4/30/2014

稽古する場所

滞在16日目。今,4月30日(水)の午前4時30分。

武当太和拳(武当式太極拳)の動画をyoutubeで何度も見てみる。一般に知られている太極拳と違って,動く範囲は狭い。二畳ほどあれば収まりそうだ。

武術の稽古は,平らな場所であれば,どこででもできた方が良い。広い場所がないとできないのでは困る。また,人前でやるものでもない。となると自宅の狭い部屋の中で,二畳ほどスペースを確保すれば一人で稽古できる武術は,総合的に考えて,良い。その最たるものが,空手である。

伝統的な楊式太極拳は,広い場所が必要だ。さすが中国,大陸の武術だからか,場所は旺盛に使う。これはこれで気持ちがよい。自然と大いに交わるには,やはり,野外で広々とやるのが良い。だから,太極拳は外でやった方がたぶん,気持ちがよいはずだ。

しかし同じ中国でも武当式はなぜか,套路の範囲が狭い。これは山の中の道観(道教寺院)で培われてきた術であるために,套路を練る場所が狭かったり悪かったりしたためかもしれないと勝手に想像する。

また,白鶴拳とか詠春拳とか洪家拳といった南方系の門派もあまり広く場所を使わない。よく,揺れる船の上で稽古したから,なんていう俗説を思い出すが,実際のところ,よく分からない。空手は,おそらく白鶴拳など南方系の中国拳法が源流の一つと考えられるので,サンチンやナイファンチといった重要な形はほとんど場所を取らない。ただ,空手には形がいくつも伝承されているので,広く場所を取る形も存在するにはする。

武当式の目的は,気を練ることであり,武当太和拳とは,道教における「道(タオ)」へ至ろうとするアプローチである。動きは武術がベースになっている。しかし動画を見ていると,もはや,武の術としての意味合いはそれほど残っていないように見える。動きの質は武術由来ではあるが,やっていることは,気功同様,道教的な気の操作をしている(気を練っている)だけのように見える。たぶん,そうなのだろう。また,これはそういうものであり,それでよいはずだ。

一般的な(制定の)八段錦や易筋経といった気功も,たぶん,武術の動きをベースにしている部分があるが,そのまま武の術として役立つわけではない。呼吸とストレッチングと緊張-弛緩に重点を置いた,養生法である。古来,武術(殺人)と医術(活人)は同根であり,身体技法として排他的な区分けはなかったかもしれない。

道家の気功は,心身の健康のための養生に加えて,気を練る。それは,「道(タオ)」へと至るためだ。だから,道教の入り口は,まずは身体的な健康を回復・維持・増進することにある。

仏教は一切動かない座禅を中心に置いた。じっと坐ってマインドフルネスになる。一方,道教は動く方法を採用した。動いて気を練り道(タオ)になる。武術がベースにあるけれども,武そのものが目的ではない。武当山の斜面にある道観で培われた身体技法は,だから,練るための場所をほとんど取らない。「道(タオ)」に至るために,そんなに場所は必要ない。

0 件のコメント:

コメントを投稿