9/07/2014

ブログ

現在,日本時間の,9月8日(月)午前5時。

日本に帰国してから,はや,20日間ほど経ちました。

ホノルルで毎日,このブログを書いていたので,その習慣を続けて,帰国して日本にいながらも,とりあえず,ブログを続けようかと思い,下記のところで,一昨日から書き始めました。

「湯川ポテンシャル。」
http://yukawa-potential.blogspot.com

前にも書きましたが,ホノルルにいるという特別な状況ではないので,日本にいて日々何か特別なことがあるわけではないよなぁと思いつつ,だから果たしてどの程度のブログが書けるのか,かなり怪しいものですが,まぁ,とりあえず。

毎日が特別なのよ~,なんて痒いことを大声で言うつもりはないけれど,しかし,日々日常の特別さは,物事を見つめる視点によりけりだろうから,マインドフルに,参ります。

読んでいただいていたありがたい読者のみなさま,ありがとうございます。湯川の個人的なブログなどたぶん読んでもそんなに得しないと思いますが,得のないことをあえて実行するのがお好きな方は,是非またどうぞ。

では!

湯川進太郎拝

8/20/2014

帰国

現在,日本時間の8月21日(木)の午前4時40分。

帰国した。帰りの飛行機は長く感じた。昼に搭乗したので,あんまり眠くないものだから,目が覚めたまま,息子がごちゃごちゃあれこれと騒ぐのを制しつつ,だいたい8時間ぐらい機内にいたことになる。

成田に到着して荷物を受け取り税関を通って外に出たのが午後4時。ホノルルだとその時点でもう夜の9時。就寝時間だ。眠い。義兄の奥さんと子ども二人,つまりうちの子どもの従兄弟たちが,成田の到着出口に迎えに来てくれていた。サプライズ。ありがたい。

通り一遍だけれど,日本は蒸し暑い。ただ,昨日今日辺りは比較的涼しい方なのではないかな。蝉が盛んに鳴いている。そういえば,ホノルルに蝉はいなかった。

4ヶ月開けていた家は,ちゃんと元のところにあった。親戚の人にときどき見てもらっていたので,家全体が痛んでいる,なんてことはなく,また,幸い空き巣にも狙われず,4ヶ月前のまんまだ。カレンダーも4月のまま。何もかも,4ヶ月前に出たときのまま。まるでタイムスリップしたみたい。さて,この4ヶ月は夢か幻か。

と思えば,ときどきフラッシュバックのように,ホノルルで住んでいた部屋だとか周辺の道々だとかをありありとリアルに思い出すけれど,結局今にしか生きていないから,それらは全部記憶の彼方へと消えていく。リアリティを徐々に失っていく。

まぁしかし,ごっそり4ヶ月間,日本での生活が抜けているわけだから,徐々にチューニングしていきくことにしよう。つい焦ってすぐに元通りにしようと思ってしまうけれど,まぁ,しかし,「サバティカルボケ」を味わいながら,こっちの生活に再び慣れていくことにしよう。

さて,というわけで,このブログ,タイトル的には一応,これで終了である。

こうして日々の出来事を綴るのはそれなりに記録になって良いなと思った。しかし,今回はホノルルで身体心理学という特別な滞在だったから良いけれど,こんなことをこれからも毎日続けていたらそれはそれで負担な気がするし,そもそも,もうすでに今日から何ら特別ではない日々を綴ってもそれはそれでますます,そんなごく個人的な日々の出来事を綴って一体誰にどういう利益があるのかただの阿呆を丸出しぢゃないかと思うので,惜しい気もするけれど,やっぱりこれで終了である。

とりあえず,想像上の読者のみなさま,さようなら。みなさまのおかげで,良い客観的視点を得ることができました。それから,読んで下さっていると教えていただいた友人のみなさまにも,感謝です。

ありがとうございました。

8/19/2014

欲望

滞在127日目。8月19日(火)の午前3時30分。

さて,いよいよ,今日,帰国する。9時にはタクシーを呼んである。お昼前の便に搭乗予定。ホノルルに4ヶ月強住んだわけだが,やっぱり長かったなぁ,うん。

昨日は,スティーブの太極拳の,最後の稽古だった。また是非いずれ習いに来たいと思っているので,最後の稽古というのは,とりあえず,今回の滞在で最後ということで。

また一つ面白い話をしてくれた。太極拳は,上手くなりたい(よくなりたい)と思うと,身体が緊張して力んで硬くなって,なかなか上手くなれない。だから,上手くなりたいという欲望(desire)は,捨てた方が良い。欲望を捨てることで,身体がリラックスして,そのうち上手くできるようになる。上手くなりたければ,上手くなりたいと思わない方が良い,ということだ。

これは真理である。

太極拳とは,身体で得た真理を人生全体に広げていく(あるいは人生の本質あるいは哲学を太極拳を通して理解する),そういう身体哲学なのだ。スティーブの師であるPang先生のいう,「太極拳は哲学だ」ということの一つの意味は,たぶん,そういうことだと思う。

○○したいと思うほど,○○できないから,○○しない方が良い。

繰り返すけれど,これは真理である。

例えば,心理学的にも,幸せになりたいと思えば思うほど,実は,幸せになれないことが分かっている。だから,幸せになりたければ,幸せになりたいと思わない方が良いのだ。それから,思考抑制のシロクマ課題の通り,思考を抑制しようと思うほど皮肉にも抑制できないから,抑制しようと思わない方が良いのだ。

このことを強引に一般化すれば,要するに,あらゆる欲望は捨てた方が良いのである。

仏教的には,欲が苦を生むから,欲を捨てよと教える。道教的には,過剰な欲は陰陽のバランスを崩すから,欲を抑えよと教える。欲を捨てたり減らしたりしたところに,本質的な安穏がある。

スティーブがこの欲望の話をし終わったとき,隣にいた御年85歳のLilianおばあちゃんが僕の腕をつつき,「Remember this」と僕の目を見てそっと言った。今のスティーブの話,よく覚えておきなさい,という意味だ。よく覚えておきます。Lilianおばあちゃんとは最後,ハグをしてお別れした。どうもありがとう。

8/18/2014

心配

滞在126日目。8月18日(月)の午前4時。

いよいよ明日,帰国。荷造りを始めると,ああ帰るのだなという実感が湧いてくる。

持ってきたよりも当然,4ヶ月の滞在で物が増えている。僕自身の荷物で増えた物は,本が4冊,ティンシャとシンギングボウル,Tシャツ3枚と,後はハワイな首飾りぐらい。増えた物は主に子どものオモチャやら,サマースクールでの制作物やら。服も増えてる。後は食品類。これ,全部,持って帰るのだろうか。それからお土産類。これは仕方がない。

ということで,スーツケースに収まりきらないから,こちらでスーツケースを追加購入。それでも足りないから,今日,もう一つ追加予定。

ちょっとした引っ越しなわけだから,とにかく,移動前後はバタバタするのは覚悟しないといけない。帰ってから落ち着くまで時間がかかるけれど,それは仕方がない。それに今からそのことを考えても仕方がない。そうそう,こういうのをworryというんだな。人間はつい,先のことまで考えて,あれこれ心配してしまう。もちろん,計画性のある行動をするために,ある程度は必要だけれど,それに囚われ過ぎてはいけない。囚われ過ぎると,その心配自体がネガティブ感情を生み出す。

今ここでやるべきことは,とにかく,荷物をまとめること。でもって,明日は飛行機に間に合うように空港に行くこと。帰ってからの整理は,帰ってから考えれば良い。

今日は,太極拳の稽古最後の日。気負ってやっても稽古は稽古だから,まぁ,いつも通り普通に稽古しよう。スティーブとも当分,お別れだ。

ハワイでは,しかし,ロバート(ボブ)とスティーブ,良師二人に会えて,本当に良かった。

8/17/2014

ハワイ料理

滞在125日目。8月17日(日)の午前4時30分。

いよいよ日本に帰る日が近づいてきた。さて,最後に食べておきたいハワイの料理は何かと言えば,やはり,ポキだ。POKE。ポキは,ハワイ語で「切り身」という意味らしい。ポキと言えば大体,アヒ(マグロ)。アヒのポキ,アヒ・ポキが良い。日本風に言えば,マグロのぶつ切りの漬け。しかしなんでこれ,日本で流行らないかね。マグロの山かけみたいに,すでに似たような料理があるからかな。

ガーリックシュリンプも良い。昨日,ウォルマートの入り口にある,L&L Hawaiian BBQ(L&L Drive-Inn)で,サイミンとロコモコと一緒に食べてきた。L&Lは,これまたハワイの至るところにある,そこそこリーズナブルなハワイ料理の定番プレートを出すお店だけれど,渋谷に日本1号店ができたそうだ。ネットで見る限り,見た目は同じ物を出している模様。さて,量と味はどうなんだろう。Teddy's Bigger Burgersの日本店も東京のどこかにあって,Yammy BBQの日本店も名古屋にあるらしい。

で,Yammyを検索してみたら,名古屋に2店舗。しかし,Yammy Hawaiian BBQってなってるぞ。YammyはKorean BBQなんだけどな,こっちでは。プレートに,たっぷりのライスとBBQチキンやBBQビーフ,これにたっぷり4種類の野菜(キムチとか)の付け合わせ。Me's BBQとともに,ずいぶん食べた。

食,というのは本当に快楽である。美味い。楽しい。気持ちが良い。身体で直接感じる快楽。さて,しかし,これもまた欲望であり,欲望には限りがない。美味い物を求めてお金をかけてしまう。一方で,腹が減っているときにはつい,がつがつ食べてしまう。食べ過ぎ。胃のもたれ。胸やけ。ゆっくり味わって食べる。そうすれば別に高いものでなくても十二分に美味い。身体にも良い。マインドフルに,観を用いて,質素に美味しく食べる。そうなりたい。

が,たまにはポキとかガーリックシュリンプとかBBQチキンとかも良いねぇ。人間ってのは,さもしいなぁ。

8/16/2014

滞在124日目。8月16日(土)の午前5時30分。

いよいよ帰国の日も迫り,ラストスパートということで昨日もビーチに行ってきた。足腰が痛い(笑)。陸に上がってもずっと波に揺られているような感覚が続く。まさにビーチ酔い。

今まさにお盆の時期で,日本人観光客のピークなんだと思うのだが,ワイキキの東の方,ダイアモンドヘッド寄りの方,カピオラニ公園の方には,ほとんど日本人もいない(ように思える)し,混んでいるようには思えない。6月7月の頃と同じだ。

たぶん,日本人の多くは,ロイヤルハワイアンとかモアナサーフライダー辺りの,中心の方のビーチで遊んでいるのかな?行ってないから分からないけど。

いやしかし,砂浜と言っても,波が高いのでその砂がさらわれて,岩礁が数メートルのところからむき出しなので,今度来るときはマリンシューズを持ってこよう。岩場にはそこそこ色んな魚が泳いでいる。

耳の奥が,波のリズムで,揺れている。

8/15/2014

中心

滞在123日。4月15日(金)の午前5時。

まもなく帰国と言うことで,奥さんが各方面への手土産を大量に買い込みにいくミッションを遂行している間,僕は子どもをプールとビーチへ一日連れて行った。

もう穏やかな波には飽きて,大きな波が来る方へ来る方へとせがむ。

そこそこ波が高いところで子どもを見ながら踏ん張っていると,すねと足の甲が痛くなる。そう,だから,バランスを取ろうとして踏ん張って立とうとすると,すねと足の甲が痛くなるのだ。太極拳で痛くなっていたところと全く同じ箇所である。

だから,太極拳でも,バランスを取ろうとして踏ん張っているということである。バランスを取ろうとするということは,バランスが悪いということであり,そのバランスの悪さはおそらく,歩幅(スタンス)と腰腹の位置や向きだろうということが分かってきた。ここのところを上手く調整すれば,すねと足の甲の痛みは減るはずだ。

実際,歩幅を狭くしながら,すねと足の甲へ筋肉的負担を掛けないよう意識しつつ練ると,痛みはずっと軽減した。だからこの方針で間違っていない。さらに身体操作を楽にするために,腰の縦と横の回転をうまく使うようにすれば,さらに痛みは軽減すると思う。きちんと操作できていれば,力は使わなくて済むはずだからだ。

なお,力を使わないというのは一つの言い方であって,当然,全くゼロではない。動かすわけだから,そりゃ,わずかには使う。力を入れすぎたり,力でもって無理矢理にポーズを作ったり,それらしく動いたりしない,という意味である。ただ,太ももには力が入る。ここだけは入る。それはスティーブもいつも言っているし,Pang先生の本にもそう書いてある。

身体の中心は尾てい骨であり,そこを意識して感じるようにする。尾てい骨を感じる際には,腰を開く。経穴としては,「命門」を開く,と表現される。そしてその尾てい骨を中心に,手の先から足の先までとつなぎ,4つの手足を同時に一体として感じるようにする。

精神(意識)の中心は丹田であり,ここに呼吸(息)が出入りする,つまり気(生命エネルギー)が貯まる,あるいは,ここを中心に全身を気が巡るようなイメージを意識する。道家的には踵で息をするイメージだ。あるいは,足の裏の「勇泉」や手の平の「労宮」から気が出入りするイメージ。天と地と一体化する。

そしておそらく,物理的なパワーの源は太ももにある。筋力を使う部分はここぐらいで,後は柔らかく,リラックスする。だから,この一番太い筋肉に,パワーを貯める。

8/14/2014

腰の回転

滞在122日目。8月14日(木)の午前5時。

昨日の太極拳で,スティーブはいくつかまたポイントになることを教えてくれた。

まずは歩幅(スタンス)のことについて。歩幅は自分がちょうど良いところを見つける必要があるけれど,Pang先生は,ときに歩幅を狭く,ときに歩幅を広く取って稽古していたと言っていた。これは,歩幅が狭いときはinternal powerを養う感じになり,歩幅が広いときはexternal powerを養う感じになる,ということだ。

それから,これはもう,4ヶ月前の当初からずっと言っていたことだけれど(つまり,言葉としてはずっと耳に入っていたけれど),昨日,ようやく,そうかそういうことかと身体的なニュアンスが読み取れたことがある。

それは,ウェストを回転させる,ということだ。

スティーブは盛んに,Waist Turn!という。つまり,身体の向きを変えるときはもちろんのこと,前に進んだり後ろに進んだり,身体や股関節を開いたり,要するに何かしら身体を動かすときにいつも,これを言っていた。これまではあまり考えず,当たり前の動作の一つとして腰を回転させていたけれど,昨日,なんとなくこの言葉が気になったので,この腰を回転させるということをいつもよりも意識してやってみた。すると,格段に動きがスムーズになった。

つまり,腰腹をもっと,立体的に使う必要があるのだ。

これまで腰の縦の回転をずっと意識してきた。尾てい骨を意識して骨盤を立てることが太極拳の要であることは間違いなく,スティーブもそのことを一番伝えようとする。この,尾てい骨を意識して丸め込み,下腹を持ち上げる操作は,腰腹の「縦」の回転なのだ。

これに「横」の回転をもっとうまく使うようにする。というか,もう少し「横」の回転を意識的に使うようにする。そうすると,腰腹がずっと立体的に動くようになる。縦の回転と横の回転をうまく使うのだ。そうすると,がぜん,身体操作が楽になり,気持ちよくなる。不思議である。

腰腹が武術の要であることは,自明である。「腰が大事なのね」と言葉では誰でも分かるが,しかし,言葉として単純だからこそ奥が深い。ここの使い方を徹底的に追求することこそ,武術を追求することでもある気がする。

昨日はもう一つ,これも以前から言っていたけれど,この腰の回転の感覚的発見に刺激されて,言っている意味が身体的に実感できたことがある。それは,蹴りの動作で足を上げるとき,足をliftするのではなくdraw (up) するのだ,という点だ。前から確かに言っていたけど,その意味がようやくピンと来た。

持ち上げようとすると(lift),足は重量があるわけで,それだけ筋力を使って動作しようとしてしまう。そうではなく,引き上げるのだ(draw up)。そうすると,楽に足が上がる。引き上げるためには,腰腹を使う必要がある。つまり,足を上げる動作の際に,腰の縦の回転(尾てい骨の丸め込みと下腹の引き上げ)と連動させるのだ。

おそらく,そうすることで,軸足に上半身(体重,重心)が全部載って蹴り足が自由になり(蹴り足でバランスを取る必要がなくなるから),また股関節も足が持ち上がりやすい角度になり,さらに下腹の引き上げによって腹筋が作用する。

だから,スティーブはいつも,足を上げるときに尾てい骨を意識せよ,と言っていたのだ。尾てい骨を意識して腰を縦に回転して,足を引き上げる。なるほど。

僕がいつもmartial artisticな発見やヒントが得られて感謝していると言うと,スティーブは笑いながら,でも自分はmartial artistだという意識はない,だって全然強くないし,ケンカになったらどうやって相手をなだめるかをまっさきに考えるし,ただtaichiが好きでtaichiをやっていてよかったことがたくさんあるからtaichiをやっているだけだ,と謙遜する。

スティーブは本当にいつもニコニコしている。笑顔がとても魅力的だ。笑顔で自分も周りも丸くする。これこそ道家実践の基本である。ロバート(ボブ)の本”The Tao of Stress"にあるように,道家の基本は微笑みなのだ。そのロバートが出会った中国の洞窟に隠居する道士のように,スティーブの笑顔も,他者を優しく包み込むような笑顔である。だからこそ,スティーブは本当の意味での太極拳家taichi masterだと,そう思う。(ちなみに,masterと言うと,私は全然masterではない,とスティーブは言うけれど)

全然関係ないけれど,下記,記録として。

昨日,うちの奥さんの友人のジョアンというローカルの女性と夕食を供にした。ワード・エンターテイメントの1階にある「ブカディベッポ」というイタリアンのお店。これがまず日本ではあり得ない面白いお店で,初めての来店のときは,なんと,シェフやウェイター・ウェイトレスのみなさんがごちゃごちゃ忙しく働いている厨房を見学をさせてくれるのだ(笑)。シェフのみなさんも面倒くさがらず挨拶してくれる。あまりの唐突かつ奇抜なおもてなしで,思わず爆笑してしまった。で,さらに笑えるのが,その厨房には特別席が一つ設けられていて,そこで食事もできる(笑)。厨房の中に設置されたテーブル!もちろん,その特別席を選んだお客さんは,訪れる初来店のお客さんにギョッとされるので,その都度笑顔で挨拶しなくてはいけないけどね。味は抜群だし量も多いし値段もリーズナブルだし店員の対応も抜群(全員が笑顔で親切で気配りが行き届いている。たぶん,それが店のウリの一つで,全員しっかり訓練されている)。キッズメニューはどれも5ドル(それも,大人でさえ食べきれない量)。お奨めである。

8/13/2014

静寂

滞在121日目。8月13日(水)の午前4時30分。

太極拳を練るときのイメージとして,虎が獲物を狙うように動く,という例えをスティーブは使うけれど,昨日はもう一つ面白い例えを使っていた。

寝ている赤ちゃんを起こさないように。

寝ている赤ちゃんのそばを通らなければならない経験がある人はわかるはずだ。赤ん坊は寝るのが仕事であり,せっかく寝ているところを絶対に起こしてはならない。そのために,音を立てないように静かに歩く。抜き足差し足忍び足。

抜き足差し足をするためには,片方の足にしっかりと体重が載っていないといけない。そしてもう一方の足を移動して,ゆっくり体重を移動する。

だから,太極拳の稽古中は,スティーブがする説明のための声以外は,何も音はない。聞こえてくるのはせいぜい,風の音や鳥の声ぐらいだ。

よく日本の太極拳教室なんかだと,中国のゆっくりした音楽が流れていたりするが,あれは止めた方が良い。YoutubeやDVDなどでもなぜかそういう中国の音楽がバックに流れている。確かに,こういう感じでゆったり動きましょう,とリズムに合わせる効果というのはあるかもしれないけれど,太極拳本来の良さが削がれる気がする。太極拳は,もっと心を静かに穏やかにしていくものであり,そのためにはむしろ,音楽さえも要らない。

つまり,本来,太極拳を練るには,何もない方が良いのだ。自然になることを,自然と一体化することを求めているわけだから,そこには,たとえ柔らかでゆったりした中国の音楽であろうと,人工的に作り出した音は必要ない。

そう。スティーブの太極拳教室に最初に顔を出して,何か違うなぁ,これはいいなぁ,と思った大きなポイントは,この,バックに中国風の音楽を鳴らすという,太極拳教室にありがちな付随物がないというところだったことを,今更ながら思い出した。

そうした静寂の中で太極拳を練るのが良いのだ。取って付けたような音楽など必要ない。

静寂の中,ときに風が吹き抜け,ときに鳥のさえずる声が聞こえる。太極拳とはこういうところで静かに練るものなのだ。音楽など鳴っていたら,それに気を取られてしまう。ありがちな中国の音楽を流して,雰囲気を中国風に仕立てる必要など全くない。

8/12/2014

魚と鳥

滞在120日目。8月12日(火)の午前4時40分。

今週から日本はお盆休みの週だと思うので,さぞワンサカと日本人観光客が増えるのかと思いきや,まぁ,確かにそこかしこに日本人の家族連れが増えたことには増えたけれど,想像していたよりははるかに少ない。

去年も同じ頃に来たけれど,厳密には8月の最初の週だったので単純に比べることはできないが,だいたいこんなものだったような気がする。昔よりも日本人観光客はずいぶん減ったと,去年来た時に誰かに聞いた記憶がある。

ただ,今週続々と来るかもしれないので,どんな様子になるのか,観察していよう。

どこのビーチでもだいたい海には,イワシか何かの大群の魚影が見えるわけだが,みなさん判で押したように「さかなだ!さかなだ!」と感動する。ビーチに行くとそこかしこでそういう声が聞こえる。たしかに僕も最初はその数に感動した。だから,魚影を見て驚いている人は,初めてハワイのビーチに来た人だということが分かる。

それから,ほんのときどきだけれど,これは日本人に限らず,ハトに餌をやってしまう観光客がいる。普通やらない。やってしまう人は,たぶん,ハワイに初めて来た人なのではないかと思う。ハトの怖さを知らないのだ。こっちでは,とにかくハト(鳥)に餌をやらないのが鉄則。とにかく数が多いし,彼らは逞しい。やろうものなら,ヒッチコックさながら,場合によってはものすごいことになりかねない。

食べ物のカスだとかが散らかっていたり,ましてや,食べ物を途中で放りだしたりしたままその場を離れて遊びに行こうものなら,いつの間にかハトが群れてきてさんざんなことになる。ハトが食べ物を取り合ってそこら中がとっちらかって羽だらけになり,プレートから荷物から全部ひっくり返される。まぁ,見ていてあまり美しい光景ではない。

と,こうやって書くと「私はハワイに慣れてるぜ」感が自分でもしてちょっと嫌だけれど,しかし,やっぱりハトにむやみに餌をやると周りに迷惑だから,止めた方が良いよと,言いたくなる。・・・けど言わない。ハトが集まり出したら,その場から離れることにしている。さようなら。

そんなにハトが好きだったら,一度,「ハト屋敷」に行くといい。「とりだ!とりだ!」と大群に感動できるかもしれない。ワイキキビーチにあるマクドナルドの横の道を山側に向かって入っていけばすぐに分かる。見学無料。ただしたぶん個人宅だから,写真撮影とかはしない方が良いかもね。

8/11/2014

馴染む

滞在119日目。8月11日(月)の午前4時50分。

本当は今日,太極拳の月曜日の稽古なんだが,ハリケーンが来るということで,先週の木曜日ぐらいに早々に,今日の月曜日は全クラスお休みと,コミュニティセンターが決めてしまった。ハリケーンは逸れて,昨日も今日もすっかり晴天なのに。

日本だったら,こういうとき,なるべく開催できるように,休みか休みでないかの判断はギリギリまで待つような気がする。それもこれも,たぶん,台風や暴風雨に普段から慣れているせいもあるかもしれない。

ホノルル滞在もあと少し。4ヶ月住み,この街に慣れて,道々の風景や空気に身体がすっかり馴染んできたところで,日本に帰らなければならない。いや,日本は日本で早く帰りたい気持ちもあるし,このままここに住んでいたい気持ちもある。両方ある。

ホノルルでの生活に慣れ,すっかり馴染んで住んでいる感が,はっきりと,アリアリとあるここを,もう少ししたら去るのかと思うと,なんだかとても感慨深い,ということだ。

8/10/2014

足の裏

滞在118日目。8月10日(日)の午前4時。

ハリケーンJulioが近づいているけれど,北の方に逸れそうなので,オアフ島にはほとんど影響がなさそうだ。良かった。今回,会うローカルの人みんな,ハリケーンのことを心配してその話ばかりするので,ハワイのハリケーンを最後に経験して帰るのか,と多少戦々恐々としていたが,大したことがなくて良かった。

先日,スティーブの師匠であるPang先生の1987年の著書,"On Tai Chi Chuan"が届いた。早速,斜め読みしてみた。太極拳とは何かだとか,稽古するときに心がけることやコツなどが,色々書かれてる。英語だから表面的にざっと読んだだけなので,もう一度,改めて丁寧に読んでみよう。

すねと甲の痛みは,そういえば,ギックリ腰のときにも一時的に強くなった。何か神経的なつながりがあるのかと思っていたけれど,そうではなくて,きっと腰をかばって歩いたり動いたりして,すねと甲に強い負荷がかかったせいかもしれない。つまり,腰が痛くて伸ばせないから,歩く際に前傾姿勢になる。スティーブも言っていたが,太極拳の稽古で前傾しすぎているとすねが痛む,ということだったので,今思えばまさにその通りだ。

それから,そのOn Tai Chi Chuanの中でPang先生は,「踵で立つ」(踵をしっかり地面に着ける)と言うようなことを書いている。確かに踵で立つ感じであれば,前傾姿勢にはなりにくい。

ただ,踵で立つというのは,尾てい骨を中心に姿勢をまっすぐにして,身体が踵に載る,という意味でもある。それが太極拳の正しい姿勢であり,それによって力が正しく伝わる,ということだ。例えば,スティーブが以前,自ら金鶏独立のポーズで立って,尾てい骨は踵の上に来ているかどうか後ろから見てくれ,と言っていた。概ね尾てい骨は踵の上だ。つまり,僕に,身体は踵に載ることを示そうとしていた。そうして踵で立つことを意識すると,身体は確かに前傾しにくい。

太極拳など中国武術は,靴をはいて練る。On Tai Chi Chuanには,足が冷えると身体に悪いから,裸足で稽古しない方が良いとも書いてあった。

一方,空手は裸足で稽古するのが普通である。裸足で立ったり歩いたりすることが,健康にプラスになることもあるだろう。だから裸足が良いか悪いかはともかくとして,空手の場合,その裸足の指で,地面を掴むようにする。土踏まずのところを落として,指で地面を掴む。そうすると,どちらかというと足の真ん中かあるいはやや前の方に,体重が載る。つまり,踵に体重が載る感じにはならない。無論,空手も当然,踵は着ける。そして,地面の力を突きや蹴りに伝える。突きは踵で打つのだ。

ただ,足を掴む感じにすると,どうしてもやや前傾する。これが甲の痛みの原因かもしれない。太極拳で一緒のLilianおばあちゃんに,どうも足の甲が痛いんだと話したら,それは裸足で太極拳をやってるからか,あるいは,足の指で地面を掴もうとしてるからじゃないの,と言われた。なぜ僕が地面を掴もうとしていることを知っているのだ!?8月1日に誕生日を迎え,御年85歳。慧眼である。別に武術家でも身体の専門家でもないのに。いや,ある意味,80歳から太極拳を始めて,欠かさず毎週稽古に通っているのだから,すでに武術家なのだ。スティーブに,いつも,身体の軸や重心のことを熱心に尋ねている。

空手の操作として,足の中心(土踏まず)のところに重心を置いて,指で掴む感じにする。掴もうとすると足に力が入る。こうして力を使って立つことが,身体を硬くする。身体が強ばると,体重(重心)は落ちない。リラックスして柔らかくする必要がある。

ただ,意拳のワークショップに一度出たことがあるけれど,意拳では例えば站椿のポーズのとき,足の裏の前の方に意識を向ける(体重を前の方に乗せる。そのため踵をやや浮かせる練習のやり方もある)。

さて,身体は,足の裏のどの辺りに載せるのが良いのか。いやあるいは,足の裏全体に万遍なくフラットに載せるのが良いのか。前からここは研究のポイントの一つだったけど,まだまだ奥が深そうだ。

8/09/2014

ただやるだけ

滞在117日目。8月9日(土)の午前4時50分。

ハリケーンIselleは,Big Islandに直撃して留まったために,そのまま徐々に勢力を弱めてやがて消えていった。なので,オアフ島は昨日の午前中にちょっと荒れたぐらいで,ほとんど被害はなかった。ただ,直撃したBig Islandは歴史的被害と報じられている。週末には2発目のJulioが来る。もう少し警戒が必要だ。

午後には,だいぶ風も弱まったので,The Busは走っていた。ただ,ワイキキ名物のトロリーバスは一台も見なかったし,ビーチ沿いのお店は閉めているところも多かった。そのせいもあろう,ビーチはいつもに増して人で溢れていた。

まだ曇り空だし,風も弱まったと言えどそれなりに吹いているので,たぶん,海やプールは寒いと思う。中に入れば寒くないけれど,こういうときは水から上がった時が寒い。それに,当然,まだ波も高い。しかし,せっかく旅行で来たらハリケーン,ホテルの部屋にいるのももったいないので,もうこうなったら気合と根性でビーチ,といったところか。

一昨日,スティーブが,師匠のPang先生の話をしていた。

スティーブは,太極拳の稽古を始めて10年ぐらいまで,先生の言う通りうまくできない,先生のように動けないと,悩みながら稽古をしていたそうだ。つまり,できないできない,と思っていた。でもあるとき,師匠のPang先生がよく「ただやるだけだ!(Just do it!)」とよく言っていたことを思い出し,いろいろ悩んで考えたって始まらない,今のままただやるだけだと思うようになったら,何かが切り替わったかのように,急にできるようになった,と言っていた。

こういう話はよくある。ネガティブ思考からポジティブ思考へ。「私はできない I can not do it」思考から「私はできる I can do it」思考へ。よくある話ではあるけれど,言うに易く行うに難し,である。

ここのミソとして,一つには,今ここにだけ集中してただ身体を練るそのことに没頭することが良い,というのがあるだろう。マインドフルネスである。

もう一つのミソは,できないできないとネガティブに考えることは身体の緊張をもたらし,その結果,技も上達しない,というところに対して,ただやるだけだと開き直ることが(ネガティブな考えを放り投げる,手放すことが)身体の緊張を解き,リラックスし,ソフトになることが良い,というのがあるだろう。

「ただやるだけ(Just do it)」の効用は,だから,concentrationとrelaxationの両方を生む。マインドフルネスに練るとは,そういうことだ。

NIKEがJUST DO ITをキャッチコピーにした以前からPang先生はずっとJust do it!とよく言っていたので,あれのコピーライトはPang先生にある,と冗談で言っていた。

8/08/2014

歩幅と体重

滞在116日。8月8日(金)の午前3時50分。

ハリケーンが2つ,ハワイ諸島に接近中である。IselleとJulio。まさにダブルハリケーン。

こちらはハリケーンの時に停電や断水が起きやすいらしく,さっそくスーパーでは水のペットボトルの買い占めが起きている。どこの国も同じだね。今ちょうど,IselleがBig Islandに到達したところ。今日の午前中は,オアフ島も荒れそうか。二発目のJulioは,北側に逸れそう。いずれにしても,あんまり荒れない方が良いね。停電や断水は,やっぱり大変だろうから。

さて,昨日の足の痛みからスタンスに至る話の続き。

歩幅(スタンス)が広いと,バランスを保ったり動いたり移動したりするのに,どうしても力を使う。特に下半身には負荷がかかる。足の痛みはそのためだろうと考えられる。だから,歩幅を狭めた方が良い。ここで,歩幅を狭めることで力を使う必要がなくなるので,そうすることで身体の緊張が緩む。その結果,重心が落ちる。ここに,武術的な身体操作の妙があった。

一見歩幅を狭く(短く)すると,身体(上半身)の位置は高くなるので,重心が上がるように思える。円を描くのに使う,あの「コンパス」を想像して欲しい。針と針(鉛筆)の間が広ければコンパス(の重心)は低くなり,狭ければ高くなる。同じように人間も,歩幅が広ければ重心が下がり,狭ければ上がる。

しかしこれは見た目の物理的な話であって,武術的には少し違う。スティーブとのやりとりで,ここのところが少し分かってきた。

スティーブは,歩幅が狭ければ体重が落ちる,という。

これは一瞬,矛盾しているように思える。そしてこのことは,空手の稽古のときにも,うすうす疑問に思っていたことである。歩幅をもう少し狭くせよということと,体重(重心)を落とすということとは,何か矛盾しているように感じていたのだ。しかし,どうして,これは矛盾していないのだ。

どういうことかというと,歩幅が広いと,どうしても力を使わざるを得ない。そのために身体が緊張している。武術的には,それではいけない。歩幅を狭めることによって力が抜ける。力を抜くことで,緊張が解け,リラックスし,ソフトになり,その結果,ふわりと体重が落ちる,というのだ。

もう少し厳密に言えば,体重(身体の重心)は実際には落ちていないかもしれないが,身体が緩む,ソフトになることは確かであって,そうして身体から緊張が解けることを身体感覚として体重が落ちる(the weight drops)と表現している,そういう感じがする(体重が落ちる感じがする)からそう表現している,とスティーブは言っていた。

そうして柔らかくリラックスすると,自然,腰が落ちる。よく武術では腰を落とせと言われる。それは,リラックスして柔らかく落とせということなのだ。何も物理的な重心を低くせよ,という意味ではないのだ。ここのところを勘違いすると,歩幅を広げて重心を低くしようとしてしまう。

歩幅が広いと動きにくくなるので無駄な筋肉を使う。その結果,身体は緊張しすぎになる。これでは武術的にはよろしくない。居着いてしまう。居着かないためには,リラックスしている必要がある。そのためには,歩幅は必要以上に広げてはいけない。自然体(基立ち)が理想的な立ちであることはよく言われるが,まさに基立ちは狭い歩幅で自然に緩く立っている状態だ。つまり,居着かないためには歩幅は広すぎてはいけない。

このことを,ロッキー・マルシアノ(Rocky Marciano)という伝説のヘビー級ボクサーのエピソードを踏まえて教えてくれた。ヘビー級としては小さい身体ながらも巨体の相手を倒しまくり,49戦49勝無敗43KOという驚異的な戦歴を残したチャンピオンだ。その強さのポイントは歩幅。歩幅を狭くすることで重心の位置が安定し,身体のバランスとスピードが生まれ,体重が落ちたために,パンチ力がアップした,ということらしい。

なお,最適な歩幅というのは人それぞれだから,こうしたことを踏まえて,自分なりにベストな歩幅というのを探っていく必要はあると,スティーブは言っていた。力を使わないで楽に動けるところがあるので,それを見つけなさい,ということである。

いやはや,こんなことは分かってるよと,達人諸氏には言われそうだけれど,しかし,体感しながらでないと気がつかないものなのだ。疑問があってそれを解消するという探求の過程がないと,ただ言われるだけではなかなか分からない。自らの身体でしか理解できないことがある。

歩幅が狭い方が,体重が落ちて腰が落ちるのだ。

8/07/2014

痛み

滞在115日。8月7日(木)の午前8時40分。

最近どうも,すねの外側の筋肉と,足の甲の(やや外側の)筋肉が痛い。そう思っていたら,ちょうど昨日スティーブが,痛みについて話していた。

尾てい骨を中心に全身のバランスを取ろうとすると,自然に力が入るのは太もものところだ。だから,稽古を始めたばかりのころは,太ももが筋肉痛になることがある。逆に,太極拳を始めて,太ももが全然痛くならないのなら,それは尾てい骨に体重がちゃんと載っていない証拠とも言える。稽古を重ねれば次第に筋肉痛はなくなる。

ここで,膝が痛まるようならば,それはバランスが悪い証拠であって,良くないし,身体にも悪い。だから,どこが痛いかによって,自分のバランスの悪さを知ることができる。バランスよく尾てい骨に載った立ち方・動き方をすれば,痛みが集まるところはない。

さて,それで,ちょうど良い機会だと思ったら,このところ,どうもすねと足の甲が痛いんだ,とスティーブに聞いてみた。空手の稽古ではこんな風に痛くならない。だから,これは太極拳の稽古に原因があることは確かな気がするからだ。

スティーブの答えは,すねの痛みに関しては,太極拳を練っていて姿勢が前傾しているとそうなることがある,と言っていた。だからすねの痛みというのはしばしば太極拳家に経験されることなのだ。一方,足の甲は分からない,と。ただ,足の甲については,すねの痛みと連動している。要は,両方ともつま先を立てるときに使う筋肉なのである。それから,Shintaroは,空手スタイルのせいか,ややスタンスが広いね,と言っていた。

ちなみに,空手の師である小林先生からも,僕のスタンスはやや広すぎると,よくご指摘いただく。自分ではそんなに広いつもりはないんだけれど,自然とそうなるのかもしれない。

そこで早速,今朝の自宅稽古で,スタンスをいつもより狭くするよう意識してやってみた。つまり,腰を落としすぎないように。うん。確かにこうすると,すねと甲への負担は少ない。

腰の低い,スタンスの広い状態で,バランスを保とうとする余り,無理にすねが前傾した形(すねと甲が近づいた鋭角な形)で筋肉を使っていたから,ここの部分が痛くなった可能性が高い。状態としては,ずっと力を込めてつま先を鋭角に立てているような感じになる。これでは筋肉痛になるのもおかしくない。

痛みは,自分の身体のアンバランスなところを教えてくれる。

8/06/2014

静かな力

滞在114日目。8月6日(水)の午前4時50分。

昨日は,午後に,関谷さんに車を出してもらって,ラニカイ・ビーチに行ってきた。「ラニカイ」とは「天国(lani)の海(kai)」という意味だそうである。全米一美しいビーチという触れ込み。ちなみに,全米一美しいビーチというのは,複数あるらしい(関谷さん情報)。

ワイキキの海の色が青や水色だとすると,ここの海の色はどちらかというと緑。青緑。まぁとにかく綺麗で素晴らしい景色である。ホントにそこそこ大きなウミガメが泳いでいた。

ワイキキから車で小一時間。昨日は平日だったからか,駐車スペースも空いていて,ビーチも人が少なくて良かった。以前に隣のカイルアビーチに来た時は,ずいぶん混んでいたけど,あれはローカルの人たちがまだ夏休みだったからかな,もしかしたら。

さて,連日,太極拳の稽古。昨日も早朝から,スティーブが別のところでやっているクラスに参加させてもらった。そこで,一昨日の話の続きを教わった。その,緩める,というところに関して。

緩めると言っても当然,全身脱力するわけではない。仄かな筋緊張はあるわけだが,しかし,柔らかく動く。これがその,猫(虎)が獲物を狙って忍び寄るときのように(like a cat, like a tiger),ということだ。

このとき,尻のほっぺた(cheeks)のところに力が入ってたら柔らかく動けないでしょう,だから,ここは緩めなさい,ということである。

しかし実際,スティーブの通りに動こうとすると,真似しようと維持するからつい色んなところに力が入る。その上で,練っていくことで柔らかくしていく,柔らかくなるように練っていく。力を込めない。No power!太極拳は力を使わない。スティーブもずっと先生に,力を使うなと言われてきて,最初は全然意味が分からなかった(なぜなら,先生の通りに動こうとすると力が入るから),と言っていた。通る道は同じだ。こうして,柔らかさというのを探求する旅に出ていく。

昨日の言葉で面白いと思ったのは,こうした動きを表現した,quiet muscleという言い方。「静かな筋肉」,あるいはその先に伝えようとしていたニュアンスとしては「静かな力」と言ったところだ。静かな筋肉。これはまさに,言い得て妙,太極拳をするときの身体感覚にフィットする,絶妙な表現。

そして,もう一つ,太極拳は,エネルギーを外的に放出するのではなくて,内的に貯めるのだ(conserve the energy),と言っていた。Pang先生の教えでは,この内的に貯められたエネルギーが,身体と精神の栄養になるのだ,とも言っていた。

放出するのではなく貯めるのだ。なるほど確かに貯める(貯まる)感じは,太極拳を練ってみれば,感じられる。そう,太極拳は,エネルギーを貯める感じなのだ。で,実際に練りながら,確かに貯まる感じなのだ。だから,稽古中,気分が良いのだ。これを人によっては,気を貯める(気が貯まる),と表現することもあるだろう。

うううむ,深い。ような気がする。つまり,これ,言葉で言えば簡単だし,はいそうですねなるほどね確かにそんな感じですねと,なんとなく分かった気になるけれど,たぶん,この考え方の違いは,武術としては,想像以上に大きいように思う。というか,想像以上に武術として重要なポイントであるように思う。まだ完全に論理的に整理しきっていないけれど,感覚的には,ここはかなり重要なポイントであるように感じる。内家拳(internal martial arts)と称する由縁がここにある。

いずれにせよ,太極拳は,虎が獲物を狙うように,静かに柔らかくじっくりと動く。そうして心と体にエネルギーを貯めていく。

8/05/2014

尻を緩める

滞在113日目。8月5日(火)の午前8時。

昨日また,スティーブからいろいろと太極拳における身体操作を教わった。

その一つ,改めて言われて,そうかなるほど太極拳はそこもそうするのかと思ったのが,「尻を緩める」ということである。

太極拳も空手も,その腰腹の使い方として共通して腰を立てることは分かった。このとき空手は,尻と太ももの裏を締める。締めた力を内股から螺旋状に巻いて絞り上げることで,前傾している腰が立つ。すると自然に下腹が少し上にせり上がる。スティーブの言い方で言えば,尾てい骨を股に巻き込む形になる。見た目の形は同じだ。

しかし太極拳はこの形を維持するに当たって,尻や太ももは締めないのだ。締めずに,緩めることを目指す。あえて意図して緩める。意図して緩めるということは,ここはつい力が入るところなのだろう。だからそういう教えがある。そこをあえて緩める。お尻を柔らかく。なるほど~。

西田先生がときどき言われることだが,高段者になったら,締めながら緩めるのだ,というようなことをおっしゃる。締めることがまずもって重要であって,そうやって空手の身体操作の基礎を学んだ上で,さらに上に行くには,そこから身体を緩めなければならない,ということだ。締めながら緩める。これいかに。一見まるで禅問答である。

ただ,その答えが,太極拳の中にあるような気がした。こういう気づきは楽しい。これもまた武縁である。

そんな話をスティーブにしたら,空手にしてもクンフーにしても,だいたい武術の多くは力を込めるものが多い中,修行を積むことで最終的には緩めるところに辿り着く,柔らかく力を抜く奥義へと至るという話が多いよね,と言っていた。まさにその通り。

太極拳は,その武術の奥義を,最初から練っているのだ。遠回りせず,ストレートに,奥義を練る。

まぁ,しかし,なぜ締めたり力を込めたりすることをまずやるのかというと,そこがまず身体の基礎力であり基本的な操作であり,その上でより力を発揮する(生み出して伝える)ために今度は逆に緩めておく,ということを知らなければ,最初からただ緩んでいても,相当なセンスがなければそういう武術の本質に辿り着きにくいような気がする。

つまり,最初からただ太極拳だけをやっていたら,大切な武術の要諦に気がつかずに,多くを見過ごすことになる場合もあるのではないだろうか。それはまたそれで遠回りである。というか,良い先生に着かない限り,なかなか簡単には武術的に正しいところへ向かわないだろう。

だからまずは空手のような剛の拳をせよ,ということではない。どこでどう気がつくかは,師によるし,その人の武術の修行過程によるし,もちろんセンスにもよるわけだから,これも広い意味では武縁である。

あと,もう一つ,昨日言っていたのは,獲物を狙う虎(猫)のように動かす,と言っていた。集中して一定の身体的緊張は保ちながら柔らかく静かに動かすところを,虎が獲物を見つめ距離をじわりと詰めていくその様子に例える。

太極拳はまさに虎のように動き,龍のように舞う。

8/04/2014

関谷さん

滞在112日目。8月4日(月)の午前8時30分。

昨日,キテレツな友人である関谷さん(実名)が,ハワイまではるばるやってきた。宿はマキキの山裾にある不便極まりない怪しげなホテル。とてもハワイ価格とは思えない値段設定の宿である。相変わらずなので,そのこと自体にはもうイチイチ驚かない。もう慣れた。

昨日は,それで,その怪奇ホテルから,徒歩で,ワイキキの西端にあるうちまで来た。途中バスを使えば良いとアドバイスしたけれど,歩いてきた。徒歩約90分,といったところか。キテレツである。

久しぶりに近況他色んな話をした。家族以外の人と日本語で話す機会もほとんどないので,なんだか久しぶりによく話した気がする。どうもありがとう。

彼が今住んでいる日本の自宅の話になって,グーグルアースで見せてもらったけど,これまた,キテレツなところに住んでおられる。広大な田んぼと利根川の土手の間の,不便極まりないところ。なぜあえてここに!?まったく理解不能なために,うかつにもちょっと驚いてしまった。慣れたはずなのに。

8/03/2014

ボン・ダンス

滞在111日目。8月3日(日)の午前4時。

昨日,The Busに乗って,UH Manoaの山側にあるKoganjiというお寺で開かれていたBon Dance(盆踊り)に行ってきた。お寺の檀家さんなのか地元の人なのか分からないけれど,とにかく地元の日系人の方たちが中心になって,お寺の境内にちゃんと櫓が真ん中に建てられ,各種食べ物などが屋台形式で売られていた。

日系人の人たちが,自分たちのルーツである日本の文化を受け継ぎ,次の世代に継承するための,大切な夏の行事。そういう感じである。

見ていて日本とちょっと違うなぁと思ったのは,ダンスを見物するための長椅子がずらりと設置されてること。踊る人と観る人が別れている感じ。で,揃いの浴衣をキッチリ着込んで普段から練習しているおばちゃんたちはバッチリ踊れることは日本と同じだけれど,一緒に踊っている普段着の人たちもみな,かなりバッチリ踊っている。それもみな,真面目に,というか,真剣に踊っている。一曲終わった後に拍手とかはない。盆踊りの前には,寺の住職がお供え物の前でお経を唱えていた。そう,つまり,全体的に楽しい雰囲気だけれど,お盆だということ言う大前提を忘れずに,あんまりふざけすぎないよう真面目に取り組んでいる感じだ。素晴らしい。

なんとなく,勝手な推測だけれど,昭和の盆踊り,現代盆踊りの原型を観たような気がする。

ところで,Koganjiに辿り着くまでがやや難だった。事前の調べでは,The Busの13番でNH Manoaに行って6番に乗り換えるという順番だったが,(工事のために?)6番が正規のルートを走ってなくて,誰もいないUH Manoaの端っこで家族四人一瞬迷いかけたが,たまたま向こうから歩いてきた親切なUHの男子学生に助けられ,途中まで一緒に歩いてくれて,バス停とルートを教わった。ありがたい。こういう親切な人は,神様がちゃんと見ている。

しかし,乗り換えた6番の運転手がかなり不親切な人だった。The Busの運転手にしては珍しい。わざわざ乗るときに,僕らが降りたいバス停(交差点)はこのバスで行くかと念のため尋ねているにもかかわらず(尋ねると無言でうなずいていた),そのバス停に着いたことを教えてくれず(まぁそれは良いとして),バス停を知らせるアナウンスを出すタイミングが遅れたようで,こっちはそれに併せてちゃんと正しく降車のヒモをすぐに引っ張ったのに(The Busは,ボタンではなくてヒモを引っ張って降車の意思を知らせる),本来降りたいバス停を飛ばして次のバス停まで行ってしまった。降りるときに「このバス停は○○というバス停か」と確認したら,白々しくうなづいていた。もちろん,うそである。なんてヤツだ。小さい子どもが二人いることも分かっているのに。バス停を1区間,歩いて戻ることになったわけだ。

こういうとき,怒りがふつふつと湧いてくる。「ああいう不親切なヤツは地獄に落ちる」と,つい悪態をついてしまう(笑)。しかし,こういうときこそ,マインドフルネスである。呼吸に意識を向ける,鼻腔を感じる。怒りは次第に離れていく。いつか勝手に怒りは消えていく。

親切な学生さんもいれば,不親切な運転手もいる。それが世の中だ。帰りのThe Busの運転手さんは,6番も13番も,とても良い人たちだった。

8/02/2014

観光客

滞在110日目。8月2日(土)の午前7時。

8月に入り,昨日辺りから,観光客がグッと増えた感じがする。

ウォルマートは普段よりも客でごった返していた。店内で見かける日本人も多い。アラモアナセンターまでの行き帰りにはトロリーバスを使ったけれど,ワイキキのカラカウア通りやクヒオ通りは,週末ということもあり,今までで一番混んでいた。そもそも,昼間,The Busでワード方面に行ったときも,そういえばすでに混んでいたから,一日中ずっと混んでることになる。

こちらの学校は8月から始まるところもあるようで,そうなると,今週末がローカルにとっても夏休みの最後の週末だから,この辺りまで車で繰り出して遊びにくる家族も多いだろう。

と考えると,この7月終わり・8月始めがローカルのちょっとしたピークで,来週の8月初旬はローカルが減り,その代わり,日本人が徐々に増え,お盆の週にマックスになる,という具合か。

8/01/2014

ゆっくりじっくり練る

滞在109日目。8月1日(金)の午前8時。

とうとう滞在予定の最後の月,8月に突入。今月の下旬には帰国する。

さて,太極拳は尾てい骨を意識しながら練るわけだが,これをそのまま空手の形に応用してみた。結論から言うと,非常に良い。

ただ,太極拳の場合はゆっくり動くことで尾てい骨を感じ続けることができるけれども,空手の形のスピードのままだと,その感じ取りがおろそかになる。だから,太極拳のスピードで練ってみた。呼吸も締めも,そんなにメリハリを付けず,緩やかにやってみた。これがなかなか良い。

やはり,ゆっくりじんわりと動かすことで,より身体の隅々まで感じられるし,尾てい骨の感覚を逃しにくい。速く動くと,どうしても尾てい骨の感覚が逃げるのだ。ここんところがまだ修行が足りないと言えば足りないのだろう,きっと。

だから稽古としては,まずはこうしてゆっくりじんわり動かす。これを徹底的に続ける。そうして身体感覚をしっかり感じ取りながら動きの流れ(気の流れ)を練る。そして,通常のスピードや,太極拳よりもさらにゆっくりしたスピードでも練ってみる。

こうして,身体と対話しながら,身体の声を聞きながら,練る。

7/31/2014

有形と無形

滞在108日目。7月31日(木)の午前4時40分。

108日目。煩悩の溢れるこの街で,とうとう煩悩の数だけ滞在してしまった。

その煩悩をポイポイ捨てていくために,ただひたすら身体を練る。身体を練れば練るほど,身体に安住し,そこにある自己ですでに満たされていることに気がつく。今いるここが天国。仏教はそう教える。しかし,あらゆる欲望を捨てるというのは,人間,なかなか無理がある。欲望はだから,強すぎず,弱すぎず,中庸が良い。これは道教の教え。

ところで,一昨日,スティーブに,師匠のMr.Pangの動画を見せてもらった。伝統楊式の套路の柔らかさもさることながら,即興の演武は,なんともすごかった。即興の演武である。題して「生命之舞(dance of life)」とあった。そう,Mr.Pangに関するサイトのタイトルに掲げられる,a dance of spiritual lifeである。

分かりやすく言えば,これは,コンテンポラリーダンスの一種とも見ることができる。昨日,スティーブに詳しく聞いたらやはり,即興で,身体の赴くままに自由に演武するそうで,毎回違うと言っていた。続けようと思えば延々と続けられるらしい。ベースには,太極拳・八卦掌・形意拳があり,それがMr.Pangの中でミックスされて溢れてくる。その溢れるがままに舞う。溢れてくるには,溢れてくるほど身体を練り込んできた,ということだ。

形があって形がない。動きの部分部分は確かに太極拳であったり,八卦掌であったり,形意拳であったりするけれども,全体としては太極拳でも八卦掌でも形意拳でもない。また,動きの順番も,決まっていない。形がベースにあるけれども,全く形に沿っていない。有形だけど無形。

いわゆるブルース・リーのジークンドーは,武術の一つの究極であり,その基本理念は,無形,である。また,中国武術の一つの究極である意拳もまた,同じく,形がない。

スティーブは,Mr.Pangを評して盛んに,geniusだと言っていた。彼はまさに天才的なマーシャル・アーティストだと,繰り返し言っていた。そして,突き詰めれば,形(固定した動きの順番)など本当はどうでも良いのだ,とも言っていた。太極拳の本質とは何かを捉えていること(捉えようとしていること)が重要であり,その幹さえしっかり理解していれば,動き方や動きの順番というのは枝葉だ,ということだ。

マーシャルアーツというのは,究極的には,そこに行き着く。いや,アートというのは,すべて,そこに行き着く。自然に,云為に,身体が身体のままに,動く。

ただ,その道程において,形は必要であり,その形こそにその武術の本質が刻まれていることもまた事実である。だから,形無しを気取って,早々に,形をおろそかにしてはいけない。それは本末転倒である。大いなる勘違いである。修行の終着点は,そんなに近い(低い)ところにはない。

7/30/2014

焦らずゆっくり

滞在107日目。7月30日(水)の午前4時。

昨日,スティーブにお誘いいただき,彼が教えている別の太極拳教室にお邪魔させてもらった。朝9時15分からの教室。住んでいるところから少し遠くになので,歩けなくはないが,バスに乗って出掛けた。

朝9時15分から1時間の教室。朝早いにもかかわらず,15名ほどの参加者が来ている。一人,日本人の女性に声を掛けられ,彼女もまた,スティーブの人柄と教え方が好きで通っていると言っていた。本当にみな,口々に,スティーブは良い先生だ,スティーブはクラシカルなタイチーだから良い,他の普通のタイチー(だいたい制定の現代太極拳のことを指していることが多い)の先生と比べてずっと良い,ということを言う。

その良さは,スティーブが,外的な身体操作と内的な身体感覚を,バランスよく丁寧にゆっくり根気よく繰り返し説明しながら稽古を進めるからだと思っている。もちろん,それに,スティーブの独特の柔らかい人柄がプラスになっている。

僕ならなかなか上手くならない生徒についいらだちを覚えてしまうかもしれない。しかし,太極拳の稽古は長いのだ。焦らずゆっくり稽古する。それもまた太極拳の太極拳たるところか。上手だろうが下手だろうが,その人のそのときのそれがその人の太極拳である。本来,武道とはそうあるものである。空手も同様である。しかし,つい「早く」上手になることを求めてしまう。もちろん上達することは悪いことではない。しかし何も焦る必要はない。なぜ急ぐ。人間はいずれ死ぬのだ。今どうあるかが重要なのだ。そのことを改めて感じさせてくれるのが,太極拳かもしれない。

柔らかくなればなるほど強くなる(the softer you become, the stronger you will be),という言葉を直々にいただいた。そしてその身体の柔らかさを心の柔らかさへと広げるのだ(Extend softness in the body to the mind),と。

そういえば,昨日の稽古で,Dr. Don Enokiにお会いできた。まさしくGentlemanである。偉ぶったところは一切なく,笑顔を絶やさない。合気道七段の御年75歳ということだが,全然若く見える。まずその身体や表情から発する力が,普通の75歳とは全く違う。なんというか,やはり典型的な武道家の雰囲気を感じる。武道家というのは,熟練すればするほど,他者に優しくなる。そうでなければその人は武道家ではない。Dr. Enokiは,安定した芯(自信)を持ちつつ,他者への配慮と思いやりに富んだ人物であった。

スティーブもおそらく60歳に近い(昨日,チラッと,61歳,と聞こえたような気がする)けれども,なんとも若々しい。武術を真摯に続けるということは,生きている間,じんわりとエネルギーを培うのだろう。

僕もいつか,自分より若い世代からこう思われる武道家になっていたい。

ところで一つ昨日も,面白い説明をしていた。師匠のMr. Pangが言っていたことの受け売りだと断っていたけれど,例えば前に進むとき,足を上げて前方に移動させ着地させるわけだが,このときに,筆で字を書くときのように動かす,というのだ。なるほど~。この教えは,前に進むときの足の動きだけでなく,すべての動きに適用できる気がする。

筆や鉛筆やペンで字を書くとき,強すぎても弱すぎても書けない。我々は当たり前のように紙に字を書いているが,知らず知らずのうちに(無意識に)絶妙なバランスを保った力の入れ具合で,筆を動かしている。というのも,筆を持ち始めて絵や字を書き始めた幼い子どもは,この力のバランスが上手く保てない。だから,線が濃かったり薄かったり,曲がったりのたうったり,短すぎたり長すぎたりする。手の力の入れ具合が,まだうまく調整できないのだ。そうやって何年もの長い間訓練を重ねた結果が,今のバランスの取れた筆記行動なのである。つまり,無意識に安定した技になるためには,何年のかかるのだ。

だから,武術もそういう風に絶妙なバランスを保った動きや技に至るまでには,何年もかかって当たり前なのだ。だから,焦らずゆっくり稽古する。

ところで,全く関係ないけれど,昨日の稽古の帰りにクヒオ通りを歩いていると,①万引きして店を飛び出し店員に追いかけられるホームレスと,それとは別に,②店のドアを殴ったり観光客を脅かしたり押したりして暴れているホームレスを見た。①の人は店員を振り切って逃げたけど,②は観光客に通報されて警官に尋問されていた。万引きしなくちゃいけない事情,暴れなくちゃいられない事情を考えると,悲しい気持ちになる。

7/29/2014

気持ち良さ

滞在106日目。7月29日(火)の午前4時40分。

以前,スティーブと,空手と太極拳の稽古をしたときの違いは何かについての話になった。そのときに,答えに窮したことがある。その答えを,昨日の稽古の時にふと思いついた。

以前のそのとき,なぜそういう話になったかというと,太極拳の稽古をした後は気持ちが良い,ということを僕がスティーブに言ったからだ。するとスティーブが「では,空手の稽古の後はどうなんだ?」と尋ねてきたので,ふむ,確かに当然,空手の稽古の後も気持ちが良いので,稽古の後の気持ちの良さは空手も太極拳も同じだから,そこに違いはない。

そこで答えに窮し,「空手は,稽古した後に疲れるかな」と無理矢理に答えたところ,スティーブは「そういう意味では,太極拳だって疲れる。太極拳も相当な運動だ」と言う返事に,確かにその通りであり,ここでさらに困ってしまった。このときはだから,感覚的にはなんとなく違うんだけれど,どこがどう違うのか,明確に分からなかったのである。

それで昨日,ふと思いついた。空手は形そのものが運動的な面で時にきついと思うときがあるけれど,太極拳は套路を練ること自体が気持ちよいのだ。

これは,伝統的な稽古方法に始まり,稽古時間,師範(インストラクター)の性格などにも依存するから,一概には言えないけれど,空手という武術の運動と太極拳のそれとの違いは,強度の違いが当然大きい。

空手の場合,形を練ると多少なりとも息が上がる。汗も出る。理想的には,なるべく息が上がらないように形を練るべきだけれど,まだまだ練りが足らないために理想にはほど遠い。後で書くけれど,実はここがポイントなのだ。

さて太極拳では,息が上がることはない。じんわりと身体を練る。運動量は相当であるが,だくだくと汗をかいて息が上がってへとへとになる,ということはない。じっくりと柔らかく,なるべく力を使わないように動く。気持ちが良い。これを気で表現すれば,身体全体の気の流れが良くなる,ということだろうか。

では,空手では気の流れが良くならないのか。

太極拳の文脈で言えば,空手は始終「勁」を発し続けている武術といえる。つまり,常にではないけれど,強く速く動くことが随所に含まれている。力を使う。これが体力を消費する。筋肉を緊張させる場面が多いから,交感神経系優位になる。したがって,形の後は,その反動で副交感神経系が優位になり,気持ちよくなるわけだ。しかし,形の最中は,どうしてもそうはいかない。

これはまだまだ修行が足りないのだ。この先には,おそらく,太極拳と同じところに行くべきなのだ。つまり,気の流れが良くなるような形を練るべきなのだ。たとえ空手の形でも,そうあるべきなのだ。言い換えれば,空手の形を練るそのことそのものが,気持ちの良い運動になるまで練り上げていくことが重要なのだ。

そう思うと,確かに,形を練っていて,身体的に気持ちの良い瞬間というのが確かにときどきにある。フロー状態である。このときはたぶん,妙な力は入っていない。柔らかく自然に形が練られているのではいか。あの感じを全体に伸ばしていければいいのかもしれない。

それでさらに思い出したけれど,僕の師匠の小林先生の師匠である西田先生(正修館館長)は,形を終えた後,まったく息が上がってない(少なくとも,上がっているようには見えない)。自然に動いている。無理な力は一切入っていない。

あの域に達するには,僕の修行はまだまだ足りない。

7/28/2014

ハナウマ湾

滞在105日目。7月28日(月)の午前7時30分。

昨日,日曜日だったので,The Busの22番に乗ってハナウマ湾まで行ってきた。オアフ島で一番のシュノーケルポイント。自然保護のために,入場料大人一人7.50ドル(12歳以下無料),加えて10分弱のビデオ講習を受けなければならない。ビデオ講習と言っても,とにかく映像を見て,この湾の成り立ちと歴史,湾内でしてはいけないこと(珊瑚礁や生物に触ったり,餌をあげたりしてはいけないことなど)のレクチャーを受ける。

奥さんと子ども二人は,珊瑚礁のある方まで行って,たくさんの魚などを存分に見て来たようである。僕は腰がまだ痛いし,足が攣るといやなので,遠くまで行くのは回避。砂浜近くの岩にも色んな魚が遊泳していて,それなりに堪能した。(しかし,前にも書いたけれど,浅瀬に関しては,グアムやパラオの方が,魚などの生き物が格段にたくさんいる)

生物に触ってはいけないというルールがそれなりに徹底されているのだろうか(中にはそういうルールを無視して触る輩もいるだろうけれど),ここの魚は人にびびらない。ワイキキの魚は,人陰や人の動きを察知するやいなや,逃げる。でも,このハナウマ湾の魚は,人が近づいてきてもそんなに急いで逃げない。だから,気がつかないで泳いでいると,触れそうになってしまう。それなりにそっちでも逃げるよう努力してくれよ,魚くん。

それぐらい自然が保たれているということであれば,こうして7.50ドル取ってビデオ講習する意義は大きい。青いTシャツを着た(たぶん)ボランティアのスタッフのみなさんが大勢働いている。自分の島の海を大切にしよう,という心意気は気持ちが良い。

この,オアフ島南側の海岸線沿いは,ビーチが点在しているだけで他に何もない。好きな人はこういう小さく点在するビーチにまで足を運んで遊んでいる。太平洋が雄大に広がっている。海と岩場と海岸線の道路。こういう景色は,日本と似ている。オハフ島が島であるように,日本も島なのだ。

7/27/2014

武縁

滞在104日目。7月27日(日)の午前4時30分。

来週にはもう8月である。ホノルルもあと3週間ぐらい。あっという間な気もするし,また,ずいぶん長くいるような気もする。

ギックリ腰はだいぶ良くなった。しかし,回復に1週間以上もかかるのかと思うと,ギックリ腰をなめてはいけない。これでもたぶん,軽症の方だろう。全く動けなかったのは翌日までだったから。

腰をかばって動いていたら,右足の踵の後ろを痛めてしまった。アキレス腱の付け根のような気がする。背中全体もやや痛い。寝返りが打ちにくいからだろう。

残り3週間,スティーブが別のところで教えている太極拳クラスに参加させていただくことになった。そこには,合気道七段で自らの道場も開いている,Dr. Donald Enokiという方がおられる。スティーブの話の中にときどき出てくる人。現在75歳。教育学が専門の大学の先生だったようで,スティーブは是非僕に会わせたいと言ってくれた。

これもまた武縁である。

ネットで検索してみると,Dr. Enokiの合気道はおそらく,心身統一合氣道である。ご覧の通り,心身統一系は,「あいき」の「き」の字が「気」でなくて「氣」というところが特徴。Dr. Enokiの道場もそうだったので,たぶんそうではないかといろいろと辿っていったら,やっぱりそうだった。

合気道にもいろいろと流派があって,一応,本家本元の本流は「合気会」である。合気道創始者の植芝盛平の曾孫の植芝守央先生が現在の道主。これが普通一般の合気道的合気道。会員の規模も一番大きいのではないかと思う。これに次ぐのが,塩田剛三先生が分派した,「養神館合気道(養神会)」で,この養神館系の道場も多い。この二つに比べておそらく規模は小さいけれど有名どころでは他に,乱取り組手をやる「昭道館合気道(富木流,合気道協会)」というのもある。そしてもう一つが「心身統一合氣道」である。

心身統一合氣道会は,藤平光一という人が分派した会で,「氣」の字にこだわっている通り,「氣」を重視している(らしい)。実際のところ,僕はよく知らない。合気会の合気道は少し体験したことがあるし,養神館の本や動画も何度か見たことがあるので,だいたいイメージはあるけれど,この心身統一系はよく分からない。「氣」を重視ってのは,どういうことなんだろう。

だから,Dr. Enokiに会うのが楽しみである。

7/26/2014

T.Y.Pang

滞在103日目。7月26日(土)の午前8時30分。

スティーブの太極拳の系譜について誤解していた。改めてちゃんと教えてもらったところ,スティーブの師匠は,T.Y.Pangという人であった。この人は,今の楊式太極拳を完成したとされるYang Chengfu(楊澄甫=楊露禅の孫)の直弟子であるDong Yingjie(董英傑)の弟子である。

つまり,系譜を辿れば,楊露禅→楊澄甫→董英傑→T.Y.Pang→スティーブ,という具合である。

Dong Yingjieと以前言っていたので,その孫筋がハワイを中心に展開している薹家太極拳だと勘違いしていた。Pang先生も以前ハワイで教えていて,今はワシントン州のオーカス島に住んでいる。

Pang先生についてスティーブは,この人は本物だ,と言っていた。最初に2年間習っていた太極拳の先生とは比べものにならないくらい凄くて,一度Pang先生の演武を見たら,その元の先生のところに戻る気がしなくなった,とも言っていた。

ネットで検索していたら,あるイベントチケットの販売サイトに,シアトル歴史・工業博物館で開催されたPang先生の演武会の案内があった(http://www.brownpapertickets.com/event/6096)。そこに簡単な説明があり,このPang先生そしてスティーブの哲学が端的に示されている気がした。だいたい次のようなことが書いてあった。

「太極拳とは護身術,フィットネス,リラクセーションの方法と思われている。それも間違いではないけれど,それが本質ではない。太極拳というのは,気づきをもって,生命力ある身体と静かで平和な精神に至らしめるものであり,健康で幸せで平和であることが,スピリチュアルな成長をもたらす。真の太極拳家の動きはダンスとなり,そのダンスにはスピリチュアルな意味で生命の力が身体化している。心が振り付け師であり,身体がアーティストであり,生命の力が音楽である。だから,太極拳とはスピリチュアルな生命のダンス(A Dance of Spiritual Life)である」

道教的な考えがベースにあることは間違いない。そしてスティーブは,稽古でまさにこのことを伝えようとしている。Community Centerに習いに来ている人の大半はフィットネスやリラクセーションのつもりかもしれないけれど,その中で懸命に,この太極拳の本当の意味を伝えようとしている。

世の中によくある制定の簡化24式太極拳とかの教室やスポーツジムとかでやっている太極拳クラスのように,ただ動きだけを教えよう(動きさえ正確に伝われば良い,ただ動きを正確になぞることが最重要である)としたり,あるいは,公認の級段位を取るとか表演大会で勝つとかするために見た目に綺麗に演じることが最善だと考えていたりする指導者とは,理解と志の次元が格段に違う。

いやもちろん,そんな本来の意味なんてどうでもよくて,ただ単にフィットネスやリラクセーションの一つとしてやりたい人にとっては,世の中によくある教室で良いわけであって,要するに,世の中というのは需要と供給がマッチしている,ということか。

Pang先生は,1987年に"On Tai Chi Chuan"という本を書いている。読んでみたい。

7/25/2014

ハイシーズン

滞在102日目。7月25日(金)の午前5時20分。

このところ,またぐっと,日本人観光客の姿が増えてきた。この週末から来られる方も多いだろう。そこかしこに日本語が飛び交い,耳に届く歓声や,子どもたちの叫声は,どれも日本語。歓声や叫声が日本語ってのはおかしいか。では,日本人による歓声と叫声。声の出し方が,なんとなく,他の国と違う。リトルジャパン。リトルトーキョー。

これもハワイの一つの顔であり,特に盆暮れは,日本人で埋まるほどだろう,きっと。昨年は8月初旬に来たけれど,そのときは日本人が多いという気はあまりしなかった。それはたぶん,自分も飽くまで1週間ぐらいの旅行客の一人だったからだろうと思う。その短期の旅行客の目から眺めるハワイと,こうして4月から3ヶ月以上住んで眺めるハワイとは,きっと見るところが違ってくるはずだ。例えば,青く澄み切った海や巨大な木々や色とりどりの花に,道々見とれることはもうない。そのどれも美しいけれど,感動して立ち止まるということはない。そういう客観的かつ冷静な目で,一切の価値判断をせず,マインドフルにこのハイシーズンのホノルルの様子を楽しみたい。

一つには,観光で来ている人たちは,もうとにかく身体全体で,つまり全力でこのヴァカンスを楽しもうという,意気込みからして違う。まずもって,早朝から夜遅くまで,遊んでいる。当たり前だけど,せっかくの短い滞在期間をフルに遊び倒そう,ということだ。うちの子どもたちはサマースクールがあるし,僕自身は仕事があるし,奥さんは家事があるし,早朝から夜遅くまで遊んではいられない。

ワイキキに繰り出せば,きっと,みんなそこかしこのお店で高い食事してるんだろうなぁ,うらやましいなぁ。特にあの,サーフライダーとロイヤルハワイアンの間の,チーズケーキファクトリーの前は通りたくない。というのもあそこ,オープンスペースだから,ワイン飲みながらおいしそうな食事をしてるのがよく見えて,なんだかとっても楽しそうで・・・あ,マインドフルに観察するんだった。いかんいかん。

7/24/2014

続・身体の中心

滞在101日目。7月24日(木)の午前3時20分。

身体の中心(center)はいくつもある。以前も言っていたけれど,昨日の稽古でスティーブが改めて話していた。

身体のバランスの中心は尾てい骨であり,身体のエネルギーの中心は下丹田である。これに加えて,身体の物理的な重心もある。重心をどちらの足にどのくらい乗せて身体という質量のある物体の中心がどこにあるかというときのcenterと,バランスを取る上での身体全体のcenterは違う。もちろん,非物理的な意味で下丹田に気(生命エネルギーあるいは息)を集めるというときのcenterと,物理的な意味での重心やバランスのcenterとは違う。

しかしいずれにせよ,どのcenterも腰腹周辺にある(上下左右から見て腰腹周辺に位置する)ことは間違いなく,ここの辺りを見つけて感じながら動く。四肢はそれに柔らかくつなげつつ,全体で統合的に連動して動く。そのcenterを軸に,手の指先から足のつま先までをつなげていく。

太極拳は,こうして身体の芯(心)や軸,あるいは根を練るボディワークなのだ。芯や軸,あるいは根を持つことが,平たく言えば,心の安定につながる。芯や根は,気を逸らせる様々な思考に振り回されずに戻ってくるための錨の役を果たす。今ここにある身体こそが,私の住む家であり,外出していると感じるのは幻想であり,すでに家に帰っていて家にいるのだから,その家にただ安住するのみ。たしかティク・ナット・ハン師の『ブッダの幸せの瞑想』にあったように,私はすでに自分の家にいるのだ。この当たり前を当たり前に感じられるためには,身体に芯や根がなければならない。

道教に由来する太極拳は,この芯や根を練るためのメソッドである。

7/23/2014

夏休み

滞在100日目。7月23日(水)の午前4時30分。

ホノルルに来て100日が経った。3桁突入。ホノルル以前は,せいぜいが海外は旅行で10日間ぐらいだったわけだから,それに比べると驚異的な長さの海外生活である。

日本は7月19日とか20日ぐらいから学校が夏休みなので,今週から小学生とか幼稚園生ぐらいの子どもを連れた日本人家族がグッと増えた。うちの子どもの通っているサマースクールは,これまでうち以外は全員ローカルのアメリカ人だったけれど,今週から日本人の子も入ったらしい。

日本人観光客,これからお盆にかけてさらに増えていくんだろうなぁ。そういう,ハワイの観光客事情の変化も,つぶさに観察しておこう。いずれにせよ,これだけ来るんだから(これからもっとさらに来るんだろうから),ここは日本かと言うくらいの勢いである。

以前,奥さんに,「ハワイ(ホノルル)には,中華街(China Town)はあるけれど,日本街ってないね」と話したら,「ここ(ワイキキ)自体がもうほとんど日本街みたいなものだからじゃない?」と言っていた。慧眼である。

腰はまだ若干違和感がある。小走りぐらいはできるようになったけれど,細かい動きはまだ自由にできない。長く椅子に座ると突っ張ってくる。なかなか完治はしないものだなぁ,ギックリ腰ってのは。

7/22/2014

続・ギックリ腰

滞在99日目。7月22日(火)の午前3時40分。

ぎっくり腰もだいぶ回復し,歩けるようになったので,太極拳の稽古に参加した。走れないし腰をかがめないけれど,ゆっくり練る太極拳なら問題ないだろうと踏み,一応,スティーブには稽古の前に事情を説明して,稽古した。

良い。

普段から腰(尾てい骨)を意識するように言われているけれど,それ以上に意識しながら練ることができた気がする。腰が痛いので,これ以上痛めないよう,否が応でも意識が行く。その上で,手足の4点をどう動かすかに全神経を注ぐ。

昨日また,身体感覚の表現として面白い言い方をしていた。手の指先から足のつま先までをつなぐ感じだ,と。なるほど。尾てい骨を中心に(尾てい骨を介して),手から足までの感覚をつなげる。これは,以前に言っていた,尾てい骨を中心に手足の4点を意識する,というのと同じだ。

それから,よくよく言っていたのが,やはり,無理な力を使おうとしない,ということ。蹴りも,足先で蹴るのではなくて,膝で蹴る,と言っていた。もちろん蹴りは膝で蹴ることは空手も同じ。ただ,足先(足首)に力を入れようとすると,必然,足全体に力が入る。だから,膝を使って,足先はリラックスして蹴ると良いと言っていた。足首を柔らかく。

いやしかし,どこか身体が痛いと,そこに意識が行き続ける。痛みは無論,無い方が良いし,慢性的な痛みは辛い。ただ,こうした痛みは,たしかにマインドフルネスの対象に持ってこいであることは間違いない。痛い痛い嫌だ辛い大変だどうしよう最悪だもうダメだ,ではなく,痛い身体に気づきただ痛いことを痛いと観察する。嫌だ辛い大変だどうしよう最悪だもうダメだは,思考,すなわち単なる脳の分泌物であり,ここのところを区別して,そういう思考に引っ張られない。ただ痛みとともに在り続ける。

うん。痛い。確かにまだ腰が痛い。

7/21/2014

ギックリ腰

滞在98日目。7月21日(月)の午前10時30分。

一昨日の午前中に,ギックリ腰になった。こういう症状は生まれて初めてではないけれど,今までで一番重症。そのせいで,昨日の日曜日は一日中ベッドで寝ていた。横になっていると,その分,如実に治っていくのが実感できる。だから,とにかく,ひたすら横になったままでいた。

だから,ホノルルに来て毎日欠かさず書いていたブログが一日飛んだ。残念。まぁ良いけど。

去年の秋に2週間入院したときのことを思い出した。ただ何もせず横になっているというのは,いろんな思考や感情が現れては消え,現れては消える。マインドフルネスの訓練にちょうど良いやと思い,鼻腔に意識を向けて呼吸を味わってみる。が,すぐに脳が思考を分泌し始める。横になっているものだからそのうち眠くもなってくる。人間というのはかくも散乱し昏沈する。

こういうときは,ある考えたいテーマについて,思考や感情に引っ張られず,マインドフルに徹底的に考える,というのが良いかもしれない。マインドフルに思考する。思考がクリアになる。去年の入院のときもそうだった。だから今回も,横になりながら,落ち着いて考えたいとずっと思っていたことを,徹底的に考えてみた。ちょうどこの時期に考えようと思っていたテーマだったので,区切りとして,ちょうど良かった。

ところで以前に,スティーブが足の指をくじいたときに,こう話したのが印象的だった。

本当は相当に痛むようで,太極拳の教授は無理なんじゃないかと思うくらいの様子だったけど,でも,稽古中はそういう素振りは見せずに,問題なく終えた。このときに,「このケガが,自分の太極拳(修行)にどういう意味があるのか,考えてみよう(何か意味があるはずだ)」というようなことを言っていた。

今このときにこのケガをしたことには何か意味があるはずだと捉える。一見ネガティブだと思えることにも,ポジティブに捉える。陰を陽に転ずる。すべては調和している。太極拳とは,そういうものである。

このギックリ腰から,身体的な気づきが生まれる。

と格好をつけて言わなくても,とにかく,腰がダメだと歩けない動けない,ということがたいへんよ~く分かった。今更ながら,腰は大事である。

7/19/2014

過去と未来

滞在96日目。7月19日(土)の午前6時30分。

思えばずいぶん長くここに住んでいる。はずなのに,そんなに長く住んでいる感じがしない。人間の記憶というのは曖昧だ。過去は読んで字の如し,過ぎ去っていく。つまり,過去はあるようで,ない。

後1ヶ月もすれば帰国する。つい帰国後のことをあれこれ考えてしまう。しかしどの考えも結局まとまらない。未来は読んで字の如し,未だ来ていない。つまり,未来も,あるようで,ない。

あるのは,今ここだけだ。

過去のことを振り返ろうとしたり未来のことを思いやろうとしたりすると,陽炎のようにぼんやりしていて,結局,掴みどころがなく,あやふやに終わる。特に未来のことを考えるとネガティブになるから良くない。それは,ついリスクを考えてしまう人の性だ。降りかかるかもしれない危険を事前に察知しようと,あれこれとサーチしてしまう。

だからまぁ,過去や未来のことを考えても,所詮,無駄だということである。今ここにしかいないのだから,今ここにいることだけを求める。心は過去や未来に飛ぶけれど,身体は飛ばない。身体があるのは,今ここだけである。

身体がある今ここは,ホノルルである。間違いなくホノルルにある。

7/18/2014

知り合う

滞在95日目。7月18日(金)の午前5時。

ここのところ,お店やコミュニティセンターで,ローカルの人と話す機会が増えてきた。たぶん,僕自身がこの環境にさらに慣れてきて,英語を話すローカルに怖じ気づかなくなってきたのかもしれない。

主観的にはそんなに大きな変化はないのだが(未だにやっぱり,ローカルの人と話すときには多少緊張するというか身構えてしまう),慣れの微妙な変化が,話す機会を増やしているのかもしれないと,ちょっと想像する。ただ,まぁしかし,たまたま偶然かもしれないけれど。

もう少し長くいられれば,さらに地元の人とも知り合いになれて,さらに英語を話す機会が増えて,もう少し英語がスムースに聞き取れて話せるようになるかもしれないなぁと思うと,来月帰国するのが残念に思えてきた。

特に,毎週通っている太極拳は,コミュニティセンターでやっているので,このセンターに来ている人は,僕のような中期滞在の人もけっこういるみたいだけれど,長期滞在の人や地元の人が当然,多い。昨日は,いつもセンターの端っこの椅子に座って見てる,おばあちゃんとも話をした。いつも同じところに座ってるので,毎回来るときに挨拶をしていたから,帰り際に声を掛けてくれた。

こうして人は,少しずつ地元に馴染んでいくわけである。知り合いも徐々に増えてくる。

長く住めば住むほど,対人的な葛藤も多くなるだろうから良いことばかりではないし,長く住むことになれば人と人との結びつきということをあえて意識することもないかもしれない。こうして4ヶ月間だけ住むという特別な状況が,人と知り合うという,普段通りの平凡な行為を,特別な行為として意識させる。

日本に住んでいると,いつでも会えると思うから,人との縁をついおろそかにしてしまう。

帰国したら,ハワイに今度来るのは果たしていつになろうか。そう思うと,知り合うことができた人とはもう会えないかもしれない。縁を大切に。大切に。

7/17/2014

ラハイナヌーン

滞在94日目。7月17日(木)の午前4時。

昨日は,ラハイナヌーン,であった。太陽は正午にちょうど一番上に上るわけだが,ラハイナヌーンとは,その太陽がお昼に「真上」に来る。そのため,まっすぐに立っているものには,影ができないという現象,というかそういう時間帯のこと。

ネットで検索すると,ラハイナ(lahaina)の,laが太陽,hainaが灼熱,ということらしくて,要するに「灼熱の太陽が降り注ぐ正午」という意味。北回帰線と南回帰線の間にある国々では,年に2回起こる。ハワイはちょうど北回帰線に近いところにあるので,春と夏に2回起こる。で,今回は夏の方。というのも,春の方(5月26日)をついうっかり見逃したので,今回はちゃんと日程と時間を頭に入れていた。

7月16日12時37分。

大きな建物だとか電柱だとか樹木だとちょっと分かりづらいけれど,例えば,消火栓だとか交通標識だとかだと,そんなに大きくないので,そういう物体の影を見ると,おおなるほど真上に太陽が来ている,というのが分かる。確かに,影がない!奇妙である。

ちょうど昨日は太極拳の稽古が直後にあったので,若干興奮して,スティーブに,今日は何の日か知っていますか,ラハイナヌーンですよ,太陽が頭の真上から注いでますよ,影がありませんよ,と話したけれど,ふうん,ああそう,というつれないリアクションだった。

まぁ,ハワイ生まれの人にとっては,こんなこと,生まれてからずっと当たり前のことだから,珍しくもなんともないわけだな。赤道に近いから,年がら年中,ほぼ頭の上を太陽が通っているので,今日は正午にちょうど真上に来る日だとしても,普段と大差なく(実際,ほら影がないよと言われてみないと気がつかない程度),ましてや毎年春と夏にそうなるわけで,何十年もハワイに暮らすローカルにとっては,まぁ,ホント,どうでもよいことなわけである。納得。

でも,ほんとに真上に来るのはわずかな時間である。そんなに長い間,影がないわけではない。地球はだから,結構速く,動いている。

7/16/2014

ティンシャ

滞在93日目。7月16日(水)の午前3時30分。

先日シンギングボウルを買ったチベット雑貨のお店で,またもう一つ買ってしまった。今度は,ティンシャというベル。チベタンベルあるいはチベタンシンバル。リーンと,風鈴のような涼やかで澄んだ音がする。気持ちが良い。

しかし,チベット仏教は,いい音のする法具を作るなぁ。ポクポク鳴らす木魚とか,日本のお寺にある色んな楽器とはまた違う方向性。

お店の青年に,こういうのもあるよと,振って鳴らす鐘(あとで調べたら,ガンターというものらしい)をすすめられた。あと,ドルジェという法具も(笑)。うむ,まぁ,確かにどれも魅力的であるが,あんまりモノばかり買っても,ただ坐って瞑想することの方が本質だから,買うのは止めておく。

とりあえず,稽古の始めと終わりにティンシャを鳴らすのは,なんとなく気持ちよさそうだと思って,買った。本当に,澄んだ良い音がする。

チベット雑貨屋の青年,僕が間を置かずに二度も来たものだから,大した買い物もしていないのに,チベット音楽のCDを一枚おまけでくれた。いい人である。

7/15/2014

パンケーキ

滞在92日目。7月15日(火)の午前3時30分。

例のEggs'n Thingsが昨日,ストロベリーパンケーキを3.50ドルで出してることを奥さんが新聞の広告で発見し,せっかくなので行ってきた。店の前の看板にはわざわざ掲げてなかったので,この価格での提供は,新聞広告を見るような(おそらく比較的長期滞在の)人だけが分かる仕組みになってる。

テーブルでパンケーキを待っていると,太極拳で一緒のおばあちゃんが入店してきた。太極拳でよく話すおばあちゃんだ。たしか80歳のときに独りでホノルルに移住してきて,今84歳。太極拳も欠かさず来て稽古している。挨拶したら,「あら,あなたももしかして今日のストロベリーパンケーキ食べに来たの?」と,正鵠を射たリアクション。さすが。

というか,84歳になって,お一人で,甘くて巨大なパンケーキを召し上がりに来ることが,すごい。お元気である。何よりである。

最近太極拳の参加者が多くなって,スティーブが遠くに行ったり人の陰になったりして,よく見えなくて(聞こえなくて)やりにくい,とぼやいておられた。確かにその通りである。特に月曜日の人数が増えた。でも,ここはホノルルといってもワイキキだから,人の出入りは多いだろう。僕も来月にはいなくなる。

おばあちゃんには,いつまでもスティーブの太極拳を続けてもらいたい。

7/14/2014

足で立つ

滞在91日目。7月14日(月)の午前5時。

ワールドカップ決勝,ドイツ対アルゼンチン戦。結果は,延長後半,ドイツの華麗なトラップ&ボレーシュートが決まり,1-0で勝利。拮抗した好試合だった。グループリーグから決勝トーナメントまで一ヶ月間,楽しく観戦。

ハワイ時間だとちょうど,試合が午前中の6時以降に集中していたので,時間帯的に良かった。たぶん,日本だったら深夜のはずだから,寝不足他で,ここまで観られなかったと思う。おかげで,ワールドカップという大会を,じっくり楽しむことができた。4年後に期待。

さて,そうして朝9時から11時過ぎまで決勝戦を鑑賞し,午後からはビーチに出かけた。満潮時だったのか,ずいぶん潮が高く,波も高かった。

こういうとき,海の中で立って(底に足を付いて)バランスを取るのはとても難しい。泳いでいたり,浮き輪で浮いてたりしたら関係ないけど,立っていようとすると,簡単そうでなかなか足腰の筋肉を使う。それもランダムに波が動き,そのせいで底の砂も動くから,それに対応して細かい力をたくさん使う。ちなみに,なんでそんな状況で泳がす浮かばず,あえて立っているのかというと,二人の子どもが安全に遊ぶのを見守るためである。立つ,という鍛錬をしているわけではない。ビーチに来てまで鍛錬するつもりはない。しかし,結果的に,足と足の裏への意識は高まる。平地で立つことがいかに安定的かを改めて知る。

おかげで足を攣った。

攣りやすさは父方からの遺伝だと諦めていたけれど,歳も取ってきたから,この先は食生活やフットケアで,なんとか予防したいものである。

7/13/2014

90日

滞在90日目。7月13日(日)の午前3時30分。

今日でホノルルに来てちょうど90日。滞在予定の4分の3が過ぎた。後約1ヶ月で帰国する。ここでの生活にずいぶん慣れてきたので,今度は逆に,帰国して日本で過ごすことの方が現実感がない。空気に馴染むというのはこういうことか。

しかし,馴染むとは言っても,さらに長期に渡って住む,あるいは,日本に帰国することはない,ここに死ぬまで住む,という状況であればまた全く違う心理になるんだろうなと想像する。想像するだけだから実際にはどんな感じか全く分からないけれど。

昨日,ワールドカップの3位決定戦,結局,ブラジルはまた0-3で,大敗とは言わないまでも,完敗した。1-7のショックから抜け出せないというか,もう,たぶんシステムが崩れちゃってるから修正が効かないんだろうな。テンションも下がっちゃってるし,もうヤケになってるだろうし。

それで,今日は決勝。ドイツ対アルゼンチン。下馬評では断然ドイツ。さて,どうなるだろうか,お楽しみである。

関係ないけれど,昨日,クヒオビーチの奥の方,動物園の南側,水族館の手前のビーチまで行ってみた。いやはやこちらは波が高い。そして,その波の激しく高い浜で,ローカルの子どもたちがアグレッシブに遊んでいる。もう,波にもまれて何回転もしている。うけけけけと笑いながら波にダイブする。その波とともに僕の足に,何度も勢いよく絡んでくる(=押し流されてくる)。全員,喜々として「sorry!」とか良いながらまた波にもまれに行く。たくましい。

7/12/2014

シンギング・ボウル

滞在89日目。7月12日(土)の午前5時。

昨日,アラモアナとカカアコの間にあるワードウェアハウスにあるチベットの雑貨屋で,singing bowlを購入した。一番小さいヤツ。棒で椀の縁をなぞりながらこねると,ワンワンと,とてもいい音が出る。結局これもただのモノだから,買う意味はあるのかと一週間以上迷ったが,買って良かった。いい音がする。

置いてあった店の棚には,たしかmeditation singing bowlと書いてあった。ネットで検索すると,Tibetan singing bowl meditation などど出てくる。チベット仏教の瞑想用の法具。大きさも様々。一見すると,日本の仏壇にも置いてある,あの,チーンと鳴らす鉢形の鐘に似ている。あれは,正式名称は鈴(りん)というそうだ。たぶん,鈴はもともとこのsinging bowlだったか,あるいは,singing bowlと鈴は同じものからそれぞれ派生したのではないかと思う。でも,日本の鈴のふちをぐるぐるなぞったら怒られそう。いや,もしかしたらお寺などでは,宗派によっては,それこそ大きな鈴のふちをなぞって,ワンワンという音を鳴らすこともあるかもしれない。・・・よく分からないけど。

お店の人に教わったやり方は,左の手の平を広げてそこに椀を載せ,右手に持った木の棒(心棒)で一度叩いて鳴らしてから,椀の縁をその棒でなぞる。そうすると,心地よい倍音が響き,手の平にはその振動が伝わってくる。耳と手で,音を感じる。そういえばちょうど椀の載っている手の平には,労宮という経穴がある。ここからエネルギーが出入りする。手の平とはそういう場所だ。(無論,物理的な何かが出入りするわけではないけれど,そういうイメージを持つのは良いことだ)

椀の回りには,チベット文字というのかしら,たぶん,何かしらの経が書かれてる。心棒でなぞることでその経を唱えていることになるのだろう。それから,椀の中には,これもたぶんだけれど,いわゆる,目と目の間にある「第三の目」の絵が描かれている。

チベット仏教についてはあまり知らなかったけれど,調べていくといろいろと興味深いことが沢山ありそう。

ところで,このワードウェアハウス,あんまり繁盛していないそうだ。このチベットのお店も,12月で畳むらしい。残念である。確かに言われてみれば畳んでる店も多いし,人通りも少ない。歩いている客はほとんどローカルばかりで,観光客はまばらだ。これでは確かに,経営は厳しそう。このチベットのお店の人は,まだ若くて優しげなネパール人青年で,日本の名古屋に縁があって3年ぐらい住んでたそうである。お兄さんと二人で営んでいるこのチベットのお店は,畳んで別のところに行くらしい。二人が食っていけるぐらいは儲かると良いなと願う。幸せでありますように。

7/11/2014

3位決定戦

滞在88日目。7月11日(金)の午前4時30分。

ドイツに大敗した開催国ブラジルが,明日,3位決定戦に臨む。準々決勝で負けたなら,はいそれまでよサヨウナラ,なので,代表チームが再び試合をすることは大会中にないわけだが,準決勝で負けた場合は違う。こうして,3位決定戦が待っているのだ。

屈辱的大敗をしたブラジルは,明日の3位決定戦で,どこまでどうやって戦うのか。サッカーの戦術だとかフォーメーションだとか選手起用だとかは,素人だからよく分からないけれど,選手一人一人が醸し出す気持ちを,じっくり見てみたい。

相手はアルゼンチンにPK戦までもつれて負けたオランダである。最高のパフォーマンスを発揮しない限り,本来のブラジルとて,負ける可能性は十分に高い。今のブラジルが戦う相手としては,まさにこれ以上ない最適なチームである。

願わくば,ブラジルに勝って欲しい。別にブラジルチームのファンでないし,贔屓のブラジル人選手がいるわけでもないけれど,あんな負け方をしたから,ついなんとなく応援してしまう。

むせび泣いていたブラジルの少年たちのためにも,勝って欲しい。日本の少年たちは,日本の代表チームが負けて果たしてむせび泣くか?絶対に泣かないぞ。いや,泣くほど入れ込んでいる少年もいるかもしれないけれど,普通は,ああ負けちゃったね,ぐらいあっさりしたもんだと思うぞ。

それぐらい,ブラジル代表チームってのは,ブラジルの少年たちにとって大切な憧れなのだ。負けないスーパースターたちなのだ。代表チームが負ければ,大人は暴れだし,子どもはむせび泣く。そのくらい,ブラジル人ってのはサッカーが生活に染み込んでいるのだ。サッカー大好きなのだ。文化なのだ。

日本も,このくらい入れ込めば,ベスト8ぐらいは望めるんじゃないかなぁ。ワールドカップのときだけじゃなくて,もう,文化として地力が上がってこない限りは,せいぜいがワールドカップ出場するぐらいが関の山かもしれない。

さりとて,一方のオランダだって,だから,むせび泣くオランダ少年もきっといたはずだ。なんでPK戦で負けるんだ,試合自体は0-0で負けてないのに,と悔し泣きしているに違いない。ただ,まぁ,屈辱的な負けではない。PK戦だから,仕方がない。サッカーというゲームには負けていない。オランダは開催国ではない。自分の国で1-7は,きついだろう。そのへんの事情が,同じく準決勝で負けて3位決定戦で相まみえるブラジルとオランダは,違う。

オランダの監督は,3位決定戦なんてやるもんじゃない(やりたくない)と言っている。ベスト4なのに,ここで負けたチームは2連敗で大会を終えることになるからだ。非常に後味が良くない。なるほど,ごもっとも。だからたぶん,この3位決定戦,どちらも負けたくないだろうなぁ,きっと。

7/10/2014

身体の中心

滞在87日目。7月10日(木)の午前4時20分。

昨日のスティーブの稽古で,また面白い発見があった。意識の中心と身体の中心は違う,という話だ。

意識の中心は下丹田である。ここに気を集め,ここからエネルギーを発する。一方,身体の中心は下丹田ではない。尾てい骨である。尾てい骨を中心に身体のバランスを取る。ここのところを間違えてはいけない,と。

ただ,下丹田と尾てい骨を無理に分離する必要はない。腰腹は一体と考えればよくて,あるいは要するに腰腹辺りが重要だということで,腰腹を中心に意識することには変わりはないからだ。細かいことを言えば,身体の軸は尾てい骨にある,ということだ。

身体の軸あるいは芯は,尾てい骨を捉え感じながら,これを立てて,これに背骨の一つ一つが力を使わずに自然に乗っかっているような状態でもって,できあがる。力を入れて無理にまっすぐになろうとしない。自然に軸を感じていくようにする。そう。強為ではなく云為である。

しかし,これは言葉では簡単だがやってみると難しい。つい尾てい骨が反りすぎたり倒れすぎたりして,寝てしまう。ここで,寝ないように立てようとすると力が入る。ここに力が入ると,身体全体が強ばってしまう。昨日はだから,「Shintaro, too much strength! Too much!」と指摘された。いや,まったく意図してないのに,つい力が入ってしまう。太極拳はそうではなく,尾てい骨を感じながら,Gently and Softlyにやるのだ。

尾てい骨を中心に軸がしっかりとできると,まるで無重力(Zero Gravity)のようになる,とも言っていた。その感じは,なんとなく分かった。尾てい骨を中心に,自然に背骨が重なり,足に体重がしっかり乗る。この感じのことを言っているのだ。しっかりと軸を作り,体重を片足に乗せると,まるで無重力のように,その他の四肢は自由に動く。このことを盛んに言っていた。

しかし,これまた,この状態を始終維持しようとすると,無理に力が入ってしまう。つまり,しようと頑張るとダメなのだ。意図してなろうとすると良くないのだ。自然にそうなるように,練っていく。ただそれだけしかないような気がする。やろうと思ってすぐにできることではない。だから武術は奥が深くて,面白い。

7/09/2014

ベロオリゾンテの屈辱

滞在86日目。7月9日(水)の午前3時30分。

ワールドカップ準決勝で,ブラジルがドイツに大敗した。1-7。

これは野球の試合結果ではない。サッカーである。しかも,世界ランキング2位と3位の試合である。世界最高水準のサッカーの試合のはずである。週末の土手でやってる草サッカーの試合ではない。歴史的大敗という他に表現のしようがない。

もう早速,メディアでは,「ベロオリゾンテの屈辱」と命名されている。イージーだけれど,今回の状況にぴったりの分かりやすい命名。1950年の自国開催の時,優勝を逃したウルグアイ戦の敗戦を「マラカナンの悲劇」というらしいけれど,それから64年,ブラジルにとっては,その悲劇を乗り越えようというのが一つのキャッチコピーだった今大会は,果たして,乗り越えるどころから「屈辱」に終わった,というわけだ。

試合中すでに,ブラジルサポーターは,大人も子どもも,本当に涙を流して泣いていた。特には,子どもがむせび泣く姿は,胸が痛む。たぶん,ブラジルはこれで,誰も倒せないようなサッカー最強国に生まれ変わると思う。涙を流した次世代が,ブラジルを変えるはずだ。そう祈る。

試合をライブで見ていたけれど,2点目を入れられてからは,これこそまさに,緊張の糸が切れたかのような崩れっぷり。そこからはもうまるで,大人と子どもの試合。

ここまでのブラジル戦,いつも異様なテンションだった。選手は大声で国歌を叫ぶように歌い,試合に勝てば喜びと安堵のためか,泣き崩れ,神に祈る。試合中も,全体的に興奮した様子で動き回る。それもそのはず,どでかい球場全体が黄色く染まって,地鳴りのような声援が送られれば,サッカー王国と言われる開催国の代表としては,テンションが上がらない方がおかしい。

準々決勝で攻撃の要であるネイマールが腰椎骨折したため欠場,守備の要である主将チアゴシウバも累積警告で出場停止。さぁ,これで強豪ドイツと戦うという状況は,勝たなければならないブラジルとしては,まさに背水の陣だっただろう。そんな異様なテンションにあるとき,先制点さらには追加点を取られるという展開は,つないでいた緊張の糸がぷっつりと切れてもおかしくない。ここからは,これが本当にあのブラジルかと思えるような崩れっぷり。

街では,バスに放火だとか略奪だとかが起こってる,なんて話も聞こえてくる。マジで?いやそれぐらい,国民も混乱するような,それこそ国技と言えるサッカーでの屈辱的大敗だったからね。

どう復活するか。4年後が楽しみである。

7/08/2014

ルール

滞在85日目。7月8日(火)の午前4時40分。

先週はノースショアに行っていたので,太極拳の稽古を休んだ。昨日,約一週間ぶりに稽古をしたけれど,やっぱり,スティーブに習うと違う。

毎朝一人で套路を練るわけだが,武術の稽古は,やっぱり,師に習うのが良い。スティーブに習えるのも,後1ヶ月ぐらい。さて,その後,どうしたものか。

武術は,誰に習うかが重要だ。良師は三年かけて探せ,である。スティーブは,ただ単に健康太極拳の套路を規定通りに繰り返して教えるのではなくて,太極拳というのはどういう武術なのか,どこにどう意識を持ってきて,身体をどう使うものなのか,それによって身体や意識がどうなるのかを,丁寧に根気よく教えてくれる。人柄もこの上なく素晴らしい。

良師である。

一つ,なるほどと思えることを言っていた。ルール(原理原則)というのは破られるものなのだ,と。

例えば,たぶん弓歩という立ち方なんだと思うけれど(制定のように足の幅は広くない),このとき後ろ足を(前足に対して)90度外に開く,と最初は教える。ただそれは腰を開くことを教える上での分かりやすいルールであり,絶対ではない。実際は86度ぐらいが良く,人によって違う,と言っていた。だから,ルールというのはいつも絶対的に正しいわけではなくて,何が本当に良いかは結局,ルールに基づきつつ,ルールを越えて,自分で経験して見つけていくしかない,という話だった。上記の足の位置で言えば,ベストなポジションを自らの経験で探っていくことが大事だ,ということだ。

ルールに固執してはいけない。ルールはルールだけれど,それにこだわってはいけない。武道的に言えば,固執とはまさに居着きである。ルールに居着いてはいけない。

7/07/2014

怒り

滞在84日目。7月7日(月)の午前5時。

昨日,きわどいタイミングでバスに乗ろうとしたら,先に行かれてしまった。手を上げて乗る意思を示している僕と運転手と目線が合ったときには,バスはまだ発進してなかったぞ。その目線を切って,彼はあえて無理だとこちらを手で制して,アクセルを踏んだ。このとき逆に,ドアを開けて,乗せてくれても良かったはずだ。

こういうとき,怒りの感情がふつふつと沸く。たぶん,誰しも,沸く(んじゃないかと思う)。しかし,ここで感情にそのまま引っ張られて,ついていって,行動してはいけない。感情が行動を動機づける力は強い。特に怒りはその力が強い。ふつふつと沸く主観的な感情とともに身体もふつふつと沸く。

行動したい。つまり,何かしら悪態をつきたい,願わくばその運転手に仕返しをしたい。心の中で悪態をつく。心の中でその運転手に仕返しをする。

ここでそういう感情や思考のままでいると,いつまでも嫌な気分のままだし,さらには,無関係な周囲の他者へ攻撃的な態度になったりしてしまう。傍迷惑なのだ。

だから,身体を含めて自身の感情や思考を客観的に観察する。ただ観察するだけで,それに乗っかってはいけない。また,そういう風に感じたり思ったりすることを価値判断しない。ただ観察するだけ。ふつふつと煮えたぎる感情,わなわなと震える身体,それに伴って溢れ出てくる思考。どれもただ観察する。追いかけない。

そうすると,じきに怒に伴う感情や思考や身体は収まっていく。収まっていくそれを追いかけず,収まっていくところをただ観察する。追いかけない。判断しない。去っていくのを客観的に観察する。そうすると,ただ在る自分に戻る。太陽に照らされ,風を受けて,呼吸する,今在る自分に戻る。鼻を通して呼吸する身体へ戻る。

バスが行ってしまうことは,ときに,ある。そういうことに目くじらを立てて,いつまでもこだわっていても仕方がない。一瞬腹の立つことは致し方ない。でも,それにこだわって(思考を続けて)いつまでも嫌な気分でいるよりも,大らかにこだわらないでいる方が,結局,そのときその後,気分が良い。

マインドフルネスの実践稽古は,こうして,いつでもどこでもできる。

そもそもこうして,怒りの事態をマインドフルネスの実践稽古の時だと認識して,マインドフルネスを実践しようとすること自体が,成功しようがしまいが,マインドフルである。だから,日々,マインドフルであり続けることが,マインドフルネスの実践稽古である。

7/06/2014

チップ

滞在83日目。7月6日(日)の午前7時40分。

パシフィック・ビーチ・ホテルにある,オーシャナリウム・レストランに行った。ワイキキでは有名な,水族館並みの水槽があるレストラン。ビュッフェ形式。

食べ物は,全体的には美味い。ただ,まぁ,ものすごく高い。普段は絶対に行けないけれど,今回は母と弟家族が来ているので特別だ。

ビュッフェに並ぶメニューは,値段の割にそれほど多くない。コーヒー・紅茶・フルーツポンチジュースはビュッフェの料金に含まれているが,それ以外の飲み物は別料金で,値段も高い。人が多すぎて,賑やかすぎて,落ち着かない。どこかの高校の修学旅行の団体も来ていた。

壁のような大きなガラスの水槽で,人魚に扮した女性のダイバーが,中から手を振っている。人魚がエイと戯れている。水槽の中から男性ダイバーが,"Happy Birthday!"と書いた看板を掲げて,水槽近くの子どもの誕生日を祝っている。この値段はだから,水槽見物代なのだ。

提示された請求書にサービス料(チップ)15%がすでに込みになっているにも関わらず,請求書と一緒に,日本人用に作られたチップに関する案内として,「この料金にはサービス料が含まれていません。アメリカでは通常15%のサービス料を別途払う習慣ですから,払いましょう」というようなことがご丁寧に書かれた,ラミネート版が挟まれていた。

これはおかしいと思い,請求書を持ってきたウェイターにこのことを尋ねると,即座に「あああ,これ,間違いです,すみません」ってなことを言って,バツが悪そうにしてそのラミネート版をそそくさと隠した。

・・・・・・・・・・ううううううううむ。

なんだそれ。それで良いのか。良くないんじゃないのか,これ。このときはこの違和感の本質を明確に認識できなかったけれど,後から考えると,これ,とってもおかしいのである。

人によっては,請求書もよく読まず,疑問があっても尋ねずに,案内にしたがって,そのまま合計30%チップを支払わされるはめになるのではないか。危ない危ない。

つまり,状況を勘案すると,意図的に,つまり「わざと」ラミネート版を請求書にさりげなく挟んでいるとしか考えられないのである。というのも,請求書にサービス料が含まれていることは,店のシステムとして当然自明のことであって,それにも関わらず,わざわざ丁寧にラミネートされて作られた案内版まで用意してそれを請求書に挟む,というのは,やっぱりどう考えてもおかしい。チップという,日本人にはなれない習慣につけ込んだ,サービス料の二重取りなわけだ。たとえ意図的でないとしても,そう取られてもしかたのないやりかたである。

いやはや,請求書の内訳やアメリカでの習慣が分からず,それでいて英語で質問できずに面倒くさがって躊躇する日本人の間違いや狸寝入りを期待する商売。仮にそうだとしたら,とてもせこい。

でも,たぶん,店側としては,まったく問題ないんだろう。そもそも,楽しく短い旅行中の出来事だし,後から気がついたとしてもわざわざ訴えることもしない。訴えるほど高額でもない。旅行中の羽振りの良い全体的出費からしたら少額だ。そして,たとえ後で訴えられても店側が負けることはない。というのも,理屈の上では,チップは,別に15%と決まっているわけではないから,ただ単に30%もチップを払う気前の良い日本人,ということで処理されるだけだから。店の説明が良くないと反論されれば,それは英語や習慣を理解しない日本人が悪い,というだけ。

考えれば考えるほど,これが真実だとしたら(いやたぶん真実なんじゃないかと思うんだけど),なんか,つくづく,せこいなぁ,こういうのって(笑)。カモネギ日本人から搾り取れ!

まぁ,しかし,食べ物は,美味しかったので,良しとする。

7/05/2014

パンケーキ

滞在82日目。7月5日(土)の午前5時20分。

Eggs 'n Thingsに行った。ワイキキの超人気店。パンケーキとオムレツが自慢のお店。毎日長蛇の列。この日,母と弟家族が来たので,列に並んで昼時に入店。

パンケーキに山盛りの生クリーム。テレビでしょっちゅうCMをやっていて,常々山盛り生クリームを見せられてきたが,ようやく実物を生で拝見。CMほどではないけれど,たしかにちょっとびっくりな山盛り具合である。

パンケーキが,美味い。

別に甘い物好きとか,スイーツに造詣が深いとか,デザートに一家言あるとか,ましてやグルメでもなんでもないけれど,これは端的に美味いパンケーキであった。柔らかくて少しモチモチしっとりしていて,生地自体がほんのりと甘い。載っている生クリームも,備えつけのシロップ(メープル,ココナッツ,グァバ)も,甘すぎなくて良い。

パンケーキ5枚と山盛り生クリームで,CMを見る限り,こりゃやり過ぎだろ,と思っていたけれど,全然そんなことはない。食べられる。人気の秘密が分かった気がする。ちなみに,日本にも何軒か店が出てるらしい。

しかし,オムレツは,たいしたことはなかった。Eggsと名の付くぐらいだから,さぞオムレツも自信の品なのだろうと期待したけれど,まぁ,美味しいには美味しいけれど,このくらいなら世界中どこでも出されているような普通に美味いオムレツである。驚嘆するような品ではない。

パンケーキには,驚嘆した。

スイーツやデザートに何らこだわりはないけれど,ここのパンケーキならもう一度食べてみたいと思う。

7/04/2014

東海岸

滞在81日目。7月4日(金)の午前3時40分。

昨日,ノースショアからホノルルまで帰ってきた。東の海岸沿い回りで,クアロアランチ(クアロア牧場),カイルアビーチ,パリ展望台で観光して,ワイキキのレンタカー屋に戻る。

ノースショアの田舎道は,車も人も信号も少なく,走りやすい。車が大嫌いな僕でさえ,ライエを抜けた後のクアロアランチまで行く道は,左手に海を右手に山を見ながら,運転していて気持ちよかった。

この東海岸の景色は,乾燥して草木も低く畑や平原の印象が強いH1やH2辺りの景色とぜんぜん違って,とても東南アジア風というか,熱帯風というか,湿っていてそそり立つ山々が鬱そうとしている。緑に覆われた急な山が海のすぐそばに迫っていて,道はその間を走り続ける。場所によっては山の方に分け入って高度も上がる。するともう,ジャングルだ。

だから,車の大嫌いな僕も,ノースショアまでH1とH2に乗って行き,東海岸回りで帰ってきて,良かった。オアフ島のもう一つの顔を,見られた気がする。

ところで,カフクの街の地元のスーパーなんかは,さすがに日本語は一切通じなかったけれど(英語もいまいち聞き取りにくい。田舎なまり?),ポリネシアン・カルチュラル・センターだとか,クアロアランチだとか,北や東の,ホノルルとは真逆にあるところでも,観光地として客を呼び込んでいる場所はもう,しっかり日本語が飛び交っている。

7/03/2014

ポリネシアン・カルチュラル・センター

滞在80日目。7月3日(木)の午前9時。

昨日は,ポリネシアン・カルチュラル・センターに行ってきた。ポリネシアとは,ハワイ,ニュージーランド,イースターの三角形を結ぶ海域のことで,この中に6つの国がある。サモア,アオテアロア(ニュージーランド),トンガ,フィジー,タヒチ,そしてハワイ。

各国が村のようにまとまって6箇所に別れていて,各国(村)ごとに,体験をしたりショーを見たりすることができる。ディナーと夜のショーも予約して,観覧してきた。ポリネシア文化を学びながら,子どもも大人も一日楽しく遊べる,なかなか良いところだ。どうも今年で開設50周年の様子。長く続いているのもよく分かる。

このポリネシアン・カルチュラル・センターは,ブリガムヤング大学ハワイ校とピッタリ横に並んで建てられている。センターの各種バイトは,ブリガムヤング大学の学生がやっている。センターの収益の一部はブリガムヤング大学の教育にも役立てられている(らしい)。ブリガムヤング大学はモルモン教の大学だ。モルモン教はお酒は禁止。センターのディナーではアルコールは出ない。最後のショーも,ポリネシアに宣教師が来て布教するわけだが,その服装がどうもモルモン教。センター内も,宣教師の家,みたいなところもある。なんだこのモルモン教プッシュは。

まぁ,お察しの通り,このセンター,どうもモルモン教が経営していて,要するに横に並んでいるブリガムヤング大学と同じ母体ということなのね。この,大学とセンターがあるライエという街自体が,モルモン教の街,ということである。

で,ライエ。とてもきれいな街。中央にはフードランドというスーパーとともにモールもあって,潤っている感じ。隣の町のカフクは,まぁ結構,寂れているというか情緒豊かというか,古くからある街でなかなか味がある一方,このライエは建物もキレイにペンキが塗られていて,道もキレイに舗装されていて,裕福な印象を与える。大学とセンターがあり,主にはそこの関係者(=モルモン教)が住んでいるということか。なお,ブリガムキング大学は,モルモン教徒じゃなくても入学は可能みたい。

バイトのブリガムヤング大学の学生も全体的にホスピタリティに溢れていて,良かった(中には,若いし,シャイなのか,やや無愛想なのもいたけど;笑)。たぶん,日本や韓国や中国からの留学生が,それぞれの国の観光ツアーの客を案内している。大学とセンター,教育(学生)と商売の需要と供給がうまくマッチしたシステム。脱帽。

とにかく,まぁ,そういう,やや一定の宗教に偏りが感じられる面もあるけれども,全体としてはポリネシア文化を楽しく学べるこのセンターは一押しである。

7/02/2014

潜るか乗るか

滞在79日目。7月2日(水)の午前8時45分。

ハワイの海は,波が高い。人が泳げるような,砂浜が広がる海岸には無論,日本の海に比べたら海水の透明度は格段に高くて,そこには小魚が泳いでいるけれど,シュノーケルして楽しいほどカラフルな魚がわんさと砂浜近くまで泳いでいるわけではない。そういうスポットに行けばいるだろうし,スキューバのポイントもあるのだろうけれど,波が高いので,砂がえぐられて,すぐに深くなる。珊瑚が広がる遠浅の穏やかな波打ち際,というのはもしかしたら少ないのかもしれない。

グアムの海はその点,遠浅で波は穏やか。色とりどりの魚が普通に波打ち際までたくさん泳いでいた。シュノーケルすると楽しいのは断然こっち。パラオはさらにその上を行く魚の多さ。圧巻である。南国風情なお魚が,足下にうようよいる。なまこもたくさんいる。ジャイアントクラム(大シャコ貝)もたくさんごろごろしている。

波が高いハワイは,だから,サーフィンの国なのだ。

若い人も年配の人も,サーフィンをしている。男も女も,サーフィンをしている。ベテランもビギナーもいる。サーフィン教室もたくさんある。サーフィンのボードやグッズを売っている専門店もたくさんある。どこへ行っても街中,サーフィンの写真や絵や物などのアイコンが溢れている。

だから,ハワイと言えばサーフィンなのだ。

サーフボードにはどうも長いのと短いのがあるみたい。それから,ボディボードも同じぐらい流行っている。最近は,スタンドアップパドルボードという,ボードに立って漕ぐのも人気らしい。とにかくみんな,波に乗りたい。波に乗りに来るために,ハワイに来る。

昨日,サーフィン教室みたいなので,ビギナーのみなさんが,比較的穏やかな波を使って,波乗りの練習をしていた。身体全体のバランスを一生懸命に保ちながら,みんな真剣に,かつ,楽しそうに,ゆったりと何度も波にチャレンジしている姿が,とっても微笑ましかった。

サーフィンは,やってみたいと小指の先ほども思わないけれど,身体のバランスの訓練だとすれば,年を重ねてもこれをやってる人は足腰鍛えられて,良いだろうなぁ。根あるいは芯ができないと,これにはちゃんと乗れないはずだ。それに,これほど全身で海と親しめる遊びも他にない。スキューバで潜るかサーフィンで乗るか。

僕の場合は浅瀬で波にまかせて漂いながら水中メガネで海の中を眺める。心持ち潜りながら心持ち乗る。特に何もしない。このくらいが一番楽しい。

7/01/2014

レンタカー

滞在78日目。7月1日(火)の午前5時30分。

7月になった。4月に来たので,月としては,4,5,6,7と,4つ目の月。

そんなに長くアメリカに滞在しているのに,実は昨日初めて,レンタカーを借りて車を運転した。日本にいるときでさえも車の運転があまり好きではないので(むしろ嫌いなので),できればこっちで運転したくなかった,滞在中運転せずに済むならせずに過ごしたかったけれど,やむなし,必要が生じたので,レンタカーを借りた。

右車線左ハンドルである。恐ろしい。

僕の知り合いには,たしか記憶ではアトランタで開催された学会のとき,アメリカのハイウェイを乗りたいという全く了解不能な理由から,わざわざ会場から少し離れたところにホテルを取って,レンタカーを借りて車の運転を楽しむ,という奇特な人がいるけれど,僕からすると,そんなのはただのキテレツ行為である。

生まれて初めて,左ハンドルの車を運転した。

ウインカーやワイパー,シートベルト,シフトレバー,バックミラーなど,いろんなものが右ハンドルとは逆になっている。アクセルとブレーキの位置が逆になってなくて助かった。カミサマありがとう。

さぁ,これから,この左右あべこべになっている車を走らせなければならない。心理学に例えれば「逆さ眼鏡」並みの不安状況である。それほどでもないか。まぁしかし,こうして,操作する車自体慣れないのに,交通ルールも慣れないところを走る,という二重の苦難。だからと言って,ずっとこのレンタカー屋の駐車場にいるわけにはいかない。レンタカー屋のおじさんも,いつ発進するんだこの野郎早く行きやがれ,と笑顔で見守ってくれている。とにかく,発進するしかない。いざ,出陣,いや,発進。

と,ウルトラC難度の状況のせいで,何やら警告音が鳴っていると思いきや,サイドブレーキをしたまま発進。さらにシフトレバーで入れたと思っていたのがDではなくMになっていて,なんだか分からず,低速のまま,エンジンの回転数が上がらない。後から調べたら,Mって,ギアチェンジしながら運転するスポーティなモードなのね。+M-ってなってるから,+にするとギアが上がって,-にすると下がるってことか。要らない。Dでいい,Dで。

事前にハイウェイまでの道を念入りに調べておいたのに,通れるはずの道が工事中で,これまたウルトラC難度。迂回しろって書いてあるけど,どの道が迂回路なのかも分からず,助手席の奥さんにこっちかもあっちかもと教えを受けながら,なんとかハイウェイに突入。一応,この時点ですでに,サイドブレーキ問題とギア問題は解決していたので,なんとか無事,H1に乗れた。

H1からH2に入り,ノースショアへ。

この文章を書いているということは,無事,目的地へ到着したということで,無事故に安堵。何事も,経験である。

6/30/2014

ひまわりの種

滞在77日目。6月30日(月)の午前5時50分。

ひまわりの種を食べた。とっとこハム太郎である。

食べ方が分からない。そこでネット検索。便利な時代である。すぐに分かった。口の中に放り込み,下と唇を駆使しつつ,前歯の上下で種を縦に割ると,中にやや柔らかくて甘いところがある。それを食べるのだ。殻は捨てる。

小さい頃,梅干しの種を割ったら中に柔らかい部分があって,それを食べたことがあったけど,あれに似ている。梅干しの種は硬かったけど(笑),ひまわりの種は,すぐ割れる。

このひまわりの種,塩をまぶして炒ってあるので,塩っ気が美味しい。ただ,割るのが面倒くさいといえば面倒くさいのと,割ったところで得られる中身ってのがごく小さい。だからたぶんこれ,口寂しいときとか,何かしながらとか,暇つぶしとか,気晴らしとか,そういうときに,何となく口の中で転がしながらちまちまと食べるんだと思う。コーヒーのあてなんかに良い。わしわしがしがし食べるものではない。

アメリカだとメジャーリーガーなんかがベンチでもぐもぐしてるらしい。何粒も口の中に放り込んで,殻をペッと捨ててるらしい。

だから,もしかしたら,何かストレスフルなときとか,緊張しているときとか,イライラしているときとかに,これをしゃぶれば,これに意識が集中するといえばするので,良いのかもしれない。まぁ,しかし,塩で炒ってあるやつは,いくつも食べると,塩っ辛くなるし,舌の先が痛い。慣れてないから,知らない内に殻で傷つくのかもしれない。

ひまわりは北アメリカ原産で,紀元前3000年にはネイティブアメリカンが食用に栽培していたらしい。ということは,これ,純アメリカンな食べ物,ということか。しかし,まぁ,よくこれをこうして食べようと思ったな,と感心。種です種。

6/29/2014

ケイキ・スワップ・ミート

滞在76日目。6月29日(日)の午前6時30分。

昨日,28日(土)の午前中,チルドレンズ・ディスカバリー・センター主催の「ケイキ・スワップ・ミート Keiki Swap Meet」というのに行ってきた。ケイキというのは,ハワイ語で「子ども」という意味。つまり,直訳すれば,「子ども交換会」というところか。何かというと,要するに,子どものフリーマーケット,である。

もちろん,子どもの親も付いて,各家庭がテントを張って,使わなくなったオモチャだとか服だとかを売る。子どもによる子どものためのフリーマーケットなので,一応,大人は引っ込んで,子どもが店員になり,客である子どもとやりとりする。が,ときに肝心の子どもがどこかに行ってしまい,親が売っているところもある。

売りに来ている家庭は,ざっとみて30ぐらいか。つまり,テントが30ぐらい,芝生の広場をぐるりと取り囲んでいる感じ。テントの下で,キャンプ用のチェアに座りながら,サンドウィッチや果物を頬張り,飲み物を飲んでいる。ちょっとしたピクニックである。

この芝生の広場は,ディスカバリー・センターの横にある。カカアコ・ウォーターフロント・バークの一部だろう。そう,ここカカアコ・ウォーターフロント・パークは,ホームレスがものすごく多く集まって住んでいるところである。

ここのホームレスは,人種もいろいろで白人,黒人,ポリネシア人など。そして,ワイキキのホームレスと違って,子どもが多い。おそらく,幼稚園ぐらいの年齢から中学生・高校生ぐらいの年齢まで,子どもたちもここで親とともに寝泊まりしている。彼らは,たまたま親がホームレスであったために,公園のシャワーで身体を洗い,公園のトイレで用を足している。果たして学校には行けているんだろうか。そういう子どもたちを見る度に,心が痛む。ただ,ホームレスの子どもは肥えている子も多いので,それなりに栄養は取れているのだろう。親もなぜか肥えている人が多い。

ここカカアコのホームレスは,各家庭?ごとに歩道にテントを張って住んでいる。歩道沿いに,テントが寄り添い合って,並んでいる。

つまり,どういう構図になっているかというと,芝生の広場の内側は,売るほどオモチャや服がある裕福な家庭のテント,一方,芝生の広場の外側は,そこで暮らしているホームレスの家庭のテント。その距離,およそ10メートル。公園の敷地内か敷地外かという,見えない境界を隔てて,その社会経済的な背景の落差があまりにも大きい。なんともいえない悲しい気持ちになる。

並んでいるたくさんのオモチャや服を見て,ホームレスの子どもたちは,何を感じているんだろう。きれいな服を着てきれいな食べ物をほおばっている同じ世代の子どもを見て,どう思うんだろう。そしてホームレスであるその親は,この状況をどう感じ,また,自分の子どもの気持ちを,どう感じているんだろう。

なんだかとても,残酷である。

6/28/2014

見た目

滞在75日目。6月28日(土)の午前4時15分。

スポーツオーソリティがあったので,寄ってみた。店内は広い。日本にある店舗に入ったことがないので,スポーツオーソリティという店は世界中どこもこんな風なのかどうか分からないけれど,7割は衣類(靴含む)。

もちろん,各種スポーツ用品も数多く置いているけれど,道具は一度買ったらそうそう買い換えるものではない。素人や初心者にとって,道具に大差はないだろうし,道具でパフォーマンスが劇的に変わるようではスポーツとは言い難い(玄人や上級者にとっては,道具の違いは大きいかもしれないけれど)。それに道具は,馴染んでこそ,使い慣れてこそのスポーツである。

だから一般のスポーツ愛好者にとっては,まずは服の見た目や着心地こそが重要であり,何を着るかに選択や変更の余地があるのだ。ここんところは,買い換えたって,気分の問題だから,良いでしょう。これでパフォーマンスが劇的に変わるわけではないけれど,やってる気分は多少違う。

ということで,実は,太極拳っぽいパンツ(ズボン)はないものかと,探しに入ったわけである。

今は,空手着の下(ズボン)とTシャツで稽古している。もちろん,これで,機能的には何も問題はない。運動する上で,空手着が一番着慣れている。また,普通,太極拳などの中国拳法は,靴を履いて練るけれど,僕の場合は靴を履いて練るのに慣れていないので,空手と同じように,裸足でやっている。幸い,ここはハワイなので,普段サンダルの人も多いために,稽古中は裸足になる参加者もときどきいる。だから,カラテパンツにベアフット,という出で立ちは,(たぶん)奇異ではない(と信じたい)。

ヨーガコーナーはあった。ヨーガ用の服がワンコーナー設置されているのだ。こちらはヨーガがとても盛んで,ワイキキの街中にもヨーガ専門の店とかあるし,ヨーガマットがどこでも売っている。ビーチやパークでヨーガ・ヒーリング,というわけだ。ちなみに,太極拳をやっているコミュニティセンターでも,ヨーガクラスがたくさん開講されている。

ただ,ヨーガコーナーにある服はどれも女性ものばかり。街中にあるヨーガ専門のお店も,女性専用(っぽい雰囲気)。こうなると,ヨーガは女性がやるものという,なんとなく暗黙の圧力を感じる。ヨーガをやるためのゆったりとした服なんかがあれば,そういうのは太極拳をやるのに良いかなと思ったり,一度実際にヨーガもやってみたいなと思っていたりもするので,まずは見た目や着心地から入る素人としては非常に残念。

結局,スポーツオーソリティには,タイチーパンツは,なかった。探していたのは,要は,裾がゴムで締まったスウェットのズボンで,イメージしていたものに近いものは,あるにはあったが,結局,買うのは止めた。

術は見た目じゃないのだ。今の空手着と裸足で機能的には十分なのだから,見た目などはどうでも良いのだ。見た目にこだわるのは素人なのだ。そんなのは本質じゃないのだ。だから,買うだけ無駄なのだ。

でも,同じスウェットのズボンが「タイチーパンツ」と書かれて売られていたら,たぶん,買っていたにちがいない。素人は見た目から入る。これ,基本である。

6/27/2014

避難警報

滞在74日目。6月27日(金)の午前4時30分。

昨日の午後3時半ごろ,ちょうど家族全員で部屋にいたら,突然警報が鳴り響き,建物の外に避難するようにとアナウンスがあった。イマージェンシーである!

住んでいる部屋は21階。非常階段で地上まで降りていく内に,同じようなところをぐるぐる回るから,目まで回ってきた。

地上に出ると,消防車が3台ぐらい来ていて,ちょうど消防士の人が,消火栓を捻って水が出るのを確認しているところだった。大きなスパナで力を込めて栓を捻ると,栓に塗ってある黄色い塗料が剥がれ落ちる。今まで使っていなかった証拠だ。最初に錆びた水が道路に数十メートル勢いよく出た後,続けて普通の水もちゃんと出ることを確認して止める。消防車のホースを取り付ける。準備完了。

地上には大勢の降りてきた住人が,マンション(コンド)を見上げ,さて,どこの部屋が火事なんだ?と詮索する。どこからも煙は出ていない。飛び降りか?なんて物騒な声も聞こえる。

見上げると,部屋から下を覗いている人がチラホラいる。世の中には,こういうとき,降りてこない人というのがいるんだ。降りる途中,バスローブを羽織り,頭にタオルを巻いた女性もいた。たぶん,入浴中だったのだろう。そうやって,着の身着のままで降りてくる人もいれば,悠々と部屋から顔を出して階下を眺めている人もいる。

こういうときは,何はともあれ,指示にしたがって避難した方が賢明であり,過小評価はしない方が良いのに,と3.11を経験した日本人としては,思う。

結局,「誤報」であった。良かった。誤報かよ~なんだよ~もう~びっくりさせやがって,と一斉に戻っていく住人たち。

マンション(コンド)の仕組みとして,料理などでちょっと焦がしたりすると室内の火災報知器が鳴り響く。だから焼いたりするときは事前に換気扇を回しておかなければならない。もし火災報知器が鳴ってしまったら,そのときは換気扇を回し,窓を開けて,空気を入れ換える。するとそのうち鳴り止む。こちらに来てすぐのころ,どのくらいの煙で鳴ってしまうのか知らなかったので,うちも一度,部屋の火災報知器を鳴らしたことがある。正直,ビビる(笑)。ここで焦って部屋の「ドア」を開けてしまうと,消防署に自動的に通報される。つまり,「誤報」される。

だからたぶん,部屋の火災報知器が鳴り,そこの住人が焦ってドアを開けてしまった,というのが真相だろう。

急いで降りてきた住人たちもたいへんだけれど,消防署の人たちもたいへんである。この騒ぎのために消防車によって突然通行止めになったので,建物前の道(一方通行)にちょうどいた車は,まったく無関係なのに,身動きが取れなくなってたいへんである。

こうしてみんなたいへんなんだけれども,とりあえず,何事もなくて,良かった。避難訓練だと思えば,良い経験をさせてもらった。

6/26/2014

董家

滞在73日目。6月26日(木)の午前4時30分。

残念ながら日本は,グループリーグで敗退。緒戦のコートジボワール戦の1-2がもったいなかった。あそこは1-1の同点で切り抜けられたかもしれない。でも,そうしたらギリシャ戦は0-0ではなくて負けていたかもしれない。ならば結果は同じ敗退。とあれこれ考えて楽しむのがワールドカップでもあるから,日本の入っているグループCは,今回も十分楽しめたので良かった。

さて,決勝トーナメントへ進むチームが続々と決まりつつある。ここからさらに面白くなる。

ちなみに日本の3戦目のコロンビア戦は,観なかった。ちょうど同じ時間に,ボブと会う約束があったからそちらを優先。なお,試合結果は1-4。どうやら1-1に追いついたところから3点追加されたらしい。きっとライブで観ていたら,また感情移入して,瞬きも忘れ,マインドフル観戦どころではなかっただろう。無事(wushi)の実践。

昨日,スティーブから,彼に教えてもらっている太極拳の系譜について,少し詳しく聞いた。伝統的な楊式太極拳ではあるのだが,現在,Dong Zhen Chen(董増辰)という人が継承・普及している太極拳なのだ。

帰宅してさらにネットで調べてみた。

DongはTungとも表記されたりしている。ネットで見る限り,どうも,Dong Family Tai Chi 董家太極拳とか,Dong Style Tai Chi 董式太極拳とも言われている。ハワイを中心に,アメリカ本土にも支部がある。

套路は,long form 長拳とshort form 短拳の2つ。long formは99式。これが伝統的な楊式太極拳のことだが,董式太極拳とある。short formは31式で,別名,fast form (fast set) 快拳とあり,これは他では見たことのない,素早く動く太極拳。董式短拳とある。あるいは,英傑快拳ともある。

どうやら,Dong Zhen Chenという人は,85式を作ったYang Cheng Fu 楊澄甫の弟子である,Dong Ying Jie 董英傑の孫らしい。

だからやはり,予想通り,世の中一般に普及していて,世界どこでも教室が数多くあり,YouTubeでも動画がたくさん見られる,いわゆる「制定の伝統楊式太極拳」とは,違うのだ。国際武術連盟が主導する<武術>の競技大会は,伝統拳でも「制定の伝統拳」(ややこしい)を演武して競い合うわけだが,そういう制定の太極拳ではない。だから,楊式太極拳のつもりでどんなに熱心に董式をやっても,競技では決して勝てない。なぜなら,制定ではないから。だからこれは,競技大会などを目指した太極拳ではないのだ。

まずもって,大きく違うのは,立ち方が違う。腰の高さが違う。蹴り方が違う。long formのシークエンスはだいたい同じなのではないかと思うけれど,伝統的な楊式太極拳は108式と85式ということだから,微妙に違うのかもしれない。そもそも,fast formは,教わっていないけれど,興味深い。

董英傑が習った,本来の,本当の意味での伝統的な楊式太極拳を,継承・普及する。それが董家の太極拳ということだと,今のところ解釈している。

6/25/2014

身体の習慣

滞在72日目。6月25日(水)の午後2時30分。

ある一定の動きを繰り返すのが形であり,呼吸をその動きに合わせつつ,身体感覚を意識する。そうして練り続けるのは,動きを身体に染み込ませるためだ。

武術的にはそうして染み込ませていくわけだが,ときに,逆の動きをしてみると,新鮮な身体感覚を得ることができる。だからと言って,逆も同じように稽古する必要はないけれど,ときにはやってみると良い。

というのも,ボブに教わった易筋経の中の動きで,the body sinking and risingというのがあり,そこでは,身体を沈ませながら息を吸い(inhale),身体を浮かせながら息を吐く(exhale),とある。

こういう場合,身体を沈ませる(下に体重を落とすように締める)ときには息を吐き,身体を浮かせる(上に伸ばすように身体を緩める)ときには息を吸う方が,動かしやすい。呼吸が動きに合っているのだ。

いや,ここで「合っている」と感じるところが,身体の習慣だということである。その方が,慣れているのだ。そういう風に身体を操作することに,馴染んでいるのだ。そういう風に馴染むのが良くない,というわけでなはい。形を練るとはそういう風に徹底的に馴染ませていく,染み込ませていく作業だからである。

沈むときに吐き,浮くときに吸う,という身体操作は,空手のサンチンに徹底的に込められている(なお,サンチンをするとき,沈んだり浮かんだりというのは,身体感覚としてであり,実際に見た目で分かるほど沈んだり浮かんだりするわけではない)。これと易筋経のthe body sinking and risingは,動作と呼吸の合わせ方が全く逆なのだ。

ものすごく,やりにくい。非常に違和感がある。平たく言えば,気持ち悪い。

この気持ち悪さこそが大切なのだ。習慣を破り,いつもとは異なる身体感覚を味わってみる。そうすることで新たに気づく身体箇所の感覚がある。今度は,これが気持ちが良い。

だからときに,逆のことをやってみるのも良い。気持ち悪くて気持ち良いから。

6/24/2014

良師

滞在71日目。6月24日(火)の午前5時20分。

昨日のスティーブの太極拳の稽古で,また面白い話が聞けた。

身体への意識として,9割は尾てい骨に,後の1割で手足を動かす。このとき,二本の手と二本の足の4点を同時に意識しながら動く。そういう感じで,やさしく(gently),柔らかく(softly),動く。

スティーブはもう30年来太極拳を稽古しているそうが,20年前に師が言っていたことがようやく分かった,ということがよくある,と言っていた。武術とは,そういう長い道程の旅なのだ。

そうして,飽きずにじっくりとしつこく練り続けている人の話には,説得力がある。ただ,まぁ,どういう師のもとで練るかで,1日練る価値もさることながら,そのまま半年や1年と練る価値はさらにずっと,違ったものになってくる。だから,何でも良いから長く練れば良い,というものでもない。難しい。

良師は三年かけても探せ,とはまさにこのことである。

スティーブのタイチーを見て,彼のタイチーに関する説明を聞くにつれ,彼の師はまさに良師であることが窺い知れる。そして,その元でしつこく30年以上も練り続けてきたスティーブのタイチーは,とても理に適っていて,彼もまた,良師であると感じる。

6/23/2014

ビショップ・ミュージアム

滞在70日目。6月23日(月)の午前8時。

昨日は日曜日だったので,少しだけ遠出して,The Busに乗ってビショップ・ミュージアムに行ってきた。正式名称は,バーニス・パウアヒ・ビショップ・ミュージアム。1889年創立なので,今年で125周年だそう。

ハワイ最大の博物館ということで,ポリネシア文化を総覧できる非常に良い博物館。本館の建物も立派。展示されている品々も貴重なものが数多く並んでいる。その他,ハワイならではということで,ハワイの島々の成り立ちのレクチャーを含めた溶岩体験とか,ハワイにちなんだプラネタリウムも楽しめる。

日本人(もしかしたら日系アメリカ人)ボランティアの方のガイドがついた簡単な(30分程度の)本館内ツアーもあり(10:30からのツアーのみ),そのガイドの方の説明が,ポイントを押さつつ簡潔かつクリアで,非常に分かりやすく,良かった。

ワイキキからすると,チャイナタウンを越えた向こうの郊外にあるので,短い滞在だとわざわざ行くというのは厳しいかもしれないけれど,もし半日時間があれば是非行ってみるべきところ。子どももそれなりに楽しめる。駐車場も大きい。The Busで行く場合は2番に乗る。バス停から2~3分の,住宅街の中にある。

今ちょうど,館内レストランが改装中かなにかで閉鎖しているので,中庭に,ランチプレートのバンが,お昼に合わせてやって来る。値段は1プレートが7~8ドルぐらいで良心的。ただ,昨日は日曜日だったので来ていただけで,平日は分からない。

たぶんハワイの州旗だろうと思っていた旗(アメリカ国旗の横にだいたい並んで掲げてある)は,やはりハワイの州旗であった。そして,なんでその州旗の左上隅がユニオンジャックなんだろうとずっと思っていたんだけれど,その謎が解けた。

6/22/2014

日本の食

滞在69日目。6月22日(日)の午前4時30分。

ワールドカップのグループリーグも佳境に入ってきた。ESPN(とABC)で(ほぼ)全試合生中継(うちはESPN2が見られない)。そのときうちにいれば,テレビを点けて観ている。

そろそろ各グループの第二戦目が終わりつつあり,明暗が出始めている。強豪国としては,すでにスペインとイングランドの敗退が決まっている。

日本はまだ首の皮一枚,つながっている。最終戦のコロンビアに勝ち,コートジボワールがギリシャに負けた場合に限って,日本・コートジボワール・ギリシャ間で勝ち点が同じになり,後は得失点差で,決勝トーナメントに進出する国が決まる。

可能性としては限りなく小さいけれども,善戦してほしい。

全然関係ないけれど,そんなワールドカップの最中,お昼に食べたのがそーめん。こっちにももちろん,麺類は売っている。その中でも,そーめんは,安い。けっこう需要があるのかな。

一方,インスタントラーメンは,まぁ安いけれど,あんまり種類はない。「マルちゃん」が安くてどこでも置いている。記憶では,ウォルマートとかドンキホーテで,1袋当たり30~40セントぐらいだったかな。そして,味は期待してはいけない。まずくはないけれど美味くはない。当たり前か。ここはアメリカだからね。そう思うと,日本のインスタントラーメンの豊富さと味の良さは,驚嘆に値する。

そう思うと,改めて,日本は麺類が豊富だなぁ。当然,蕎麦もあるし,うどんもある。

そういえば,クヒオ通り沿いの「丸亀製麺」は,いつも長蛇の列である。見た感じ,日本人以外の客で賑わってるんだと思う。けれど,急に日本のうどんが食べたくなって入る日本人もいるのかな。うちはまだ一回も入ったことはないし,今のところ入る気もしない。日本に帰れば,そこら中にあるし。

日本食で思い出したけれど,当然,ワイキキにもそこここに日本食屋(寿司店とか和食の店とか)はある。しかし,店構えと雰囲気でギョッとしたのが,クイーン・カピオラニ・ホテルの1階奥にある「義経」という店。なんというか,駅前地下街の奥とか,繁華街の飲み屋が入った雑居ビルの地下の奥とか,とにかくお天道様の光の届かない<地下の奥>にある居酒屋のような,そんな店構えと雰囲気の日本食屋なのだ。

そんな日本の場末なオーラを発するお店が,クイーンと名の付くビーチに近いオシャレなワイキキのホテルの1階の奥を占めている。ホテルのトイレを借りようと入り口からロビーに入って,奥に目を向けたときに,発見した。正直,ギョッとした。カメラを持っていたら撮っておきたいと思うほど,店をまじまじと凝視してしまった。何かの見間違いか幻覚か,はたまた,これが現実なら日本趣味のオブジェかアトラクションかと思うほど,場末感がよく出ているものだから。

ついでに客層も見てみた。外から店内が丸見えなのだ。結構賑わっている。客は全員,東アジア人。たぶん,大半は日本人で,一部,もしかしたら中国人か韓国人と思えるお客さん。やや暗い店内で,みなさん,箸を持って,和食を頬張っておりました。日本趣味だがアメリカンテイストなアレンジの和食屋ではなくて,場末の居酒屋か蕎麦屋をそのまま持ってきたような,そんな日本食屋。

別に悪いことではないけれど,どうしてせっかくワイキキまで来て,こんなフルチャージな日本食屋で日本食を食べたいと思うのだろうか。滞在中に食べられる食事の回数も決まっているだろうに,なぜ?いや,これが日本人以外の観光客で賑わっているのであれば,なんら不思議ではないのだけれど,なぜ日本人ばかり?そんなに日本食が恋しいのか。やれやれやっとワイキキについた,腹も減ったし,まずはゆっくり天ぷら刺身定食でも食うか,ということか。わからん。

ただ,この「義経」,店構えと雰囲気と客層のそのフルコンボぶりに,日本人以外の人はもしかしたら,腰が引けて入れないかもしれない。

6/21/2014

根っこ

滞在68日目。6月21日(土)の午前7時40分。

砂浜を歩くのは,思った以上に足腰を使う。水の中を泳ぐのは,思った以上に足腰を使う。だからきっと,毎日砂浜を歩き,海に潜っている人の足腰は強いはずだ。

足腰は我々の基礎であり根っこであるから,これを鍛えておくに越したことはない。年を取っていくほどそのことはますます重要になる。

太極拳に来ている常連のおばあちゃんが,「私は自分の足腰を鍛えるために太極拳をやっている」ということを言うのに,rootという単語を使っていた。まさに,根っこ,である。

その通りであり,太極拳や気功は,自分の中心や根っこを作り,感じ,鍛え,育て,養い,磨き,練るための実践である。空手もまた然り,である。

6/20/2014

マインドフル観戦術

滞在67日目。6月20日(金)の午前4時20分。

ワールドカップ。日本はギリシャと0-0の引き分け。緒戦のコートジボワール戦に1-2で負けたので,これで0勝1敗1分の勝ち点1。同組のコロンビアは2勝して一抜けしたので,後の一席を3チームが争うことに。まぁしかし,コートジボワールはすでに日本に1勝しているので,とにかく勝てば決勝T進出だし,引き分けても日本がコロンビアに負ければ進出。日本はとにかく,コロンビアに勝つしかない。

そういうわけで,数日後に,グループリーグ最後のコロンビア戦である。

当然だが,つい,日本に勝って欲しい,日本に負けて欲しくない,と観戦していて力が入ってしまう。90分間力が入りっぱなしになる。母国を観戦しているのだから,いや,さらにいえば力が入るのを半ば求めて観戦しているのだから,身体に力が入ってしまう。勝って欲しいと思うのは,日本チームに自分を同一視しているからであり,要は,自分が勝ちたいのである。相手を負かして,喜びたいのである。

しかし,いろんなスポーツの日本戦や日本人選手の試合を観戦していて,そうやって力が入り続けているのが,このところ,辛く感じるようになってきた。日本(人)が勝とうが負けようが,心穏やかではない。身体も穏やかではない。心身共に興奮し疲労する。

たぶん,一般的にはそういうワクワクドキドキを求めるのがスポーツ観戦なんだと思うけれど,そういうワクワクドキドキがだんだんと負担になってきた。肩入れして,感情移入して,勝ち負けにこだわって,喜んだり悲しんだり,というのが煩わしくなってきた。人間というのは,勝つとか負けるとか,本質的にはどうでもよいことに,つい心が引っ張られてしまう。勝つということは,魅力的な欲望なのだ。

それがスポーツ観戦の醍醐味といえば醍醐味であり,だから,必然と言えば必然なわけで,だったら観なければ良いのだが,それでも日本(人)の試合は気になって,つい観てしまう。もどかしい。

観戦の仕方として,だから,よりメタな視点から,スポーツとしての一瞬一瞬の美しさを堪能できるようになりたい。その意味では,もちろん日本(人)の試合に注目はするけれども,せめて,どこかに偏って肩入れしすぎることなく,そのスポーツ競技全体を眺めて,それが生み出す一つ一つの運動美を楽しみたい。無理矢理言えば,マインドフル観戦術。

その方が,観戦していて辛くないだろうし,興奮しすぎないだろうし,疲労しないだろう。次戦,コロンビア戦でこの観戦術を試してみよう。

6/19/2014

続・尾てい骨

滞在66日目。6月19日(木)の午前4時30分。

尾てい骨を見つけ感じながら練る。尾てい骨が身体の軸やバランスを支える中心であり,尾てい骨を頼りに身体をコントロールする。これが太極拳の最も重要なポイントであり,さらには,太極拳の神髄は尾てい骨である,とスティーブは言っていた。

昨日の稽古で教わったこの表現に基づく感覚は,とても新鮮だった。なるほど,尾てい骨を常に意識して,これをガイドに,ゆっくり丁寧に身体を操作していく。そうすると,身体全体の軸が安定する。

がむしゃらに安定しようと思うと,つい,足に力が入ったり,上半身のバランスが崩れたりする。そうではなく,尾てい骨を見つけて,尾てい骨を立てて(股の間に巻き込んで),尾てい骨を感じながら,尾てい骨を中心に身体を動かす。尾てい骨を中心に据えて,そこから身体全体を感じる。今ある身体の状態を再構成する。静かに動く身体を,尾てい骨を軸にして,捉える。

こうすると,自然に安定する。身体全体に統一感が生まれる。動きにまとまりが出る。

6/18/2014

規定と伝統

滞在65日目。6月18日(水)の午前5時。

楊式の10式が紹介されている珍しい本が本屋にあったので,買ってきて読んでいる。太極拳の背景や流派などについて,分かりやすく簡単に解説している良書だと思う。10-minute primer Tai Ji Quanと書いてるので,強いて訳せば,『10分間で超入門!太極拳』ってなところか。

著者は中国の大学で身体教育として太極拳を教えている専門の人らしく,他にもいくつか中国武術の本を出しているから,おそらく正当派なちゃんとした人なんだろう。だから,この本に詳しく解説されている楊式太極拳(10式)は,オーソドックスな,見本的な,太極拳なんだと思う。他書やYoutubeで見る規定の楊式太極拳,一般的に目にする太極拳通りである。

やはり,僕が習っているスティーブのとは,動きの質が違う。手の高さ,足の幅,腰の高さ,そしてそれぞれの向きだとか動かし方が,ところどころ違う。全体的には同じ動作をしているのだけれど,ずいぶん違うといえばずいぶん違う。

規定,というのは実際,素晴らしいシステムだ。みなさん,この「動き」で統一しましょう,ということだから,情報に誤差が少なく,時間と場所を越えて一定なので,教える方も習う方も混乱が少なく,したがって,普及にはぴったりである。そして,その規定の「動き」ができるようになれば,それをまた人に教えることができる。それがまた普及につながる。

ここでポイントは,どう「動く」かだけが伝わって普及している点だ。そう。急速で広範な普及は,それはそれで素晴らしいことだけれど,そこで伝えられるものというのは,目に見える「動き」のみである。

なんでそう動くのかとか,そういう動きにどういう意味があるのかとか,動いているときの身体感覚はどうなのかとか,そういうことは後回し。ただ,見た目の形式のみを習って教える。教える側も教わる側も,「動き」にしか注意が向かなくなる。これに競技(試合,大会)が拍車を掛ける。競技は見た目でしか判断しないから,ますます「動き」にしか注意が向かなくなる。

こうして,規定が規定として固定化し,そのマニュアル性が高まっていく。

その後ろで,術としての太極拳の本来的な良さが,失われていく。ただ形の上での「動き」だけを伝えても,それは太極拳を伝えることにはならない。空手にもまったく同じことがいえる。

武術として何をどう習うか,どう伝えるか。本当の意味での伝統とは何か。世の中で,自分のことを武術家(武道家)だと思っている人は,その辺,どう考えてるんだろうか。

6/17/2014

尾てい骨

滞在64日目。6月17日(火)の午前5時40分。

昨日,太極拳の稽古の後,スティーブに,尾てい骨(tailbone)のところの操作の仕方について詳しく聞いた。すると,面白い説明の仕方をしてくれた。

尾てい骨を股(尻)の間に巻き込む(挟み込む)感じなのだ,と。

こうすると,骨盤が立つ。同時に下丹田の辺りが上を向く。腰がごろりと少し縦回転する感じである。そう,まさに,サンチンの時の腰腹の使い方と全く同じなのだ。やはり正解だった。

それで,無礼を承知で,空手ではこうして腰腹を締めるんだけれど,これと同じことかと,実際にサンチンの締めをやってみたところ,そうそれだ,それと同じだ,その腰腹の操作でタイチーを練るのだと教えてくれた。そして,武術の要諦は,結局同じだね,という話になった。

こうして,説明の仕方が違うのが本当に興味深い。スティーブは,尾てい骨を探せ(Find),尾てい骨を感じろ(Feel),と練っている間,盛んに言う。探して感じて,尾てい骨を巻き込むと,腰が立つ。腰が広がる。

たしか,気功だと,腰の後ろにある「命門」という経穴(ツボ)があって,そのツボを開くように,という説明をする。これもたぶん同じことをしようとしている。

ただ,立てようとして,広げようとして,背中の下部(lower back)を丸めすぎてはいけない。腰を丸めてまっすぐにすることではない,とスティーブは言っていた。あくまで尾てい骨を巻き込み,下丹田のある下腹を少し上向きにするのだ,ということだった。丸めすぎては力が伝わらない。腰が反っていても(骨盤が斜めでも),逆に丸くなりすぎていても(骨盤が立ちすぎていても),良くない。

ここがミソだ。この微妙な立て方が,ミソだ。サンチンやナイファンチをするときも,ここがミソだ。

6/16/2014

気に合う

滞在63日目。6月16日(月)の午前5時。

昨日,朝の稽古で站椿(立禅)をしていたら,胸の前で抱えている腕の中に,弾力のある(「気」の)ボールがあるかのようにありありと感じた。重力に反して腕が持ち上がるぐらいの弾力性。これは非常に面白い体験。

以前に一度感じた,手の平がぼんやり痺れるような温かくなるような感覚は,あれからまったくしていなかったけれど,今回のこれはなかなか良かった。こういう体験は,微細な身体感覚へ意識のチャンネルがピタリと合ったときに起こるのではないかと思う。

こういう身体感覚は,さあ体験するぞと身構えて体験するもの(できるもの)ではなく,日々実践しているとふいにやってくる。ふいにやってくるということは,微細な身体感覚への意識のチャンネル合わせを意識的にやろうとしてもできない,ということだ。

実践を続けていると,おそらくこの,ふいにチャンネルが合う機会が多くなるのかもしれない。自然に,合うようになってくる。合わせようとしてはいけない。自然に,勝手に,合うようになる。

実践しながら,気長にそれを待つ。

6/15/2014

稽古

滞在62日目。6月15日(日)の午前4時20分。

毎日毎朝,形を練っていると,たまにふと,「一体なんで俺はこんなことしてるんだ」という疑問が浮かび,心底ばかばかしくなるときがある。具体的な効果,目に見える効用,そういう分かりやすい変化や変容は,一切ない。日々の変化や変容は,極めて微細だ(そこを楽しむわけだが)。

したがって,術の実践に,意味などない(としておいた方が良い)。もちろん,やれば色んな副次的効果(短期的には微細な効果,長期的には絶大な効果)が数え切れないほどあるけれど,それら(短期的な効果)自体を目的にすると,その副次的効果が(短期的には)得られない(微妙すぎて気がつかない)場合に,期待はずれとなる。だから,そういう具体的な副次的効果を「狙って」練ってはいけない。というか,狙わない方が良い。

(長期的な)稽古(の継続)の末に到達しようと思っている先は,あるようでない,ないようである,そんなところである。それは禅あるいは空であり,また,タオである。だから,稽古は,やらないよりは絶対にやった方が良いことははっきりしているけれど,やらなければならない,というわけではない。個人の自由だ。

ただひたすら練る。生きることと同じである。

「一体なんで俺は生きてるんだ。なんで俺は今ここにいるんだ」という<疑問>が浮かぶことがあるけれど,それは答えのある問いではない。だから考えても,意味や理由や原因などは見出せない。つまり,これは本質的には,<問い>ではなく<疑い>なのだ。

そういう疑いが生じたからと言って生きることを止める,ということは滅多にないけれど(いや,実際,人が自殺を企図するのはこのタイミングかもしれない),このタイミングに稽古を止める,形を練ることを止めてしまう,というのはありうる。

なんで生きているのかという疑問に答えはなく,では生きるのを止めようかと思っても止められないので,結局そのうちにこの疑問がうやむやになる。なんで稽古しているのかという疑問にも同様に答えはないのだが,ただここで,稽古の場合は止めようと思ったら止められる。稽古は,やらなくても生きていけるからだ。

しかし,稽古をここで止めてはいけない。術の実践(形の稽古)は,阿呆になってひたすら続けることに,道(どう)としてのミソがある。術の実践(形の稽古)を永遠に続けるところに,道(タオ)がある。

さあ,今日もまた,稽古しよう。

6/14/2014

続・ワールドカップ

滞在61日目。6月14日(土)の午前6時。

いよいよワールドカップが始まった。ESPNでほぼ全試合中継するので,嬉しい限り。

ブラジルとアメリカ本土とはほとんど時差がなく,本土の東部標準時とハワイの時差は6時間なので,こちらではちょうど,午前中に試合が中継される感じになる。ありがたい。寝不足にならずに済む。

オープニングマッチは,開催国ブラジルvsクロアチア戦。この試合の主審を務めたのが日本人の西村雄一氏。1-1の同点で迎えた後半26分。ペナルティエリア内でクロアチア選手のファールを取って,ブラジルにPKを与えたことが,世界中で物議を醸している。まぁ,それぐらい注目の試合だったということと,ワールドカップはそれぐらい世界中の注目を集めているスポーツ大会だということかな。いや,自分がこの大会に注目しているから,西村氏のニュースに注目が行くだけか。興味のない人にとってはどうでも良い話。

一方で,このブラジル大会,開催に反対する地元の人たちのデモが,以前からずっと,そして大会直前まで報じられていた。大会が始まった今でもデモは行われているかもしれない。

ワールドカップに多額の税金が投じられている。こんな玉遊びにそんな大金をかけるなら,他に使うところいくらでもあるだろ(例えば,教育や医療とか),という主張。非常によく分かる。正論だ。貧しそうな人がナイフとフォークを持ち,皿の上にサッカーボールを置いて,悲しそうな顔をしている風刺画を見た記憶がある。サッカーボールは,食えない。腹の足しにならない。

経済的な循環はよく分からないけれど,よく「経済効果」って言葉を耳にする。こういう大会を開催するメリットというのが,ブラジルには,あるはずだ。メリットがなく,それこそ,FIFAやメディアが利益を独占しているのなら(というのがデモに参加する一般市民の主張だったりする),ブラジルは公費を投じただけで丸損ではないか。そんなことはないだろう。

ブラジルだって阿呆ではない。国全体として,色んな方面で色んなメリットがあるにちがいない。素人の発想でも,例えば,この大会を機に,建設業だとか観光業だとかが潤うとか,人的な国際交流が盛んになるとか,ブラジルという国の近代性と機能性をアピールするとか,国際的なプレゼンスを高めるだとか,いろいろ。経済効果として,そういうことが回り回って,教育や医療の分野の充実につながったり・・・ま,そりゃ,遠回りか(笑)。

それよりかは,その多額の公費を直接,目に見える形で教育や医療に投じろ,というのは至極ごもっとも。

ただ,デモで暴れている人を見るにつけ,思うのは,何かこう,日頃の鬱憤を晴らしたいがために暴れている市民,あるいは,有り余るエネルギーを放出したいがために暴れている若者,というのも中にはいるんだろうなということ。

もちろん,まじめに公費の使い道について訴えている人が大半なんだと思う。でも,メディアは暴れてるところばかり報じるから良くない。それの方がニュースとして,映像として,インパクトがあるから。で,インパクトがあって報じられるから,結局,暴れる人が出てくる。ということは,デモの暴力性はメディアが創出していることになる。

結局,ワールドカップに賛成の人も反対の人も,みんな,メディアの思うつぼだね。

6/13/2014

常夏の楽園

滞在60日目。6月13日(金)の午前4時。

ホノルル滞在予定の約半分まで来た。残り60日強。

改めて思うのは,来た当初からずっと夏だということ。当たり前だけど,常夏。これから夏,その後もずっと夏。夏夏夏。

日本にいれば,もうすぐ春だなとか,もうすぐ秋だなとか,もうすっかり夏だなとか,もうすっかり冬だなとか,常に変化していて,春と夏と秋と冬は,環境的に大きく違うわけだけれど,ここハワイは,4月よりは多少暑いぐらいでほとんど環境的に変化はない。

こうして月単位の変化も少ないけれど,日単位の変化も少ない。

雨期がだいたい4月には終わっているということで,こちらに来てから毎日ほとんど晴れ。ときに曇りの日はある。そんなとき,霧雨程度には降るけどせいぜいがにわか雨。だから毎日同じような天気。日本にいれば,天気予報は,傘を持っていった方が良いかとか,出かけない方が良いかといったことを左右する重要な情報だ。雨も降るし風も吹くし雪も降るし,干からびそうなほど暑いし,氷りそうなほど寒い。

というわけで,ホノルルに60日住んで,ふと思ったのは,季節や天気の変化がない,ということ。日中の日差しは強く,日向は暑くて焼けるけれど,乾燥しているから(湿度は低いから),日陰や朝晩は涼しい。激しい風雨は滅多にないから,天気予報を気にしなくて良い(傘不要)。つまり,過ごしやすい。ここの日差しと物価に対応できれば,移住したいと思う人が後を絶たないのはよく分かる。

一方で,日本に生まれて住んで40年の自分はというと,頭ではこうしてここの過ごしやすさに納得しつつも,身体は変化を期待している。変化を求めているというわけではないけれど,大きく変化する季節や天気に芯から馴染んだ身体が,元の通り変化を期待していいのか,この変化しない環境に馴染むべきなのか,迷っているかのようだ。

まぁしかし,暑いことは暑い。それがずっと続く。夏夏夏。快晴。海と空は青。青青青。常夏の島ハワイ。南の楽園ハワイ。常夏の楽園。

暑いと,寒い冬が恋しくなる。寒いと,暑い夏が恋しくなる。春はうきうきした気持ちになり,秋は落ち着いた気分になる。ありきたりだけれど,やっぱり日本の四季ってのは,変化があって,良いね。

6/12/2014

ワールドカップ

滞在59日目。6月12日(木)の午前4時30分。

今日からサッカーワールドカップブラジル大会である。番組情報とハワイ時間の計算に間違いなければ,オープニングゲームであるブラジルVSクロアチア戦は,今日の午前9時30分から,ESPNで中継されるはずだ。

ハワイは,アメリカの東部時間(ET,東部標準時)より6時間遅れ。今回のオープニングゲームは,ETの午後3時30分とESPNのウェブサイトに書いてあるので,そこから6時間引いて,午前9時30分。たぶん,間違いない。と思う。

日本の緒戦であるコートジボワール戦は,明後日の14日(土)の午後2時30分。ESPNで中継予定。

ところで,ESPNのワールドカップ中継スケジュールを見ていて,日本の緒戦の相手コートジボワールは,Ivory Coast(象牙海岸)となっていた。アイボリーコースト?

コートジボワールは通称で,正式名称はコートジボワール共和国。調べてみると,コートジボワール Cote d'Ivoire はフランス語で「象牙(Ivoire)の海岸(Cote)」という意味だそうで。日本もかつて「象牙海岸(共和国)」と呼んでいたらしいけれど,今は音のまま,コートジボワールと呼んでいる。なので,各国,Ivory Coast(象牙海岸)と今でも呼んでいるみたい。

サッカーに詳しいわけではないけれど,こういう世界規模のスポーツの大会は,わくわくする。プレイヤーは身体と精神両面のパフォーマンスを最大限に練り上げ,全神経を研ぎ澄まして本番に臨み,個人としてチームとしてときに想像を超える強さと巧みさを発揮する。彼らの秀でたパフォーマンスは,単純に,美しい。

6/11/2014

太極拳と空手

滞在58日目。6月11日(水)の午前4時40分。

太極拳と空手の身体操作的な共通点を探る。ポイントは,やはり,腰・腹の使い方だ。そこから足,そして首・肩・肩胛骨辺りの使い方。

伝統楊式あるいは正宗楊式と呼ばれる(あるいは自ら名乗る)太極拳をしている団体のウェブサイトだとか,している団体の動画だとかを見ると,そのほとんどが制定(規定)の套路を練習している。「規定の」伝統楊式だったり,あるいは,楊式とともに陳式や孫式や呉式もやったり総合42式というのをやったり武器術をやったりと,とにかく,武術太極拳連盟(ひいては国際武術連盟)のルールや形式に基づいて,行っている。各流派の,本当の意味での伝統(古流・古式・古伝)に基づいてやっている,という団体は少ない。

スティーブの太極拳は,伝統楊式である。そして,明らかに,武術連盟の規定の太極拳と違う。まずもって立ち形が違う。細かいところでは,手の動かし方も違うし,特には足の上げ方(蹴り方)が違う。これはクラシカルなやり方だから,現代式と違う,とスティーブ自身が言っていた通り,だいぶ違う。習いに来ている古参のおばあちゃんが以前に,「スティーブのタイチーは,良いよ。なんたって,よくあるタイチーと違って,ちゃんとした(本式の)中国のやつだからね」と教えてくれたのを思い出した。

現代式の伝統楊式太極拳よりも,この古式の伝統楊式太極拳の方が,より武術的だろうと考えると,たまたま隣でやっていた太極拳教室の先生がスティーブであった縁はすごい。武縁に感謝。

それで,腰・腹の使い方だけれど,現段階では,たぶん,使い方はかなり共通していると見ている。練りながらまた変わるかもしれないけれど,今のところ,ほぼ同じ身体操作になるような気がしている。

そしてこの古式伝統楊式太極拳の基本的な身体操作と技を練る,という意味では,10式(8式)で十分な気もしている。本来の套路は,長い。その中には,もちろん10式には含まれていない身体操作や技,そして技と技の流れ(連関)が,多数含まれている。時間と場所さえあれば,それらをすべて練ってみたいけれども,時間と場所は限られている。そういう意味で,10式(8式)は,ごく基本的な技のみを左右対照に行うよう構成されているため,太極拳の身体操作と技をじっくり練る上で,良い。

この10式(8式)は,入門用の初級太極拳,といった扱いがなされている感もあるけれども,だから,ただの入門用と位置づけるだけなのは非常にもったいない。むしろ,これだけで,伝統楊式太極拳をじっくり味わうことができると思っている。10式なら場所も取らない。時間にすれば5分とかからない。1日1回でも良いし,練ろうと思えば何度も繰り返せば良い。

この10式(8式)を使って,古式の伝統楊式太極拳の身体操作と技を,練る。その練り具合と,サンチンとナイファンチのときの練り具合とを比較してみる。じっくりと確かめつつ,練る。

6/10/2014

店員

滞在57日目。6月10日(火)の午前4時50分。

テディーズ・ビガー・バーガー(Teddy's Bigger Bergers)というハンバーガー屋がある。ハワイのバーガー屋さん。美味い。ハワイに何軒かあるみたい。ハワイ以外には,アイオワとワシントンにあるらしい。

ホノルル動物園の出入り口前,カパフル通りを挟んで向かい,ワイキキグランドホテルの1階に,一軒ある。行く度に繁盛している。カラカウア通りにはマクドナルドやバーガーキングもあるけれど,どうせ同じ値段払うんだったら,こっちの方が断然美味い。なんたってハンバーグが美味い。野菜もしっかり入ってるし。

このテディーズの店員は,このワイキキ店だけかもしれないけれど(観光客向けとして),全般的にとても丁寧で親切。カウンターでの注文の取り方も優しく丁寧だし,親切に説明してくれたりする。笑顔を絶やさない。そんな中にも無愛想な店員はいることはいるけれど(だから,そういう人は目立つけれど),基本的にホスピタリティが高い。これがバーガーの美味さを高めているかもしれない。気分が良いから。そして観光客の口コミで,評判が上がり,さらに客が来る。

クヒオ通りに,オノ・チーズ・ステーキ(Ono Cheese Steak)というサンドイッチ屋がある。ハワイのサンド屋さん。オアフ島に60軒ぐらいあるみたい。

この店の店員(女性)は,観光客相手なはずなのに,ものすごい無愛想だった。去年も一度一人で来たけど,そのときも(店員は別の人だと思うけど)まぁだいたい同じぐらいの低いテンション。先日は,代金をぼそぼそと言ったのみで後は全く無言無表情。商品ができたときは,あごでしゃくって,できたよ持ってけ,ふん,的な態度。注文してご迷惑でしたでしょうか,何かこちらに不手際でも?ううむ,これから食べるものをドサッとカウンターに放り置かれて,こちらの気分としては,まぁ,あまり良くはない。観光客が嫌いなのか日本人が嫌いなのか,それとも誰にでもああいう態度なのか。仕事したくないのかな。疲れてるのかな。彼女が幸せでありますように。

ガイドブックには,しばしば,美味しい店,と書いてある。だから,一応,有名店なのだ。薄切り肉がチーズと一緒にサンドされている。このサンドの仕方はどこでもやってるけれど,それがワイキキで食べられる店,ということで紹介されている。まぁ,たしかに,美味いことは美味い。

しかし,あの店のテンションはどうなんだろう。案の定,去年に行ったときも,今回行ったときも,客はほとんどいなかった。ガラガラだと言って良い。なんとなく寂れている。なんとなくうらぶれている。なんとなくすさんでいる。来る客はほぼ観光客なんだから,口コミによる評判は大きいんじゃないかなぁ。あるいは,このなんとなくすさんだオーラが,観光客を寄せ付けないのかもしれない。なんか,店員のぎすぎすとげとげした心が,店全体をネガティブに彩っているような,そんな気もする。

たとえ60店舗もある有名なチェーン店でも,あの店はちょっと行きたくないなと思えば,必然,足は遠のく。テディーズは,もう,3~4回はリピートしてる。他のオノチーズステーキは大丈夫なのかもしれないけれど,ワイキキ店は,たぶんもう二度と行かないと思う。しかしそれでも,店員のテンションの低さ(態度の悪さ)を知らない短期の観光客が,場所柄もあるし,名前もあるし,つい入店してしまうから,結果,商売は続けられるんだろうなぁ,きっと。

その点,マクドナルドやバーガーキングは世界規模のチェーン展開だから,店員の態度が悪くても平気なんだろうね。会社全体の売り上げにはまったく影響なし。マクドナルドは店員によりけりだけれど,バーガーキングの店員はみんな無愛想。ワイキキ中心のキングズビレッジにある店も,空港内にある店も,今のところ入ったバーガーキングはすべて,ことごとくやる気無し。仕事したくないのかな。疲れているのかな。彼女たちが幸せでありますように。

6/09/2014

移動遊園地

滞在56日目。6月9日(月)の午前5時。

昨日は日曜日だったので,少し遠出して,The Busに乗ってハワイ・スタジアムまで行ってきた。42番バスで,乗車時間はだいたい1時間強。そのハワイ・スタジアムの駐車場に,移動遊園地が来ているのだ。

移動遊園地。なんか外国(西洋)っぽい響き。

ハワイが50番目の州になったのにちなんだ50th State Fairという催しのようで,E.K.Fernandez Showsという移動遊園地が,5月23日から7月6日の間,基本的に週末(金・土・日)の夜にオープンしている。日曜日だけ昼の1時からやっているので,行ってきた。

移動遊園地だから,全部,その場で設営したものばかり。だから行く前は,さすがに大がかりなものはないだろうと高を括っていたけれど,なんのその,結構激しく回ったり振られたりするのがいくつもあった。普通の(移動式でない)遊園地にありそうなのが一通りそろっている感じ。恐れ入りました。逆バンジージャンプもあった。見ているだけで怖い。

アメリカは基本的に何かあったら自己責任,という考えなのか,とにかく,身長制限さえクリアすれば,小さい子どもだけで乗れたりする。日本だと,大人付き添いじゃなくちゃ駄目だったりするところもあるから,その辺はとにかくアバウトだ。身長だって,厳密にチェックしてる風には見えないし。適当である。

乗り物のチケット(coupon)を買って乗り物に載り,食べ物のチケット(scrip)を買って食べ物を買う。

乗り物は,子供用の簡単なやつがだいたい2 couponsで,激しさに合わせて3 coupons,4 couponsとなる。1 couponは1.5ドル。ただし,子供用とて,あなどってはいけない。日本に比べると,結構激しい。ウェットアンドワイルドのアトラクションもそうだったが,日本の安全第一な穏便設定からすると,こっちは安全基準ギリギリ設定なのだ。限界まで楽しめ,子ども達よ。

scripは1枚50セントで,ピザ一切れで6 scrips,チーズバーガーは7 scrips,フライドポテトは4 scrips。だから,日本の遊園地と同じぐらいか少し安いぐらい。良心的。

基本的に「夜の遊園地」なので,乗り物も,食べ物のワゴンも,みんな電飾で彩られている。きっと夜に来たら綺麗だろうなぁ。華やかなのは,各種景品がつり下げられた景品当てコーナーが多いからかもしれない。子どもにねだられたら困るのでよく見なかったけれど,鉄砲当てとかくじ引きとかかな。ローカルの客はみんな,景品のでかいぬいぐるみとかを抱えて帰って行く。

客はたぶんすべてローカルの人たちだった。日本人(観光客)はうち以外まったく一人も見かけず。だからたぶんほぼ全員,車で来園している。うちのように公共交通機関のバスで来る人帰る人は,いなかった。少なくとも家族連れでは,いなかった。でかい景品も,車なら持って帰れる。

帰りのバス停で,42番ではないCity Express Aというバスが来た。奥さんによる事前情報によれば,これでも帰れるということだったが,よく分からない。すると,同じくバスを待っていたおばちゃんが「あなたたち,どこまで?」と聞くので,「ワイキキまで」と答えると,じゃあ,これに乗ると速いよ,アラモアナセンターで乗り換えればワイキキまで行ける,と教えてくれた。ありがたい。帰りは30分強でアラモアナセンターまで着いた。

たぶん,そのおばちゃん,思うに,僕がチーズバーガーを買ったワゴンの店員さん。だったような気がする。Broken Englishで明らかにローカルっぽくない外国人(である僕)を覚えていてくれたか。親切なロコに感謝。

6/08/2014

フラ・カヒコ

滞在55日目。6月8日(日)の午前4時30分。

昨日,ロイヤルハワイアンセンターで夜にやっていたフラダンスのショーを見に行った。フラダンスには二種類ある。古典フラと現代フラ。昨日のショーは,古典フラ。

イメージとしてありがちなフラダンスは現代フラで,「アウアナ」という。ギターやウクレレの伴奏で,明るく軽いノリで,手をゆらゆら揺らしたりするあれ。一方,古典フラは「カヒコ」といって,でっかいヒョウタン(イプヘケ)を叩きながら節を付けて唱えるメレ(歌)に合わせて踊る。手はゆらゆらしない。全体的に直線的で力強い。

「アウアナ」の振り付けにも何かしら意味はあるんだろうけれど,基本的に自由に構成して良いみたいで,色んなところで見かける度に,(人によってグループによって)違う。パフォーマンスとして,各自がいろいろとアレンジできる。

一方,「カヒコ」は神様に捧げる宗教的儀式だそうで,振り付けに一つ一つ意味がある。歌詞に合わせているのだ。つまり,儀式として歌詞が決まっていて,それに対応して振り付けも決まっている。となると,振り付けの自由度は低いはずだから,一定の型が決まっていて,世代を通して伝承されているものと考えられる。

そう,型,である。

型には,長い年月を掛けて洗練されてきた身体操作の妙が濃密に詰まっている。「カヒコ」の重さと濃さは,宗教的儀式だからという理由もあるのかもしれないけれど,身体操作としての歴史的練度の深さから来ているような気がする。古来より,型として幾世代に渡って継承され,練り込まれてきた身体操作。

もちろん,「カヒコ」は「アウアナ」をやってきた上級者がやるような側面もあるので,そうなると当然,個人として練度の高い人が踊るフラだから,そう見えるのかもしれない。確かに,若い人のカヒコよりも,お年を召した人のカヒコの方が,格段に重くて濃くて深い。

しかし,若い人のカヒコでも,アウアナよりは全然,踊りとして重くて濃くて深い。だからやはり,この古流の型に含まれる身体操作の歴史的な練度が高いのだ。と勝手にそう思う。

6/07/2014

楊式

滞在54日目。6月7日(土)の午前4時20分。

スティーブに習っている伝統楊式太極拳を,帰国後にも続けたいと思ったりする。そう思って,GoogleやYouTubeで「(伝統)楊式太極拳」と検索してみる。いろいろ出てくるけれど,楊式規定套路,なんて出てくる。競技用の楊式太極拳なわけだ。制定の伝統拳。なんでこうして,何から何まで競技にしてしまうんだろう。

スティーブは,この太極拳はclassicalなやつだから,standardizedなのとちょっと違う,という。たしかに違う。特には,下半身の使い方が違う。だいたいYouTubeに出てくる楊式(Yang Style)は,幅広く前後に足を開いて体重を低く前に持ってきている。確かにその方が綺麗に見える。競技用だ。つまり見栄え重視。あるいはこれが制定(規定)なのだ,たぶん。

そういう競技や規定の形ではなく,本来の意味での「伝統」をやっているところもあるようだけれど,それもまたその師匠筋独自の「伝統楊式」なのだ。スティーブのとは違う。

つまり,このスティーブのやる太極拳をやっているのは,このスティーブ以外になく,日本にはない。おそらく,スティーブの太極拳に一番近いのは,スティーブの師匠だろう。つまり,これはスティーブの太極拳なのだ。この人が体現している太極拳が良ければ,この人に習うしかないのだ。

そう思うと,帰国後に,太極拳教室を探して習いに行くのは,あんまり気が進まなくなる。せっかくこれは良い術だと思って習っているその術が濁るような気がする。

とりあえず,スティーブに習っている太極拳のミソを持ち帰るれるように,日々,10式(8式)の中に練り込んでいる。

6/06/2014

ランチプレート

滞在53日目。6月6日(金)の午前4時。

昨日,骨付き豚肉にあれこれ詰めて煮込んだ(蒸した?)のがおかずになってるプレートを,ファーマーズマーケットで買ってきて食べた。美味い。なんていう名前の料理かは分からない。味付け(風味)はハワイ風な感じで独特だけど,しつこくない。中には,分かったところでは,味の染み込んださいころ状のパンとか干しぶどうとか,入ってた。もう一つは,前にも買った,カルア・ポーク。今回はプレートが小さかったので2種類購入。

レストランに入ると高いので,未だ外食はファストフード(ハンバーガー)ぐらい。朝昼は家で作って食べて,夜もまた作って食べるわけだが,夕食はときどきランチプレートを買ってくる。

で,このランチプレート(プレートランチ)ってのを検索してみたら,「ハワイでポピュラーな軽食スタイル」とある。ほほう,この食事の形式はここが本場なのね。なるほど。アメリカ本土でもこういうのは多いんだと思ってたら,ハワイによくある形式なんだ。とにかく,プレートで出す店が,そこかしこにある。店の外には椅子と机が並んでて,そこで食べていっても良いし,家に持ち帰って食べても良い。プレートは,店で食べようが持ち帰ろうが,どっちの場合でも発砲スチロール。ナイフやフォークやスプーンはプラスチックのものが店に置いてある。食べ終わったらゴミとして捨てる。

なお,「軽食」どころか,(店にもよるけれど)大人2人でも1プレートで余るぐらいのボリューム。うちはこれに2人小さいのが加わって,合計4人で1プレート(笑)。一杯のかけそば。なお,だいたい1プレート10ドル前後(8~14ドルぐらい)。

よく見かけるメニューは,BBQ(チキン,ビーフ),骨付きカルビ。あとは,ガーリックシュリンプ,ロコモコ(ハンバーグ),カルアポーク,マヒマヒとか。これにライスと,付け合わせとして典型的にはマカロニサラダが付く。オススメは,韓国系BBQプレート。付け合わせが凝っていて量も多い。キムチとかナムルとかいろいろそろっていて,数種類から選べたりする。

多国籍な州だから,とにかく,おかずの味は豊富だ。加えて,プレートは基本,ライス付き,というのがうれしい。パンではない。ライスなのである。もちろん,スーパーには各種パンが並んでいて,さすがアメリカはパン(サンドウィッチ)の国だと思うわけだけれど,こうして外食としてメジャーなランチプレートには必ずライス。

6/05/2014

続・気

滞在52日目。6月5日(木)の午前4時30分。

「気」は,生命エネルギーということになっているが,もう一つの形が,息である。息,つまり,呼吸,あるいは,吸気と呼気。おお,確かに,日本語でも「気」と言っているではないか。呼吸とは,気を吸ったり吐いたりしているのだ。だから,気は息でもある。

気というと,非物質的な概念だから捉えどころがないけれど,その点,息は具体的な身体感覚として,「今,息を吸っている。今,息を吐いている」ということが分かる。息を吸えば,気を吸った感じが具体的にあるわけで,息を吐くときもまた然り。

だから,太極拳や気功は,この呼吸の感覚を,気が身体に入ってきたり出ていったり,身体中を巡ったりするイメージに使う。例えば,息を吸うと同時に,手の平にある「労宮」という経穴や,足の裏にある「湧泉」という経穴から,天や地の気が入ってきて,逆に,吐くと同時に出ていく様子を視覚化する。

ところで,気を吸うというのは,空気を吸い込む(おお,空気も「気」だ!)ことだから,読んで字の如く,そのままだけれど,なぜ気を吐く,つまり空気を吐くことを呼気,つまり,気を呼ぶ,というんだろう。

と考えてみると,気を吐くというのは,気を吹くわけで,吹くというのは呼ぶ(何かを呼ぶ時には当然息を吐く,息を吹く)ということだから,呼ぶという動詞は,動作的に,吹くとか吐くとだいたい同じ意味だということなのかな。

つい,呼ぶ,というと呼び込むとか呼び戻すとか,こちらに引き寄せるニュアンスだから,まるで息を吸い込むようにも思えて,呼気ってどっちだっけ,吸うことだっけ吐くことだっけと迷うときがあるのだが,呼気という場合の「呼(ぶ)」は,だから,口から息を出す,つまり吹くとか吐くという意味合いなんだろうなぁ,たぶん。と勝手に納得。

6/04/2014

滞在51日目。6月4日(水)の午前5時。

「気」は,科学的には存在しない。しかし,説明概念としては非常に優れている。

科学的には存在を証明されていないけれども,それは単に観測する側の科学の限界,つまり測定の道具や方法の限界なのであって,実際には存在するが,存在が証明されないのは単純に未発見なだけだ,という立場はありうる。この人たちは,「気」が存在することを疑っていない。ここでは,実在派と呼ぼう。

また,科学によって存在が証明されるとかされないとかは全くどうでもよくて,存在するのだからその存在を単純に信じている,という立場もありうる。神様はいる,幽霊はいる,妖精はいる,宇宙人はいる,死後の世界はあるなどなど,対象概念に一片の疑問も挟まず,とにかく,いる(ある)ことを信じているかどうか,という次元の問題として,「気」を信じている人はいる。この人たちも,「気」が存在することを疑っていない。ここでは,信仰派と呼ぼう。

僕の立場(派)はどこ(何)なんだろう。

「気」は,科学的には存在しない。これから未来永劫,どんな観測装置が開発されようが,科学的な意味で,発見されることはないと思う。つまり,物理的にはやはり絶対に存在しない。だから実在派では決してない。

しかし,身体を操作したり意識したりするときに,この「気」という概念を用いて説明すると,用いない場合に比べて,身体を操作しやすかったり,適切な方向に動かしやすかったり,身体の各所を明瞭に意識しやすかったりする。これは揺るぎない。ならば信仰派か。

明瞭に意識しながら適切に身体を操作することが求められる種々の身体技法からすれば,この「気」という説明概念を上手く用いることが,身体を練る上で大いに助けとなる。「気」とはそういう道具であり,つまり,方便である。そう,あくまで方便なのだこれは。だから信仰派ではない。

科学的に存在するとは思っていないし,科学的な存在証明とは別次元で存在を信じているわけでもない。でも,使った方が便利だと考えている。こういうのを,実用派,実利派,功利派,というのだろうか。いずれにせよ,そんなところである。

6/03/2014

首の後ろを開く

滞在50日目。6月3日(火)の午前4時30分。

首根っこの後ろを開く。経絡 channel を開いて(通して)おくように。経絡とは,気が流れる経路(道)である。僧帽筋上部周辺を指して,スティーブは盛んにそこを開けと言う。経絡を開く(通す)というのは理論的な表現であって,実際はとにかく,首の後ろと肩の周辺を緩めて広げるように,というのが身体的な意味合いだ。

こうしようとすると,自然に肩が下がる。武術や瞑想・気功では一般的に,肩を落とす(下げる)ことが盛んに言われる。肩が上がること,肩に力が入ることを避ける。肩が上がっていると,武術的には,受けるとき捌くときや突くとき押すときなどに技が十分に効かないからであり,一方,瞑想や気功などでは,身体的にリラックスしていないからである。

肩が強ばって縮こまると,イメージとしてそこの経絡が詰まってしまうから,通しておこうとなれば,結果,僧帽筋を伸ばそうとする。そうすると,自然に肩が下がる。僧帽筋を伸ばしながら肩を上げることは不可能だ。

肩を下げろという直接的な指示表現が一般的に耳にするものであるところに,こうして首根っこと肩の辺りの経絡が通るように開いておけ,という指示表現は,発想の転換であり,身体を異なる複数の観点から眺めることができて,気持ちよい。

こうして首の後ろの気の通る道を開けておくと,頭と身体の連絡が良くなって,頭が冴える,記憶力が良くなる,とも言っていた(と,自分の師匠が言っていた,と言っていた)。

気を持ち出すのは理論的な表現であって,実際のところは,この辺りが強ばれば血流が悪くなって頭痛がしたりするわけで,何にせよ脳には良くない。その反対に,この辺りが緩んで血流が良ければ,脳に酸素が十分に行くわけで,何にせよ脳には良い。そういうことだ。たぶん。気というのは,優れた方便である。

6/02/2014

イワシとハト

滞在49日目。6月2日(月)の午前5時。

昨日は日曜日で,ホノルル駅伝&音楽フェス2014というのを,カピオラニ・パークとその海側のビーチ辺りでやっていた。ようである。というのも,見物には行っていないけれど,ビーチに音が流れてきていたので,どうやらやっていたようである。

駅伝自体は,カピオラニ・パークがスタート&ゴールで,ダイアモンドヘッドの海側を走って戻ってくるコース。今年で2回目のイベントのようなので,今後も続くことを願う。

そうして音楽が漏れ流れるビーチで,昨日はシュノーケリングをしてみた。ウォルマートで一番安いシュノーケルセットを買ってきて,浅瀬の海面を漂ってみた。いつも行くビーチはクヒオビーチというところで,ここは小魚が大群で泳いでいるから,それを海面下で見てみようと思ってのこと。

なお,泳いでいるのは,たぶん,イワシか何か。グアムやパラオのビーチにいるような,トロピカルな色した魚が何種類も泳いでいる様子を期待してはいけない。大きいのと小さいとのいるから,それはそのイワシか何かの親と子なのか,それとも2種類別々の魚なのかはは,よく分からない。大きい方のやつはとにかく大群で,魚影が濃い。

日本なんかでもときどき公園でハトに餌をやるおじさんとかおばさんがいるけれど,ここクヒオビーチでも夕方に,イワシに餌をやりにくるおじさんがいる。パン一斤を片手に,つまんで引きちぎっては,撒いている。当然イワシは寄ってくる。そしてイワシが周りを回遊して渦になっているその渦の真ん中で,腰まで浸かりながらちょっと得意げな笑顔を浮かべるおじさん。

ハトで思い出したが,ワイキキの高級ホテル街の谷間に一軒,たぶん普通の民家があって,そこがハトの巣というか,居留地というか,休憩所というか,集会所というか,とにかくものすごい数のハト(こちらは主に白ハト)が屋根や庭などいたるところに所狭しといる,そんな家がある。いつ前を通っても,大量にいる。何のひねりもないけれど,うちはこれを「ハト屋敷」と呼んでいる。

と思って検索してみたらやっぱり他の人もみんな「ハト屋敷」と呼んでいた。

有名みたい。そりゃ有名だろうね,これ。ここだけ異空間・異世界で,まさに異様なオーラを発しているからなぁ。当の家主は構わないかもしれないけれど,視界に入る隣のホテルやコンドミニアムの住人は良い迷惑だろうなと,前を通る度に思う。もう見慣れたけど,最初はぎょっとした。

ワイキキの喧噪の中,連れ合いに先立たれ,独り身で寂しい思いをしていたところ,最初はなんとなくハトに餌やって,寄ってくるのが嬉しかったのが始まりで,それがだんだん嵩じて,とうとう今ではこうなってしまったのかなと,ハト屋敷の主の半生を勝手に想像する。勝手である。

6/01/2014

日差し

滞在48日目。6月1日(日)の午前4時。

6月になった。4月の半ばに来たので,3つ目の月。日本はこのところ真夏日のようで,6月ともなれば梅雨だから,かなり蒸し暑くなっているんだろうな。

こっちは,日差しは強いので日向は暑いけれども,汗だくになるような暑さではない。まず,湿度が低い。しかし,その日差しは半端ではないので,日焼けと熱中症には注意しなくてはいけない。

と思うのだが,さすがローカルの人たちは,そんなのはまったく平気。というかたぶん無視。日焼け止めとか塗ったり,帽子を被ったり,とかそんなの一切してない。おそらく。

ただ,ポリネシア系やアジア系のローカルは色黒になるだけであんまり問題ないけど,白人系のローカルのお肌はボロボロカサカサ。もちろん,ちゃんと対策している人は大丈夫だが,そうでないともう大変なことになってる。

まぁ,それでも,ときどき,そりゃ日焼けしすぎだろ,皮膚がんになるぞ,というアジア系のおじさん(おじいさん)がいたりする。茶色とか焦げ茶色を越して,なんか皮膚が炭素化してるみたいに黒焦げのおじさん。黒人の黒とはまた違う,炭色の人。BBQな人。こういう人は,日焼け止めとか全く塗らずに海やプールで長時間日光浴してたりする。その潔さに脱帽。

5/31/2014

伝統

滞在47日目。5月31日(土)の午前4時30分。

ウェットアンドワイルドの疲労が残る。遊び疲れ。40過ぎれば波もスライダーも堪える。本当なら,何もせずにビーチでまったりしていたい。

子どもは海よりプールの方が好きみたい。潜って遊ぶ,泳いで遊ぶには,波も砂も塩辛さもないプールの方が良い,ということのようだ。せっかくホノルルにいるのに,そういうものかね。

昨日は夕方から,楊式の太極拳を練ってみた。楊式の10式(8式)。

YouTubeで検索すると,この10式(8式),結構色んな人がやっている。技の応用なんかも紹介されている。しかし,この10式は,8式とも表記されるからややこしい。それから,こういう風に要素を取り出して套路を短くするのは制定(規定)拳であり伝統拳ではない。たぶん。

習っているスティーブは伝統楊式(Classical Yang Style)だから,YouTubeに出てくる制定(規定)と,動作(身体操作)の質が若干違う。せっかくスティーブに習っているので,伝統楊式の身体操作で,この10式(8式)を練ることにしている。

太極拳の世界にはこうして,伝統拳と制定拳という区別がある。伝統拳とは言わば「古流」であり,一方,制定拳というのは連盟公式の規定に従って,見栄えの良さを追求した表演競技としてのものと,健康体操としてのものとが含まれる。

空手も然り。各流派の宗家の伝統に沿って稽古しているところと,全空連による公式の規定に沿って稽古しているところの,二種類存在する。太極拳の世界も同じだろうけれど,世の道場・教室の大半は後者である。

武術の世界は,こうして,師から伝わる教えをただひたすら忠実に守ろうとする流れと,世の中にどんどん広く普及させていこうとする流れがあるようだ。後者を成し遂げるためには,共有できる統一された形式やルールが必須である。それが公式(公認)の規定。普及には統一が必要であり,統一のためには,曖昧さや微妙さをなるべく捨てて,分かりやすさや明確さが追求される。

分かりやすさや明確さとは,要は,見た目の分かりやすさや明確さである。身体の内的な感覚まで規定することは難しい。それを分かりやすく明確に統一した形式として示すことはほぼ不可能だからだ。となると,とりあえず外見だけでも統一する。それでもって,みなで集まって,競技を行う。その結果,だんだん見栄えの良さを追求するようになる。

かくして,徐々に,伝統派との差異が広がっていく。

5/30/2014

ウェットアンドワイルド

滞在46日目。5月30日(金)の午前5時。

昨日は,バスに乗って,オアフ島の西側にある「ウェットアンドワイルドハワイ」に行ってきた。スライダーとか流れるプールとか波のプールとか子供用の水遊び場とかがある,ローカルの人に人気らしいプールである。

人口波がやたら大きい。ボディボードができるように,やたら高い設定になってる。日本ではあり得ない大きさと高さ。スライダーも,なかなか激しい高さから滑り落ちてくる。上まで登るのが大変だ。滑り落ちながら,マジで転覆したりコースから飛び出したりするんじゃないかと思えるほど前後左右に揺れる。子供用の滑り台も,なかなかの急角度。さすがアメリカ,躊躇・妥協・容赦なし。安全基準ギリギリのところで設定か。まぁ,基本的に,事故が起きても自己責任,ということかね。

一応,ライフガードがしきりに笛を吹いて危険行為だとか禁止行為を注意するんだけど,ただ漠然と笛を吹くだけで,誰に対するどの行為への注意なのかが,イマイチ不明。ただ単に笛を吹くだけだから,その時点で動作している人はライフガードの周辺に何十人何百人もいるわけで,それでも一応ライフガードが見ている方向の人たちが注意されている該当者ということになるわけだけれど,ライフガードは漏れなく全員サングラスをかけてるので,一体誰を見てあなたが笛を吹いているのか全く分かりません,という機能性ゼロの笛の音があちこちで鳴り響く,そんな状況。なんか,適当。

適当と言えば,飲食物持ち込み禁止(入場時に荷物チェックがある)な割に,食べ物が買えるところは園中央にあるファストフードな店一カ所しかなくて,長蛇の列。当たり前だろ。営業的に園内の食べ物飲み物を買って欲しい気持ちはよ~く分かるけど,これではあまりにも効率が悪すぎる。

あとは,アトラクションに乗るためにはサンダルを脱ぐ必要があるわけで,そうすると待っている間,足がやたら熱い。軽いやけどだぞ,これ。

スライダーものは身長制限があって,小さい子どもは全部は乗れず,かといって大人だけで乗るわけに行かず,したがって全て試しに乗ったわけではないから何とも言えないけれど,全体的には,日本のプールよりも激しく危険な設定になっているから,面白い。日本のプールは,そういう意味で,優しく柔らかく穏便に設定されてるね。なんとなく両国のお国柄を象徴してる感じがする。

先日が卒業式シーズンで,おそらく今週まで学期中で,来週頭の6月から夏休みなので,昨日はまだ空いていた。だからどのプールもアトラクションも混まずに遊べたので良かった。やっぱり,混んだら大変だから,ここだってつまらないと思う。特には,ランチがあれじゃ,高い金払って高いランチを買う列に並びに来たようなものになってしまいかねない。昨日だって少なくとも30分は並んだぞ。だから夏休みの混雑時に行くのなら,朝飯たらふく食べて,昼抜きで遊び倒すのがベストだな,ここは。

皆がランチの列に並んで食ってる時に,遊べ。

5/29/2014

腰と腹

滞在45日目。5月29日(木)の午前5時。

尾てい骨の辺りをまっすぐ立てて(=腰を立てて),腰(=股)を開いて,足の支えと力を手に伝える感じを,スティーブに教わった。ふむなるほど,套路の中でよく出てくる太極拳の立ち方と動きがあるが,そのときのニュアンスというのはこういう感じか。太極拳は,主にはこの感じを練っているんだな。

大地にしっかり根づいて,その大地の力を,安定した腹と腰を通して,上半身そして腕と手に伝える。呼吸とともに滑らかに柔らかく伝える。下半身と上半身を滑らかにそして力強くつなげるには,腰と腹の安定が決め手になる。スティーブはだから,始終,腰腹のところに注意するよう教えている。ここが太極拳の要なのだ。

もちろん,ここがあらゆる武術の要である。空手とて同じである。しかし,面白いのは,説明の仕方が違うところだ。空手の場合,あるいは,師である小林先生(や西田先生)の場合と言っていいかもしれないけれど,「腹」の操作を中心にこの部分の大切さを解くのに対して,スティーブは「腰」の操作で説明しようとする。でもおそらく,同じことを言おうとしている。

というのも,身体感覚的には,結果的に同じになる。というか,たぶん同じことを言っているのだろうという前提で実際に身体を練ると,合点がいく。表から説明するか裏から説明するか。

太極拳の場合,あるいは,スティーブの場合なのかもしれないけれど,もう一つの特徴は腰を「開く」ということを盛んに言う。腰を開くことで必然的に尻が締まる。空手では,尻や太もも裏側から締め込むように教わるが,これもまた,表から説明するか裏から説明するかの違いかもしれない。太極拳の場合,空手ほど締めないかもしれないけれど,言おうとしていることは同じなのかもしれない。

それぞれのやり方で身体を練ってみると,次第に分かるだろう。一つのところに収斂していけば,それはそれで正解であり,収斂していかなければ何か違いことを言っていることになる。こうして少しずつ練って探っていくのが,実に楽しい。

5/28/2014

ロボット

滞在44日目。5月28日(水)の午前7時。

遅ればせながら,須藤元気率いるWorld OrderのパフォーマンスをYouTubeで見た。すごい。一人一人の動きももちろん一級品ですごいけれど,全体のダンス構成がすごい。ダンスをしている衣装や場所や映像の構図がこれまた,良い。

プロデュースは須藤元気となってるけど,振り付けは野口量(今は脱退したのでメンバーではない?)という人を中心にメンバー全員で考えているらしい。いやぁ,ホント,よくできてる。

「ロボットダンス」ってのはずっと通称だと思っていた。パントマイムで言うところの「人形ぶり」である。で,ブレイクダンスとかロックダンスとかの中で「ポッピング」っていうロボット的な動きはあったけど,その動きのロボットっぽいのだけでダンス全体を構成した場合,呼び名はなく,とりあえずそういうのをロボットダンスと呼んでるつもりでいた。しかし今は,一般名称としてロボットダンスで通じるみたい。

学生の頃,MEGAMIXっていうグループのロボットダンスをアレンジしてパフォーマンスしてたなぁ。懐かしい。舞夢踏では今でもやってるのかな?

目抜き通りであるカラカウア通りに,ときどきパントマイミストが人形ぶりをやって小銭を稼いでいる。歩道でじっとしていて,お金を入れると動くっていう,あれ。東京でもときどき見かけるし,世界中どこでもやってる,あれ。

この前,試しに3セントをちゃりんと入れたけど,1ミリも動かなかった(笑)。ちゃんと見てる(聞いてる)なぁ,値段を。まぁ,そうでなくてはパフォーマンスは成り立たない。正解正解。

ロボット(人形ぶり)をしているときは,身体の隅々まで注意を向け続けなければならない。そうでないと,全身をピタリと止められない。動くときも動く箇所だけ動きつつ,その他動かない箇所は止まっていないとロボット(人形)には見えない。人間は全身で滑らかに動くから,ある箇所だけが個別的特異的に動く,ということはない。あるところが動けば,その他の部分もバランスを取りながら連動する。上手くできている。

人間の身体ってのは,だから,意外とぬるぬるふにゃふにゃしてるのだ。そのふにゃふにゃのおかげで,二足で歩行したり走ったりすることができる。ロボットに二足で歩行したり走らせたりするのは,したがって,技術的にはとても難しいはずだ。ただ走るだけなら今でも製造可能かもしれないけれど,前後左右上下の障害物を巧みに避けて二足で走るロボットは,見たことがない。人間のような滑らかな全身的連動性でバランスを保ち続けることが難しい(はずだ)からだ。

さて,実際,パフォーマンスとしてのロボット(人形)らしい動きにはテクニックがあって,それはそれなのだが,ロボット(人形)的な動きとは,つまるところ,ある箇所だけを個別的特異的に動かすことで,滑らかな全身的連動性を無くすことで,人間味(人間らしい動き)を消すことで成立する。

そのために,ダンサーやマイミストといったパフォーマーは,全身に注意を向ける。それを持続する。全身に注意を向けることで,放っておいたら勝手に滑らかに動いてしまう身体を制御する。もちろん,熟達すれば,そうした注意を努力して意識的に向けなくても,(無意識的とまでは言わないけれど)自然に全身への注意と緊張を維持できるようになる。

そして,パフォーマンスとして成立させるためには,これを始終,それこそストリートでする人形ぶりは,何十分も何時間も,続けるわけである。1分や2分続けても,お金はもらえない。10分,20分,30分,1時間と続けてこそ,ストリートでの不自然さはよりいっそう際立ち,かくして投げ銭がもらえる。

World OrderのPVはどれも街中での撮影が多いのは,街中には滑らかに動く一般の人がいて,World Orderのメンバーの動きがよりいっそう際立つためだ。彼らのパフォーマンスはそれ自体で一級品であるが,選んだ衣装(ビジネスマンスーツ)や場所が,その動きのすごさをより分かりやすく提示する絶妙な装置になっている。うまい。だから,すごい。

須藤元気,すごい。しかも,この裏で,学生レスリングの拓殖大監督・日本代表監督として,優秀監督賞を7回獲得しているというから,なおすごい。

ただ,World Orderは「ロボット」ダンスのみ,というわけでもない。こういうのは実際,なんてジャンルのダンスになるんだろう。ちらっと調べてみたら,アニメーションダンスとかロボットダンスとかあって,それらをひっくるめて「ダブステップダンス」というみたい。たぶん。"Aquarius"って曲では,最後の方に空手の形(たぶん,松濤館の観空小あたり)をアレンジして入れてた。上手上手。

5/27/2014

滞在43日目。5月27日(火)の午前5時。

嵐が去ったせいか,昨日はだいぶ涼しかった。

それで昨日はラハイナ・ヌーンだった。ラハイナ・ヌーンってのは,正午ごろに太陽がちょうど真上に来るために,まっすぐな建物や柱とかだと日陰ができない,そういう現象が起こる。赤道に近いかららしい。見損ねた。時間までチェックしてたのに(12時28分),たぶん,ちょうど部屋で昼ご飯を食べていて,すっかり忘れていた。

次のラハイナ・ヌーンは7月16日の12時37分。見逃さないようにしよう。写真に納めたい。

ここホノルルは,太陽は山の方から登ってきて,海の方へ沈んでいく。だから海に向かって左手にあるダイアモンドヘッドがある方角は,ワイキキからすると南に当たる。

海は,太陽が当たると,すごく綺麗な青色になる。明るい青色のところもあれば深い青色や緑色のところもあって,グラディエーションに富んでいる。時間によって色も違う。

そういえば,ハワイといえば虹(レインボー)である。車のナンバープレートにも虹が書かれている。これは,こっちではしょっちゅう虹が出るからだ。というのも,雨は霧雨程度なわけで,しかも天気は変わりやすく,雨が降ったり止んだりする。だから,少し雨が降った後に晴れるので,このとき虹が出る。出るときは一日に何度も出る。ちなみに,shaved ice(かき氷)のメニューにも,「レインボー」というのがだいたいどこの店にもある。ご推察の通り,何種類かのシロップをかけたやつ,ということ。

南国だから植物も色とりどり。垣根になるような灌木が,ハイビスカスだったりするから洒落ている。この他にも名前は分からないけれど,とにかく,色んな色の花がたくさん咲いている。

色は太陽光線があって初めて知覚されるわけだけれど,こうして真上から太陽の光がさんさんと,たっぷりと降り注ぐところだから,海も虹も植物も,どれもクリアな原色になる。ような気がする。

5/26/2014

イベント

滞在42日目。5月26日(月)の午前4時30分。

今日はMemorial Day(戦没者追悼記念日)。毎年5月の最終月曜日がこれになるらしい。祝日。

昨日は日曜日。午前中からバスに乗って,カカアコ・ウォーターフロント・パークで開かれていた,ウクレレ・ピクニック・イン・ハワイ2014に行ってきた。とにかくワイキキ周辺では,毎週,どこかでイベントやお祭りをやっている。

今回のウクレレ・ピクニック,ウクレレを愛する人たちのためのイベントなわけだが,ウクレレの日本人愛好家がハワイに旅行に来るきっかけであったり,一般の日本人観光客がカカアコに寄るついでだったりして,結局,半分は日本人向けだったりする。特にこのウクレレ・ピクニックは,イベントの司会が英語と日本語で,会場の客も日本人か,日本語が話せる日系のローカルが多かった。

ただ,あいにくの雨模様で,客はずいぶん少なかったのかも。日本人愛好家や観光客はそれでもこの期間しかハワイに訪れていないから,何としてでも来場するけれど,ローカルの人たちはそんなに無理してまで来る必要はないだろうから,結果,ほとんど日本人になってしまった,というのも理由の一つだろう。

しかし,祭り好きである。

ワイキキ周辺は,日本人用の観光イベントという要素(客寄せオプションとしての役割)が多分にあるものの,しかし,そういう祭りにローカルも結構来場して楽しんでいるから,やっぱり祭り好きなのではないか。来週の日曜日は,ホノルル駅伝&音楽フェスティバル2014,である。

一般参加のこの駅伝も,なんとなく基本,日本人観光客寄せイベントな気もしないでもないが,こちらではホノルル市長がランニングするパフォーマンスをしたりして,それがニュースになったりして,地元でも率先してイベントを盛り上げてはいる。色んな国の人が集まって参加している駅伝だといいんだけどな。

やっぱり,中国人や韓国人をメインのターゲットにした,あるいは,中国語やハングル語が飛び交うイベントは,今のところ,ない。日本人ほど観光客が来ないからだろうけれど,ダウンタウンの方にチャイナタウンがあるから,中国系のお祭りやイベントはそっちでやってるのかな。

見聞きしていると,オーストラリアやニュージーランドの観光客も多い。向こうは今ちょうど,真冬になりかけているから,ハワイは季節的にも嬉しい,ちょうど良い観光地なのだ。たしか飛行機で8時間ぐらいだと,ニュージーランドから来ていたおばちゃんが言っていた。

さすがに,オーストラリア人やニュージーランド人をターゲットにしたお祭り,ってのは,ない。お互い英語で不便は全くないわけで,アメリカ本土のアメリカ人への対応と同じで良いわけだから,表だってターゲットにする理由や方法が思い当たらない。こうして考えていくとやはり,日本人というのは,ハワイではかなり特殊な扱いを受けている気がしてならない。

5/25/2014

滞在41日目。5月25日(日)の午前5時。

この週末から週明けのMemorial Day(戦没者追悼の祝日)にかけて,thunderstormになると天気予報で言っていた通り,昨日から天気が荒れている。珍しく一日中雨が降っていた。それも,いつもの小雨や霧雨ではなく,傘が必要なぐらいそこそこに。それでもしかし,降ったり止んだりではあるけれど。

この時期ちょうど,学校の卒業シーズンのようで,シャミナード大学もたしか先々週ぐらいが期末試験だとロバート(ボブ)が言っていたし,ニュースではハワイのどこかの高校から1980年以来初めてハーバード大学に合格して進学する生徒のことが,報じられていた。

たぶん,だからだろうけれど,昨日の晩は,若者たちが,おそらくは車か何かに乗りながら,大声で叫び奇声を発して,何度も通りを往復していた。卒業して羽目を外している,というところだろう。尋常ではない元気さです。

しかし,なぜこうして公の場で,大声で叫ぶのだろうか。なぜ叫びたいのだろうか。それは普段,こういうところで叫ぶことが抑制されているからだろう。公の場では,大声で叫んだりしてはいけない。もし叫んだら,場合によっては通報される。そういうタブーあるいは法を犯す快感がある。

また,なぜ卒業したら羽目を外すのだろうか。なぜ外したいのだろうか。それは普段,学校で抑制されているからだろう。我慢に我慢を重ねて勉強しているから,ようやく卒業したその日ぐらい,抑制を解きたい,解いても許されるだろう,大目に見てくれるだろう,ということか。

酒でも飲んでいるにちがいない。もし素面であれだけの奇声を夜な夜なずっと集団(男も女も)で上げていられるのだとしたら,アメリカの,あるいはハワイの(あるいはホノルルの)学生は相当歪んでいるぞ(笑)。

荒れ模様の天候と相まって,大雨の中,叫び続ける若者。嵐が興奮を促す。雨が身体に直接当たってびしょ濡れになるとなんとなく開放的な気分になるけれど(それは傘という人工的な緩衝材を取り払って,自然に帰る感覚がするからなのか),その開放的な促進剤が,若者の心を解放する。もう,大騒ぎである。

たまたまこの週末にホノルルに来た観光客のみなさんは,珍しく天候が荒れ模様だわ(せっかくのビーチやプールもこれでは台無し),夜はずっと奇声を聞かされるわで,散々だね。

5/24/2014

滑らかにつなぐ

滞在40日目。5月24日(土)の午前4時40分。

ホノルルに来て40日が経った。滞在予定のほぼ3分の1が過ぎたことになる。こういうときの感想はだいたい決まっているけれど,40日というのは,長いようで短い。

バンテ・グラナタナ氏の『マインドフルネス:気づきの瞑想』を読んでいて,また一つ,思うところがあった。気づきの第一対象は呼吸であり,その呼吸の出入り(呼気と吸気)を鼻孔で感じる。このとき,呼吸は厳密に言うと,呼気(吐き)と吸気(吸い)があるわけで,その呼気と吸気が切り替わるところに間があることに最初,気づく。しかし気づきを続けて自然に呼吸していると,次第に,呼気と吸気が滑らかにつながり一つになっていく。そういうようなことが書いてあった。

これを道家的に言うと,陰が切れ目なく陽になり,陽が切れ目なく陰になる。そして陰陽が循環する。陰と陽が一つに混ざり合っていく。

道教あるいは道家思想の体現である太極拳は,だから,動きと動きが滑らかにつながって一つになっていく,そういう風にして身体的に陰陽を感じ,気を練るための術である。

呼吸,つまり,息とは,気である。

太極拳は,切れ目なく滑らかに呼吸をつなぎ,切れ目なく滑らかに動作をつなぎ,そしてその呼吸と動作を連動させていく。自然な呼吸と自然な動きを,自然に合わせていく。そして全てが一つになっていく。

空手の形の場合,呼吸を止めるところが多い。攻撃と防御の動作のときに息を吐くが,吐いたらすぐに吸っておく。そして,次の防御と攻撃の動作まで止めておく。これは戦闘中,息を吸っているときに相手の攻撃を受けるとダメージが大きいため,極力,吸う時間帯を短くすること,また,吸っていることを相手に悟られないことが必要だからだ。

空手と太極拳では違うのか違わないのか。違うとして区別してしまうことは容易い。だから違わないことを前提に考えてみる。さて,いろいろと試してみることがまた増えた。

5/23/2014

ワイキキ東端

滞在39日目。5月23日(金)の午前5時30分。

昨日,夕方に,近くの小学校(ジェファーソン小学校)で開かれていたフードフェスティバルに行ってきた。

小学校の柵に前から案内が張ってあったので(小学校の敷地内で開催するし),てっきり地元のお祭りかと思いきや,行ってみるとびっくり,JTBが仕切っていて,トロリーバスが小学校内まで回ってきて,日本人観光客をわんさと呼び込んでいた。

特設ステージもあり,そこでは日本のモデルが来てトークをしていた。一昔前に聞いたことのある,押切なんちゃらと蛯原なんちゃら。よく知らないけれど。こういうところで,しぶとく営業をしているわけだ。なるほど。

もちろんローカルの人も入場できるから,おおむね,半分かそれ以上が日本人,残りがローカル,といったところか。

で,並んでいる露店やワゴン型の店はだいたい,観光ガイドに載っていたりテレビで紹介されたりするような有名店の出店だったりする。まぁ,だから,短い旅程の中で観光する中であちこち有名店を回りきれない日本人観光客のために,そういう有名店のグルメメニューを一カ所で楽しんでもらおう,という企画なのかもしれない。特設ステージは,したがって,そういう日本人観光客向けの呼び物である。押切だ蛯原だって言っても,なにしろ僕とてピンと来ないんだから,いわんやローカルの人をや,でしょう。

それからここ,公立の小学校なのに,こういうイベントに場所を貸すところが,アメリカ的なのかハワイ的なのかよく分からないけれど,とにかく,懐が深いというかこだわりがないというか。日本だと,公共の公園なんかではこういう光景は見られるけれど,普通の公立小学校の校庭でやっているのは,見たことも聞いたこともない。小学校は,学校のトイレも開放している。太っ腹。貸し賃以外に,小学校にとって一体どういう利があるんだろうか。

ちょうどこのジェファーソン小学校が,ワイキキの一番東側に当たる。カパフル通りを挟んで隣がホノルル動物園。つまり,このカパフル通りがワイキキの終わりになる。

先日乗ったタクシーの運転手のワンさんが教えてくれた面白い話の一つは,コンビニ的なABCストアはワイキキの中だけに48店舗あって,(アラモアナセンターとアウラニのリゾートにそれぞれ1店舗あるのを除いて)それ以外にはないらしい。ワイキキの中だけに48店舗!たしかにABCストアは,ストアごとに陳列している商品の種類は違うけれど,観光客向けの商品が多いからね。

ちなみに,このワンさんがまた,すごい。英語はもちろん,日本語とハングル語もネイティブ並に流暢な”中国人”。なぜハングルが流暢だということが分かったかというと,運転中,携帯電話で同僚とハングルで話していたから。だからてっきり韓国人かと思って聞いたら,台湾系の中国人ということでびっくり。片言ならスペイン語もタガログ語もやれるらしい。ハワイにいると,これぐらい普通だと言っていた。

いや,そうは言っても,基本的にタクシーの運転手は日本語は話せないって,どこかで聞いたことがあるから,このワンさんが特殊なんだと思うけど。ちなみに,日本語が上手いのは,日本に2年間留学していて,かつ奥さんが日本人だからのようだ。ただ,語学力はやはり,おしゃべりな人ほど身につく。とにかくワンさん,良くしゃべるしゃべる(笑)。