滞在40日目。5月24日(土)の午前4時40分。
ホノルルに来て40日が経った。滞在予定のほぼ3分の1が過ぎたことになる。こういうときの感想はだいたい決まっているけれど,40日というのは,長いようで短い。
バンテ・グラナタナ氏の『マインドフルネス:気づきの瞑想』を読んでいて,また一つ,思うところがあった。気づきの第一対象は呼吸であり,その呼吸の出入り(呼気と吸気)を鼻孔で感じる。このとき,呼吸は厳密に言うと,呼気(吐き)と吸気(吸い)があるわけで,その呼気と吸気が切り替わるところに間があることに最初,気づく。しかし気づきを続けて自然に呼吸していると,次第に,呼気と吸気が滑らかにつながり一つになっていく。そういうようなことが書いてあった。
これを道家的に言うと,陰が切れ目なく陽になり,陽が切れ目なく陰になる。そして陰陽が循環する。陰と陽が一つに混ざり合っていく。
道教あるいは道家思想の体現である太極拳は,だから,動きと動きが滑らかにつながって一つになっていく,そういう風にして身体的に陰陽を感じ,気を練るための術である。
呼吸,つまり,息とは,気である。
太極拳は,切れ目なく滑らかに呼吸をつなぎ,切れ目なく滑らかに動作をつなぎ,そしてその呼吸と動作を連動させていく。自然な呼吸と自然な動きを,自然に合わせていく。そして全てが一つになっていく。
空手の形の場合,呼吸を止めるところが多い。攻撃と防御の動作のときに息を吐くが,吐いたらすぐに吸っておく。そして,次の防御と攻撃の動作まで止めておく。これは戦闘中,息を吸っているときに相手の攻撃を受けるとダメージが大きいため,極力,吸う時間帯を短くすること,また,吸っていることを相手に悟られないことが必要だからだ。
空手と太極拳では違うのか違わないのか。違うとして区別してしまうことは容易い。だから違わないことを前提に考えてみる。さて,いろいろと試してみることがまた増えた。
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