8/20/2014

帰国

現在,日本時間の8月21日(木)の午前4時40分。

帰国した。帰りの飛行機は長く感じた。昼に搭乗したので,あんまり眠くないものだから,目が覚めたまま,息子がごちゃごちゃあれこれと騒ぐのを制しつつ,だいたい8時間ぐらい機内にいたことになる。

成田に到着して荷物を受け取り税関を通って外に出たのが午後4時。ホノルルだとその時点でもう夜の9時。就寝時間だ。眠い。義兄の奥さんと子ども二人,つまりうちの子どもの従兄弟たちが,成田の到着出口に迎えに来てくれていた。サプライズ。ありがたい。

通り一遍だけれど,日本は蒸し暑い。ただ,昨日今日辺りは比較的涼しい方なのではないかな。蝉が盛んに鳴いている。そういえば,ホノルルに蝉はいなかった。

4ヶ月開けていた家は,ちゃんと元のところにあった。親戚の人にときどき見てもらっていたので,家全体が痛んでいる,なんてことはなく,また,幸い空き巣にも狙われず,4ヶ月前のまんまだ。カレンダーも4月のまま。何もかも,4ヶ月前に出たときのまま。まるでタイムスリップしたみたい。さて,この4ヶ月は夢か幻か。

と思えば,ときどきフラッシュバックのように,ホノルルで住んでいた部屋だとか周辺の道々だとかをありありとリアルに思い出すけれど,結局今にしか生きていないから,それらは全部記憶の彼方へと消えていく。リアリティを徐々に失っていく。

まぁしかし,ごっそり4ヶ月間,日本での生活が抜けているわけだから,徐々にチューニングしていきくことにしよう。つい焦ってすぐに元通りにしようと思ってしまうけれど,まぁ,しかし,「サバティカルボケ」を味わいながら,こっちの生活に再び慣れていくことにしよう。

さて,というわけで,このブログ,タイトル的には一応,これで終了である。

こうして日々の出来事を綴るのはそれなりに記録になって良いなと思った。しかし,今回はホノルルで身体心理学という特別な滞在だったから良いけれど,こんなことをこれからも毎日続けていたらそれはそれで負担な気がするし,そもそも,もうすでに今日から何ら特別ではない日々を綴ってもそれはそれでますます,そんなごく個人的な日々の出来事を綴って一体誰にどういう利益があるのかただの阿呆を丸出しぢゃないかと思うので,惜しい気もするけれど,やっぱりこれで終了である。

とりあえず,想像上の読者のみなさま,さようなら。みなさまのおかげで,良い客観的視点を得ることができました。それから,読んで下さっていると教えていただいた友人のみなさまにも,感謝です。

ありがとうございました。

8/19/2014

欲望

滞在127日目。8月19日(火)の午前3時30分。

さて,いよいよ,今日,帰国する。9時にはタクシーを呼んである。お昼前の便に搭乗予定。ホノルルに4ヶ月強住んだわけだが,やっぱり長かったなぁ,うん。

昨日は,スティーブの太極拳の,最後の稽古だった。また是非いずれ習いに来たいと思っているので,最後の稽古というのは,とりあえず,今回の滞在で最後ということで。

また一つ面白い話をしてくれた。太極拳は,上手くなりたい(よくなりたい)と思うと,身体が緊張して力んで硬くなって,なかなか上手くなれない。だから,上手くなりたいという欲望(desire)は,捨てた方が良い。欲望を捨てることで,身体がリラックスして,そのうち上手くできるようになる。上手くなりたければ,上手くなりたいと思わない方が良い,ということだ。

これは真理である。

太極拳とは,身体で得た真理を人生全体に広げていく(あるいは人生の本質あるいは哲学を太極拳を通して理解する),そういう身体哲学なのだ。スティーブの師であるPang先生のいう,「太極拳は哲学だ」ということの一つの意味は,たぶん,そういうことだと思う。

○○したいと思うほど,○○できないから,○○しない方が良い。

繰り返すけれど,これは真理である。

例えば,心理学的にも,幸せになりたいと思えば思うほど,実は,幸せになれないことが分かっている。だから,幸せになりたければ,幸せになりたいと思わない方が良いのだ。それから,思考抑制のシロクマ課題の通り,思考を抑制しようと思うほど皮肉にも抑制できないから,抑制しようと思わない方が良いのだ。

このことを強引に一般化すれば,要するに,あらゆる欲望は捨てた方が良いのである。

仏教的には,欲が苦を生むから,欲を捨てよと教える。道教的には,過剰な欲は陰陽のバランスを崩すから,欲を抑えよと教える。欲を捨てたり減らしたりしたところに,本質的な安穏がある。

スティーブがこの欲望の話をし終わったとき,隣にいた御年85歳のLilianおばあちゃんが僕の腕をつつき,「Remember this」と僕の目を見てそっと言った。今のスティーブの話,よく覚えておきなさい,という意味だ。よく覚えておきます。Lilianおばあちゃんとは最後,ハグをしてお別れした。どうもありがとう。

8/18/2014

心配

滞在126日目。8月18日(月)の午前4時。

いよいよ明日,帰国。荷造りを始めると,ああ帰るのだなという実感が湧いてくる。

持ってきたよりも当然,4ヶ月の滞在で物が増えている。僕自身の荷物で増えた物は,本が4冊,ティンシャとシンギングボウル,Tシャツ3枚と,後はハワイな首飾りぐらい。増えた物は主に子どものオモチャやら,サマースクールでの制作物やら。服も増えてる。後は食品類。これ,全部,持って帰るのだろうか。それからお土産類。これは仕方がない。

ということで,スーツケースに収まりきらないから,こちらでスーツケースを追加購入。それでも足りないから,今日,もう一つ追加予定。

ちょっとした引っ越しなわけだから,とにかく,移動前後はバタバタするのは覚悟しないといけない。帰ってから落ち着くまで時間がかかるけれど,それは仕方がない。それに今からそのことを考えても仕方がない。そうそう,こういうのをworryというんだな。人間はつい,先のことまで考えて,あれこれ心配してしまう。もちろん,計画性のある行動をするために,ある程度は必要だけれど,それに囚われ過ぎてはいけない。囚われ過ぎると,その心配自体がネガティブ感情を生み出す。

今ここでやるべきことは,とにかく,荷物をまとめること。でもって,明日は飛行機に間に合うように空港に行くこと。帰ってからの整理は,帰ってから考えれば良い。

今日は,太極拳の稽古最後の日。気負ってやっても稽古は稽古だから,まぁ,いつも通り普通に稽古しよう。スティーブとも当分,お別れだ。

ハワイでは,しかし,ロバート(ボブ)とスティーブ,良師二人に会えて,本当に良かった。

8/17/2014

ハワイ料理

滞在125日目。8月17日(日)の午前4時30分。

いよいよ日本に帰る日が近づいてきた。さて,最後に食べておきたいハワイの料理は何かと言えば,やはり,ポキだ。POKE。ポキは,ハワイ語で「切り身」という意味らしい。ポキと言えば大体,アヒ(マグロ)。アヒのポキ,アヒ・ポキが良い。日本風に言えば,マグロのぶつ切りの漬け。しかしなんでこれ,日本で流行らないかね。マグロの山かけみたいに,すでに似たような料理があるからかな。

ガーリックシュリンプも良い。昨日,ウォルマートの入り口にある,L&L Hawaiian BBQ(L&L Drive-Inn)で,サイミンとロコモコと一緒に食べてきた。L&Lは,これまたハワイの至るところにある,そこそこリーズナブルなハワイ料理の定番プレートを出すお店だけれど,渋谷に日本1号店ができたそうだ。ネットで見る限り,見た目は同じ物を出している模様。さて,量と味はどうなんだろう。Teddy's Bigger Burgersの日本店も東京のどこかにあって,Yammy BBQの日本店も名古屋にあるらしい。

で,Yammyを検索してみたら,名古屋に2店舗。しかし,Yammy Hawaiian BBQってなってるぞ。YammyはKorean BBQなんだけどな,こっちでは。プレートに,たっぷりのライスとBBQチキンやBBQビーフ,これにたっぷり4種類の野菜(キムチとか)の付け合わせ。Me's BBQとともに,ずいぶん食べた。

食,というのは本当に快楽である。美味い。楽しい。気持ちが良い。身体で直接感じる快楽。さて,しかし,これもまた欲望であり,欲望には限りがない。美味い物を求めてお金をかけてしまう。一方で,腹が減っているときにはつい,がつがつ食べてしまう。食べ過ぎ。胃のもたれ。胸やけ。ゆっくり味わって食べる。そうすれば別に高いものでなくても十二分に美味い。身体にも良い。マインドフルに,観を用いて,質素に美味しく食べる。そうなりたい。

が,たまにはポキとかガーリックシュリンプとかBBQチキンとかも良いねぇ。人間ってのは,さもしいなぁ。

8/16/2014

滞在124日目。8月16日(土)の午前5時30分。

いよいよ帰国の日も迫り,ラストスパートということで昨日もビーチに行ってきた。足腰が痛い(笑)。陸に上がってもずっと波に揺られているような感覚が続く。まさにビーチ酔い。

今まさにお盆の時期で,日本人観光客のピークなんだと思うのだが,ワイキキの東の方,ダイアモンドヘッド寄りの方,カピオラニ公園の方には,ほとんど日本人もいない(ように思える)し,混んでいるようには思えない。6月7月の頃と同じだ。

たぶん,日本人の多くは,ロイヤルハワイアンとかモアナサーフライダー辺りの,中心の方のビーチで遊んでいるのかな?行ってないから分からないけど。

いやしかし,砂浜と言っても,波が高いのでその砂がさらわれて,岩礁が数メートルのところからむき出しなので,今度来るときはマリンシューズを持ってこよう。岩場にはそこそこ色んな魚が泳いでいる。

耳の奥が,波のリズムで,揺れている。

8/15/2014

中心

滞在123日。4月15日(金)の午前5時。

まもなく帰国と言うことで,奥さんが各方面への手土産を大量に買い込みにいくミッションを遂行している間,僕は子どもをプールとビーチへ一日連れて行った。

もう穏やかな波には飽きて,大きな波が来る方へ来る方へとせがむ。

そこそこ波が高いところで子どもを見ながら踏ん張っていると,すねと足の甲が痛くなる。そう,だから,バランスを取ろうとして踏ん張って立とうとすると,すねと足の甲が痛くなるのだ。太極拳で痛くなっていたところと全く同じ箇所である。

だから,太極拳でも,バランスを取ろうとして踏ん張っているということである。バランスを取ろうとするということは,バランスが悪いということであり,そのバランスの悪さはおそらく,歩幅(スタンス)と腰腹の位置や向きだろうということが分かってきた。ここのところを上手く調整すれば,すねと足の甲の痛みは減るはずだ。

実際,歩幅を狭くしながら,すねと足の甲へ筋肉的負担を掛けないよう意識しつつ練ると,痛みはずっと軽減した。だからこの方針で間違っていない。さらに身体操作を楽にするために,腰の縦と横の回転をうまく使うようにすれば,さらに痛みは軽減すると思う。きちんと操作できていれば,力は使わなくて済むはずだからだ。

なお,力を使わないというのは一つの言い方であって,当然,全くゼロではない。動かすわけだから,そりゃ,わずかには使う。力を入れすぎたり,力でもって無理矢理にポーズを作ったり,それらしく動いたりしない,という意味である。ただ,太ももには力が入る。ここだけは入る。それはスティーブもいつも言っているし,Pang先生の本にもそう書いてある。

身体の中心は尾てい骨であり,そこを意識して感じるようにする。尾てい骨を感じる際には,腰を開く。経穴としては,「命門」を開く,と表現される。そしてその尾てい骨を中心に,手の先から足の先までとつなぎ,4つの手足を同時に一体として感じるようにする。

精神(意識)の中心は丹田であり,ここに呼吸(息)が出入りする,つまり気(生命エネルギー)が貯まる,あるいは,ここを中心に全身を気が巡るようなイメージを意識する。道家的には踵で息をするイメージだ。あるいは,足の裏の「勇泉」や手の平の「労宮」から気が出入りするイメージ。天と地と一体化する。

そしておそらく,物理的なパワーの源は太ももにある。筋力を使う部分はここぐらいで,後は柔らかく,リラックスする。だから,この一番太い筋肉に,パワーを貯める。

8/14/2014

腰の回転

滞在122日目。8月14日(木)の午前5時。

昨日の太極拳で,スティーブはいくつかまたポイントになることを教えてくれた。

まずは歩幅(スタンス)のことについて。歩幅は自分がちょうど良いところを見つける必要があるけれど,Pang先生は,ときに歩幅を狭く,ときに歩幅を広く取って稽古していたと言っていた。これは,歩幅が狭いときはinternal powerを養う感じになり,歩幅が広いときはexternal powerを養う感じになる,ということだ。

それから,これはもう,4ヶ月前の当初からずっと言っていたことだけれど(つまり,言葉としてはずっと耳に入っていたけれど),昨日,ようやく,そうかそういうことかと身体的なニュアンスが読み取れたことがある。

それは,ウェストを回転させる,ということだ。

スティーブは盛んに,Waist Turn!という。つまり,身体の向きを変えるときはもちろんのこと,前に進んだり後ろに進んだり,身体や股関節を開いたり,要するに何かしら身体を動かすときにいつも,これを言っていた。これまではあまり考えず,当たり前の動作の一つとして腰を回転させていたけれど,昨日,なんとなくこの言葉が気になったので,この腰を回転させるということをいつもよりも意識してやってみた。すると,格段に動きがスムーズになった。

つまり,腰腹をもっと,立体的に使う必要があるのだ。

これまで腰の縦の回転をずっと意識してきた。尾てい骨を意識して骨盤を立てることが太極拳の要であることは間違いなく,スティーブもそのことを一番伝えようとする。この,尾てい骨を意識して丸め込み,下腹を持ち上げる操作は,腰腹の「縦」の回転なのだ。

これに「横」の回転をもっとうまく使うようにする。というか,もう少し「横」の回転を意識的に使うようにする。そうすると,腰腹がずっと立体的に動くようになる。縦の回転と横の回転をうまく使うのだ。そうすると,がぜん,身体操作が楽になり,気持ちよくなる。不思議である。

腰腹が武術の要であることは,自明である。「腰が大事なのね」と言葉では誰でも分かるが,しかし,言葉として単純だからこそ奥が深い。ここの使い方を徹底的に追求することこそ,武術を追求することでもある気がする。

昨日はもう一つ,これも以前から言っていたけれど,この腰の回転の感覚的発見に刺激されて,言っている意味が身体的に実感できたことがある。それは,蹴りの動作で足を上げるとき,足をliftするのではなくdraw (up) するのだ,という点だ。前から確かに言っていたけど,その意味がようやくピンと来た。

持ち上げようとすると(lift),足は重量があるわけで,それだけ筋力を使って動作しようとしてしまう。そうではなく,引き上げるのだ(draw up)。そうすると,楽に足が上がる。引き上げるためには,腰腹を使う必要がある。つまり,足を上げる動作の際に,腰の縦の回転(尾てい骨の丸め込みと下腹の引き上げ)と連動させるのだ。

おそらく,そうすることで,軸足に上半身(体重,重心)が全部載って蹴り足が自由になり(蹴り足でバランスを取る必要がなくなるから),また股関節も足が持ち上がりやすい角度になり,さらに下腹の引き上げによって腹筋が作用する。

だから,スティーブはいつも,足を上げるときに尾てい骨を意識せよ,と言っていたのだ。尾てい骨を意識して腰を縦に回転して,足を引き上げる。なるほど。

僕がいつもmartial artisticな発見やヒントが得られて感謝していると言うと,スティーブは笑いながら,でも自分はmartial artistだという意識はない,だって全然強くないし,ケンカになったらどうやって相手をなだめるかをまっさきに考えるし,ただtaichiが好きでtaichiをやっていてよかったことがたくさんあるからtaichiをやっているだけだ,と謙遜する。

スティーブは本当にいつもニコニコしている。笑顔がとても魅力的だ。笑顔で自分も周りも丸くする。これこそ道家実践の基本である。ロバート(ボブ)の本”The Tao of Stress"にあるように,道家の基本は微笑みなのだ。そのロバートが出会った中国の洞窟に隠居する道士のように,スティーブの笑顔も,他者を優しく包み込むような笑顔である。だからこそ,スティーブは本当の意味での太極拳家taichi masterだと,そう思う。(ちなみに,masterと言うと,私は全然masterではない,とスティーブは言うけれど)

全然関係ないけれど,下記,記録として。

昨日,うちの奥さんの友人のジョアンというローカルの女性と夕食を供にした。ワード・エンターテイメントの1階にある「ブカディベッポ」というイタリアンのお店。これがまず日本ではあり得ない面白いお店で,初めての来店のときは,なんと,シェフやウェイター・ウェイトレスのみなさんがごちゃごちゃ忙しく働いている厨房を見学をさせてくれるのだ(笑)。シェフのみなさんも面倒くさがらず挨拶してくれる。あまりの唐突かつ奇抜なおもてなしで,思わず爆笑してしまった。で,さらに笑えるのが,その厨房には特別席が一つ設けられていて,そこで食事もできる(笑)。厨房の中に設置されたテーブル!もちろん,その特別席を選んだお客さんは,訪れる初来店のお客さんにギョッとされるので,その都度笑顔で挨拶しなくてはいけないけどね。味は抜群だし量も多いし値段もリーズナブルだし店員の対応も抜群(全員が笑顔で親切で気配りが行き届いている。たぶん,それが店のウリの一つで,全員しっかり訓練されている)。キッズメニューはどれも5ドル(それも,大人でさえ食べきれない量)。お奨めである。

8/13/2014

静寂

滞在121日目。8月13日(水)の午前4時30分。

太極拳を練るときのイメージとして,虎が獲物を狙うように動く,という例えをスティーブは使うけれど,昨日はもう一つ面白い例えを使っていた。

寝ている赤ちゃんを起こさないように。

寝ている赤ちゃんのそばを通らなければならない経験がある人はわかるはずだ。赤ん坊は寝るのが仕事であり,せっかく寝ているところを絶対に起こしてはならない。そのために,音を立てないように静かに歩く。抜き足差し足忍び足。

抜き足差し足をするためには,片方の足にしっかりと体重が載っていないといけない。そしてもう一方の足を移動して,ゆっくり体重を移動する。

だから,太極拳の稽古中は,スティーブがする説明のための声以外は,何も音はない。聞こえてくるのはせいぜい,風の音や鳥の声ぐらいだ。

よく日本の太極拳教室なんかだと,中国のゆっくりした音楽が流れていたりするが,あれは止めた方が良い。YoutubeやDVDなどでもなぜかそういう中国の音楽がバックに流れている。確かに,こういう感じでゆったり動きましょう,とリズムに合わせる効果というのはあるかもしれないけれど,太極拳本来の良さが削がれる気がする。太極拳は,もっと心を静かに穏やかにしていくものであり,そのためにはむしろ,音楽さえも要らない。

つまり,本来,太極拳を練るには,何もない方が良いのだ。自然になることを,自然と一体化することを求めているわけだから,そこには,たとえ柔らかでゆったりした中国の音楽であろうと,人工的に作り出した音は必要ない。

そう。スティーブの太極拳教室に最初に顔を出して,何か違うなぁ,これはいいなぁ,と思った大きなポイントは,この,バックに中国風の音楽を鳴らすという,太極拳教室にありがちな付随物がないというところだったことを,今更ながら思い出した。

そうした静寂の中で太極拳を練るのが良いのだ。取って付けたような音楽など必要ない。

静寂の中,ときに風が吹き抜け,ときに鳥のさえずる声が聞こえる。太極拳とはこういうところで静かに練るものなのだ。音楽など鳴っていたら,それに気を取られてしまう。ありがちな中国の音楽を流して,雰囲気を中国風に仕立てる必要など全くない。

8/12/2014

魚と鳥

滞在120日目。8月12日(火)の午前4時40分。

今週から日本はお盆休みの週だと思うので,さぞワンサカと日本人観光客が増えるのかと思いきや,まぁ,確かにそこかしこに日本人の家族連れが増えたことには増えたけれど,想像していたよりははるかに少ない。

去年も同じ頃に来たけれど,厳密には8月の最初の週だったので単純に比べることはできないが,だいたいこんなものだったような気がする。昔よりも日本人観光客はずいぶん減ったと,去年来た時に誰かに聞いた記憶がある。

ただ,今週続々と来るかもしれないので,どんな様子になるのか,観察していよう。

どこのビーチでもだいたい海には,イワシか何かの大群の魚影が見えるわけだが,みなさん判で押したように「さかなだ!さかなだ!」と感動する。ビーチに行くとそこかしこでそういう声が聞こえる。たしかに僕も最初はその数に感動した。だから,魚影を見て驚いている人は,初めてハワイのビーチに来た人だということが分かる。

それから,ほんのときどきだけれど,これは日本人に限らず,ハトに餌をやってしまう観光客がいる。普通やらない。やってしまう人は,たぶん,ハワイに初めて来た人なのではないかと思う。ハトの怖さを知らないのだ。こっちでは,とにかくハト(鳥)に餌をやらないのが鉄則。とにかく数が多いし,彼らは逞しい。やろうものなら,ヒッチコックさながら,場合によってはものすごいことになりかねない。

食べ物のカスだとかが散らかっていたり,ましてや,食べ物を途中で放りだしたりしたままその場を離れて遊びに行こうものなら,いつの間にかハトが群れてきてさんざんなことになる。ハトが食べ物を取り合ってそこら中がとっちらかって羽だらけになり,プレートから荷物から全部ひっくり返される。まぁ,見ていてあまり美しい光景ではない。

と,こうやって書くと「私はハワイに慣れてるぜ」感が自分でもしてちょっと嫌だけれど,しかし,やっぱりハトにむやみに餌をやると周りに迷惑だから,止めた方が良いよと,言いたくなる。・・・けど言わない。ハトが集まり出したら,その場から離れることにしている。さようなら。

そんなにハトが好きだったら,一度,「ハト屋敷」に行くといい。「とりだ!とりだ!」と大群に感動できるかもしれない。ワイキキビーチにあるマクドナルドの横の道を山側に向かって入っていけばすぐに分かる。見学無料。ただしたぶん個人宅だから,写真撮影とかはしない方が良いかもね。

8/11/2014

馴染む

滞在119日目。8月11日(月)の午前4時50分。

本当は今日,太極拳の月曜日の稽古なんだが,ハリケーンが来るということで,先週の木曜日ぐらいに早々に,今日の月曜日は全クラスお休みと,コミュニティセンターが決めてしまった。ハリケーンは逸れて,昨日も今日もすっかり晴天なのに。

日本だったら,こういうとき,なるべく開催できるように,休みか休みでないかの判断はギリギリまで待つような気がする。それもこれも,たぶん,台風や暴風雨に普段から慣れているせいもあるかもしれない。

ホノルル滞在もあと少し。4ヶ月住み,この街に慣れて,道々の風景や空気に身体がすっかり馴染んできたところで,日本に帰らなければならない。いや,日本は日本で早く帰りたい気持ちもあるし,このままここに住んでいたい気持ちもある。両方ある。

ホノルルでの生活に慣れ,すっかり馴染んで住んでいる感が,はっきりと,アリアリとあるここを,もう少ししたら去るのかと思うと,なんだかとても感慨深い,ということだ。

8/10/2014

足の裏

滞在118日目。8月10日(日)の午前4時。

ハリケーンJulioが近づいているけれど,北の方に逸れそうなので,オアフ島にはほとんど影響がなさそうだ。良かった。今回,会うローカルの人みんな,ハリケーンのことを心配してその話ばかりするので,ハワイのハリケーンを最後に経験して帰るのか,と多少戦々恐々としていたが,大したことがなくて良かった。

先日,スティーブの師匠であるPang先生の1987年の著書,"On Tai Chi Chuan"が届いた。早速,斜め読みしてみた。太極拳とは何かだとか,稽古するときに心がけることやコツなどが,色々書かれてる。英語だから表面的にざっと読んだだけなので,もう一度,改めて丁寧に読んでみよう。

すねと甲の痛みは,そういえば,ギックリ腰のときにも一時的に強くなった。何か神経的なつながりがあるのかと思っていたけれど,そうではなくて,きっと腰をかばって歩いたり動いたりして,すねと甲に強い負荷がかかったせいかもしれない。つまり,腰が痛くて伸ばせないから,歩く際に前傾姿勢になる。スティーブも言っていたが,太極拳の稽古で前傾しすぎているとすねが痛む,ということだったので,今思えばまさにその通りだ。

それから,そのOn Tai Chi Chuanの中でPang先生は,「踵で立つ」(踵をしっかり地面に着ける)と言うようなことを書いている。確かに踵で立つ感じであれば,前傾姿勢にはなりにくい。

ただ,踵で立つというのは,尾てい骨を中心に姿勢をまっすぐにして,身体が踵に載る,という意味でもある。それが太極拳の正しい姿勢であり,それによって力が正しく伝わる,ということだ。例えば,スティーブが以前,自ら金鶏独立のポーズで立って,尾てい骨は踵の上に来ているかどうか後ろから見てくれ,と言っていた。概ね尾てい骨は踵の上だ。つまり,僕に,身体は踵に載ることを示そうとしていた。そうして踵で立つことを意識すると,身体は確かに前傾しにくい。

太極拳など中国武術は,靴をはいて練る。On Tai Chi Chuanには,足が冷えると身体に悪いから,裸足で稽古しない方が良いとも書いてあった。

一方,空手は裸足で稽古するのが普通である。裸足で立ったり歩いたりすることが,健康にプラスになることもあるだろう。だから裸足が良いか悪いかはともかくとして,空手の場合,その裸足の指で,地面を掴むようにする。土踏まずのところを落として,指で地面を掴む。そうすると,どちらかというと足の真ん中かあるいはやや前の方に,体重が載る。つまり,踵に体重が載る感じにはならない。無論,空手も当然,踵は着ける。そして,地面の力を突きや蹴りに伝える。突きは踵で打つのだ。

ただ,足を掴む感じにすると,どうしてもやや前傾する。これが甲の痛みの原因かもしれない。太極拳で一緒のLilianおばあちゃんに,どうも足の甲が痛いんだと話したら,それは裸足で太極拳をやってるからか,あるいは,足の指で地面を掴もうとしてるからじゃないの,と言われた。なぜ僕が地面を掴もうとしていることを知っているのだ!?8月1日に誕生日を迎え,御年85歳。慧眼である。別に武術家でも身体の専門家でもないのに。いや,ある意味,80歳から太極拳を始めて,欠かさず毎週稽古に通っているのだから,すでに武術家なのだ。スティーブに,いつも,身体の軸や重心のことを熱心に尋ねている。

空手の操作として,足の中心(土踏まず)のところに重心を置いて,指で掴む感じにする。掴もうとすると足に力が入る。こうして力を使って立つことが,身体を硬くする。身体が強ばると,体重(重心)は落ちない。リラックスして柔らかくする必要がある。

ただ,意拳のワークショップに一度出たことがあるけれど,意拳では例えば站椿のポーズのとき,足の裏の前の方に意識を向ける(体重を前の方に乗せる。そのため踵をやや浮かせる練習のやり方もある)。

さて,身体は,足の裏のどの辺りに載せるのが良いのか。いやあるいは,足の裏全体に万遍なくフラットに載せるのが良いのか。前からここは研究のポイントの一つだったけど,まだまだ奥が深そうだ。

8/09/2014

ただやるだけ

滞在117日目。8月9日(土)の午前4時50分。

ハリケーンIselleは,Big Islandに直撃して留まったために,そのまま徐々に勢力を弱めてやがて消えていった。なので,オアフ島は昨日の午前中にちょっと荒れたぐらいで,ほとんど被害はなかった。ただ,直撃したBig Islandは歴史的被害と報じられている。週末には2発目のJulioが来る。もう少し警戒が必要だ。

午後には,だいぶ風も弱まったので,The Busは走っていた。ただ,ワイキキ名物のトロリーバスは一台も見なかったし,ビーチ沿いのお店は閉めているところも多かった。そのせいもあろう,ビーチはいつもに増して人で溢れていた。

まだ曇り空だし,風も弱まったと言えどそれなりに吹いているので,たぶん,海やプールは寒いと思う。中に入れば寒くないけれど,こういうときは水から上がった時が寒い。それに,当然,まだ波も高い。しかし,せっかく旅行で来たらハリケーン,ホテルの部屋にいるのももったいないので,もうこうなったら気合と根性でビーチ,といったところか。

一昨日,スティーブが,師匠のPang先生の話をしていた。

スティーブは,太極拳の稽古を始めて10年ぐらいまで,先生の言う通りうまくできない,先生のように動けないと,悩みながら稽古をしていたそうだ。つまり,できないできない,と思っていた。でもあるとき,師匠のPang先生がよく「ただやるだけだ!(Just do it!)」とよく言っていたことを思い出し,いろいろ悩んで考えたって始まらない,今のままただやるだけだと思うようになったら,何かが切り替わったかのように,急にできるようになった,と言っていた。

こういう話はよくある。ネガティブ思考からポジティブ思考へ。「私はできない I can not do it」思考から「私はできる I can do it」思考へ。よくある話ではあるけれど,言うに易く行うに難し,である。

ここのミソとして,一つには,今ここにだけ集中してただ身体を練るそのことに没頭することが良い,というのがあるだろう。マインドフルネスである。

もう一つのミソは,できないできないとネガティブに考えることは身体の緊張をもたらし,その結果,技も上達しない,というところに対して,ただやるだけだと開き直ることが(ネガティブな考えを放り投げる,手放すことが)身体の緊張を解き,リラックスし,ソフトになることが良い,というのがあるだろう。

「ただやるだけ(Just do it)」の効用は,だから,concentrationとrelaxationの両方を生む。マインドフルネスに練るとは,そういうことだ。

NIKEがJUST DO ITをキャッチコピーにした以前からPang先生はずっとJust do it!とよく言っていたので,あれのコピーライトはPang先生にある,と冗談で言っていた。

8/08/2014

歩幅と体重

滞在116日。8月8日(金)の午前3時50分。

ハリケーンが2つ,ハワイ諸島に接近中である。IselleとJulio。まさにダブルハリケーン。

こちらはハリケーンの時に停電や断水が起きやすいらしく,さっそくスーパーでは水のペットボトルの買い占めが起きている。どこの国も同じだね。今ちょうど,IselleがBig Islandに到達したところ。今日の午前中は,オアフ島も荒れそうか。二発目のJulioは,北側に逸れそう。いずれにしても,あんまり荒れない方が良いね。停電や断水は,やっぱり大変だろうから。

さて,昨日の足の痛みからスタンスに至る話の続き。

歩幅(スタンス)が広いと,バランスを保ったり動いたり移動したりするのに,どうしても力を使う。特に下半身には負荷がかかる。足の痛みはそのためだろうと考えられる。だから,歩幅を狭めた方が良い。ここで,歩幅を狭めることで力を使う必要がなくなるので,そうすることで身体の緊張が緩む。その結果,重心が落ちる。ここに,武術的な身体操作の妙があった。

一見歩幅を狭く(短く)すると,身体(上半身)の位置は高くなるので,重心が上がるように思える。円を描くのに使う,あの「コンパス」を想像して欲しい。針と針(鉛筆)の間が広ければコンパス(の重心)は低くなり,狭ければ高くなる。同じように人間も,歩幅が広ければ重心が下がり,狭ければ上がる。

しかしこれは見た目の物理的な話であって,武術的には少し違う。スティーブとのやりとりで,ここのところが少し分かってきた。

スティーブは,歩幅が狭ければ体重が落ちる,という。

これは一瞬,矛盾しているように思える。そしてこのことは,空手の稽古のときにも,うすうす疑問に思っていたことである。歩幅をもう少し狭くせよということと,体重(重心)を落とすということとは,何か矛盾しているように感じていたのだ。しかし,どうして,これは矛盾していないのだ。

どういうことかというと,歩幅が広いと,どうしても力を使わざるを得ない。そのために身体が緊張している。武術的には,それではいけない。歩幅を狭めることによって力が抜ける。力を抜くことで,緊張が解け,リラックスし,ソフトになり,その結果,ふわりと体重が落ちる,というのだ。

もう少し厳密に言えば,体重(身体の重心)は実際には落ちていないかもしれないが,身体が緩む,ソフトになることは確かであって,そうして身体から緊張が解けることを身体感覚として体重が落ちる(the weight drops)と表現している,そういう感じがする(体重が落ちる感じがする)からそう表現している,とスティーブは言っていた。

そうして柔らかくリラックスすると,自然,腰が落ちる。よく武術では腰を落とせと言われる。それは,リラックスして柔らかく落とせということなのだ。何も物理的な重心を低くせよ,という意味ではないのだ。ここのところを勘違いすると,歩幅を広げて重心を低くしようとしてしまう。

歩幅が広いと動きにくくなるので無駄な筋肉を使う。その結果,身体は緊張しすぎになる。これでは武術的にはよろしくない。居着いてしまう。居着かないためには,リラックスしている必要がある。そのためには,歩幅は必要以上に広げてはいけない。自然体(基立ち)が理想的な立ちであることはよく言われるが,まさに基立ちは狭い歩幅で自然に緩く立っている状態だ。つまり,居着かないためには歩幅は広すぎてはいけない。

このことを,ロッキー・マルシアノ(Rocky Marciano)という伝説のヘビー級ボクサーのエピソードを踏まえて教えてくれた。ヘビー級としては小さい身体ながらも巨体の相手を倒しまくり,49戦49勝無敗43KOという驚異的な戦歴を残したチャンピオンだ。その強さのポイントは歩幅。歩幅を狭くすることで重心の位置が安定し,身体のバランスとスピードが生まれ,体重が落ちたために,パンチ力がアップした,ということらしい。

なお,最適な歩幅というのは人それぞれだから,こうしたことを踏まえて,自分なりにベストな歩幅というのを探っていく必要はあると,スティーブは言っていた。力を使わないで楽に動けるところがあるので,それを見つけなさい,ということである。

いやはや,こんなことは分かってるよと,達人諸氏には言われそうだけれど,しかし,体感しながらでないと気がつかないものなのだ。疑問があってそれを解消するという探求の過程がないと,ただ言われるだけではなかなか分からない。自らの身体でしか理解できないことがある。

歩幅が狭い方が,体重が落ちて腰が落ちるのだ。

8/07/2014

痛み

滞在115日。8月7日(木)の午前8時40分。

最近どうも,すねの外側の筋肉と,足の甲の(やや外側の)筋肉が痛い。そう思っていたら,ちょうど昨日スティーブが,痛みについて話していた。

尾てい骨を中心に全身のバランスを取ろうとすると,自然に力が入るのは太もものところだ。だから,稽古を始めたばかりのころは,太ももが筋肉痛になることがある。逆に,太極拳を始めて,太ももが全然痛くならないのなら,それは尾てい骨に体重がちゃんと載っていない証拠とも言える。稽古を重ねれば次第に筋肉痛はなくなる。

ここで,膝が痛まるようならば,それはバランスが悪い証拠であって,良くないし,身体にも悪い。だから,どこが痛いかによって,自分のバランスの悪さを知ることができる。バランスよく尾てい骨に載った立ち方・動き方をすれば,痛みが集まるところはない。

さて,それで,ちょうど良い機会だと思ったら,このところ,どうもすねと足の甲が痛いんだ,とスティーブに聞いてみた。空手の稽古ではこんな風に痛くならない。だから,これは太極拳の稽古に原因があることは確かな気がするからだ。

スティーブの答えは,すねの痛みに関しては,太極拳を練っていて姿勢が前傾しているとそうなることがある,と言っていた。だからすねの痛みというのはしばしば太極拳家に経験されることなのだ。一方,足の甲は分からない,と。ただ,足の甲については,すねの痛みと連動している。要は,両方ともつま先を立てるときに使う筋肉なのである。それから,Shintaroは,空手スタイルのせいか,ややスタンスが広いね,と言っていた。

ちなみに,空手の師である小林先生からも,僕のスタンスはやや広すぎると,よくご指摘いただく。自分ではそんなに広いつもりはないんだけれど,自然とそうなるのかもしれない。

そこで早速,今朝の自宅稽古で,スタンスをいつもより狭くするよう意識してやってみた。つまり,腰を落としすぎないように。うん。確かにこうすると,すねと甲への負担は少ない。

腰の低い,スタンスの広い状態で,バランスを保とうとする余り,無理にすねが前傾した形(すねと甲が近づいた鋭角な形)で筋肉を使っていたから,ここの部分が痛くなった可能性が高い。状態としては,ずっと力を込めてつま先を鋭角に立てているような感じになる。これでは筋肉痛になるのもおかしくない。

痛みは,自分の身体のアンバランスなところを教えてくれる。

8/06/2014

静かな力

滞在114日目。8月6日(水)の午前4時50分。

昨日は,午後に,関谷さんに車を出してもらって,ラニカイ・ビーチに行ってきた。「ラニカイ」とは「天国(lani)の海(kai)」という意味だそうである。全米一美しいビーチという触れ込み。ちなみに,全米一美しいビーチというのは,複数あるらしい(関谷さん情報)。

ワイキキの海の色が青や水色だとすると,ここの海の色はどちらかというと緑。青緑。まぁとにかく綺麗で素晴らしい景色である。ホントにそこそこ大きなウミガメが泳いでいた。

ワイキキから車で小一時間。昨日は平日だったからか,駐車スペースも空いていて,ビーチも人が少なくて良かった。以前に隣のカイルアビーチに来た時は,ずいぶん混んでいたけど,あれはローカルの人たちがまだ夏休みだったからかな,もしかしたら。

さて,連日,太極拳の稽古。昨日も早朝から,スティーブが別のところでやっているクラスに参加させてもらった。そこで,一昨日の話の続きを教わった。その,緩める,というところに関して。

緩めると言っても当然,全身脱力するわけではない。仄かな筋緊張はあるわけだが,しかし,柔らかく動く。これがその,猫(虎)が獲物を狙って忍び寄るときのように(like a cat, like a tiger),ということだ。

このとき,尻のほっぺた(cheeks)のところに力が入ってたら柔らかく動けないでしょう,だから,ここは緩めなさい,ということである。

しかし実際,スティーブの通りに動こうとすると,真似しようと維持するからつい色んなところに力が入る。その上で,練っていくことで柔らかくしていく,柔らかくなるように練っていく。力を込めない。No power!太極拳は力を使わない。スティーブもずっと先生に,力を使うなと言われてきて,最初は全然意味が分からなかった(なぜなら,先生の通りに動こうとすると力が入るから),と言っていた。通る道は同じだ。こうして,柔らかさというのを探求する旅に出ていく。

昨日の言葉で面白いと思ったのは,こうした動きを表現した,quiet muscleという言い方。「静かな筋肉」,あるいはその先に伝えようとしていたニュアンスとしては「静かな力」と言ったところだ。静かな筋肉。これはまさに,言い得て妙,太極拳をするときの身体感覚にフィットする,絶妙な表現。

そして,もう一つ,太極拳は,エネルギーを外的に放出するのではなくて,内的に貯めるのだ(conserve the energy),と言っていた。Pang先生の教えでは,この内的に貯められたエネルギーが,身体と精神の栄養になるのだ,とも言っていた。

放出するのではなく貯めるのだ。なるほど確かに貯める(貯まる)感じは,太極拳を練ってみれば,感じられる。そう,太極拳は,エネルギーを貯める感じなのだ。で,実際に練りながら,確かに貯まる感じなのだ。だから,稽古中,気分が良いのだ。これを人によっては,気を貯める(気が貯まる),と表現することもあるだろう。

うううむ,深い。ような気がする。つまり,これ,言葉で言えば簡単だし,はいそうですねなるほどね確かにそんな感じですねと,なんとなく分かった気になるけれど,たぶん,この考え方の違いは,武術としては,想像以上に大きいように思う。というか,想像以上に武術として重要なポイントであるように思う。まだ完全に論理的に整理しきっていないけれど,感覚的には,ここはかなり重要なポイントであるように感じる。内家拳(internal martial arts)と称する由縁がここにある。

いずれにせよ,太極拳は,虎が獲物を狙うように,静かに柔らかくじっくりと動く。そうして心と体にエネルギーを貯めていく。

8/05/2014

尻を緩める

滞在113日目。8月5日(火)の午前8時。

昨日また,スティーブからいろいろと太極拳における身体操作を教わった。

その一つ,改めて言われて,そうかなるほど太極拳はそこもそうするのかと思ったのが,「尻を緩める」ということである。

太極拳も空手も,その腰腹の使い方として共通して腰を立てることは分かった。このとき空手は,尻と太ももの裏を締める。締めた力を内股から螺旋状に巻いて絞り上げることで,前傾している腰が立つ。すると自然に下腹が少し上にせり上がる。スティーブの言い方で言えば,尾てい骨を股に巻き込む形になる。見た目の形は同じだ。

しかし太極拳はこの形を維持するに当たって,尻や太ももは締めないのだ。締めずに,緩めることを目指す。あえて意図して緩める。意図して緩めるということは,ここはつい力が入るところなのだろう。だからそういう教えがある。そこをあえて緩める。お尻を柔らかく。なるほど~。

西田先生がときどき言われることだが,高段者になったら,締めながら緩めるのだ,というようなことをおっしゃる。締めることがまずもって重要であって,そうやって空手の身体操作の基礎を学んだ上で,さらに上に行くには,そこから身体を緩めなければならない,ということだ。締めながら緩める。これいかに。一見まるで禅問答である。

ただ,その答えが,太極拳の中にあるような気がした。こういう気づきは楽しい。これもまた武縁である。

そんな話をスティーブにしたら,空手にしてもクンフーにしても,だいたい武術の多くは力を込めるものが多い中,修行を積むことで最終的には緩めるところに辿り着く,柔らかく力を抜く奥義へと至るという話が多いよね,と言っていた。まさにその通り。

太極拳は,その武術の奥義を,最初から練っているのだ。遠回りせず,ストレートに,奥義を練る。

まぁ,しかし,なぜ締めたり力を込めたりすることをまずやるのかというと,そこがまず身体の基礎力であり基本的な操作であり,その上でより力を発揮する(生み出して伝える)ために今度は逆に緩めておく,ということを知らなければ,最初からただ緩んでいても,相当なセンスがなければそういう武術の本質に辿り着きにくいような気がする。

つまり,最初からただ太極拳だけをやっていたら,大切な武術の要諦に気がつかずに,多くを見過ごすことになる場合もあるのではないだろうか。それはまたそれで遠回りである。というか,良い先生に着かない限り,なかなか簡単には武術的に正しいところへ向かわないだろう。

だからまずは空手のような剛の拳をせよ,ということではない。どこでどう気がつくかは,師によるし,その人の武術の修行過程によるし,もちろんセンスにもよるわけだから,これも広い意味では武縁である。

あと,もう一つ,昨日言っていたのは,獲物を狙う虎(猫)のように動かす,と言っていた。集中して一定の身体的緊張は保ちながら柔らかく静かに動かすところを,虎が獲物を見つめ距離をじわりと詰めていくその様子に例える。

太極拳はまさに虎のように動き,龍のように舞う。

8/04/2014

関谷さん

滞在112日目。8月4日(月)の午前8時30分。

昨日,キテレツな友人である関谷さん(実名)が,ハワイまではるばるやってきた。宿はマキキの山裾にある不便極まりない怪しげなホテル。とてもハワイ価格とは思えない値段設定の宿である。相変わらずなので,そのこと自体にはもうイチイチ驚かない。もう慣れた。

昨日は,それで,その怪奇ホテルから,徒歩で,ワイキキの西端にあるうちまで来た。途中バスを使えば良いとアドバイスしたけれど,歩いてきた。徒歩約90分,といったところか。キテレツである。

久しぶりに近況他色んな話をした。家族以外の人と日本語で話す機会もほとんどないので,なんだか久しぶりによく話した気がする。どうもありがとう。

彼が今住んでいる日本の自宅の話になって,グーグルアースで見せてもらったけど,これまた,キテレツなところに住んでおられる。広大な田んぼと利根川の土手の間の,不便極まりないところ。なぜあえてここに!?まったく理解不能なために,うかつにもちょっと驚いてしまった。慣れたはずなのに。

8/03/2014

ボン・ダンス

滞在111日目。8月3日(日)の午前4時。

昨日,The Busに乗って,UH Manoaの山側にあるKoganjiというお寺で開かれていたBon Dance(盆踊り)に行ってきた。お寺の檀家さんなのか地元の人なのか分からないけれど,とにかく地元の日系人の方たちが中心になって,お寺の境内にちゃんと櫓が真ん中に建てられ,各種食べ物などが屋台形式で売られていた。

日系人の人たちが,自分たちのルーツである日本の文化を受け継ぎ,次の世代に継承するための,大切な夏の行事。そういう感じである。

見ていて日本とちょっと違うなぁと思ったのは,ダンスを見物するための長椅子がずらりと設置されてること。踊る人と観る人が別れている感じ。で,揃いの浴衣をキッチリ着込んで普段から練習しているおばちゃんたちはバッチリ踊れることは日本と同じだけれど,一緒に踊っている普段着の人たちもみな,かなりバッチリ踊っている。それもみな,真面目に,というか,真剣に踊っている。一曲終わった後に拍手とかはない。盆踊りの前には,寺の住職がお供え物の前でお経を唱えていた。そう,つまり,全体的に楽しい雰囲気だけれど,お盆だということ言う大前提を忘れずに,あんまりふざけすぎないよう真面目に取り組んでいる感じだ。素晴らしい。

なんとなく,勝手な推測だけれど,昭和の盆踊り,現代盆踊りの原型を観たような気がする。

ところで,Koganjiに辿り着くまでがやや難だった。事前の調べでは,The Busの13番でNH Manoaに行って6番に乗り換えるという順番だったが,(工事のために?)6番が正規のルートを走ってなくて,誰もいないUH Manoaの端っこで家族四人一瞬迷いかけたが,たまたま向こうから歩いてきた親切なUHの男子学生に助けられ,途中まで一緒に歩いてくれて,バス停とルートを教わった。ありがたい。こういう親切な人は,神様がちゃんと見ている。

しかし,乗り換えた6番の運転手がかなり不親切な人だった。The Busの運転手にしては珍しい。わざわざ乗るときに,僕らが降りたいバス停(交差点)はこのバスで行くかと念のため尋ねているにもかかわらず(尋ねると無言でうなずいていた),そのバス停に着いたことを教えてくれず(まぁそれは良いとして),バス停を知らせるアナウンスを出すタイミングが遅れたようで,こっちはそれに併せてちゃんと正しく降車のヒモをすぐに引っ張ったのに(The Busは,ボタンではなくてヒモを引っ張って降車の意思を知らせる),本来降りたいバス停を飛ばして次のバス停まで行ってしまった。降りるときに「このバス停は○○というバス停か」と確認したら,白々しくうなづいていた。もちろん,うそである。なんてヤツだ。小さい子どもが二人いることも分かっているのに。バス停を1区間,歩いて戻ることになったわけだ。

こういうとき,怒りがふつふつと湧いてくる。「ああいう不親切なヤツは地獄に落ちる」と,つい悪態をついてしまう(笑)。しかし,こういうときこそ,マインドフルネスである。呼吸に意識を向ける,鼻腔を感じる。怒りは次第に離れていく。いつか勝手に怒りは消えていく。

親切な学生さんもいれば,不親切な運転手もいる。それが世の中だ。帰りのThe Busの運転手さんは,6番も13番も,とても良い人たちだった。

8/02/2014

観光客

滞在110日目。8月2日(土)の午前7時。

8月に入り,昨日辺りから,観光客がグッと増えた感じがする。

ウォルマートは普段よりも客でごった返していた。店内で見かける日本人も多い。アラモアナセンターまでの行き帰りにはトロリーバスを使ったけれど,ワイキキのカラカウア通りやクヒオ通りは,週末ということもあり,今までで一番混んでいた。そもそも,昼間,The Busでワード方面に行ったときも,そういえばすでに混んでいたから,一日中ずっと混んでることになる。

こちらの学校は8月から始まるところもあるようで,そうなると,今週末がローカルにとっても夏休みの最後の週末だから,この辺りまで車で繰り出して遊びにくる家族も多いだろう。

と考えると,この7月終わり・8月始めがローカルのちょっとしたピークで,来週の8月初旬はローカルが減り,その代わり,日本人が徐々に増え,お盆の週にマックスになる,という具合か。

8/01/2014

ゆっくりじっくり練る

滞在109日目。8月1日(金)の午前8時。

とうとう滞在予定の最後の月,8月に突入。今月の下旬には帰国する。

さて,太極拳は尾てい骨を意識しながら練るわけだが,これをそのまま空手の形に応用してみた。結論から言うと,非常に良い。

ただ,太極拳の場合はゆっくり動くことで尾てい骨を感じ続けることができるけれども,空手の形のスピードのままだと,その感じ取りがおろそかになる。だから,太極拳のスピードで練ってみた。呼吸も締めも,そんなにメリハリを付けず,緩やかにやってみた。これがなかなか良い。

やはり,ゆっくりじんわりと動かすことで,より身体の隅々まで感じられるし,尾てい骨の感覚を逃しにくい。速く動くと,どうしても尾てい骨の感覚が逃げるのだ。ここんところがまだ修行が足りないと言えば足りないのだろう,きっと。

だから稽古としては,まずはこうしてゆっくりじんわり動かす。これを徹底的に続ける。そうして身体感覚をしっかり感じ取りながら動きの流れ(気の流れ)を練る。そして,通常のスピードや,太極拳よりもさらにゆっくりしたスピードでも練ってみる。

こうして,身体と対話しながら,身体の声を聞きながら,練る。