5/31/2014

伝統

滞在47日目。5月31日(土)の午前4時30分。

ウェットアンドワイルドの疲労が残る。遊び疲れ。40過ぎれば波もスライダーも堪える。本当なら,何もせずにビーチでまったりしていたい。

子どもは海よりプールの方が好きみたい。潜って遊ぶ,泳いで遊ぶには,波も砂も塩辛さもないプールの方が良い,ということのようだ。せっかくホノルルにいるのに,そういうものかね。

昨日は夕方から,楊式の太極拳を練ってみた。楊式の10式(8式)。

YouTubeで検索すると,この10式(8式),結構色んな人がやっている。技の応用なんかも紹介されている。しかし,この10式は,8式とも表記されるからややこしい。それから,こういう風に要素を取り出して套路を短くするのは制定(規定)拳であり伝統拳ではない。たぶん。

習っているスティーブは伝統楊式(Classical Yang Style)だから,YouTubeに出てくる制定(規定)と,動作(身体操作)の質が若干違う。せっかくスティーブに習っているので,伝統楊式の身体操作で,この10式(8式)を練ることにしている。

太極拳の世界にはこうして,伝統拳と制定拳という区別がある。伝統拳とは言わば「古流」であり,一方,制定拳というのは連盟公式の規定に従って,見栄えの良さを追求した表演競技としてのものと,健康体操としてのものとが含まれる。

空手も然り。各流派の宗家の伝統に沿って稽古しているところと,全空連による公式の規定に沿って稽古しているところの,二種類存在する。太極拳の世界も同じだろうけれど,世の道場・教室の大半は後者である。

武術の世界は,こうして,師から伝わる教えをただひたすら忠実に守ろうとする流れと,世の中にどんどん広く普及させていこうとする流れがあるようだ。後者を成し遂げるためには,共有できる統一された形式やルールが必須である。それが公式(公認)の規定。普及には統一が必要であり,統一のためには,曖昧さや微妙さをなるべく捨てて,分かりやすさや明確さが追求される。

分かりやすさや明確さとは,要は,見た目の分かりやすさや明確さである。身体の内的な感覚まで規定することは難しい。それを分かりやすく明確に統一した形式として示すことはほぼ不可能だからだ。となると,とりあえず外見だけでも統一する。それでもって,みなで集まって,競技を行う。その結果,だんだん見栄えの良さを追求するようになる。

かくして,徐々に,伝統派との差異が広がっていく。

5/30/2014

ウェットアンドワイルド

滞在46日目。5月30日(金)の午前5時。

昨日は,バスに乗って,オアフ島の西側にある「ウェットアンドワイルドハワイ」に行ってきた。スライダーとか流れるプールとか波のプールとか子供用の水遊び場とかがある,ローカルの人に人気らしいプールである。

人口波がやたら大きい。ボディボードができるように,やたら高い設定になってる。日本ではあり得ない大きさと高さ。スライダーも,なかなか激しい高さから滑り落ちてくる。上まで登るのが大変だ。滑り落ちながら,マジで転覆したりコースから飛び出したりするんじゃないかと思えるほど前後左右に揺れる。子供用の滑り台も,なかなかの急角度。さすがアメリカ,躊躇・妥協・容赦なし。安全基準ギリギリのところで設定か。まぁ,基本的に,事故が起きても自己責任,ということかね。

一応,ライフガードがしきりに笛を吹いて危険行為だとか禁止行為を注意するんだけど,ただ漠然と笛を吹くだけで,誰に対するどの行為への注意なのかが,イマイチ不明。ただ単に笛を吹くだけだから,その時点で動作している人はライフガードの周辺に何十人何百人もいるわけで,それでも一応ライフガードが見ている方向の人たちが注意されている該当者ということになるわけだけれど,ライフガードは漏れなく全員サングラスをかけてるので,一体誰を見てあなたが笛を吹いているのか全く分かりません,という機能性ゼロの笛の音があちこちで鳴り響く,そんな状況。なんか,適当。

適当と言えば,飲食物持ち込み禁止(入場時に荷物チェックがある)な割に,食べ物が買えるところは園中央にあるファストフードな店一カ所しかなくて,長蛇の列。当たり前だろ。営業的に園内の食べ物飲み物を買って欲しい気持ちはよ~く分かるけど,これではあまりにも効率が悪すぎる。

あとは,アトラクションに乗るためにはサンダルを脱ぐ必要があるわけで,そうすると待っている間,足がやたら熱い。軽いやけどだぞ,これ。

スライダーものは身長制限があって,小さい子どもは全部は乗れず,かといって大人だけで乗るわけに行かず,したがって全て試しに乗ったわけではないから何とも言えないけれど,全体的には,日本のプールよりも激しく危険な設定になっているから,面白い。日本のプールは,そういう意味で,優しく柔らかく穏便に設定されてるね。なんとなく両国のお国柄を象徴してる感じがする。

先日が卒業式シーズンで,おそらく今週まで学期中で,来週頭の6月から夏休みなので,昨日はまだ空いていた。だからどのプールもアトラクションも混まずに遊べたので良かった。やっぱり,混んだら大変だから,ここだってつまらないと思う。特には,ランチがあれじゃ,高い金払って高いランチを買う列に並びに来たようなものになってしまいかねない。昨日だって少なくとも30分は並んだぞ。だから夏休みの混雑時に行くのなら,朝飯たらふく食べて,昼抜きで遊び倒すのがベストだな,ここは。

皆がランチの列に並んで食ってる時に,遊べ。

5/29/2014

腰と腹

滞在45日目。5月29日(木)の午前5時。

尾てい骨の辺りをまっすぐ立てて(=腰を立てて),腰(=股)を開いて,足の支えと力を手に伝える感じを,スティーブに教わった。ふむなるほど,套路の中でよく出てくる太極拳の立ち方と動きがあるが,そのときのニュアンスというのはこういう感じか。太極拳は,主にはこの感じを練っているんだな。

大地にしっかり根づいて,その大地の力を,安定した腹と腰を通して,上半身そして腕と手に伝える。呼吸とともに滑らかに柔らかく伝える。下半身と上半身を滑らかにそして力強くつなげるには,腰と腹の安定が決め手になる。スティーブはだから,始終,腰腹のところに注意するよう教えている。ここが太極拳の要なのだ。

もちろん,ここがあらゆる武術の要である。空手とて同じである。しかし,面白いのは,説明の仕方が違うところだ。空手の場合,あるいは,師である小林先生(や西田先生)の場合と言っていいかもしれないけれど,「腹」の操作を中心にこの部分の大切さを解くのに対して,スティーブは「腰」の操作で説明しようとする。でもおそらく,同じことを言おうとしている。

というのも,身体感覚的には,結果的に同じになる。というか,たぶん同じことを言っているのだろうという前提で実際に身体を練ると,合点がいく。表から説明するか裏から説明するか。

太極拳の場合,あるいは,スティーブの場合なのかもしれないけれど,もう一つの特徴は腰を「開く」ということを盛んに言う。腰を開くことで必然的に尻が締まる。空手では,尻や太もも裏側から締め込むように教わるが,これもまた,表から説明するか裏から説明するかの違いかもしれない。太極拳の場合,空手ほど締めないかもしれないけれど,言おうとしていることは同じなのかもしれない。

それぞれのやり方で身体を練ってみると,次第に分かるだろう。一つのところに収斂していけば,それはそれで正解であり,収斂していかなければ何か違いことを言っていることになる。こうして少しずつ練って探っていくのが,実に楽しい。

5/28/2014

ロボット

滞在44日目。5月28日(水)の午前7時。

遅ればせながら,須藤元気率いるWorld OrderのパフォーマンスをYouTubeで見た。すごい。一人一人の動きももちろん一級品ですごいけれど,全体のダンス構成がすごい。ダンスをしている衣装や場所や映像の構図がこれまた,良い。

プロデュースは須藤元気となってるけど,振り付けは野口量(今は脱退したのでメンバーではない?)という人を中心にメンバー全員で考えているらしい。いやぁ,ホント,よくできてる。

「ロボットダンス」ってのはずっと通称だと思っていた。パントマイムで言うところの「人形ぶり」である。で,ブレイクダンスとかロックダンスとかの中で「ポッピング」っていうロボット的な動きはあったけど,その動きのロボットっぽいのだけでダンス全体を構成した場合,呼び名はなく,とりあえずそういうのをロボットダンスと呼んでるつもりでいた。しかし今は,一般名称としてロボットダンスで通じるみたい。

学生の頃,MEGAMIXっていうグループのロボットダンスをアレンジしてパフォーマンスしてたなぁ。懐かしい。舞夢踏では今でもやってるのかな?

目抜き通りであるカラカウア通りに,ときどきパントマイミストが人形ぶりをやって小銭を稼いでいる。歩道でじっとしていて,お金を入れると動くっていう,あれ。東京でもときどき見かけるし,世界中どこでもやってる,あれ。

この前,試しに3セントをちゃりんと入れたけど,1ミリも動かなかった(笑)。ちゃんと見てる(聞いてる)なぁ,値段を。まぁ,そうでなくてはパフォーマンスは成り立たない。正解正解。

ロボット(人形ぶり)をしているときは,身体の隅々まで注意を向け続けなければならない。そうでないと,全身をピタリと止められない。動くときも動く箇所だけ動きつつ,その他動かない箇所は止まっていないとロボット(人形)には見えない。人間は全身で滑らかに動くから,ある箇所だけが個別的特異的に動く,ということはない。あるところが動けば,その他の部分もバランスを取りながら連動する。上手くできている。

人間の身体ってのは,だから,意外とぬるぬるふにゃふにゃしてるのだ。そのふにゃふにゃのおかげで,二足で歩行したり走ったりすることができる。ロボットに二足で歩行したり走らせたりするのは,したがって,技術的にはとても難しいはずだ。ただ走るだけなら今でも製造可能かもしれないけれど,前後左右上下の障害物を巧みに避けて二足で走るロボットは,見たことがない。人間のような滑らかな全身的連動性でバランスを保ち続けることが難しい(はずだ)からだ。

さて,実際,パフォーマンスとしてのロボット(人形)らしい動きにはテクニックがあって,それはそれなのだが,ロボット(人形)的な動きとは,つまるところ,ある箇所だけを個別的特異的に動かすことで,滑らかな全身的連動性を無くすことで,人間味(人間らしい動き)を消すことで成立する。

そのために,ダンサーやマイミストといったパフォーマーは,全身に注意を向ける。それを持続する。全身に注意を向けることで,放っておいたら勝手に滑らかに動いてしまう身体を制御する。もちろん,熟達すれば,そうした注意を努力して意識的に向けなくても,(無意識的とまでは言わないけれど)自然に全身への注意と緊張を維持できるようになる。

そして,パフォーマンスとして成立させるためには,これを始終,それこそストリートでする人形ぶりは,何十分も何時間も,続けるわけである。1分や2分続けても,お金はもらえない。10分,20分,30分,1時間と続けてこそ,ストリートでの不自然さはよりいっそう際立ち,かくして投げ銭がもらえる。

World OrderのPVはどれも街中での撮影が多いのは,街中には滑らかに動く一般の人がいて,World Orderのメンバーの動きがよりいっそう際立つためだ。彼らのパフォーマンスはそれ自体で一級品であるが,選んだ衣装(ビジネスマンスーツ)や場所が,その動きのすごさをより分かりやすく提示する絶妙な装置になっている。うまい。だから,すごい。

須藤元気,すごい。しかも,この裏で,学生レスリングの拓殖大監督・日本代表監督として,優秀監督賞を7回獲得しているというから,なおすごい。

ただ,World Orderは「ロボット」ダンスのみ,というわけでもない。こういうのは実際,なんてジャンルのダンスになるんだろう。ちらっと調べてみたら,アニメーションダンスとかロボットダンスとかあって,それらをひっくるめて「ダブステップダンス」というみたい。たぶん。"Aquarius"って曲では,最後の方に空手の形(たぶん,松濤館の観空小あたり)をアレンジして入れてた。上手上手。

5/27/2014

滞在43日目。5月27日(火)の午前5時。

嵐が去ったせいか,昨日はだいぶ涼しかった。

それで昨日はラハイナ・ヌーンだった。ラハイナ・ヌーンってのは,正午ごろに太陽がちょうど真上に来るために,まっすぐな建物や柱とかだと日陰ができない,そういう現象が起こる。赤道に近いかららしい。見損ねた。時間までチェックしてたのに(12時28分),たぶん,ちょうど部屋で昼ご飯を食べていて,すっかり忘れていた。

次のラハイナ・ヌーンは7月16日の12時37分。見逃さないようにしよう。写真に納めたい。

ここホノルルは,太陽は山の方から登ってきて,海の方へ沈んでいく。だから海に向かって左手にあるダイアモンドヘッドがある方角は,ワイキキからすると南に当たる。

海は,太陽が当たると,すごく綺麗な青色になる。明るい青色のところもあれば深い青色や緑色のところもあって,グラディエーションに富んでいる。時間によって色も違う。

そういえば,ハワイといえば虹(レインボー)である。車のナンバープレートにも虹が書かれている。これは,こっちではしょっちゅう虹が出るからだ。というのも,雨は霧雨程度なわけで,しかも天気は変わりやすく,雨が降ったり止んだりする。だから,少し雨が降った後に晴れるので,このとき虹が出る。出るときは一日に何度も出る。ちなみに,shaved ice(かき氷)のメニューにも,「レインボー」というのがだいたいどこの店にもある。ご推察の通り,何種類かのシロップをかけたやつ,ということ。

南国だから植物も色とりどり。垣根になるような灌木が,ハイビスカスだったりするから洒落ている。この他にも名前は分からないけれど,とにかく,色んな色の花がたくさん咲いている。

色は太陽光線があって初めて知覚されるわけだけれど,こうして真上から太陽の光がさんさんと,たっぷりと降り注ぐところだから,海も虹も植物も,どれもクリアな原色になる。ような気がする。

5/26/2014

イベント

滞在42日目。5月26日(月)の午前4時30分。

今日はMemorial Day(戦没者追悼記念日)。毎年5月の最終月曜日がこれになるらしい。祝日。

昨日は日曜日。午前中からバスに乗って,カカアコ・ウォーターフロント・パークで開かれていた,ウクレレ・ピクニック・イン・ハワイ2014に行ってきた。とにかくワイキキ周辺では,毎週,どこかでイベントやお祭りをやっている。

今回のウクレレ・ピクニック,ウクレレを愛する人たちのためのイベントなわけだが,ウクレレの日本人愛好家がハワイに旅行に来るきっかけであったり,一般の日本人観光客がカカアコに寄るついでだったりして,結局,半分は日本人向けだったりする。特にこのウクレレ・ピクニックは,イベントの司会が英語と日本語で,会場の客も日本人か,日本語が話せる日系のローカルが多かった。

ただ,あいにくの雨模様で,客はずいぶん少なかったのかも。日本人愛好家や観光客はそれでもこの期間しかハワイに訪れていないから,何としてでも来場するけれど,ローカルの人たちはそんなに無理してまで来る必要はないだろうから,結果,ほとんど日本人になってしまった,というのも理由の一つだろう。

しかし,祭り好きである。

ワイキキ周辺は,日本人用の観光イベントという要素(客寄せオプションとしての役割)が多分にあるものの,しかし,そういう祭りにローカルも結構来場して楽しんでいるから,やっぱり祭り好きなのではないか。来週の日曜日は,ホノルル駅伝&音楽フェスティバル2014,である。

一般参加のこの駅伝も,なんとなく基本,日本人観光客寄せイベントな気もしないでもないが,こちらではホノルル市長がランニングするパフォーマンスをしたりして,それがニュースになったりして,地元でも率先してイベントを盛り上げてはいる。色んな国の人が集まって参加している駅伝だといいんだけどな。

やっぱり,中国人や韓国人をメインのターゲットにした,あるいは,中国語やハングル語が飛び交うイベントは,今のところ,ない。日本人ほど観光客が来ないからだろうけれど,ダウンタウンの方にチャイナタウンがあるから,中国系のお祭りやイベントはそっちでやってるのかな。

見聞きしていると,オーストラリアやニュージーランドの観光客も多い。向こうは今ちょうど,真冬になりかけているから,ハワイは季節的にも嬉しい,ちょうど良い観光地なのだ。たしか飛行機で8時間ぐらいだと,ニュージーランドから来ていたおばちゃんが言っていた。

さすがに,オーストラリア人やニュージーランド人をターゲットにしたお祭り,ってのは,ない。お互い英語で不便は全くないわけで,アメリカ本土のアメリカ人への対応と同じで良いわけだから,表だってターゲットにする理由や方法が思い当たらない。こうして考えていくとやはり,日本人というのは,ハワイではかなり特殊な扱いを受けている気がしてならない。

5/25/2014

滞在41日目。5月25日(日)の午前5時。

この週末から週明けのMemorial Day(戦没者追悼の祝日)にかけて,thunderstormになると天気予報で言っていた通り,昨日から天気が荒れている。珍しく一日中雨が降っていた。それも,いつもの小雨や霧雨ではなく,傘が必要なぐらいそこそこに。それでもしかし,降ったり止んだりではあるけれど。

この時期ちょうど,学校の卒業シーズンのようで,シャミナード大学もたしか先々週ぐらいが期末試験だとロバート(ボブ)が言っていたし,ニュースではハワイのどこかの高校から1980年以来初めてハーバード大学に合格して進学する生徒のことが,報じられていた。

たぶん,だからだろうけれど,昨日の晩は,若者たちが,おそらくは車か何かに乗りながら,大声で叫び奇声を発して,何度も通りを往復していた。卒業して羽目を外している,というところだろう。尋常ではない元気さです。

しかし,なぜこうして公の場で,大声で叫ぶのだろうか。なぜ叫びたいのだろうか。それは普段,こういうところで叫ぶことが抑制されているからだろう。公の場では,大声で叫んだりしてはいけない。もし叫んだら,場合によっては通報される。そういうタブーあるいは法を犯す快感がある。

また,なぜ卒業したら羽目を外すのだろうか。なぜ外したいのだろうか。それは普段,学校で抑制されているからだろう。我慢に我慢を重ねて勉強しているから,ようやく卒業したその日ぐらい,抑制を解きたい,解いても許されるだろう,大目に見てくれるだろう,ということか。

酒でも飲んでいるにちがいない。もし素面であれだけの奇声を夜な夜なずっと集団(男も女も)で上げていられるのだとしたら,アメリカの,あるいはハワイの(あるいはホノルルの)学生は相当歪んでいるぞ(笑)。

荒れ模様の天候と相まって,大雨の中,叫び続ける若者。嵐が興奮を促す。雨が身体に直接当たってびしょ濡れになるとなんとなく開放的な気分になるけれど(それは傘という人工的な緩衝材を取り払って,自然に帰る感覚がするからなのか),その開放的な促進剤が,若者の心を解放する。もう,大騒ぎである。

たまたまこの週末にホノルルに来た観光客のみなさんは,珍しく天候が荒れ模様だわ(せっかくのビーチやプールもこれでは台無し),夜はずっと奇声を聞かされるわで,散々だね。

5/24/2014

滑らかにつなぐ

滞在40日目。5月24日(土)の午前4時40分。

ホノルルに来て40日が経った。滞在予定のほぼ3分の1が過ぎたことになる。こういうときの感想はだいたい決まっているけれど,40日というのは,長いようで短い。

バンテ・グラナタナ氏の『マインドフルネス:気づきの瞑想』を読んでいて,また一つ,思うところがあった。気づきの第一対象は呼吸であり,その呼吸の出入り(呼気と吸気)を鼻孔で感じる。このとき,呼吸は厳密に言うと,呼気(吐き)と吸気(吸い)があるわけで,その呼気と吸気が切り替わるところに間があることに最初,気づく。しかし気づきを続けて自然に呼吸していると,次第に,呼気と吸気が滑らかにつながり一つになっていく。そういうようなことが書いてあった。

これを道家的に言うと,陰が切れ目なく陽になり,陽が切れ目なく陰になる。そして陰陽が循環する。陰と陽が一つに混ざり合っていく。

道教あるいは道家思想の体現である太極拳は,だから,動きと動きが滑らかにつながって一つになっていく,そういう風にして身体的に陰陽を感じ,気を練るための術である。

呼吸,つまり,息とは,気である。

太極拳は,切れ目なく滑らかに呼吸をつなぎ,切れ目なく滑らかに動作をつなぎ,そしてその呼吸と動作を連動させていく。自然な呼吸と自然な動きを,自然に合わせていく。そして全てが一つになっていく。

空手の形の場合,呼吸を止めるところが多い。攻撃と防御の動作のときに息を吐くが,吐いたらすぐに吸っておく。そして,次の防御と攻撃の動作まで止めておく。これは戦闘中,息を吸っているときに相手の攻撃を受けるとダメージが大きいため,極力,吸う時間帯を短くすること,また,吸っていることを相手に悟られないことが必要だからだ。

空手と太極拳では違うのか違わないのか。違うとして区別してしまうことは容易い。だから違わないことを前提に考えてみる。さて,いろいろと試してみることがまた増えた。

5/23/2014

ワイキキ東端

滞在39日目。5月23日(金)の午前5時30分。

昨日,夕方に,近くの小学校(ジェファーソン小学校)で開かれていたフードフェスティバルに行ってきた。

小学校の柵に前から案内が張ってあったので(小学校の敷地内で開催するし),てっきり地元のお祭りかと思いきや,行ってみるとびっくり,JTBが仕切っていて,トロリーバスが小学校内まで回ってきて,日本人観光客をわんさと呼び込んでいた。

特設ステージもあり,そこでは日本のモデルが来てトークをしていた。一昔前に聞いたことのある,押切なんちゃらと蛯原なんちゃら。よく知らないけれど。こういうところで,しぶとく営業をしているわけだ。なるほど。

もちろんローカルの人も入場できるから,おおむね,半分かそれ以上が日本人,残りがローカル,といったところか。

で,並んでいる露店やワゴン型の店はだいたい,観光ガイドに載っていたりテレビで紹介されたりするような有名店の出店だったりする。まぁ,だから,短い旅程の中で観光する中であちこち有名店を回りきれない日本人観光客のために,そういう有名店のグルメメニューを一カ所で楽しんでもらおう,という企画なのかもしれない。特設ステージは,したがって,そういう日本人観光客向けの呼び物である。押切だ蛯原だって言っても,なにしろ僕とてピンと来ないんだから,いわんやローカルの人をや,でしょう。

それからここ,公立の小学校なのに,こういうイベントに場所を貸すところが,アメリカ的なのかハワイ的なのかよく分からないけれど,とにかく,懐が深いというかこだわりがないというか。日本だと,公共の公園なんかではこういう光景は見られるけれど,普通の公立小学校の校庭でやっているのは,見たことも聞いたこともない。小学校は,学校のトイレも開放している。太っ腹。貸し賃以外に,小学校にとって一体どういう利があるんだろうか。

ちょうどこのジェファーソン小学校が,ワイキキの一番東側に当たる。カパフル通りを挟んで隣がホノルル動物園。つまり,このカパフル通りがワイキキの終わりになる。

先日乗ったタクシーの運転手のワンさんが教えてくれた面白い話の一つは,コンビニ的なABCストアはワイキキの中だけに48店舗あって,(アラモアナセンターとアウラニのリゾートにそれぞれ1店舗あるのを除いて)それ以外にはないらしい。ワイキキの中だけに48店舗!たしかにABCストアは,ストアごとに陳列している商品の種類は違うけれど,観光客向けの商品が多いからね。

ちなみに,このワンさんがまた,すごい。英語はもちろん,日本語とハングル語もネイティブ並に流暢な”中国人”。なぜハングルが流暢だということが分かったかというと,運転中,携帯電話で同僚とハングルで話していたから。だからてっきり韓国人かと思って聞いたら,台湾系の中国人ということでびっくり。片言ならスペイン語もタガログ語もやれるらしい。ハワイにいると,これぐらい普通だと言っていた。

いや,そうは言っても,基本的にタクシーの運転手は日本語は話せないって,どこかで聞いたことがあるから,このワンさんが特殊なんだと思うけど。ちなみに,日本語が上手いのは,日本に2年間留学していて,かつ奥さんが日本人だからのようだ。ただ,語学力はやはり,おしゃべりな人ほど身につく。とにかくワンさん,良くしゃべるしゃべる(笑)。

5/22/2014

楊式

滞在38日目。5月22日(木)の午前9時30分。

太極拳と一口に言っても,いろいろ種類がある。伝統的な流派(伝統拳)として,陳式・楊式・呉式・武式・孫式。これとは別系統として,道教の武当式(太和拳)。太極拳の源流は陳式だと言われている。そこから派生した楊式・呉式・武式,そしてこれに形意拳と八卦掌を混ぜたのが孫式。

制定の24式とか48式といった健康体操あるいは表演武術としての太極拳(制定拳)は,楊式をベースに呉式や武式も加味して再編された新しい現代的な太極拳,ということになる。だから,太極拳のイメージに最も近い代表的な流派が,楊式である。ホノルルに来てから,武当式(太和拳)の他に,この伝統楊式も習っている。

この伝統楊式の套路は長い。108式だったか85式。とてもホノルル滞在中に全部覚えられない。動きを覚えようとするプロセスは武術稽古の醍醐味であり,それはそれで楽しい部分ではあるものの,肝心の,覚えた後の練るプロセスには到底達しない。

スティーブに習いながら,半面そう思っていたところ,ネットで面白い套路を発見した。この,伝統楊式の長い套路のエッセンスを取り出した「10式」(最初と最後の動作を除いて8式という場合も)というごくごく短い套路があるのだ。

『老子と太極拳』の著者である清水豊氏に言わせれば,最高の太極拳は,楊式108式のエッセンスを取り出して再編された鄭子太極拳だが,その鄭子でさえ37式である。だから,この10式(8式)など,エッセンスをちゃんと取り出せているかどうか分からない。本来大切な重要なところも削り取られているはずだ。しかし,たぶん,伝統楊式の人たちが考えて作ったんだろうから,良くないわけではない。実際,太極拳のイメージである代表的な動きで構成されてはいる。

その辺りには目をつぶってもこの10式(8式)の良いところは,とにかく場所を取らないこと。108式や85式のように左右前後にあまり移動しないから,せいぜい2畳もあれば十分だ。武術稽古は毎日することに意味があるから,自宅の部屋などの狭い場所でも稽古できるものの方が良い。空手はこの条件にぴったり合う。太極拳は場所を取る,と前にこのブログで書いたけれど,この10式(8式)ならば,全く場所を取らないのでちょうど良い。

そして,これであれば,スティーブに習った伝統楊式の動きをそのまま練ることができる。套路は違うけれども,構成要素は同じなので,動きの質をそのまま自宅で稽古できる。

武当式(太和拳)は,套路としてはそれほど長くはないけれど,動きがやや独特で難易度の高い動作も多い。その点,この10式は,もちろん太極拳らしい動きというのは練らないと身体に表れないけれど,ものすごく複雑で難易度の高い技,というのは含まれていない。

武当式はこの半月ほど毎日練ってきたけれど,最初の印象からだいぶ変わってきた。練れば練るほど,どうも身体的に合う感じが足りない。ピンと来ないと言っても良い。一方で,伝統楊式の方は,練れば練るほど,身体的に合う感じが高まってきた。

スティーブに習っている108式か85式をそのまま覚えて帰ることはできないけれど,この10式(8式)にまとめていけば,日本に持ち帰って自分で練ることができそうだ。もちろん,練り具合を高めるには,日本でも良い師に巡り会えることが,非常に重要だけれど。

5/21/2014

続・眠気

滞在37日目。5月21日(水)の午前4時。

バンテ・グラナタナ氏の『マインドフルネス:気づきの瞑想』には、瞑想中は一切動くな、と書いてあると以前このブログに書いたけど、さらに読み進めると、もういかんともしがたく痛いというような場合は、マインドフルに最小限だけ動いて良いとあった。

マインドフルに最小限、というところは、ティク・ナット・ハン氏の『ブッダの幸せの瞑想』に書いてあったのと同じだ。まぁだから、いかんともしがたい場合は動いて良いのだ。ただしマインドフルに。

また、バンテ・グラナタナ氏の本には、眠気とその原因および対処法についても書いてあった。素晴らしい。で、気づきと眠気は逆だから、気づけば眠気は吹っ飛ぶはずなんだけど、それでも眠気が襲ってくるのは、身体的な原因がある可能性があるから、まずはそれを取り除け、とあった。

例えば、睡眠時間が足りないとか運動他で身体が疲れているとかであれば、それは眠くなるに決まっているということである。

まさにその通りであった。

これまでずっと、稽古の後に坐っていたが、どうもこれがいけなかったみたいである。稽古する前に坐ったら、随分違った。昨年から、子どもが小学校に行くようになって、それに合わせて起床時間を1〜2時間早くしたから、それとの相乗効果で、どうもこの1年ほど、坐ると眠くてしょうがなかったけど、順番を入れ替えただけで随分変わりそうだ。良かった。

5/20/2014

シナジー

滞在36日目。5月20日(火)の午前4時。

スティーブが稽古の時にときどき、「シナジーsynergy」という言葉を使う。共同作用、相乗効果、協働、などと訳される。シナジーと言えばホリエモンで有名だが、もともとの言葉の使い方として、筋肉などが連動して一緒に働くこと(でより大きな効果を生むこと)を指すよう。

太極拳はだからまさに、丸ごとシナジーである。身体全体を余すところなく連動させる。そしてその全身的連動が途切れなく繋がっていく。ゆっくりとゆっくりと、じんわりとじんわりと、シナジーを続けていく。

太極拳の良さは、たぶん、この全身的なシナジーを感じやすいことだろう。これによって、身体の隅々まで同時並行的に注意を向ける、ということを自然に体験しやすい。

太極拳は、だから、良い。思っていたよりもかなり良い。

以前、だいぶ昔に制定の24式か48式の健康太極拳を半年ほど習ったことはあるけれど、その時は今とはかなり意識が違っていたから、太極拳の良さに気がつかなかった。このゆっくりさ、じんわりさの、本来的な良さにピンと来なかった。

ただしかし、この良さを感じられたのは、意識の違いは無論大きいけれど、スティーブのタイチーが良い、その教え方が良い、というのもたぶんかなり大きい。

5/19/2014

シンプル

滞在35日目。5月19日(月)の午前4時30分。

この1ヶ月,降る雨といえば霧雨程度の天気雨だったが,昨日は夕方にそこそこ降った。ただそれでも傘を差さずに歩く人はいる。どうせビーチで濡れてるし,ということか。

術は,シンプルな方が良い。とにかく,削りに削って,シンプルなものの方が良い。そしてそのシンプルな術を練り続ける。

空手で言えば,サンチンとナイファンチだ。

昨日はどこに行くあてもなく,部屋でナイファンチを練った。今の課題の一つは,ナイファンチを,サンチンと同じように腰を立ててやる方が良いかどうかだ。さらには,単に突きや蹴りをするときも,この腰の状態を意識してやってみるとどうなるかなど,いろいろと試してみた。結局,まだよく分からない。今日もまた試してみよう。

複雑な術は,そもそも覚えるのが大変なので,身体で練り込んでいく前のスタートラインに立つまでが長い。だから,複雑な術は,覚えるまでの時間(少しずつ覚えていることが増えていくところ)が楽しい一方で,そのものを練り込む楽しさは後回しになる。しかし,術は覚えることが目的なのではなく,本質的には,練り込んでいくところが大切だ。そこのところが本当の味わいで楽しいのだから,術はやはり,シンプルな方が良いように思う。

気功も,八段錦や易筋経や五禽戯や六字訣など色々あって(さらに,例えば,八段錦にも幾種類もあって),それぞれの気功の中にもたくさん動きが含まれている。あれこれ動きを覚えるのは,変化があって楽しいかもしれないけれど,シンプルなものをひたすら練る方が,やっぱり楽しい。

複雑な術や幾種類もの術をあれこれ覚えても,結局,そのあれこれを忘れないこと,覚え続けていることで精一杯になってしまい,練り込む楽しさを味わえない。じっくりと練り込んでいくときの,同じ動きでも身体の感覚が違うところを感じる,その辺りが面白いのだ。

ホノルルに来て,太和拳や太極拳を習っているけれど,これらを覚えてマスターするという意識は,だから,すっかり捨てようと思う。欲張ってもしょうがない。空手の,特にはサンチンとナイファンチを練るにあたって,それにどう益するか,どう足しになるか,どう参考になるか。そこにすべてを集約していく。

一人の人間が一回の人生で練られるものなど,たかが知れているわけだから,術はシンプルな方が良い。欲張らず,シンプルに,ただひたすら,練り込んでいく。


5/18/2014

KCCファーマーズマーケット

滞在34日目。5月18日(日)の午前6時30分。

昨日は午前中に,KCCファーマーズマーケットに行ってきた。KCCってのは,ハワイ大学カピオラニ・コミュニティ・カレッジの略。そこの敷地内(の駐車場の一角?)で,毎週土曜日の午前中,ファーマーズマーケットが開かれている。

これ,ホノルル観光の定番コースになっているようで,ここKCCはダイアモンドヘッドの入り口でもあり,早朝にダイアモンドヘッドに登り,いい汗をかいて日の出を見て,その後,ここで買い物+朝食を取る,というパタン。

ファーマーズマーケットは,野菜や果物ばかり売ってるわけではなくて,その場で食べられる食べ物も売ってたりする。KCCファーマーズマーケットはこうして日本人観光客の定番コースになっているために,特にランチプレートのお店や,ジュースやデザートのお店がたくさん並んでいる。観光の場合,生の野菜や果物を買って帰ることはあまりないからね。目的はその場で食べられるもの。だから,もしかしたら半分以上はそういう食べ物のお店かもしれない,という勢い。彼らはみんなたぶんファーマーじゃないけれど,でもファーマーズマーケット。スクランブルエッグとスパムとご飯といった朝食メニューも充実していた。本格中国風のラーメン屋もあった。

客の大半が日本人だという評を耳にしていたので,さてどんなものかと実際に行ってみると,たしかに日本人は多いけれど,この時期だからそれほどでもなかった気がする。人出も,ピークだとものすごい数になるそうだけど,昨日はそこそこ賑わっている感じの人数で,ちょうど良かった。ただ,たぶんダイアモンドヘッド周りでここまで(日本人専用の)トロリーバスが出ていて,その乗り場は長蛇の列になっていた。

ちなみに,なんと,日本人専用のトロリーバスは,ダイアモンドヘッドのクレーターの中,登山口付近まで走っている。この,日本人に向けたあらゆる場面での過剰なサービス。というか,トロリーバスの場合は,日本の旅行会社(JTBやHIS)の徹底したサービス体制と言った方が正しいのかな。とにかく日本人は本当に,ハワイの昔ながらのお得意様なんだろう。だって,公共交通機関のThe Busの中の注意標示や,その辺の道にある案内標示やホテル内の標示のそこここが,英語と日本語の併記だったりするから,びっくりする。中国語や韓国語は併記されていない(ほんのときどき見かける程度)。ただこれは,さすがに,ワイキキ周辺だけだろうけど。しかし,いささかやりすぎなところがあって,ちょっとげんなりもする。

それでKCCファーマーズマーケットだが,野菜や果物の値段は安い。子ども二人はかき氷を食べたけど,これが美味い。氷が細かくて,シロップもこだわりがあるらしい。3ドルは,だからまぁ,相対的には良心的な値段だ。場所によっては,もっと適当な安かき氷を,5ドルとか7ドルとかで売ってるところもある。人気のジンジャーエールもさっぱりしてて美味い。値段は忘れたけど安くはない。ランチプレートは,焼いたポキとカルアポークを部屋に持ち帰って食べた。美味い。しかし,プレート自体はよくあるプレートよりは小ぶりで,そう考えると若干値段は高めの設定だ。

要するに,地元の人には安く野菜や果物を提供しつつ,食べ物目当ての日本人(+その他の国からの観光客)からはがっつりいただく,そういうシステムのようである。

5/17/2014

ビーチ

滞在33日目。5月17日(土)の午前4時。

太陽の光を浴びる,砂浜を裸足で噛む,水に浸かって泳ぐ。日焼けが痛い,足は砂だらけ,塩水は辛い。

当然と言えば当然だが,ビーチに行くというのは,丸ごと身体的だ。まずもって水着だけしか身に付けていないわけで,色んなモノを捨てて,裸同然になっている。だから気持ちが良い。

色んなモノを捨てて,シンプルに生きていく。人生を素足で生きていく。仏教では執着を捨てると説き,道教では無為無事を説く。同じである。どちらも欲を捨てよ,シンプルに生きよ,と訴えている。

どうせ死ぬのだから,長生きするためには,とにかく,自分からあれこれやらない方が良い。無為とは,自分や他人に干渉しないこと。無事とは,世の中の諸々の活動に巻き込まれないこと。無為無事であれば,無駄な執着を捨てることになり,結果,自然に在ることができる。

ビーチに行くと,そんなことを思う。だから,泳ぐというのは,身体に気づき,生き方に気づく,良い機会かもしれない。

加えて,水という,何にも留まらない,何にもはまらない,何にもこだわらない,形があるようでない,滑らかに流れる存在に身体全体で触れるのは,禅や道(タオ)に触れる機会にもなる。

たぶん,より自然を感じるには,海の方が良いのだろうけれど,水と接するという意味ではもちろん,プールでも良い。競技だとか,タイムや距離の更新だとか,そういう何らかの目標を持つのではなく,ただ黙々と泳ぐ。他人と競ったり,タイムや距離を設定したりしない。今ここの水と身体と呼吸を感じながら,ただ泳ぐ。

たしか太極拳は,陸で泳ぐようなものだと,どこかで読んだような気がする。だから,泳げなければ,太極拳をすれば良い。

5/16/2014

ホノルル動物園

滞在32日目。5月16日(金),午前5時。

昨日は,朝からホノルル動物園に行ってきた。

敷地はそれほど大きくないけれど,園内は建物や檻など綺麗に整備されていて,芝生は綺麗に整えられ,樹木も豊富な種類が植えられていて,子ども用の遊具もあって飽きさせず,売店で出してるハンバーガーも(値段は確か11ドルか12ドルぐらいで高いけど,注文してから作るので)かなり美味しく,展示されている動物たちもどれも(日本にある動物園に比べて)距離が近くで見やすく,全体的にとても良い動物園だった。クジャクが放し飼いで,ランチを食べていると寄ってきておこぼれをもらいに来る。

ただこれは,平日の朝から行ったから良かったのかもしれない。というのも,敷地は広くなく動物の種類も豊富というわけではない中で,来園者が楽しめるように色々と細かい工夫がされているために,もしこれで歩くのも大変なぐらい人がわんさといたら,その工夫を一つ一つ楽しめない可能性が高い。だから,もし行くのなら,平日の朝がオススメ,である。

しかし,日中はだいぶ暑くなってきた。日陰は涼しいけれど,日の当たるところは日差しが厳しい。動物たちはほとんどが,日陰で休んでいる。無駄な体力の消耗を避けるべく,ただひたすらそこに佇んでいるか,寝ている。チンパンジーが木陰に坐ってひたすらじっとしている様子に,仏の姿を見る。

彼(女)は,いったい,何を思っているのだろうか。チンパンジーなら簡単な心の理論も解くし,メンタルタイムトラベルできるかのような記憶や学習の能力もある。ならば,多少はマインドワンダリングするんじゃないかと想像する。それとも全くワンダーせずに,今ここにあるのか。だとしたら,寝ているのではなくて起きているとして(目覚めているとして),何もせずただ木陰でじっとしているとき,彼(女)の意識はどうなっているのだろうか。

動物園の動物は,何か心を煩わせる危険(捕食や洪水や山火事など)があるわけではなく,安全だと思われる(が,自然の環境からすれば極端に)狭い柵や檻の中で,じっとしている。定時に餌も与えられるから,狩りに出かける必要もない。ただ何もせずじっとしていることがストレスになって心を患う動物園の動物もいるみたいだけれど,多くの動物たちは,とりあえず寝ているかじっとしている。

人間は,食っていくためばかりでなくそれ以上の欲を満たすために,いつもやることばかりで手元がいっぱいになり,それがストレスになって心を患う。何もせずにじっとしているということができない。いつも何かしていないと気が済まない。それがストレスの元だいうことは分かっていても,止められない。

だから,ああして動物園の動物のように,何もせずにただいることをうらやましく思う一方,何もできずにただじっとしていなければならないことを哀れにも思う。

じっとしていてもストレスになるかもしれないけれど,たえず動いていなくてはいけないのもストレスになる。だから,適度に動き(陽),適度に止まる(陰)。動くこともあれば,じっとしていることもある。そのくらいが一番健康な気がする。陰陽のバランスの取れた中庸こそが大切である。

5/15/2014

呼吸

滞在31日目。5月15日(木),午前4時40分。

バンテ・グナラタナ氏の『マインドフルネス:気づきの瞑想』を読んでいたら,坐っている最中には痛くても動くなと書いてあった。やはり,動かぬのが良いわけか。痛みに気づく,眠気に気づく。

では,眠気が過ぎる場合はどうしたら良いのだろう。改めて,しっかりと呼吸を頼りに,戻ってみようか。稽古の後に坐るから良くないのだろうか。では,逆に稽古の前に坐ってみようか。

しかし,リラックスしているときは,腹式呼吸をするだけですぐに眠くなる。睡眠不足なんだろうか。かの野比のび太氏にも勝てるかもしれない。

いや,厳密に言うと,どうも,意識的に腹式呼吸をしようとすると眠くなるようだ。もしかしたら,ここのところを間違えているのかもしれない。つまり,「意識的に腹式呼吸をする」のではなく,「腹式呼吸を意識する」というのが正しい。今度そうしてみよう。

ところで,腹式呼吸をすると眠くなるのは,本質的に腹で深くゆっくり呼吸すると気持ちが良いからだが,スティーブが太極拳の後にいつもやる気功(身体全体をゆっくり動かしながらの腹式の深呼吸)は,かなり気持ちが良い。

楊式太極拳の套路は長くて難しい。だから稽古中もとにかくスティーブの真似をしているだけだから,ましてやホノルル滞在中に套路を全部覚えて帰る,なんてのは到底無理。しかし,この気功はやり方はシンプルなので,良い収穫の1つになりそう。

5/14/2014

黒い道着

滞在30日目。5月14日(水)の午前4時。

そう言えば,一昨日,通っている太極拳教室をやっている近くのコミュニティセンターで,「沖縄空手(Okinawan Karate)」もやっていると書いてあるので,さて一体どんなことをしているのかと興味があり,ちょっと外から覗いてみた。ちなみに,同じところで,「日本空手(Japanese Karate)」というのもやっていて,ここはどうも空手協会(松濤館流)のようだ。確かに日本空手である。正しい。

で,Okinawan Karateの方だが,稽古している人たちはみな,「黒い道着」を来ていた。

師範らしき人が1人と稽古している人が4人。師範は白い道着だけど,なぜか習っている人たちは皆,黒い道着。まぁ別に,道着の色なんてどうでも良いわけで,白い道着じゃなくちゃいけないんだという決まりはない。たまたま講道館柔道(嘉納流柔術)がそうしたから,みなそれを真似してるだけだからだ。

稽古している4人はみんな初心者なのか,恐ろしく覇気が無く,また,動きもグダグダ。テコンドーで見るようなキックミット?らしきものを持っていたり,突きの稽古はボクシングのようにぴょんぴょん飛んで掛け声を出しながらステップを踏んでいたり。一応,ジオンとヘイアンらしき形をやってはいた。うううむ。

ちょっと調べてみたら,「Okinawa Kenpo Karate (OKK)」という連盟に所属しているらしい団体。なぜ「沖縄拳法空手」という名前なのかというと,どうもいわゆる「沖縄拳法」の故・中村茂先生の流れだかららしい。ただ,この後の系譜は,よく分からん。というのも,似たような名前の組織がいくつもあって,それぞれ書いていることが違い,どれがこの団体の属する組織なのか,はっきりしないから。

なお,最近の日本で「沖縄拳法」と言えば,「泊手」シリーズの山城美智氏が有名。

YoutubeでOkinawa Kenpo Karateと検索すると,たしかに,黒い道着を着た外国人空手家らしき人たちの動画がヒットする。なんだろう。黒い道着って,なんとなく,忍者みたいだから,アメリカ人からするとかっこいいのかな。確かに,アメリカ始め諸外国でも有名な,初見良昭先生の武神館(忍術)なんかは,黒い道着だし。ちなみに武神館本部は,うちの近所の野田にある。

中国から日本に拳法が伝わり,沖縄で醸成された手(ティ)が,やがて唐手から空手となりながら日本本土に輸入され,スポーツ化(競技化)を通して協会や全空連や極真の空手が世界にKarateとして伝わっていく。Japanese Karateの方は,まさにこれだ。

これに対して,今回のOkinawan karate(Okinawa Kenpo Karate)の方は,確かに沖縄から直接アメリカに渡った流派の一つであり,だからOkinawan karateで間違いではない。沖縄に米軍基地があるために,例えば,一心流など,米兵経由でアメリカに広まっている流派は結構ある。だから,スポーツ化を経ずに,純粋に沖縄の空手を伝えているという見方もあるかもしれない。

ただ,やはり,本家・本場から物理的に離れていけばいくほど,どうしても,術は変化していくように思える。身体的な技術だから,これはやむを得ない。加えてそこに何かオリジナリティを出そうという欲でも生じるのだろうか。

かくして,道着が黒になったりする。

5/13/2014

物価

滞在29日目。5月13日(火)の午前4時50分。

まもなくホノルル滞在1ヶ月になろうとしている。こっちへ来て思うことは,とにかく物価が高い。ハワイはアメリカでもダントツ一位で高い。なにせ,物価では悪名高き日本よりも高い。

よく昔から,日本は物価が高いと外国(人)から言われるわけだが,生まれてずっと住んでいると物の値段というのはそれこそ主婦(主夫)としての敏感さがない限り余りにも当たり前のことで,まぁ,物は確かに安かないけれど,ああまあそうですね,だから何?というぐらいであった。

いや,来日した外国人にしたら,これは切実な問題なのだ。なぜなら,日々,生活するためにひしひしと影響してくるわけだから。今,そのことを非常によく実感している。食材一つ一つが,高い。生活用品一つ一つが,高い。

特にワイキキは高い。店によっても全然違う。下手したら倍ぐらい違ったりするから,うかつに買えない。日本なら,同じ商品ならだいたいどこの店でも同じぐらいの値段で売ってるでしょう。もちろん,安いことを表明しているお店はそれが特徴だから他店よりは安いわけだけれど,普通の店で普通に買えば,だいたい同じぐらいなはずだ。

これがこっちは,全然違ったりするからびっくりする。だから買う店をよく考えないといけない。日本でもそうなんだろうけど,ドンキホーテは全体的に安い。だけど,ちょっと遠いんだよね。大手スーパーのセーフウェイやウォルマートも,比較的安い。だけど,どちらもやっぱりちょっと遠い。車があれば楽なのにとつくづく思う。例えば,牛乳は1ガロン(3.785リットル)入りが普通だから,買って帰るのが一苦労。

こういう物価事情の州なので,ハワイに生まれ育った若者は,自立して生活するのが大変なのだそうだ。なにせこの物価だ。そこそこ収入の良い職に就かないと,食っていけない。家族を養えない。家族を持っても,子どもにまともな教育を受けさせられない。教育が受けられないと,将来まともな職に就きにくい。一方,良い教育を受ける環境にあり,結果,良い職に就けば,食べていける。そうすれば子どもに良い教育を受けさせられる。その子も良い職に就く。物価が高くとも食べていける。こうして徐々に格差が生じていく。

こういう風に物価が極端に上がったのはここ10年来のことのようで,一昔前はそれほどでもなかったらしい。ホームレスがやたら多いのも,本土から流入してくることもあるだろうけれど,ハワイに生まれ育って,生きづらくなって,路上生活を始めてしまう人も増えてるせいもあるんじゃないだろうか。

明らかにホームレスな身なりの人もいれば,身なりからは判断できない微妙な人たち(女性や子どもを含む)なんかも,公園や路上で座っていたり寝ていたりするのを結構見かける。彼らは決して観光客ではない。しかし,定職に就いている感じもしない。この物価の中,果たしてどうやって,食べているのだろうか。

5/12/2014

空手化

滞在28日目。5月12日(月)の午前4時50分。

昨日は一日,雨模様。といっても日本のようにザーザーと降る雨ではなくて,こちらはいつもサラサラと降る霧雨程度。それでもときどき日が差したりして,とにかく天気は変わりやすい。雲がよく動く。

午後には奥さんに,子ども二人をチルドレンズ・ディスカバリー・センターへ連れて行ってもらったので,僕は部屋でひたすら太和拳を練る。4畳ほどスペースがあれば,動きを区切らずに套路を全部行える。太和拳はだから,太極拳と違って,場所をほとんど取らない。

ボブから習った太和拳を一人で練っていると,どうしても空手っぽくなってしまう。というか,僕がやると空手に見えてしまう,といった方が正しいか。

Youtubeで太和拳の動画を眺めていると(日本人の動画はないけれど,中国その他,諸外国の人たちの動画がけっこうアップされている),皆,人それぞれ,若干動きが違う。動作の順序は同じだけれど,細かいところが一人一人違う。教えてもらった師が違うわけだから必然そうなるし,また,各自自分のアレンジを加えているはずだ。それは,武術というのは身体的な伝承だから,ある程度は仕方がない。この辺りの伝承論については,拙著『空手と禅』を参照されたい。

空手も元々,中国人から習い,それが徐々に沖縄化して,空手となったと考えられる。無論,もともと沖縄にも土着の武術があって,それをベースとしつつ,中国の武術を取り込み進化したとする考え方もある。ただいずれにせよ,中国の当時の拳法の套路を,当時の沖縄の武術家が習い,自分の技としていったことには変わりない。

すると,もうすでに中国では失伝しているためか,あるいは取り込む過程で変化したためか,ルーツを全く辿れない空手の形が多い。つまり,完全に空手化している,ということだ。

形を練るという稽古法が中国拳法の套路を練るという稽古法と同じである点,形の呼び名に中国式のものがある点,沖縄と中国の歴史的な関係性という点からして,中国拳法が空手のルーツもしくは絶大な影響を与えているものだということは間違いない。

このように,ある術を習った,覚えた,という場合には,その後に2つの経過が考えられる。1つは,その術を正確に修得するまで練る。もう1つは,その術を自分の術に取り込むように練る。前者の場合は,その術の伝承が,その人の目的となる。後者の場合は,自身の術の発展が,その人の目的となる。

沖縄の古の武術家たちは,たぶん,後者だろう。中国拳法を正確に伝承することが目的ではない。彼らは彼らの術として,習った套路を練っていったと考えられる。それが空手化の一つの要因となっているように思われる。

もう一つは,継続的な師の指導がない点だ。ある術を習い,その術について定期的に継続的に,習った師から指導を受ければ,その術を正確に身体に染み込ませることができる。つまり,身体に染み込む過程で常に修正がなされる。だから,身体的な伝承は,もしそれを正確に伝承するのなら,こうして,継続的定期的な師による指導が必要だ。でなければ,どうしても教わった側のアレンジが加わる。

沖縄の古の武術家は,師による定期的継続的な指導という稽古はできなかっただろう。貿易で一時的に琉球に来た中国人などから教わったり,中国に渡って一定期間習ったりしただろうが,いずれも短期間だろうから,定期的継続的な稽古は望めない。すると,とにかく,習ったことの記憶を手がかりに,後は自分で練るしかない。この過程が,空手の独自な発展,つまり,空手化の要因の一つとなっているはずである。

ここまで書いて,何が言いたいかというと,自分の太和拳が空手化するのは,やむを得ないことだなぁ,ということ。ボブから太和拳を習うのは,太和拳を伝承するためではない。飽くまで,自身の空手修行に役立てるためだ。もう一つは,太和拳の稽古は,定期的継続的ではない。とりあえず,套路の全容を教えてもらったに過ぎない。

さてこうなると,練る過程で空手化する,つまり,空手っぽくなるのは,これはもう,仕方がないことだなと思っている。Youtubeを見てもみな十人十色。しかし,似ているのは雰囲気。これはやはり,誰もが一人の師について継続的に習っているから,中国拳法・中国武術の雰囲気はちゃんと掴んでいる。これに対して,自分の練る姿を見ると,その雰囲気がない。まだないのか,はたまた,今後さらになくなるのか。

術を習う,術を練る,というのは,だから面白い。

5/11/2014

校庭

滞在27日目。5月11日(日)の午前4時20分。

昨日,近くのジェファーソン小学校の校庭で,子ども二人を遊具で遊ばせながら,30分ほど稽古できた。小学校の広い校庭は,全面芝生が敷かれてそこそこ綺麗に刈り込んであり,大きな椰子の木も生えていたりして,運動するには絶好の環境だ。

土曜日は小学校の敷地内で小さなファーマーズマーケットが毎週開かれていて,野菜や果物を買いがてら,こうして校庭で遊ぶことができる。他の近所の住人も,犬の散歩やらただの通り抜けやらで,ときどき校庭を歩いている。小学校の周りは柵があるけれど,あちこち柵が途切れて開いてたりする。一応,校庭の遊具には,これは公共の遊具じゃないから勝手に遊んじゃ駄目よ,と書いてはあるけれど,うち以外にもときどき,遊んでる家族がいたりする。まぁ,なんとなく目をつぶっている感じ,なのかな,たぶん。

だから,広い校庭と芝生と,そのためにこの一角だけ抜けた青空とを独り占めしながら,稽古ができた。気持ちよい。

ただ,もう,日が当たるとかなり暑い。日の下では帽子をかぶらないと熱中症になりそう。でも,日陰はずいぶんと涼しい。風もさわやか。カラッとした暑さだ。

だからか,こっちの人は,帽子をあんまり被っていない。観光客なのか住民なのか分からないけれど,帽子も被らずに,昼間から走ってる(ランニングあるいはジョギングしている)人もよく見かける。運動生理学的にみて,身体によくなさそう(笑)。暑くて汗が出るから,走って運動した気にはなるだろうけど。そういえば,ダイアモンドヘッドジョガーのみなさん,帽子なしで駆け上がってる人もいた。

5/10/2014

外で練る

滞在26日目。5月10日(土)の午前4時。

昨日,ボブに2時間弱,武当太和拳の稽古をつけてもらった。ひたすら彼と一緒に繰り返し套路を練りつつ,ときどき「そこはこうで,ここはこうで」と説明や指摘を受ける。

その彼の動きを見ながら,自分の動きを修正する。彼の動きに,自分の動きを合わせていく。三次元の視覚情報と自身の体性感覚情報とをリアルタイムでマッチングさせていく。

帰ってからの一人稽古では,過去の記憶の中の視覚情報と言語情報を手がかりに(これに加えてYoutubeの動画なども参考に),今ここにある身体を太和拳の動きへと近づけていく。

形(套路)は,こうして一人で練っていると,微妙な細部に不明な点が出てくる。疑問は,何年練っても絶えず,もうないだろうと思っても,練っている内にまた出てくる。この繰り返しである。太和拳はまだ練り始めたばかりだから,疑問点は多い。この疑問点を,練りながら解決・修正していくのが楽しい。

答えは,そもそも身体が知っている場合がある。武術的な動きは,基本的には自然な動きなはずだから,動きにあまりにも無理があるものは,たぶん間違っている可能性が高い。ただすべてが解決するわけではなく,やはり,師から教わった手がかりが解決への糸口となる。

昨日は,近くの公園で稽古をつけてもらった。公園はだいたい芝生が綺麗に整備されているし,こっちはまとまった長雨というのは(今のところ)ないので,こうして普通に野外で稽古することができる。だから,ホノルルの公園,特にビーチに近いところでは,ヨーガや合気道なんかのサークルもやっているようだ。

そういえば,中国武術はこうして公園などで稽古することが多いような気がする。なぜだろう。中国でも太極拳は公園でやっているイメージだし,日本でも多くの団体が公園を稽古場として使っていたりする。

太極拳が本来,気を練り道(タオ)へ至るアプローチだとすれば,自然の中で練習した方が効果的であることは確かだ。理論的には天地と気を循環させるわけだから,天や地がはっきりと分かるところで稽古した方が良い。ただこれは,イメージだから,本質的にはどこでやっても同じだ。しかし,イメージはとても大切である。「気を練る」ということが本来そもそもイメージだから,実は,どこで稽古するかは大切である。

今度,公園の芝生の上で一人稽古してみようか。気持ちが良いかもしれない。

5/09/2014

ダイアモンドヘッド

滞在25日目。5月9日(金)の午前5時。

昨日は,初めてダイアモンドヘッドに登った。ハワイはオアフ島観光では定番のダイアモンドヘッドだが,今回初めて。ワイキキのビーチにいればほとんどどこからでも見える,海に向かって左手,南の方角にあるダイアモンドヘッド。

登るのに1時間,とよく案内や説明に書いてあるので覚悟して登り始めたけれど,混んでなかったので,小さい子ども二人と一緒に登っても30分で到着。急な斜面ではないけれど,岩場のデコボコ道が続くので,登りは結構疲れる。頂上のスペースはあんまり広くないので,混んでると大変かも。景色は最高である。

ただ,公共交通機関のThe Busで行くと,クレーターの外(山の裾)にバス停があるので,バスを降りてからクレーター内の登山道入り口まで15分ぐらい歩く。だからバス停から登山が始まってるのだ,とすればだいたい1時間ぐらいかかる計算だね,確かに。

しかし,これまでずっとでかい山だと遠くから見て思っていたけれど,実はぜんぜん大きくない。しかも乾燥しているためか生えている木々も少なくて低く,そのために山肌は露出しているので,山の形や大きさがよく分かる。山登りが得意だったり趣味だったりの人からすれば,これは山ではなく丘かもしれない。だから登山というのは大げさ。ただ,そう思ってなのか知らないが,ビーチ用のサンダルで来てる人をときどき見かけたけど,いくらなんでもサンダルはさすがにちょっと厳しいな。

登りながら思ったのは,こういう低難度の登山(あるいは中高難度のウォーキング)というのは,頂上を目指して,はあはあふうふうと息を切らせながら,全身を使ってのしのしと岩肌の荒い道を登っていると,だんだんそのことに集中し始める,没頭し始める,ということだ。意識はただ登ることで占められるようになる。ただ在るようになる。すると,視界が開けたときやふと見上げたときの景色を生き生きとありありと感じることができる。山登りっていうのは,要するに,マインドフルなのだ。だから人は潜在的に,あるいは,自然に,マインドフルになることを求め,そして,実践している。

後は,リズミカルな呼吸と運動によってドーパミンも出るかもしれない。これはまたこれで別の要素だけれど。

そういえば,頂上から麓のバス停辺り(ハワイ大学のカピオラニ・コミュニティー・カレッジがある辺り)までをコースとして,ランニングというかジョギングというか,とにかく,ワークアウトしている男性女性が大勢いた。ついでにバス停の方には野外にトレーニングマシンがたくさん設置されている。平らなところをただ走るよりも,こうして頂上まで行って降りてくる方が確かに負荷は高いし景色も良いし達成感も高いだろうね。

有名なホノルルマラソンってのもあるくらいだから,こっちではそこかしこで走ってる人をよく見かける。もちろん,日本でも最近ランナー人口も増えているみたいなので先進国では当たり前の風景なのかもしれないけれど,しかし,平日の午前中,暑い中,みなさん,精が出るなぁ。

5/08/2014

眠気

滞在24日目。5月8日(木)の午前5時30分。

昨日は夕方にドンキホーテに行ってきた。話に寄ればここは元々ダイエーだったらしい。だから古い平屋の建物だけど,中はとにかく広い。

日本のドンキホーテのような,例の「圧縮陳列」というほどではないけれど,置いてある商品は質量ともにとにかく多い。衣料品,土産物,生鮮品,電化製品,食品,化粧品,薬,カー用品,文房具,総菜,魚屋,肉屋,お菓子類,各種日用品・・・とまぁ,とにかく何でも置いてる。

客層は,地元の人が中心。日本の商品もたくさん置いている。だから店内は日本語が溢れている。値段も全体的に安い。10列はあるレジは全部,店員二人ペアで,一人が会計をやって一人が商品を袋に入れる(こっちのスーパーはこのパタンをよく見かける)。ポキを買ってきて,夕飯のおかずにした。ポキ(マグロの漬け)は美味い。特にスパイシーに和えたヤツは,美味い。


話はこれとは全く違うけれど,最近ふと思ったことがある。

ここ数日,ティク・ナット・ハン氏の書いた本の翻訳書「ブッダの幸せの瞑想」を読んでいて,その中に,坐っていてどこか痛いところがあったら,マインドフルに身体を動かして姿勢を直せばいい,とサラッと書いてあった。

無理にその痛みに耐え続けることはなくて,マインドフルであれば,身体を動かしても別に構わない,ということだ。つまり,坐禅ってのは,別に絶対に動かないでじっと坐り続ける我慢大会でも,また,そうやって耐えることを目的とした修行でもない,ということだ。

その通りである。そんなことは当たり前のことである。坐禅はそんなものではない。そんなことはとうに分かっている。坐禅は,安楽の法門である。

と思っていたけれども,全然そうではなかった。全く分かっていなかった。

前からそうだったけれど,坐っているとき,よく眠くなることが多かった。ゆっくりと深く呼吸をしていると,あまりにも気持ちよくなりすぎて,ついうとうとしていまうのだ。早いときは5分もしない内に眠くなる。

そうなると,もう後は,眠気との格闘だ。眠ったら駄目だ,眠るために坐ってるんじゃない,ああ眠い,目が閉じる,いかん眠ってはいかん,ああ気持ちいい,ゆらゆらと揺れて夢の世界へ,いかん駄目だ昏沈だ,ああ意識が遠のく,駄目だいかん,ああ眠い・・・とまぁ,残りの坐っている時間,こうして眠気と戦い続けることになる。正直,こうなると苦しい。

そう。知らず知らずのうちに,苦しさをずっと我慢する,我慢大会をやっていたわけである。これでは意味がない。

そこで,ティク・ナット・ハン氏の言葉を思い出した。

で,何をしたかというと,眠くなったと思ったら,手の位置(手のポーズ)を変えてみた。今までは常に法界定印に手を組んでいたけれど,例えば,両手を膝の上に置く,そのとき手の平を下にする(膝を包むように置く)か,手の平を上にするか,そのとき,親指と人差し指を結ぶか,親指と中指を結ぶか,と言ったように,眠くなる度に,柔らかくいろいろとポーズを変えてみた。すると,今まであれほど格闘して手強かった眠気が,あっさりと消えた。眠気が飛んで,意識がクリアになった。

身体の姿勢がわずかにでも変わると,意識がクリアになる。その変化にマインドフルになる。あるいは,変化することで身体がマインドフルを保つ。わずかに刷新される身体の形が,マインドフルネスを維持させる。もしかしたら,坐ったまま全く動かずとも,身体のそこここの微細な変化の感覚に気がつくようになれば,自然と昏沈も散乱もしなくなるのかもしれない。

坐禅は,動かないことに意味があるのではない。マインドフルに在ることに意味がある。だから,マインドフルに動けばよい。そもそも,経行という歩く禅もあるではないか。空手は動く禅だと言って,自分でわざわざ本まで書いたではないか。

だから,眠気と格闘して苦しんで我慢大会をしているぐらいであれば,動いてはいけないという囚われを捨てて,動けばいい。

5/07/2014

手の平

滞在23日目。5月7日(水)の午前5時。

昨日久しぶりにビーチに行ったが,ずいぶん人が減っていた。ゴールデンウィーク過ぎて日本人が帰ってしまったからだ。街中を走る(実質的に”日本人専用”の)トロリーバスもずいぶん空いている。次のピークの8月までこんな感じなのかな。

制定の八段錦を練り始めてから5ヶ月,最近なんとなく手の平に,暖かいような痺れるような感覚を覚えるようになった。神経痛というわけではない。丹田を意識して腹式呼吸をするとき,手の平や足の裏を通して呼吸するイメージをする。たぶんそのためだ。

道家の気功では主に,手の平の「労宮」や足の裏の「勇泉」というところ(ツボ?)から,天と地の気を取り入れたり,また,天と地に気を戻したりするイメージで行う。気ではなくて,手の平と足の裏を通して息を出し入れしているというイメージでもある。いずれにせよ,そういうイメージで腹式呼吸(横隔膜呼吸)をしていると,ときどき手の平の感覚の変化を感じるようになったということ。たまたまかもしれないし,今だけかもしれないし,よく分からないけれど。

これは別に気が出ているとか,そういう超自然的な,神秘主義的な,悟空的なものではない。手は他の身体部位よりも細かい作業や動作ができる分,感覚も鋭敏なはずであり,そこがまず,微細な身体的変化を感じるようになったということかな。特に,「労宮」を意識して呼吸することで,手の平の感覚がより鋭敏になった(なるときがときどきあるようになった),ということか。

それで,これ,面白い感覚である。暖かいような,痺れるような,こそぐったいような,手の平が熱く(厚く)なったような,何とも表現したがい感覚。常に感じるわけではなく,ふとなにげなく,「労宮から天地の気を吸い込むように」とイメージしながら息を吸ったり吐いたりしてると,感じたりする。

稽古を続けると,こういうのをいつも常に新鮮かつ鋭敏に感じられるのだろうか。それとも,まれにふと感じるものなのだろうか。座禅も,今日はよく座れたなというときとそうでないときといろいろあるから,こういう感覚もいつも常に,というわけじゃないだろう,たぶん。いやどうなんだろう。

制定の八段錦は,中国の体育センターが近年になって編集・再構成した,いわば健康体操であり,道家的な気だとか道(タオ)だとか陰陽だとか言った話はほとんど捨象している。「健身気功」と言っているぐらいだから,身体的な健康に重点を置いている。おそらく文化大革命のあおりで,あえてそういう思想的宗教的な側面を排除しているのだろう。

もともと道家の修行体系自体,最初は身体的な健康を求めるものであるから,もともと道家の修行として始まっている導引法・養生法の流れである現代の健身気功の機能と意義は,だから,ぜんぜん間違っていない。正しい。まずは身体なのだ。

特に制定の八段錦は,よく考えられていて,ストレッチングと筋弛緩と呼吸をうまく織り交ぜた構成になっている。しかも,動作もそれほど難しくなく,覚えやすい。最近はyoutubeもあるから,テキストを一冊手に入れて,後は,動画を見よう見まねで,それなりに形になる。セミナーも都内で開講しているから,動作の微妙なところを学ぶために1~2度参加すれば,あとは十分一人で練ることができる。(と思う)

そうして5ヶ月毎日練り続けて,ようやく手の平の感覚に違いを感じた。ただこれは,最近,道家気功や道教の本を読んだこと,何ヶ月もずっとボブの本(The Tao of Stress)を訳していることなども影響してるはずだ。それにボブから伝統的な(古流の)八段錦と易筋経,それから太和拳を習ったり,ボブの本にある孫式太極気功をやってみたり,さらにはスティーブから楊式太極拳を習ったりと,あれこれやっているせいもあるだろう。おそらく。

こういう,身体の微細な感覚を,大切に。

5/06/2014

筋肉痛

滞在22日目。5月6日(火)の午前4時50分。

ボブから太和拳の套路を一通り習ってから,Youtubeを見つつ(最近は便利になった。こうして知りたい形や套路が映像ですぐに見られる),連日,一つ一つの動きの確認をしつつ練っている。形は,動きの順番を覚えてからが本当の稽古だ。おかげで筋肉痛が絶えない。

太和拳は糸東流よりも重心を低くして練るようで(糸東流では重心は低くしない),その分,下半身に筋肉的な負荷がかかる。一方,楊式太極拳は重心は低くないけれど,ゆっくり動くということが,これほど負荷のかかる運動だとは思わなかった。スロトレだ。太極拳をやると,初心者は筋肉痛になる。

太和拳も楊式太極拳も,動きと動きの間に切れ目がない。流れるように動く。これが中国拳法の,特に道(タオ)を求める内家拳の特徴のようだ。面白い。空手の動きはどちらかと言えば直線的な動きが多く,その中で一連の技と技の間に一呼吸置いたりする,空手独特のリズムがある。ただ,これは,ルーツと目されている南派の中国拳法に通じる。まぁ,だから,中国拳法と一言で言っても,本当に色々ある。洪家拳や白鶴拳,太極拳や八卦掌,八極拳や蟷螂拳,それぞれずいぶん違う。

空手は,締めと呼吸でもって力を瞬間的に発揮する動きが形の中に随所に含まれる。中国拳法で言えば勁を発し続けることになる。これに対して楊式太極拳にはそういう動きは一切ない。楊式に勁を発するところはない。他方,太和拳には数カ所ある。ここが太和拳と普通の太極拳の違いでもある。ただ,太和拳も太極拳も,どちらもじっくり身体を練る感じであり,空手の方がよほど力が入っていて汗をかきそうに見える。だが,まったくそんなことはない。太和拳も太極拳も,非常に難易度の高い運動体系であり,見た目と違って負荷が高い。

ところで,筋肉痛の原因はもう一つ,子どもにせがまれて,毎日1時間はプールかビーチで泳いでいるせいもあるかもしれない。ビーチは,二人が波打ち際で遊んでいるのを見ているだけで良いけれど,プールは一緒に入るから結局泳ぐことになる。アラフォーには良い運動である。筋トレだと思うことにする。

こちらに来た頃の4月はプールや海から上がるとちょっと寒かったぐらいだが,ここんところはずいぶん暑くなってきた。晴れの日も続いている。ゴールデンウィーク辺りが暑くなる一つの目安か。

そう言えば昨日,太極拳のクラスで,地元のおじいさんから,「SPAM JAMには行ったか?」と聞かれた。よく見ると「SPAM」と胸に書かれた青色のTシャツ(販売していた公式Tシャツ)を着ているではないか。ということは,SPAM JAMは,観光客向け全開かと思っていたけれど,地元の人も楽しみにしているイベントなんだなということを再認識。

こうしてゴールデンウィークを利用してハワイはホノルルに来る人もずいぶんいるんだろうと思って,さてどのくらい街に日本人が溢れるのかと思っていたが,それほどでもなかった。ただ,やはり昨日辺りには街で見かける日本人の数はぐっと減り,プールには日本人は他にいなかった。

5/05/2014

適応

滞在21日目。5月5日(月)の午前5時15分。

ホノルルにいる時間も長くなってきた。感覚的には,ときどきふと,なんで自分は今こんなところにいるのかという浮遊感あるいは非現実感と,その一方で,ここ最近のいつも通りの風景に違和感を感じなくなってきたのとが混在している。ちょうど過渡期なのかもしれない。

人間は(動物は),環境変化への適応のために,最初はやや興奮状態になる。ここに多幸感も伴うかもしれない。環境変化というストレスが掛かっているわけだから,そうした緊急事態に対応するための変化として,自律神経系・内分泌系・免疫系がフル稼働しているはずだ。短期間の旅行であれば,環境に適応しきらずとも,その多幸感を味わう興奮状態のところで,元の環境へ戻る。ああ疲れた,やっぱり自分の家が良いねぇ,うちの布団が一番だねぇ。

環境の変化はストレスである。短期ならそうしてすぐに元の環境へ戻れるが,今回のように中長期となれば元の環境にすぐに戻れない。であるならば,興奮状態にある内に,その環境にある程度適応しなければならない。興奮(躁状態)はいつまでも続かず,そのうちそおらく,相対的にうつ状態になるからだ。いつまでもその環境に不慣れなままだと,やっかいなことになる。

なんでこんなところにいるんだという一種の浮遊感や非現実感も,ちょうど興奮状態から冷めつつあるせいかもしれない。ここからが本当の意味での適応かも。たぶん。

昨日は夕方に,歩いてホノルル水族館に行ってきた。小さい水族館だけれど,展示は綺麗で,日本語での音声ガイドキット付き。印象に残ったのは,サンゴとクラゲとシャコ貝(giant clum)。

5/04/2014

お祭り

滞在20日目。今,5月4日(日)の午前4時40分。

昨日は土曜日で,夕方,ワイキキビーチ前のメインストリート・カラカウア通りで,SPAM JAM(スパム祭り)なるものが開催されていたので,行ってきた。

道路を閉鎖しての大がかりな祭り。SPAMとは,例のソーセージ肉を缶詰にした食べ物。それにちなんだ(というか,それに無理矢理かこつけた)お祭り。

こっちでSPAMと言えばやはり,SPAMむすび。SPAMがご飯に載ってるか挟んであるおにぎり。コンビニやらABCストアやら,とにかく,どこにでも売ってる。個人的にはあんまり美味しくない。理由はやっぱりご飯かな。ABCストアで売ってるSPAMむすびは米が不味い(なお,ご飯は,出す店や商品によって,美味しいのと美味しくないのがある)。

先日は信号待ちしているところで,地元の小学生がSPAMむすびとコーラらしきものを手に持って,スケボーに載って滑走していくのを見かけた。だから,日本人観光客向けの変わり種のおにぎりというわけではなくて,こっちの日常食なのだ。

もちろん,このSPAM JAMのメインディッシュである。その他,SPAMを使ったサンドイッチやらプレートやらが売っているようだったが,あまりの人だかりでよく分からなかった。

あとはSPAMのTシャツとかバッグとか,まぁ,その辺りまではちなんでいるからSPAM祭りの出店としては正しいわけだけれども,ざっと見た感じ,3分の2はSPAMとは関係ない露天販売。でも客はほぼ全員観光客だから,きっとそれで良い。

それから,2カ所でステージを組んで歌と踊りのパフォーマンス。別にこれもSPAMにちなんでいるわけではない。普通にフラだとかハワイの音楽だとか,そんな感じである。カラカウア通りだから,とにかく,観光客向けである。

昨日がこのSPAM JAM(スパム祭り)で,一昨日が確かLEI DAY(レイ祭り)だった。こちらはホノルル動物園の隣のカピオラニ公園内で,これまた出店とステージの祭り。出店にはもちろんレイのお店が並ぶんだけど,それも4分の1か5分の1程度で,残りはレイとは関係ない物産品と,BBQプレートとかアイスとか食べ物関連の店ばかり。こちらはしかし,来ている人の半分は観光客だけど,半分は地元の人たちな様子だった。で,地元の人たちはステージ周辺でシートやイスを広げて食べ物持参でくつろいでいて,一方,観光客風な人たちがレイや物産や食べ物の店を流している感じ。見た感じでは,日本人はほとんどいなかった。レイとはちなみに,ハワイに行くと掛けられたりする,例の,花でできた首飾りとかのアレ。出店で売ってるのは,生花とは限らないけど。

ハワイはホノルルの人は,祭りが好きなのか。半面はそうかもしれないけれど,半面はきっとそうではないだろう。これはやはり,古くから観光で成り立ってきたハワイならではの,観光客向けの企画が次第に伝統になり,今に至っているのではないだろうか。と勝手に推測する。

ダンスという身体表現や運動行為は元々,神事や祭事などの政(まつりごと)と関わっているとすれば,ポリネシアンダンスのイメージが前面に出やすいハワイの観光において,<まつり>は連合しやすい概念である。ハワイの人が元々祭り好きなのかどうか分からない。しかしこれが,ハワイという場所に付随する開放感を象徴している一面であろう。この開放感は,まず興奮と饗宴に始まり,その後の弛緩がリラクセーションをもたらし,結果,それが癒しとなるところまでがセットになっている。だからここには,動と静,興奮と落ち着き,緊張と弛緩の両方が巧みに混在している。まさに陽と陰である。

この他にここホノルルでは,ファーマーズマーケットも多い。毎日朝夕どこかで開かれている。ワイキキ周辺の場合は,やはりこれも,観光客向けの企画である。少し離れたところでやっていたマーケットも次第にそこまで観光客が足を運ぶようになり,テントの出店が増え,今では観光名所となっている。KCCファーマーズマーケットってのが有名。ダイアモンドヘッドの麓の街でやってる。ずいぶんな賑わいらしく,しかも,客のほとんどは日本人らしい。日本人恐るべし。まだ行ったことないけれど。

とにかくこうして,ここホノルルにいると,毎日どこかで出店の並ぶお祭り的なイベントが開催されている。ビーチはもちろん,オアフ島内の観光名所も数えればきりがない。そうして観光客を一瞬たりとも飽きさせない,そしてとにかく開放感とともについでに財布も開放してお金を落としていってもらう,そういう風に街全体がシステム化されているように見える。言うなれば,いつでもどこでも常に躁状態を発動させる,ハレの気分を起こさせる,そういうスイッチが至る所に計算尽くで用意されている感じ。

日本だと,沖縄がこれに近いと思うけれど,ここまで露骨にシステム化されてないよなぁ。沖縄はもう少し緩くてのんびりしてる気がする。

このSPAM JAM,地元のテレビも取材に来ているほどの賑わい。でもこれ,もし意図的に日本のGWに合わせてるのだとしたら,恐れ入ります。

5/03/2014

若者

滞在19日目。今,5月3日(土)の午前4時50分。

ついさっき,午前4時頃,住んでいる建物の周辺で大きな叫び声がするので酔っ払いの集団かと思って窓から覗いてみると,なんと路上で若者たちが集団で殴り合いの喧嘩をしてた。乱闘。朝の4時に,街中の路上で,若者同士の集団での乱闘。

10人対10人ぐらい。何やら罵り合いながら互いにじわじわ近づき,触れ合う距離になるとどこかで散った火花から引火してそこここで戦闘のスイッチが入り,敵味方入り乱れ,何やら大声で叫びながら,あちらこちらで殴り合い蹴り合い。直後にパトカー10台ぐらいが到着。半分は逃げたか。

いやぁ,やっぱりアメリカ,怖いね~(笑)。絶対に夜中に出歩いてはいけない。ああいう大人数の乱闘は,そりゃ映画やニュースでは見たことあるけど,生で本物を拝見したのは初めてかも。こっちはしかも拳銃とか持ってるからなぁ,そう言えば。怖い怖い。ちょっと馴染んだ気でいたけれど,気を緩めたらいかんね。ここはアメリカだ。

ところで,昨日は夕方に,ハイアット・リージェンシーの1階で毎週金曜日に開かれている,ポリネシアの歌と踊りのショーを見に行った。観覧無料だから。

司会のお姉さんが目の前の観客たちに,"Where are you from?"と聞いて周り,そのとき誰かが"Japan"と答えたら即座に"Oh, Nippon Daisuki!(日本,大好き!)"と叫び返したのには,あまりに見え透いたヨイショと定番なわざとらしさで,ちょっとゲンナリ。絶対に大好きだなんて思ってないからね。

ショー自体はとてもよく構成されている飽きさせないショーで,洗練されたプロのパフォーマンスを見た感じ。それで改めて思うけど,こういうショーアップされたダンスは,女性も男性も,なんていうか,肉感的である。ファイアーダンスも,見応えあった。若さというエネルギーをそのまま体現したかのようなダンス。そういうダンス構成にする方が観客受けするからであって,たしかに実際,見ていて面白い。

ストリートファイトしてるエネルギーも,こういうところに出せば良いのにね。

若者はエネルギーが満ち溢れてるわけだから,ダンスパフォーマンスにエネルギーを注ぐのは,見ていて気持ちが良いし,大勢の観光客も喜ぶし,客寄せのために彼らを喚んだホテルも喜ぶし,彼ら自身も充実した時間と賃金が得られるわけで,みんなハッピーなわけである。一方で,ストリートファイトは,見ていて気分悪いし(じゃあ見るな,という話だけど,攻撃研究者の性か野次馬根性か,つい見てしまう),観光客は震え上がるし,観光客を抱えているホテルはそんなのが周りにうろうろしてると評判落ちるし,ケンカしてもお金にならんし,怪我して痛いし,翌日病院に行ったらお金払うことになるし,みんなアンハッピーである。

せいぜいがケンカして得られるものといえば,彼ら自身のプライドやメンツの死守だが,まぁしかし,それはとても重要なポイントだから,ああして集団でストリートファイトするのも青春といえば青春。なのかどうかは分からないけれど,とにかく,どうか,死人や怪我人のでない程度にね。

5/02/2014

武当太和拳

滞在18日目。5月2日(金)の午前5時。

昨日は午前中,ボブから,武当太和拳Wudang Taihequanの個人指導をしてもらった。2時間弱,武当太和拳の套路をみっちり習った。武当太和拳にも套路の長さによって何種類もあるみたいだけど,YoutubeなどでTaihequanで検索するとこの套路が一番よくヒットするから,一番ベーシックな套路なんだと思う。

とりあえず,まずは動きの順番だけはなんとか覚えた。動きの質そのものは当然,まったくなっていないけれども。

しかし,まず第一に興味深いのは,やはり身体的には,一連の動きの流れがスムースに構造化されていて,動いていて気持ちが良い。それから,空手の形と違って,太極拳であるからして,ある動きからある動きへ常につながっていて流れるように変化していく。空手は,技同士でつながっているところもあるけれど,一般に太極拳に比べたら,技一つ一つで区切りがあることが多い。メリハリを付けるというか,空手的なリズム,あるいは,強弱を付ける。武当太和拳にも独特のリズムや強弱のようなものはあるけれど(一般の太極拳よりは動きが速い),全体的に区切りなく一つにつながっている。

伝統的な楊式太極拳とは違って,何カ所か強く弾く動きもある。中国拳法ではこういうのは,勁を発する,というのかな。陳式太極拳にもある。ただ,全体的には柔らかく円や弧や螺旋を描くように動く。ボブは,Dragonのように動け,と言っていた。まさに龍形だ。そうやって,龍が気を練っている,気を捏ねている,そんな身体感覚だ。

それから,先日,武当太和拳には,気功的要素が強くなって武術的な要素はもはやないのでは,ということを書いたけれども,そんなことは全然なかった。一つ一つにそれぞれ武術的な意味があった。丁寧に味わい,分解し,辿って,研究すれば,いろいろと面白い術が隠れているかもしれない。

楊式太極拳も武術的に深い一方,この武当太和拳も深い。良い物を教わった。これから数ヶ月間,ボブにはこの太和拳の短い套路を中心に教えてもらうようにしよう。

5/01/2014

空気感

滞在17日目。5月1日(木)。午前4時30分。

4月の半ばにこっちに来て,今日,5月になった。今まで外国に滞在したのは,旅行か仕事だけだったから,せいぜいが1週間か長くて確か10日くらいだったか。そういう意味で,自宅以外のところで過ごす最長記録を目下,更新中。

毎朝起きる度に,『ああ,ここはホノルルだ』と思い,なんとなくそわそわした感じが立ち上がるのは,ここがずっと住む自分の家ではなく,借りている仮の家だからだろう。そわそわした感じというのは,安定感のない浮いた感覚といってもよい。独身の時に借りていたアパートのときの感覚とはまた違う。

この感覚は,これから薄くなっていくかもしれないけれど,たぶん完全には消えないと思う。なぜなら,当たり前だけど心の中では,日本にある家こそが自分の家だと思っているからであり,そうではないここは,永久に,仮にいる場所,という規定から外れることはないからである。

独身の時のアパートは,たとえ借りている仮の家でも,そこしか住むところがないからそこに心と身体が馴染んでいき,安定をしていくわけだけど,今回は本来住むところが日本にあって,今は一時的にこの場所にいるために,その意識がここに心と身体が馴染みきるのを妨げている感じがする。

普段,仕事や旅行でホテルに泊まるとき,2~3日は新しい部屋で浮き浮きするけれど,4~5日も同じ部屋に泊まってるとだんだん飽きてきて,またこの部屋か,この枕か,この布団か,ああ早く自分の家の枕と布団で寝たいと思うわけで,そのときの何となく落ち着かない浮いた感じに似ている。

しかし,そうは言っても,部屋にはだんだん馴染んできた。建物周辺の環境にも馴染んできた。日本にある自分の家の記憶がだんだん薄くなっているのもまた事実。これはこれでまた奇妙な感覚だ。本当にあるのかいな,僕の家。

そして実際,感覚の変化として面白いのは,空気感だ。

以前なら,外国に滞在しても1週間くらいなわけで,その場合当然,日本とは季節や緯度が違ったりして,想像以上に寒かったり暑かったり,また,場所や人の匂いだとか食べ物の香りだとか,そういう「空気」のようなものの組成が違うなぁと,いつも感じていた。1週間だけの滞在だから,余計にコントラストが効くのだと思う。「外国の空気」というやつ。見るモノは全部その国の言葉だったり,その国独特の建物や乗り物だったりして,そういう,自分は外国にいるという認知も少なからず影響しているはずの「空気」。

それが一昨日,山に浮かぶ雲を見ながら,何も違和感なく眺めていた自分に気づいた。こちらに到着したばかりの頃は,たぶん「おお,ハワイの雲だ」とばかりに<外国の空気>を味わっていたような気がするが,一昨日見た雲は,馴染みのある(日本で見かけるのと全く同じ,昔から何万回と見ている)いつものあの雲だと,自然に思っている自分がいた。ハワイの雲なんて特別なものは,ない。

そして昨日は,太陽が燦々と輝く青い空を眺めていて,これもまた,日本にあった太陽と同じ太陽だということを心底,そして,身体全体で,感じた。そして,自分の周りを取り巻く周りの空気そのものも,まったくもって組成の同じ空気だ,ということに気がついた。

緯度や経度によって,空気って組成が違うのかな。まぁ,高地と平地で酸素濃度が違うので,場所によって多少は違うんだろうけど,だいたい同じでしょう。日本とハワイで,化学的に大きく違うとも思えない。だから,空気は違わないのだ。太陽だって,世界中どこへ行っても同じ太陽なのだ。雲だって同じなのだ。

そう思うと,今自分がいるここへの浸透具合がぐっと変わった。今ここに,一体化した感じである。それまでは,透明なシールかベールのようなものが皮膚の上にくっついていて,それがじかに今ここを感じることを妨げていた,つまり,内と外を区別する壁になっていたような気がしていた。それが,そのシールかベールのようなものがなくなり,内と外の浸透圧が釣り合って,濃度が一緒になったような感じである。

こういう感覚は,今までの1週間程度の外国旅行では,一度も味わえなかった。全く違う,新しい感覚である。