはずいぶん違う。天気は変わりやすいけれど,以前に来たときも含めて今のところほぼ毎日晴れ。

観光客はバカンスに来ているので,みな開放感にあふれている。半分は,ハワイの海と気候がそうさせるのかもしれないけれど,半分は,来ている人がそもそも開放されたくてきているので,全体的に開放的な雰囲気なのだ。

だけど,そうしてのんびりと日光欲をする人もいれば,ビーチを見ながら有酸素なエクササイズをしている人もけっこう多い。観光地に来てまで激しく運動する人々ってのは,日本ではあんまり見ない光景な気がする。ゆっくり休もうよ。そういう意味では,欧米系(特にはアメリカ?)の人の中には,貪欲に(いついかなるときにも)自己の身体を管理する人たちってのが,結構な割合を占めてるんだろうなぁ。TV通販で腹筋マシーンなんかを盛んに売ろうとしてるのは,アメリカだし。それもこれも,毎日あんな量の食事をしてたら,そりゃほっといたら太る。

4/16/2014

一晩明けて

12時間以上,寝たかな。今,16日(水)の午前10時半。生活リズムが変わったせいか,就寝中,何度も目が覚めるたびに頭痛。我ながら線が細い。神経質だね。それで今朝,頭痛薬を飲んで休んだら復調したので,朝食を取った。

とりあえず今日は,部屋を整理して買い出しに行こう。まずは生活の基盤を整えなければ。ボブのところに挨拶に行くのは,もうちょっと落ち着いてからにしよう。

窓から見える海が,抜けるように青い。

4/15/2014

ホノルル着

ホノルルには現地時間で4月15日(火)の午前9:00に着いた。飛行機ではほとんど眠れず。やはり小さい子ども二人を連れてだと,彼らがよく眠れてるかどうかが気がかりで,こちらは眠るどころではない。

まったく徹夜も同然なので,全身が眠気でだるい。それこそ目が覚めるような青い空と青い海のホノルルだけに刺激的だけれど,なんとも頭は霞が掛かったようにボンヤリしている。人は身体がだるいと本当にやる気が起きず,気分も気候と無関係に落ち込む。

これまで二度,ホノルルには来たことがあり,その都度,とても良い気候で何とも住みやすいところだと思ったけれど,今回は4ヶ月住むからか,町の景色も何だか違って見える。1週間かそこらの旅行なら散財して朝から晩まで贅沢に過ごしてもいいやと思うけれど,観光地ホノルルで4ヶ月間そんな風に過ごしていたら,お金がいくらあっても足りない。そう思って質素にやろうとすると,まだ慣れないせいか,意外に住みにくいところなのかも。まずもってコンビニとスーパーが少ない。ABCストアはやたらにあるけれど,どの店の主力商品も観光グッズだし。

子どもは疲れ知らずなのか,披露しきった大人を尻目に,ホノルルの象徴であるビーチへ行こうとせがまれ,体に鞭打って海に入った。さすが常夏の楽園ハワイ。最初ちょっと冷たい海水もじきになれ,気持ちよい。

とにかく今日は早く寝よう。でもって,明日改めて,部屋の整理と買い出しを。今日はもうとっちらかったままで,寝ましょう。

そうそう。前に来たときも思ったけど,ハワイの鳩は白いのね。


4/14/2014

日記を書く

日記・日誌というのは,単なる記録ではなく,つい漫然と過ごしてしまう日々の生活にマインドフルな視線を向けて,一瞬一瞬をありありと感じながら生きるための装置になっているのだと思う。

だから何も,後から読み直すために書いているわけではなく,また,将来の夢を綴るために書いているわけでもなく,おそらく今を書くという行為そのものが「今ここにある」ことを浮き彫りにするので,私たちは日記・日誌を書くのかもしれない。

メタな視点で距離をおいて客観的に眺めることを可能にする日記・日誌はこれまで,日々の経験をモニターして(=気づき),整理する(=統合)という筆記開示の文脈で主に理解してきた。しかし,そもそもにおいて日記・日誌を書く(書こうとする)という行為そのものが,マインドフルネスを促す一つの実践的な訓練となってそう。

身体からのアプローチをするにしても,ただ身体技法にのみ没頭するのではなく,身体技法を通して感じたことを言葉にする,文字にして表してみる,具体的にはノートや何かに身体を通して得た経験を書くと良いとされる。これは,筑波大学体育系の遠藤卓郎先生も強調しておられたし,ロバートも著書の中で強く勧めている。

おそらく究極的には言葉に頼らずとも今ここにある身体としての自己をありありとマインドフルに感じることができるようになればそれで十分なのだろうけれど,とりあえず当面は練習として,言葉をうまく利用してマインドフルな視線を向けるのは,大いに役立つだろう。

今,日本時間で4月15日(火)の午前3:00。今晩,日本を発つ。

4/13/2014

出発前日

今,日本時間で4月14日(月)の午前11:00。明日15日(火)の夜,ホノルルへ向けて成田から日本を発つ。せっかく4ヶ月間ホノルルに滞在するので,記録に残しておこうとブログに綴ってみることにした。途中で止めるかもしれないけれど,まぁ,できるところまで。

単に記録としてだけなら日記帳でも買ってきて一人シコシコと書けばいいぢゃないかというご意見はまさしくその通りだが,不特定多数の他者に(実際に個人的な経験や思考を書き綴っている自意識過剰な文章を果たして自分以外の他者が好き好んで読むかどうかは別として,あくまで形式上は)公開されたブログというメディアが,自身の思考を客観的に眺める視点を提供してくれるので,あえて採用。

あとはやはり,鉛筆やボールペンなどで紙やノートに書き綴るのがなんとも煩わしく,文章を推敲する上で,こうしてキーボードで打ち込む方が色々と加筆修正や編集がしやすく,今となっては断然やりやすいからでもある。キーボードがやりやすいなら自分でWordか何かに書いて保存すればいいぢゃないかというご意見はまさしくその通りだが,やはり思考の客観化にはこの開かれたメディアは好都合である。

今時はTwitterやFacebook?そういうツールが主流のようだが,僕は全然ついていけないし,そういうスピーディかつ広範囲なネットワークを形成するような道具には,あまり興味が湧かない。それに比べて,このブログというのはゆっくり落ち着いて書けるので,良い。あとは経験上,ブログだと,ネットワークもスピーディかつ広範には広がりにくい。それは得てして僕が他で書いている武術や読書(書評)のブログがごく個人的な意見やメモを書いているだけだからであり,必然,万人受けするわけではないから。内心は読んで欲しいと思っている割に,実際に面と向かって「ブログ読みました」とか言われるとつい「すいません」と謝ってしまう。

したがって,このブログも,色んな人に見て欲しいというよりは,ちょいと他者の視点をお借りして,客観的に自己の経験を記録しよう,というために綴るものである。

「檀山式身体心理学・序説」としたのは,深い意味はないが,今回のホノルル滞在は,シャミナード大学のロバート(ボブ)・サンティ先生のところで,東洋的な術を通した身体技法でもって心身を調整するというアプローチを深めることを目的としているので,単にハワイでの日々のあれこれを普通に綴るというのもつまらないと思い,では,そうした身体心理学的な視点で綴ろうと思ってこのタイトルにした。ここで得られるものがいずれ何かにつながれば,それは結果的に「序説」となるかなという意味である。いやしかし果たしてその通りにできるかどうかは何とも保証の限りではないが,とりあえず。

ちなみに檀山(だんざん)とは,ハワイのことらしい。というのも,ハワイには檀山流柔術(だんざんりゅうじゅうじゅつ)というのがあって,その説明の中で「檀山とはハワイのことである」というのを見かけるからだが,ネットで検索しても「ハワイ=檀山」というのは出てこない。むしろ,香川県は豊島の檀山(だんやま)ってのが引っかかる。

それで,もう少し調べてみると,ハワイの山々にはその昔,白檀(びゃくだん)がたくさん自生していたそうで,これが高く売れて潤ったという話である。それで檀山なのかな。また,かの妖怪博士・井上円了著『南半球五万里』の中にもハワイを指して「檀」の字が出てくる。厳密にはその中で,ホノルル港(ホノルルではなくホノルル”港”)のことを「檀州」「檀香山」と呼んでいる。どうも中国では慣例的に,ホノルル(ホノルル”港”ではなくホノルル)のことを「檀香山」(tanxiangshan)と呼ぶようである。それで,檀香とは,梅檀・白檀・紫檀などの香木の総称だそうで,やはり,檀山の「檀」は白檀の檀から来てるっぽいね。