滞在84日目。7月7日(月)の午前5時。
昨日,きわどいタイミングでバスに乗ろうとしたら,先に行かれてしまった。手を上げて乗る意思を示している僕と運転手と目線が合ったときには,バスはまだ発進してなかったぞ。その目線を切って,彼はあえて無理だとこちらを手で制して,アクセルを踏んだ。このとき逆に,ドアを開けて,乗せてくれても良かったはずだ。
こういうとき,怒りの感情がふつふつと沸く。たぶん,誰しも,沸く(んじゃないかと思う)。しかし,ここで感情にそのまま引っ張られて,ついていって,行動してはいけない。感情が行動を動機づける力は強い。特に怒りはその力が強い。ふつふつと沸く主観的な感情とともに身体もふつふつと沸く。
行動したい。つまり,何かしら悪態をつきたい,願わくばその運転手に仕返しをしたい。心の中で悪態をつく。心の中でその運転手に仕返しをする。
ここでそういう感情や思考のままでいると,いつまでも嫌な気分のままだし,さらには,無関係な周囲の他者へ攻撃的な態度になったりしてしまう。傍迷惑なのだ。
だから,身体を含めて自身の感情や思考を客観的に観察する。ただ観察するだけで,それに乗っかってはいけない。また,そういう風に感じたり思ったりすることを価値判断しない。ただ観察するだけ。ふつふつと煮えたぎる感情,わなわなと震える身体,それに伴って溢れ出てくる思考。どれもただ観察する。追いかけない。
そうすると,じきに怒に伴う感情や思考や身体は収まっていく。収まっていくそれを追いかけず,収まっていくところをただ観察する。追いかけない。判断しない。去っていくのを客観的に観察する。そうすると,ただ在る自分に戻る。太陽に照らされ,風を受けて,呼吸する,今在る自分に戻る。鼻を通して呼吸する身体へ戻る。
バスが行ってしまうことは,ときに,ある。そういうことに目くじらを立てて,いつまでもこだわっていても仕方がない。一瞬腹の立つことは致し方ない。でも,それにこだわって(思考を続けて)いつまでも嫌な気分でいるよりも,大らかにこだわらないでいる方が,結局,そのときその後,気分が良い。
マインドフルネスの実践稽古は,こうして,いつでもどこでもできる。
そもそもこうして,怒りの事態をマインドフルネスの実践稽古の時だと認識して,マインドフルネスを実践しようとすること自体が,成功しようがしまいが,マインドフルである。だから,日々,マインドフルであり続けることが,マインドフルネスの実践稽古である。
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