4月の半ばにこっちに来て,今日,5月になった。今まで外国に滞在したのは,旅行か仕事だけだったから,せいぜいが1週間か長くて確か10日くらいだったか。そういう意味で,自宅以外のところで過ごす最長記録を目下,更新中。
毎朝起きる度に,『ああ,ここはホノルルだ』と思い,なんとなくそわそわした感じが立ち上がるのは,ここがずっと住む自分の家ではなく,借りている仮の家だからだろう。そわそわした感じというのは,安定感のない浮いた感覚といってもよい。独身の時に借りていたアパートのときの感覚とはまた違う。
この感覚は,これから薄くなっていくかもしれないけれど,たぶん完全には消えないと思う。なぜなら,当たり前だけど心の中では,日本にある家こそが自分の家だと思っているからであり,そうではないここは,永久に,仮にいる場所,という規定から外れることはないからである。
独身の時のアパートは,たとえ借りている仮の家でも,そこしか住むところがないからそこに心と身体が馴染んでいき,安定をしていくわけだけど,今回は本来住むところが日本にあって,今は一時的にこの場所にいるために,その意識がここに心と身体が馴染みきるのを妨げている感じがする。
普段,仕事や旅行でホテルに泊まるとき,2~3日は新しい部屋で浮き浮きするけれど,4~5日も同じ部屋に泊まってるとだんだん飽きてきて,またこの部屋か,この枕か,この布団か,ああ早く自分の家の枕と布団で寝たいと思うわけで,そのときの何となく落ち着かない浮いた感じに似ている。
しかし,そうは言っても,部屋にはだんだん馴染んできた。建物周辺の環境にも馴染んできた。日本にある自分の家の記憶がだんだん薄くなっているのもまた事実。これはこれでまた奇妙な感覚だ。本当にあるのかいな,僕の家。
そして実際,感覚の変化として面白いのは,空気感だ。
以前なら,外国に滞在しても1週間くらいなわけで,その場合当然,日本とは季節や緯度が違ったりして,想像以上に寒かったり暑かったり,また,場所や人の匂いだとか食べ物の香りだとか,そういう「空気」のようなものの組成が違うなぁと,いつも感じていた。1週間だけの滞在だから,余計にコントラストが効くのだと思う。「外国の空気」というやつ。見るモノは全部その国の言葉だったり,その国独特の建物や乗り物だったりして,そういう,自分は外国にいるという認知も少なからず影響しているはずの「空気」。
それが一昨日,山に浮かぶ雲を見ながら,何も違和感なく眺めていた自分に気づいた。こちらに到着したばかりの頃は,たぶん「おお,ハワイの雲だ」とばかりに<外国の空気>を味わっていたような気がするが,一昨日見た雲は,馴染みのある(日本で見かけるのと全く同じ,昔から何万回と見ている)いつものあの雲だと,自然に思っている自分がいた。ハワイの雲なんて特別なものは,ない。
そして昨日は,太陽が燦々と輝く青い空を眺めていて,これもまた,日本にあった太陽と同じ太陽だということを心底,そして,身体全体で,感じた。そして,自分の周りを取り巻く周りの空気そのものも,まったくもって組成の同じ空気だ,ということに気がついた。
緯度や経度によって,空気って組成が違うのかな。まぁ,高地と平地で酸素濃度が違うので,場所によって多少は違うんだろうけど,だいたい同じでしょう。日本とハワイで,化学的に大きく違うとも思えない。だから,空気は違わないのだ。太陽だって,世界中どこへ行っても同じ太陽なのだ。雲だって同じなのだ。
そう思うと,今自分がいるここへの浸透具合がぐっと変わった。今ここに,一体化した感じである。それまでは,透明なシールかベールのようなものが皮膚の上にくっついていて,それがじかに今ここを感じることを妨げていた,つまり,内と外を区別する壁になっていたような気がしていた。それが,そのシールかベールのようなものがなくなり,内と外の浸透圧が釣り合って,濃度が一緒になったような感じである。
こういう感覚は,今までの1週間程度の外国旅行では,一度も味わえなかった。全く違う,新しい感覚である。
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