滞在33日目。5月17日(土)の午前4時。
太陽の光を浴びる,砂浜を裸足で噛む,水に浸かって泳ぐ。日焼けが痛い,足は砂だらけ,塩水は辛い。
当然と言えば当然だが,ビーチに行くというのは,丸ごと身体的だ。まずもって水着だけしか身に付けていないわけで,色んなモノを捨てて,裸同然になっている。だから気持ちが良い。
色んなモノを捨てて,シンプルに生きていく。人生を素足で生きていく。仏教では執着を捨てると説き,道教では無為無事を説く。同じである。どちらも欲を捨てよ,シンプルに生きよ,と訴えている。
どうせ死ぬのだから,長生きするためには,とにかく,自分からあれこれやらない方が良い。無為とは,自分や他人に干渉しないこと。無事とは,世の中の諸々の活動に巻き込まれないこと。無為無事であれば,無駄な執着を捨てることになり,結果,自然に在ることができる。
ビーチに行くと,そんなことを思う。だから,泳ぐというのは,身体に気づき,生き方に気づく,良い機会かもしれない。
加えて,水という,何にも留まらない,何にもはまらない,何にもこだわらない,形があるようでない,滑らかに流れる存在に身体全体で触れるのは,禅や道(タオ)に触れる機会にもなる。
たぶん,より自然を感じるには,海の方が良いのだろうけれど,水と接するという意味ではもちろん,プールでも良い。競技だとか,タイムや距離の更新だとか,そういう何らかの目標を持つのではなく,ただ黙々と泳ぐ。他人と競ったり,タイムや距離を設定したりしない。今ここの水と身体と呼吸を感じながら,ただ泳ぐ。
たしか太極拳は,陸で泳ぐようなものだと,どこかで読んだような気がする。だから,泳げなければ,太極拳をすれば良い。
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