6/30/2014

ひまわりの種

滞在77日目。6月30日(月)の午前5時50分。

ひまわりの種を食べた。とっとこハム太郎である。

食べ方が分からない。そこでネット検索。便利な時代である。すぐに分かった。口の中に放り込み,下と唇を駆使しつつ,前歯の上下で種を縦に割ると,中にやや柔らかくて甘いところがある。それを食べるのだ。殻は捨てる。

小さい頃,梅干しの種を割ったら中に柔らかい部分があって,それを食べたことがあったけど,あれに似ている。梅干しの種は硬かったけど(笑),ひまわりの種は,すぐ割れる。

このひまわりの種,塩をまぶして炒ってあるので,塩っ気が美味しい。ただ,割るのが面倒くさいといえば面倒くさいのと,割ったところで得られる中身ってのがごく小さい。だからたぶんこれ,口寂しいときとか,何かしながらとか,暇つぶしとか,気晴らしとか,そういうときに,何となく口の中で転がしながらちまちまと食べるんだと思う。コーヒーのあてなんかに良い。わしわしがしがし食べるものではない。

アメリカだとメジャーリーガーなんかがベンチでもぐもぐしてるらしい。何粒も口の中に放り込んで,殻をペッと捨ててるらしい。

だから,もしかしたら,何かストレスフルなときとか,緊張しているときとか,イライラしているときとかに,これをしゃぶれば,これに意識が集中するといえばするので,良いのかもしれない。まぁ,しかし,塩で炒ってあるやつは,いくつも食べると,塩っ辛くなるし,舌の先が痛い。慣れてないから,知らない内に殻で傷つくのかもしれない。

ひまわりは北アメリカ原産で,紀元前3000年にはネイティブアメリカンが食用に栽培していたらしい。ということは,これ,純アメリカンな食べ物,ということか。しかし,まぁ,よくこれをこうして食べようと思ったな,と感心。種です種。

6/29/2014

ケイキ・スワップ・ミート

滞在76日目。6月29日(日)の午前6時30分。

昨日,28日(土)の午前中,チルドレンズ・ディスカバリー・センター主催の「ケイキ・スワップ・ミート Keiki Swap Meet」というのに行ってきた。ケイキというのは,ハワイ語で「子ども」という意味。つまり,直訳すれば,「子ども交換会」というところか。何かというと,要するに,子どものフリーマーケット,である。

もちろん,子どもの親も付いて,各家庭がテントを張って,使わなくなったオモチャだとか服だとかを売る。子どもによる子どものためのフリーマーケットなので,一応,大人は引っ込んで,子どもが店員になり,客である子どもとやりとりする。が,ときに肝心の子どもがどこかに行ってしまい,親が売っているところもある。

売りに来ている家庭は,ざっとみて30ぐらいか。つまり,テントが30ぐらい,芝生の広場をぐるりと取り囲んでいる感じ。テントの下で,キャンプ用のチェアに座りながら,サンドウィッチや果物を頬張り,飲み物を飲んでいる。ちょっとしたピクニックである。

この芝生の広場は,ディスカバリー・センターの横にある。カカアコ・ウォーターフロント・バークの一部だろう。そう,ここカカアコ・ウォーターフロント・パークは,ホームレスがものすごく多く集まって住んでいるところである。

ここのホームレスは,人種もいろいろで白人,黒人,ポリネシア人など。そして,ワイキキのホームレスと違って,子どもが多い。おそらく,幼稚園ぐらいの年齢から中学生・高校生ぐらいの年齢まで,子どもたちもここで親とともに寝泊まりしている。彼らは,たまたま親がホームレスであったために,公園のシャワーで身体を洗い,公園のトイレで用を足している。果たして学校には行けているんだろうか。そういう子どもたちを見る度に,心が痛む。ただ,ホームレスの子どもは肥えている子も多いので,それなりに栄養は取れているのだろう。親もなぜか肥えている人が多い。

ここカカアコのホームレスは,各家庭?ごとに歩道にテントを張って住んでいる。歩道沿いに,テントが寄り添い合って,並んでいる。

つまり,どういう構図になっているかというと,芝生の広場の内側は,売るほどオモチャや服がある裕福な家庭のテント,一方,芝生の広場の外側は,そこで暮らしているホームレスの家庭のテント。その距離,およそ10メートル。公園の敷地内か敷地外かという,見えない境界を隔てて,その社会経済的な背景の落差があまりにも大きい。なんともいえない悲しい気持ちになる。

並んでいるたくさんのオモチャや服を見て,ホームレスの子どもたちは,何を感じているんだろう。きれいな服を着てきれいな食べ物をほおばっている同じ世代の子どもを見て,どう思うんだろう。そしてホームレスであるその親は,この状況をどう感じ,また,自分の子どもの気持ちを,どう感じているんだろう。

なんだかとても,残酷である。

6/28/2014

見た目

滞在75日目。6月28日(土)の午前4時15分。

スポーツオーソリティがあったので,寄ってみた。店内は広い。日本にある店舗に入ったことがないので,スポーツオーソリティという店は世界中どこもこんな風なのかどうか分からないけれど,7割は衣類(靴含む)。

もちろん,各種スポーツ用品も数多く置いているけれど,道具は一度買ったらそうそう買い換えるものではない。素人や初心者にとって,道具に大差はないだろうし,道具でパフォーマンスが劇的に変わるようではスポーツとは言い難い(玄人や上級者にとっては,道具の違いは大きいかもしれないけれど)。それに道具は,馴染んでこそ,使い慣れてこそのスポーツである。

だから一般のスポーツ愛好者にとっては,まずは服の見た目や着心地こそが重要であり,何を着るかに選択や変更の余地があるのだ。ここんところは,買い換えたって,気分の問題だから,良いでしょう。これでパフォーマンスが劇的に変わるわけではないけれど,やってる気分は多少違う。

ということで,実は,太極拳っぽいパンツ(ズボン)はないものかと,探しに入ったわけである。

今は,空手着の下(ズボン)とTシャツで稽古している。もちろん,これで,機能的には何も問題はない。運動する上で,空手着が一番着慣れている。また,普通,太極拳などの中国拳法は,靴を履いて練るけれど,僕の場合は靴を履いて練るのに慣れていないので,空手と同じように,裸足でやっている。幸い,ここはハワイなので,普段サンダルの人も多いために,稽古中は裸足になる参加者もときどきいる。だから,カラテパンツにベアフット,という出で立ちは,(たぶん)奇異ではない(と信じたい)。

ヨーガコーナーはあった。ヨーガ用の服がワンコーナー設置されているのだ。こちらはヨーガがとても盛んで,ワイキキの街中にもヨーガ専門の店とかあるし,ヨーガマットがどこでも売っている。ビーチやパークでヨーガ・ヒーリング,というわけだ。ちなみに,太極拳をやっているコミュニティセンターでも,ヨーガクラスがたくさん開講されている。

ただ,ヨーガコーナーにある服はどれも女性ものばかり。街中にあるヨーガ専門のお店も,女性専用(っぽい雰囲気)。こうなると,ヨーガは女性がやるものという,なんとなく暗黙の圧力を感じる。ヨーガをやるためのゆったりとした服なんかがあれば,そういうのは太極拳をやるのに良いかなと思ったり,一度実際にヨーガもやってみたいなと思っていたりもするので,まずは見た目や着心地から入る素人としては非常に残念。

結局,スポーツオーソリティには,タイチーパンツは,なかった。探していたのは,要は,裾がゴムで締まったスウェットのズボンで,イメージしていたものに近いものは,あるにはあったが,結局,買うのは止めた。

術は見た目じゃないのだ。今の空手着と裸足で機能的には十分なのだから,見た目などはどうでも良いのだ。見た目にこだわるのは素人なのだ。そんなのは本質じゃないのだ。だから,買うだけ無駄なのだ。

でも,同じスウェットのズボンが「タイチーパンツ」と書かれて売られていたら,たぶん,買っていたにちがいない。素人は見た目から入る。これ,基本である。

6/27/2014

避難警報

滞在74日目。6月27日(金)の午前4時30分。

昨日の午後3時半ごろ,ちょうど家族全員で部屋にいたら,突然警報が鳴り響き,建物の外に避難するようにとアナウンスがあった。イマージェンシーである!

住んでいる部屋は21階。非常階段で地上まで降りていく内に,同じようなところをぐるぐる回るから,目まで回ってきた。

地上に出ると,消防車が3台ぐらい来ていて,ちょうど消防士の人が,消火栓を捻って水が出るのを確認しているところだった。大きなスパナで力を込めて栓を捻ると,栓に塗ってある黄色い塗料が剥がれ落ちる。今まで使っていなかった証拠だ。最初に錆びた水が道路に数十メートル勢いよく出た後,続けて普通の水もちゃんと出ることを確認して止める。消防車のホースを取り付ける。準備完了。

地上には大勢の降りてきた住人が,マンション(コンド)を見上げ,さて,どこの部屋が火事なんだ?と詮索する。どこからも煙は出ていない。飛び降りか?なんて物騒な声も聞こえる。

見上げると,部屋から下を覗いている人がチラホラいる。世の中には,こういうとき,降りてこない人というのがいるんだ。降りる途中,バスローブを羽織り,頭にタオルを巻いた女性もいた。たぶん,入浴中だったのだろう。そうやって,着の身着のままで降りてくる人もいれば,悠々と部屋から顔を出して階下を眺めている人もいる。

こういうときは,何はともあれ,指示にしたがって避難した方が賢明であり,過小評価はしない方が良いのに,と3.11を経験した日本人としては,思う。

結局,「誤報」であった。良かった。誤報かよ~なんだよ~もう~びっくりさせやがって,と一斉に戻っていく住人たち。

マンション(コンド)の仕組みとして,料理などでちょっと焦がしたりすると室内の火災報知器が鳴り響く。だから焼いたりするときは事前に換気扇を回しておかなければならない。もし火災報知器が鳴ってしまったら,そのときは換気扇を回し,窓を開けて,空気を入れ換える。するとそのうち鳴り止む。こちらに来てすぐのころ,どのくらいの煙で鳴ってしまうのか知らなかったので,うちも一度,部屋の火災報知器を鳴らしたことがある。正直,ビビる(笑)。ここで焦って部屋の「ドア」を開けてしまうと,消防署に自動的に通報される。つまり,「誤報」される。

だからたぶん,部屋の火災報知器が鳴り,そこの住人が焦ってドアを開けてしまった,というのが真相だろう。

急いで降りてきた住人たちもたいへんだけれど,消防署の人たちもたいへんである。この騒ぎのために消防車によって突然通行止めになったので,建物前の道(一方通行)にちょうどいた車は,まったく無関係なのに,身動きが取れなくなってたいへんである。

こうしてみんなたいへんなんだけれども,とりあえず,何事もなくて,良かった。避難訓練だと思えば,良い経験をさせてもらった。

6/26/2014

董家

滞在73日目。6月26日(木)の午前4時30分。

残念ながら日本は,グループリーグで敗退。緒戦のコートジボワール戦の1-2がもったいなかった。あそこは1-1の同点で切り抜けられたかもしれない。でも,そうしたらギリシャ戦は0-0ではなくて負けていたかもしれない。ならば結果は同じ敗退。とあれこれ考えて楽しむのがワールドカップでもあるから,日本の入っているグループCは,今回も十分楽しめたので良かった。

さて,決勝トーナメントへ進むチームが続々と決まりつつある。ここからさらに面白くなる。

ちなみに日本の3戦目のコロンビア戦は,観なかった。ちょうど同じ時間に,ボブと会う約束があったからそちらを優先。なお,試合結果は1-4。どうやら1-1に追いついたところから3点追加されたらしい。きっとライブで観ていたら,また感情移入して,瞬きも忘れ,マインドフル観戦どころではなかっただろう。無事(wushi)の実践。

昨日,スティーブから,彼に教えてもらっている太極拳の系譜について,少し詳しく聞いた。伝統的な楊式太極拳ではあるのだが,現在,Dong Zhen Chen(董増辰)という人が継承・普及している太極拳なのだ。

帰宅してさらにネットで調べてみた。

DongはTungとも表記されたりしている。ネットで見る限り,どうも,Dong Family Tai Chi 董家太極拳とか,Dong Style Tai Chi 董式太極拳とも言われている。ハワイを中心に,アメリカ本土にも支部がある。

套路は,long form 長拳とshort form 短拳の2つ。long formは99式。これが伝統的な楊式太極拳のことだが,董式太極拳とある。short formは31式で,別名,fast form (fast set) 快拳とあり,これは他では見たことのない,素早く動く太極拳。董式短拳とある。あるいは,英傑快拳ともある。

どうやら,Dong Zhen Chenという人は,85式を作ったYang Cheng Fu 楊澄甫の弟子である,Dong Ying Jie 董英傑の孫らしい。

だからやはり,予想通り,世の中一般に普及していて,世界どこでも教室が数多くあり,YouTubeでも動画がたくさん見られる,いわゆる「制定の伝統楊式太極拳」とは,違うのだ。国際武術連盟が主導する<武術>の競技大会は,伝統拳でも「制定の伝統拳」(ややこしい)を演武して競い合うわけだが,そういう制定の太極拳ではない。だから,楊式太極拳のつもりでどんなに熱心に董式をやっても,競技では決して勝てない。なぜなら,制定ではないから。だからこれは,競技大会などを目指した太極拳ではないのだ。

まずもって,大きく違うのは,立ち方が違う。腰の高さが違う。蹴り方が違う。long formのシークエンスはだいたい同じなのではないかと思うけれど,伝統的な楊式太極拳は108式と85式ということだから,微妙に違うのかもしれない。そもそも,fast formは,教わっていないけれど,興味深い。

董英傑が習った,本来の,本当の意味での伝統的な楊式太極拳を,継承・普及する。それが董家の太極拳ということだと,今のところ解釈している。

6/25/2014

身体の習慣

滞在72日目。6月25日(水)の午後2時30分。

ある一定の動きを繰り返すのが形であり,呼吸をその動きに合わせつつ,身体感覚を意識する。そうして練り続けるのは,動きを身体に染み込ませるためだ。

武術的にはそうして染み込ませていくわけだが,ときに,逆の動きをしてみると,新鮮な身体感覚を得ることができる。だからと言って,逆も同じように稽古する必要はないけれど,ときにはやってみると良い。

というのも,ボブに教わった易筋経の中の動きで,the body sinking and risingというのがあり,そこでは,身体を沈ませながら息を吸い(inhale),身体を浮かせながら息を吐く(exhale),とある。

こういう場合,身体を沈ませる(下に体重を落とすように締める)ときには息を吐き,身体を浮かせる(上に伸ばすように身体を緩める)ときには息を吸う方が,動かしやすい。呼吸が動きに合っているのだ。

いや,ここで「合っている」と感じるところが,身体の習慣だということである。その方が,慣れているのだ。そういう風に身体を操作することに,馴染んでいるのだ。そういう風に馴染むのが良くない,というわけでなはい。形を練るとはそういう風に徹底的に馴染ませていく,染み込ませていく作業だからである。

沈むときに吐き,浮くときに吸う,という身体操作は,空手のサンチンに徹底的に込められている(なお,サンチンをするとき,沈んだり浮かんだりというのは,身体感覚としてであり,実際に見た目で分かるほど沈んだり浮かんだりするわけではない)。これと易筋経のthe body sinking and risingは,動作と呼吸の合わせ方が全く逆なのだ。

ものすごく,やりにくい。非常に違和感がある。平たく言えば,気持ち悪い。

この気持ち悪さこそが大切なのだ。習慣を破り,いつもとは異なる身体感覚を味わってみる。そうすることで新たに気づく身体箇所の感覚がある。今度は,これが気持ちが良い。

だからときに,逆のことをやってみるのも良い。気持ち悪くて気持ち良いから。

6/24/2014

良師

滞在71日目。6月24日(火)の午前5時20分。

昨日のスティーブの太極拳の稽古で,また面白い話が聞けた。

身体への意識として,9割は尾てい骨に,後の1割で手足を動かす。このとき,二本の手と二本の足の4点を同時に意識しながら動く。そういう感じで,やさしく(gently),柔らかく(softly),動く。

スティーブはもう30年来太極拳を稽古しているそうが,20年前に師が言っていたことがようやく分かった,ということがよくある,と言っていた。武術とは,そういう長い道程の旅なのだ。

そうして,飽きずにじっくりとしつこく練り続けている人の話には,説得力がある。ただ,まぁ,どういう師のもとで練るかで,1日練る価値もさることながら,そのまま半年や1年と練る価値はさらにずっと,違ったものになってくる。だから,何でも良いから長く練れば良い,というものでもない。難しい。

良師は三年かけても探せ,とはまさにこのことである。

スティーブのタイチーを見て,彼のタイチーに関する説明を聞くにつれ,彼の師はまさに良師であることが窺い知れる。そして,その元でしつこく30年以上も練り続けてきたスティーブのタイチーは,とても理に適っていて,彼もまた,良師であると感じる。

6/23/2014

ビショップ・ミュージアム

滞在70日目。6月23日(月)の午前8時。

昨日は日曜日だったので,少しだけ遠出して,The Busに乗ってビショップ・ミュージアムに行ってきた。正式名称は,バーニス・パウアヒ・ビショップ・ミュージアム。1889年創立なので,今年で125周年だそう。

ハワイ最大の博物館ということで,ポリネシア文化を総覧できる非常に良い博物館。本館の建物も立派。展示されている品々も貴重なものが数多く並んでいる。その他,ハワイならではということで,ハワイの島々の成り立ちのレクチャーを含めた溶岩体験とか,ハワイにちなんだプラネタリウムも楽しめる。

日本人(もしかしたら日系アメリカ人)ボランティアの方のガイドがついた簡単な(30分程度の)本館内ツアーもあり(10:30からのツアーのみ),そのガイドの方の説明が,ポイントを押さつつ簡潔かつクリアで,非常に分かりやすく,良かった。

ワイキキからすると,チャイナタウンを越えた向こうの郊外にあるので,短い滞在だとわざわざ行くというのは厳しいかもしれないけれど,もし半日時間があれば是非行ってみるべきところ。子どももそれなりに楽しめる。駐車場も大きい。The Busで行く場合は2番に乗る。バス停から2~3分の,住宅街の中にある。

今ちょうど,館内レストランが改装中かなにかで閉鎖しているので,中庭に,ランチプレートのバンが,お昼に合わせてやって来る。値段は1プレートが7~8ドルぐらいで良心的。ただ,昨日は日曜日だったので来ていただけで,平日は分からない。

たぶんハワイの州旗だろうと思っていた旗(アメリカ国旗の横にだいたい並んで掲げてある)は,やはりハワイの州旗であった。そして,なんでその州旗の左上隅がユニオンジャックなんだろうとずっと思っていたんだけれど,その謎が解けた。

6/22/2014

日本の食

滞在69日目。6月22日(日)の午前4時30分。

ワールドカップのグループリーグも佳境に入ってきた。ESPN(とABC)で(ほぼ)全試合生中継(うちはESPN2が見られない)。そのときうちにいれば,テレビを点けて観ている。

そろそろ各グループの第二戦目が終わりつつあり,明暗が出始めている。強豪国としては,すでにスペインとイングランドの敗退が決まっている。

日本はまだ首の皮一枚,つながっている。最終戦のコロンビアに勝ち,コートジボワールがギリシャに負けた場合に限って,日本・コートジボワール・ギリシャ間で勝ち点が同じになり,後は得失点差で,決勝トーナメントに進出する国が決まる。

可能性としては限りなく小さいけれども,善戦してほしい。

全然関係ないけれど,そんなワールドカップの最中,お昼に食べたのがそーめん。こっちにももちろん,麺類は売っている。その中でも,そーめんは,安い。けっこう需要があるのかな。

一方,インスタントラーメンは,まぁ安いけれど,あんまり種類はない。「マルちゃん」が安くてどこでも置いている。記憶では,ウォルマートとかドンキホーテで,1袋当たり30~40セントぐらいだったかな。そして,味は期待してはいけない。まずくはないけれど美味くはない。当たり前か。ここはアメリカだからね。そう思うと,日本のインスタントラーメンの豊富さと味の良さは,驚嘆に値する。

そう思うと,改めて,日本は麺類が豊富だなぁ。当然,蕎麦もあるし,うどんもある。

そういえば,クヒオ通り沿いの「丸亀製麺」は,いつも長蛇の列である。見た感じ,日本人以外の客で賑わってるんだと思う。けれど,急に日本のうどんが食べたくなって入る日本人もいるのかな。うちはまだ一回も入ったことはないし,今のところ入る気もしない。日本に帰れば,そこら中にあるし。

日本食で思い出したけれど,当然,ワイキキにもそこここに日本食屋(寿司店とか和食の店とか)はある。しかし,店構えと雰囲気でギョッとしたのが,クイーン・カピオラニ・ホテルの1階奥にある「義経」という店。なんというか,駅前地下街の奥とか,繁華街の飲み屋が入った雑居ビルの地下の奥とか,とにかくお天道様の光の届かない<地下の奥>にある居酒屋のような,そんな店構えと雰囲気の日本食屋なのだ。

そんな日本の場末なオーラを発するお店が,クイーンと名の付くビーチに近いオシャレなワイキキのホテルの1階の奥を占めている。ホテルのトイレを借りようと入り口からロビーに入って,奥に目を向けたときに,発見した。正直,ギョッとした。カメラを持っていたら撮っておきたいと思うほど,店をまじまじと凝視してしまった。何かの見間違いか幻覚か,はたまた,これが現実なら日本趣味のオブジェかアトラクションかと思うほど,場末感がよく出ているものだから。

ついでに客層も見てみた。外から店内が丸見えなのだ。結構賑わっている。客は全員,東アジア人。たぶん,大半は日本人で,一部,もしかしたら中国人か韓国人と思えるお客さん。やや暗い店内で,みなさん,箸を持って,和食を頬張っておりました。日本趣味だがアメリカンテイストなアレンジの和食屋ではなくて,場末の居酒屋か蕎麦屋をそのまま持ってきたような,そんな日本食屋。

別に悪いことではないけれど,どうしてせっかくワイキキまで来て,こんなフルチャージな日本食屋で日本食を食べたいと思うのだろうか。滞在中に食べられる食事の回数も決まっているだろうに,なぜ?いや,これが日本人以外の観光客で賑わっているのであれば,なんら不思議ではないのだけれど,なぜ日本人ばかり?そんなに日本食が恋しいのか。やれやれやっとワイキキについた,腹も減ったし,まずはゆっくり天ぷら刺身定食でも食うか,ということか。わからん。

ただ,この「義経」,店構えと雰囲気と客層のそのフルコンボぶりに,日本人以外の人はもしかしたら,腰が引けて入れないかもしれない。

6/21/2014

根っこ

滞在68日目。6月21日(土)の午前7時40分。

砂浜を歩くのは,思った以上に足腰を使う。水の中を泳ぐのは,思った以上に足腰を使う。だからきっと,毎日砂浜を歩き,海に潜っている人の足腰は強いはずだ。

足腰は我々の基礎であり根っこであるから,これを鍛えておくに越したことはない。年を取っていくほどそのことはますます重要になる。

太極拳に来ている常連のおばあちゃんが,「私は自分の足腰を鍛えるために太極拳をやっている」ということを言うのに,rootという単語を使っていた。まさに,根っこ,である。

その通りであり,太極拳や気功は,自分の中心や根っこを作り,感じ,鍛え,育て,養い,磨き,練るための実践である。空手もまた然り,である。

6/20/2014

マインドフル観戦術

滞在67日目。6月20日(金)の午前4時20分。

ワールドカップ。日本はギリシャと0-0の引き分け。緒戦のコートジボワール戦に1-2で負けたので,これで0勝1敗1分の勝ち点1。同組のコロンビアは2勝して一抜けしたので,後の一席を3チームが争うことに。まぁしかし,コートジボワールはすでに日本に1勝しているので,とにかく勝てば決勝T進出だし,引き分けても日本がコロンビアに負ければ進出。日本はとにかく,コロンビアに勝つしかない。

そういうわけで,数日後に,グループリーグ最後のコロンビア戦である。

当然だが,つい,日本に勝って欲しい,日本に負けて欲しくない,と観戦していて力が入ってしまう。90分間力が入りっぱなしになる。母国を観戦しているのだから,いや,さらにいえば力が入るのを半ば求めて観戦しているのだから,身体に力が入ってしまう。勝って欲しいと思うのは,日本チームに自分を同一視しているからであり,要は,自分が勝ちたいのである。相手を負かして,喜びたいのである。

しかし,いろんなスポーツの日本戦や日本人選手の試合を観戦していて,そうやって力が入り続けているのが,このところ,辛く感じるようになってきた。日本(人)が勝とうが負けようが,心穏やかではない。身体も穏やかではない。心身共に興奮し疲労する。

たぶん,一般的にはそういうワクワクドキドキを求めるのがスポーツ観戦なんだと思うけれど,そういうワクワクドキドキがだんだんと負担になってきた。肩入れして,感情移入して,勝ち負けにこだわって,喜んだり悲しんだり,というのが煩わしくなってきた。人間というのは,勝つとか負けるとか,本質的にはどうでもよいことに,つい心が引っ張られてしまう。勝つということは,魅力的な欲望なのだ。

それがスポーツ観戦の醍醐味といえば醍醐味であり,だから,必然と言えば必然なわけで,だったら観なければ良いのだが,それでも日本(人)の試合は気になって,つい観てしまう。もどかしい。

観戦の仕方として,だから,よりメタな視点から,スポーツとしての一瞬一瞬の美しさを堪能できるようになりたい。その意味では,もちろん日本(人)の試合に注目はするけれども,せめて,どこかに偏って肩入れしすぎることなく,そのスポーツ競技全体を眺めて,それが生み出す一つ一つの運動美を楽しみたい。無理矢理言えば,マインドフル観戦術。

その方が,観戦していて辛くないだろうし,興奮しすぎないだろうし,疲労しないだろう。次戦,コロンビア戦でこの観戦術を試してみよう。

6/19/2014

続・尾てい骨

滞在66日目。6月19日(木)の午前4時30分。

尾てい骨を見つけ感じながら練る。尾てい骨が身体の軸やバランスを支える中心であり,尾てい骨を頼りに身体をコントロールする。これが太極拳の最も重要なポイントであり,さらには,太極拳の神髄は尾てい骨である,とスティーブは言っていた。

昨日の稽古で教わったこの表現に基づく感覚は,とても新鮮だった。なるほど,尾てい骨を常に意識して,これをガイドに,ゆっくり丁寧に身体を操作していく。そうすると,身体全体の軸が安定する。

がむしゃらに安定しようと思うと,つい,足に力が入ったり,上半身のバランスが崩れたりする。そうではなく,尾てい骨を見つけて,尾てい骨を立てて(股の間に巻き込んで),尾てい骨を感じながら,尾てい骨を中心に身体を動かす。尾てい骨を中心に据えて,そこから身体全体を感じる。今ある身体の状態を再構成する。静かに動く身体を,尾てい骨を軸にして,捉える。

こうすると,自然に安定する。身体全体に統一感が生まれる。動きにまとまりが出る。

6/18/2014

規定と伝統

滞在65日目。6月18日(水)の午前5時。

楊式の10式が紹介されている珍しい本が本屋にあったので,買ってきて読んでいる。太極拳の背景や流派などについて,分かりやすく簡単に解説している良書だと思う。10-minute primer Tai Ji Quanと書いてるので,強いて訳せば,『10分間で超入門!太極拳』ってなところか。

著者は中国の大学で身体教育として太極拳を教えている専門の人らしく,他にもいくつか中国武術の本を出しているから,おそらく正当派なちゃんとした人なんだろう。だから,この本に詳しく解説されている楊式太極拳(10式)は,オーソドックスな,見本的な,太極拳なんだと思う。他書やYoutubeで見る規定の楊式太極拳,一般的に目にする太極拳通りである。

やはり,僕が習っているスティーブのとは,動きの質が違う。手の高さ,足の幅,腰の高さ,そしてそれぞれの向きだとか動かし方が,ところどころ違う。全体的には同じ動作をしているのだけれど,ずいぶん違うといえばずいぶん違う。

規定,というのは実際,素晴らしいシステムだ。みなさん,この「動き」で統一しましょう,ということだから,情報に誤差が少なく,時間と場所を越えて一定なので,教える方も習う方も混乱が少なく,したがって,普及にはぴったりである。そして,その規定の「動き」ができるようになれば,それをまた人に教えることができる。それがまた普及につながる。

ここでポイントは,どう「動く」かだけが伝わって普及している点だ。そう。急速で広範な普及は,それはそれで素晴らしいことだけれど,そこで伝えられるものというのは,目に見える「動き」のみである。

なんでそう動くのかとか,そういう動きにどういう意味があるのかとか,動いているときの身体感覚はどうなのかとか,そういうことは後回し。ただ,見た目の形式のみを習って教える。教える側も教わる側も,「動き」にしか注意が向かなくなる。これに競技(試合,大会)が拍車を掛ける。競技は見た目でしか判断しないから,ますます「動き」にしか注意が向かなくなる。

こうして,規定が規定として固定化し,そのマニュアル性が高まっていく。

その後ろで,術としての太極拳の本来的な良さが,失われていく。ただ形の上での「動き」だけを伝えても,それは太極拳を伝えることにはならない。空手にもまったく同じことがいえる。

武術として何をどう習うか,どう伝えるか。本当の意味での伝統とは何か。世の中で,自分のことを武術家(武道家)だと思っている人は,その辺,どう考えてるんだろうか。

6/17/2014

尾てい骨

滞在64日目。6月17日(火)の午前5時40分。

昨日,太極拳の稽古の後,スティーブに,尾てい骨(tailbone)のところの操作の仕方について詳しく聞いた。すると,面白い説明の仕方をしてくれた。

尾てい骨を股(尻)の間に巻き込む(挟み込む)感じなのだ,と。

こうすると,骨盤が立つ。同時に下丹田の辺りが上を向く。腰がごろりと少し縦回転する感じである。そう,まさに,サンチンの時の腰腹の使い方と全く同じなのだ。やはり正解だった。

それで,無礼を承知で,空手ではこうして腰腹を締めるんだけれど,これと同じことかと,実際にサンチンの締めをやってみたところ,そうそれだ,それと同じだ,その腰腹の操作でタイチーを練るのだと教えてくれた。そして,武術の要諦は,結局同じだね,という話になった。

こうして,説明の仕方が違うのが本当に興味深い。スティーブは,尾てい骨を探せ(Find),尾てい骨を感じろ(Feel),と練っている間,盛んに言う。探して感じて,尾てい骨を巻き込むと,腰が立つ。腰が広がる。

たしか,気功だと,腰の後ろにある「命門」という経穴(ツボ)があって,そのツボを開くように,という説明をする。これもたぶん同じことをしようとしている。

ただ,立てようとして,広げようとして,背中の下部(lower back)を丸めすぎてはいけない。腰を丸めてまっすぐにすることではない,とスティーブは言っていた。あくまで尾てい骨を巻き込み,下丹田のある下腹を少し上向きにするのだ,ということだった。丸めすぎては力が伝わらない。腰が反っていても(骨盤が斜めでも),逆に丸くなりすぎていても(骨盤が立ちすぎていても),良くない。

ここがミソだ。この微妙な立て方が,ミソだ。サンチンやナイファンチをするときも,ここがミソだ。

6/16/2014

気に合う

滞在63日目。6月16日(月)の午前5時。

昨日,朝の稽古で站椿(立禅)をしていたら,胸の前で抱えている腕の中に,弾力のある(「気」の)ボールがあるかのようにありありと感じた。重力に反して腕が持ち上がるぐらいの弾力性。これは非常に面白い体験。

以前に一度感じた,手の平がぼんやり痺れるような温かくなるような感覚は,あれからまったくしていなかったけれど,今回のこれはなかなか良かった。こういう体験は,微細な身体感覚へ意識のチャンネルがピタリと合ったときに起こるのではないかと思う。

こういう身体感覚は,さあ体験するぞと身構えて体験するもの(できるもの)ではなく,日々実践しているとふいにやってくる。ふいにやってくるということは,微細な身体感覚への意識のチャンネル合わせを意識的にやろうとしてもできない,ということだ。

実践を続けていると,おそらくこの,ふいにチャンネルが合う機会が多くなるのかもしれない。自然に,合うようになってくる。合わせようとしてはいけない。自然に,勝手に,合うようになる。

実践しながら,気長にそれを待つ。

6/15/2014

稽古

滞在62日目。6月15日(日)の午前4時20分。

毎日毎朝,形を練っていると,たまにふと,「一体なんで俺はこんなことしてるんだ」という疑問が浮かび,心底ばかばかしくなるときがある。具体的な効果,目に見える効用,そういう分かりやすい変化や変容は,一切ない。日々の変化や変容は,極めて微細だ(そこを楽しむわけだが)。

したがって,術の実践に,意味などない(としておいた方が良い)。もちろん,やれば色んな副次的効果(短期的には微細な効果,長期的には絶大な効果)が数え切れないほどあるけれど,それら(短期的な効果)自体を目的にすると,その副次的効果が(短期的には)得られない(微妙すぎて気がつかない)場合に,期待はずれとなる。だから,そういう具体的な副次的効果を「狙って」練ってはいけない。というか,狙わない方が良い。

(長期的な)稽古(の継続)の末に到達しようと思っている先は,あるようでない,ないようである,そんなところである。それは禅あるいは空であり,また,タオである。だから,稽古は,やらないよりは絶対にやった方が良いことははっきりしているけれど,やらなければならない,というわけではない。個人の自由だ。

ただひたすら練る。生きることと同じである。

「一体なんで俺は生きてるんだ。なんで俺は今ここにいるんだ」という<疑問>が浮かぶことがあるけれど,それは答えのある問いではない。だから考えても,意味や理由や原因などは見出せない。つまり,これは本質的には,<問い>ではなく<疑い>なのだ。

そういう疑いが生じたからと言って生きることを止める,ということは滅多にないけれど(いや,実際,人が自殺を企図するのはこのタイミングかもしれない),このタイミングに稽古を止める,形を練ることを止めてしまう,というのはありうる。

なんで生きているのかという疑問に答えはなく,では生きるのを止めようかと思っても止められないので,結局そのうちにこの疑問がうやむやになる。なんで稽古しているのかという疑問にも同様に答えはないのだが,ただここで,稽古の場合は止めようと思ったら止められる。稽古は,やらなくても生きていけるからだ。

しかし,稽古をここで止めてはいけない。術の実践(形の稽古)は,阿呆になってひたすら続けることに,道(どう)としてのミソがある。術の実践(形の稽古)を永遠に続けるところに,道(タオ)がある。

さあ,今日もまた,稽古しよう。

6/14/2014

続・ワールドカップ

滞在61日目。6月14日(土)の午前6時。

いよいよワールドカップが始まった。ESPNでほぼ全試合中継するので,嬉しい限り。

ブラジルとアメリカ本土とはほとんど時差がなく,本土の東部標準時とハワイの時差は6時間なので,こちらではちょうど,午前中に試合が中継される感じになる。ありがたい。寝不足にならずに済む。

オープニングマッチは,開催国ブラジルvsクロアチア戦。この試合の主審を務めたのが日本人の西村雄一氏。1-1の同点で迎えた後半26分。ペナルティエリア内でクロアチア選手のファールを取って,ブラジルにPKを与えたことが,世界中で物議を醸している。まぁ,それぐらい注目の試合だったということと,ワールドカップはそれぐらい世界中の注目を集めているスポーツ大会だということかな。いや,自分がこの大会に注目しているから,西村氏のニュースに注目が行くだけか。興味のない人にとってはどうでも良い話。

一方で,このブラジル大会,開催に反対する地元の人たちのデモが,以前からずっと,そして大会直前まで報じられていた。大会が始まった今でもデモは行われているかもしれない。

ワールドカップに多額の税金が投じられている。こんな玉遊びにそんな大金をかけるなら,他に使うところいくらでもあるだろ(例えば,教育や医療とか),という主張。非常によく分かる。正論だ。貧しそうな人がナイフとフォークを持ち,皿の上にサッカーボールを置いて,悲しそうな顔をしている風刺画を見た記憶がある。サッカーボールは,食えない。腹の足しにならない。

経済的な循環はよく分からないけれど,よく「経済効果」って言葉を耳にする。こういう大会を開催するメリットというのが,ブラジルには,あるはずだ。メリットがなく,それこそ,FIFAやメディアが利益を独占しているのなら(というのがデモに参加する一般市民の主張だったりする),ブラジルは公費を投じただけで丸損ではないか。そんなことはないだろう。

ブラジルだって阿呆ではない。国全体として,色んな方面で色んなメリットがあるにちがいない。素人の発想でも,例えば,この大会を機に,建設業だとか観光業だとかが潤うとか,人的な国際交流が盛んになるとか,ブラジルという国の近代性と機能性をアピールするとか,国際的なプレゼンスを高めるだとか,いろいろ。経済効果として,そういうことが回り回って,教育や医療の分野の充実につながったり・・・ま,そりゃ,遠回りか(笑)。

それよりかは,その多額の公費を直接,目に見える形で教育や医療に投じろ,というのは至極ごもっとも。

ただ,デモで暴れている人を見るにつけ,思うのは,何かこう,日頃の鬱憤を晴らしたいがために暴れている市民,あるいは,有り余るエネルギーを放出したいがために暴れている若者,というのも中にはいるんだろうなということ。

もちろん,まじめに公費の使い道について訴えている人が大半なんだと思う。でも,メディアは暴れてるところばかり報じるから良くない。それの方がニュースとして,映像として,インパクトがあるから。で,インパクトがあって報じられるから,結局,暴れる人が出てくる。ということは,デモの暴力性はメディアが創出していることになる。

結局,ワールドカップに賛成の人も反対の人も,みんな,メディアの思うつぼだね。

6/13/2014

常夏の楽園

滞在60日目。6月13日(金)の午前4時。

ホノルル滞在予定の約半分まで来た。残り60日強。

改めて思うのは,来た当初からずっと夏だということ。当たり前だけど,常夏。これから夏,その後もずっと夏。夏夏夏。

日本にいれば,もうすぐ春だなとか,もうすぐ秋だなとか,もうすっかり夏だなとか,もうすっかり冬だなとか,常に変化していて,春と夏と秋と冬は,環境的に大きく違うわけだけれど,ここハワイは,4月よりは多少暑いぐらいでほとんど環境的に変化はない。

こうして月単位の変化も少ないけれど,日単位の変化も少ない。

雨期がだいたい4月には終わっているということで,こちらに来てから毎日ほとんど晴れ。ときに曇りの日はある。そんなとき,霧雨程度には降るけどせいぜいがにわか雨。だから毎日同じような天気。日本にいれば,天気予報は,傘を持っていった方が良いかとか,出かけない方が良いかといったことを左右する重要な情報だ。雨も降るし風も吹くし雪も降るし,干からびそうなほど暑いし,氷りそうなほど寒い。

というわけで,ホノルルに60日住んで,ふと思ったのは,季節や天気の変化がない,ということ。日中の日差しは強く,日向は暑くて焼けるけれど,乾燥しているから(湿度は低いから),日陰や朝晩は涼しい。激しい風雨は滅多にないから,天気予報を気にしなくて良い(傘不要)。つまり,過ごしやすい。ここの日差しと物価に対応できれば,移住したいと思う人が後を絶たないのはよく分かる。

一方で,日本に生まれて住んで40年の自分はというと,頭ではこうしてここの過ごしやすさに納得しつつも,身体は変化を期待している。変化を求めているというわけではないけれど,大きく変化する季節や天気に芯から馴染んだ身体が,元の通り変化を期待していいのか,この変化しない環境に馴染むべきなのか,迷っているかのようだ。

まぁしかし,暑いことは暑い。それがずっと続く。夏夏夏。快晴。海と空は青。青青青。常夏の島ハワイ。南の楽園ハワイ。常夏の楽園。

暑いと,寒い冬が恋しくなる。寒いと,暑い夏が恋しくなる。春はうきうきした気持ちになり,秋は落ち着いた気分になる。ありきたりだけれど,やっぱり日本の四季ってのは,変化があって,良いね。

6/12/2014

ワールドカップ

滞在59日目。6月12日(木)の午前4時30分。

今日からサッカーワールドカップブラジル大会である。番組情報とハワイ時間の計算に間違いなければ,オープニングゲームであるブラジルVSクロアチア戦は,今日の午前9時30分から,ESPNで中継されるはずだ。

ハワイは,アメリカの東部時間(ET,東部標準時)より6時間遅れ。今回のオープニングゲームは,ETの午後3時30分とESPNのウェブサイトに書いてあるので,そこから6時間引いて,午前9時30分。たぶん,間違いない。と思う。

日本の緒戦であるコートジボワール戦は,明後日の14日(土)の午後2時30分。ESPNで中継予定。

ところで,ESPNのワールドカップ中継スケジュールを見ていて,日本の緒戦の相手コートジボワールは,Ivory Coast(象牙海岸)となっていた。アイボリーコースト?

コートジボワールは通称で,正式名称はコートジボワール共和国。調べてみると,コートジボワール Cote d'Ivoire はフランス語で「象牙(Ivoire)の海岸(Cote)」という意味だそうで。日本もかつて「象牙海岸(共和国)」と呼んでいたらしいけれど,今は音のまま,コートジボワールと呼んでいる。なので,各国,Ivory Coast(象牙海岸)と今でも呼んでいるみたい。

サッカーに詳しいわけではないけれど,こういう世界規模のスポーツの大会は,わくわくする。プレイヤーは身体と精神両面のパフォーマンスを最大限に練り上げ,全神経を研ぎ澄まして本番に臨み,個人としてチームとしてときに想像を超える強さと巧みさを発揮する。彼らの秀でたパフォーマンスは,単純に,美しい。

6/11/2014

太極拳と空手

滞在58日目。6月11日(水)の午前4時40分。

太極拳と空手の身体操作的な共通点を探る。ポイントは,やはり,腰・腹の使い方だ。そこから足,そして首・肩・肩胛骨辺りの使い方。

伝統楊式あるいは正宗楊式と呼ばれる(あるいは自ら名乗る)太極拳をしている団体のウェブサイトだとか,している団体の動画だとかを見ると,そのほとんどが制定(規定)の套路を練習している。「規定の」伝統楊式だったり,あるいは,楊式とともに陳式や孫式や呉式もやったり総合42式というのをやったり武器術をやったりと,とにかく,武術太極拳連盟(ひいては国際武術連盟)のルールや形式に基づいて,行っている。各流派の,本当の意味での伝統(古流・古式・古伝)に基づいてやっている,という団体は少ない。

スティーブの太極拳は,伝統楊式である。そして,明らかに,武術連盟の規定の太極拳と違う。まずもって立ち形が違う。細かいところでは,手の動かし方も違うし,特には足の上げ方(蹴り方)が違う。これはクラシカルなやり方だから,現代式と違う,とスティーブ自身が言っていた通り,だいぶ違う。習いに来ている古参のおばあちゃんが以前に,「スティーブのタイチーは,良いよ。なんたって,よくあるタイチーと違って,ちゃんとした(本式の)中国のやつだからね」と教えてくれたのを思い出した。

現代式の伝統楊式太極拳よりも,この古式の伝統楊式太極拳の方が,より武術的だろうと考えると,たまたま隣でやっていた太極拳教室の先生がスティーブであった縁はすごい。武縁に感謝。

それで,腰・腹の使い方だけれど,現段階では,たぶん,使い方はかなり共通していると見ている。練りながらまた変わるかもしれないけれど,今のところ,ほぼ同じ身体操作になるような気がしている。

そしてこの古式伝統楊式太極拳の基本的な身体操作と技を練る,という意味では,10式(8式)で十分な気もしている。本来の套路は,長い。その中には,もちろん10式には含まれていない身体操作や技,そして技と技の流れ(連関)が,多数含まれている。時間と場所さえあれば,それらをすべて練ってみたいけれども,時間と場所は限られている。そういう意味で,10式(8式)は,ごく基本的な技のみを左右対照に行うよう構成されているため,太極拳の身体操作と技をじっくり練る上で,良い。

この10式(8式)は,入門用の初級太極拳,といった扱いがなされている感もあるけれども,だから,ただの入門用と位置づけるだけなのは非常にもったいない。むしろ,これだけで,伝統楊式太極拳をじっくり味わうことができると思っている。10式なら場所も取らない。時間にすれば5分とかからない。1日1回でも良いし,練ろうと思えば何度も繰り返せば良い。

この10式(8式)を使って,古式の伝統楊式太極拳の身体操作と技を,練る。その練り具合と,サンチンとナイファンチのときの練り具合とを比較してみる。じっくりと確かめつつ,練る。

6/10/2014

店員

滞在57日目。6月10日(火)の午前4時50分。

テディーズ・ビガー・バーガー(Teddy's Bigger Bergers)というハンバーガー屋がある。ハワイのバーガー屋さん。美味い。ハワイに何軒かあるみたい。ハワイ以外には,アイオワとワシントンにあるらしい。

ホノルル動物園の出入り口前,カパフル通りを挟んで向かい,ワイキキグランドホテルの1階に,一軒ある。行く度に繁盛している。カラカウア通りにはマクドナルドやバーガーキングもあるけれど,どうせ同じ値段払うんだったら,こっちの方が断然美味い。なんたってハンバーグが美味い。野菜もしっかり入ってるし。

このテディーズの店員は,このワイキキ店だけかもしれないけれど(観光客向けとして),全般的にとても丁寧で親切。カウンターでの注文の取り方も優しく丁寧だし,親切に説明してくれたりする。笑顔を絶やさない。そんな中にも無愛想な店員はいることはいるけれど(だから,そういう人は目立つけれど),基本的にホスピタリティが高い。これがバーガーの美味さを高めているかもしれない。気分が良いから。そして観光客の口コミで,評判が上がり,さらに客が来る。

クヒオ通りに,オノ・チーズ・ステーキ(Ono Cheese Steak)というサンドイッチ屋がある。ハワイのサンド屋さん。オアフ島に60軒ぐらいあるみたい。

この店の店員(女性)は,観光客相手なはずなのに,ものすごい無愛想だった。去年も一度一人で来たけど,そのときも(店員は別の人だと思うけど)まぁだいたい同じぐらいの低いテンション。先日は,代金をぼそぼそと言ったのみで後は全く無言無表情。商品ができたときは,あごでしゃくって,できたよ持ってけ,ふん,的な態度。注文してご迷惑でしたでしょうか,何かこちらに不手際でも?ううむ,これから食べるものをドサッとカウンターに放り置かれて,こちらの気分としては,まぁ,あまり良くはない。観光客が嫌いなのか日本人が嫌いなのか,それとも誰にでもああいう態度なのか。仕事したくないのかな。疲れてるのかな。彼女が幸せでありますように。

ガイドブックには,しばしば,美味しい店,と書いてある。だから,一応,有名店なのだ。薄切り肉がチーズと一緒にサンドされている。このサンドの仕方はどこでもやってるけれど,それがワイキキで食べられる店,ということで紹介されている。まぁ,たしかに,美味いことは美味い。

しかし,あの店のテンションはどうなんだろう。案の定,去年に行ったときも,今回行ったときも,客はほとんどいなかった。ガラガラだと言って良い。なんとなく寂れている。なんとなくうらぶれている。なんとなくすさんでいる。来る客はほぼ観光客なんだから,口コミによる評判は大きいんじゃないかなぁ。あるいは,このなんとなくすさんだオーラが,観光客を寄せ付けないのかもしれない。なんか,店員のぎすぎすとげとげした心が,店全体をネガティブに彩っているような,そんな気もする。

たとえ60店舗もある有名なチェーン店でも,あの店はちょっと行きたくないなと思えば,必然,足は遠のく。テディーズは,もう,3~4回はリピートしてる。他のオノチーズステーキは大丈夫なのかもしれないけれど,ワイキキ店は,たぶんもう二度と行かないと思う。しかしそれでも,店員のテンションの低さ(態度の悪さ)を知らない短期の観光客が,場所柄もあるし,名前もあるし,つい入店してしまうから,結果,商売は続けられるんだろうなぁ,きっと。

その点,マクドナルドやバーガーキングは世界規模のチェーン展開だから,店員の態度が悪くても平気なんだろうね。会社全体の売り上げにはまったく影響なし。マクドナルドは店員によりけりだけれど,バーガーキングの店員はみんな無愛想。ワイキキ中心のキングズビレッジにある店も,空港内にある店も,今のところ入ったバーガーキングはすべて,ことごとくやる気無し。仕事したくないのかな。疲れているのかな。彼女たちが幸せでありますように。

6/09/2014

移動遊園地

滞在56日目。6月9日(月)の午前5時。

昨日は日曜日だったので,少し遠出して,The Busに乗ってハワイ・スタジアムまで行ってきた。42番バスで,乗車時間はだいたい1時間強。そのハワイ・スタジアムの駐車場に,移動遊園地が来ているのだ。

移動遊園地。なんか外国(西洋)っぽい響き。

ハワイが50番目の州になったのにちなんだ50th State Fairという催しのようで,E.K.Fernandez Showsという移動遊園地が,5月23日から7月6日の間,基本的に週末(金・土・日)の夜にオープンしている。日曜日だけ昼の1時からやっているので,行ってきた。

移動遊園地だから,全部,その場で設営したものばかり。だから行く前は,さすがに大がかりなものはないだろうと高を括っていたけれど,なんのその,結構激しく回ったり振られたりするのがいくつもあった。普通の(移動式でない)遊園地にありそうなのが一通りそろっている感じ。恐れ入りました。逆バンジージャンプもあった。見ているだけで怖い。

アメリカは基本的に何かあったら自己責任,という考えなのか,とにかく,身長制限さえクリアすれば,小さい子どもだけで乗れたりする。日本だと,大人付き添いじゃなくちゃ駄目だったりするところもあるから,その辺はとにかくアバウトだ。身長だって,厳密にチェックしてる風には見えないし。適当である。

乗り物のチケット(coupon)を買って乗り物に載り,食べ物のチケット(scrip)を買って食べ物を買う。

乗り物は,子供用の簡単なやつがだいたい2 couponsで,激しさに合わせて3 coupons,4 couponsとなる。1 couponは1.5ドル。ただし,子供用とて,あなどってはいけない。日本に比べると,結構激しい。ウェットアンドワイルドのアトラクションもそうだったが,日本の安全第一な穏便設定からすると,こっちは安全基準ギリギリ設定なのだ。限界まで楽しめ,子ども達よ。

scripは1枚50セントで,ピザ一切れで6 scrips,チーズバーガーは7 scrips,フライドポテトは4 scrips。だから,日本の遊園地と同じぐらいか少し安いぐらい。良心的。

基本的に「夜の遊園地」なので,乗り物も,食べ物のワゴンも,みんな電飾で彩られている。きっと夜に来たら綺麗だろうなぁ。華やかなのは,各種景品がつり下げられた景品当てコーナーが多いからかもしれない。子どもにねだられたら困るのでよく見なかったけれど,鉄砲当てとかくじ引きとかかな。ローカルの客はみんな,景品のでかいぬいぐるみとかを抱えて帰って行く。

客はたぶんすべてローカルの人たちだった。日本人(観光客)はうち以外まったく一人も見かけず。だからたぶんほぼ全員,車で来園している。うちのように公共交通機関のバスで来る人帰る人は,いなかった。少なくとも家族連れでは,いなかった。でかい景品も,車なら持って帰れる。

帰りのバス停で,42番ではないCity Express Aというバスが来た。奥さんによる事前情報によれば,これでも帰れるということだったが,よく分からない。すると,同じくバスを待っていたおばちゃんが「あなたたち,どこまで?」と聞くので,「ワイキキまで」と答えると,じゃあ,これに乗ると速いよ,アラモアナセンターで乗り換えればワイキキまで行ける,と教えてくれた。ありがたい。帰りは30分強でアラモアナセンターまで着いた。

たぶん,そのおばちゃん,思うに,僕がチーズバーガーを買ったワゴンの店員さん。だったような気がする。Broken Englishで明らかにローカルっぽくない外国人(である僕)を覚えていてくれたか。親切なロコに感謝。

6/08/2014

フラ・カヒコ

滞在55日目。6月8日(日)の午前4時30分。

昨日,ロイヤルハワイアンセンターで夜にやっていたフラダンスのショーを見に行った。フラダンスには二種類ある。古典フラと現代フラ。昨日のショーは,古典フラ。

イメージとしてありがちなフラダンスは現代フラで,「アウアナ」という。ギターやウクレレの伴奏で,明るく軽いノリで,手をゆらゆら揺らしたりするあれ。一方,古典フラは「カヒコ」といって,でっかいヒョウタン(イプヘケ)を叩きながら節を付けて唱えるメレ(歌)に合わせて踊る。手はゆらゆらしない。全体的に直線的で力強い。

「アウアナ」の振り付けにも何かしら意味はあるんだろうけれど,基本的に自由に構成して良いみたいで,色んなところで見かける度に,(人によってグループによって)違う。パフォーマンスとして,各自がいろいろとアレンジできる。

一方,「カヒコ」は神様に捧げる宗教的儀式だそうで,振り付けに一つ一つ意味がある。歌詞に合わせているのだ。つまり,儀式として歌詞が決まっていて,それに対応して振り付けも決まっている。となると,振り付けの自由度は低いはずだから,一定の型が決まっていて,世代を通して伝承されているものと考えられる。

そう,型,である。

型には,長い年月を掛けて洗練されてきた身体操作の妙が濃密に詰まっている。「カヒコ」の重さと濃さは,宗教的儀式だからという理由もあるのかもしれないけれど,身体操作としての歴史的練度の深さから来ているような気がする。古来より,型として幾世代に渡って継承され,練り込まれてきた身体操作。

もちろん,「カヒコ」は「アウアナ」をやってきた上級者がやるような側面もあるので,そうなると当然,個人として練度の高い人が踊るフラだから,そう見えるのかもしれない。確かに,若い人のカヒコよりも,お年を召した人のカヒコの方が,格段に重くて濃くて深い。

しかし,若い人のカヒコでも,アウアナよりは全然,踊りとして重くて濃くて深い。だからやはり,この古流の型に含まれる身体操作の歴史的な練度が高いのだ。と勝手にそう思う。

6/07/2014

楊式

滞在54日目。6月7日(土)の午前4時20分。

スティーブに習っている伝統楊式太極拳を,帰国後にも続けたいと思ったりする。そう思って,GoogleやYouTubeで「(伝統)楊式太極拳」と検索してみる。いろいろ出てくるけれど,楊式規定套路,なんて出てくる。競技用の楊式太極拳なわけだ。制定の伝統拳。なんでこうして,何から何まで競技にしてしまうんだろう。

スティーブは,この太極拳はclassicalなやつだから,standardizedなのとちょっと違う,という。たしかに違う。特には,下半身の使い方が違う。だいたいYouTubeに出てくる楊式(Yang Style)は,幅広く前後に足を開いて体重を低く前に持ってきている。確かにその方が綺麗に見える。競技用だ。つまり見栄え重視。あるいはこれが制定(規定)なのだ,たぶん。

そういう競技や規定の形ではなく,本来の意味での「伝統」をやっているところもあるようだけれど,それもまたその師匠筋独自の「伝統楊式」なのだ。スティーブのとは違う。

つまり,このスティーブのやる太極拳をやっているのは,このスティーブ以外になく,日本にはない。おそらく,スティーブの太極拳に一番近いのは,スティーブの師匠だろう。つまり,これはスティーブの太極拳なのだ。この人が体現している太極拳が良ければ,この人に習うしかないのだ。

そう思うと,帰国後に,太極拳教室を探して習いに行くのは,あんまり気が進まなくなる。せっかくこれは良い術だと思って習っているその術が濁るような気がする。

とりあえず,スティーブに習っている太極拳のミソを持ち帰るれるように,日々,10式(8式)の中に練り込んでいる。

6/06/2014

ランチプレート

滞在53日目。6月6日(金)の午前4時。

昨日,骨付き豚肉にあれこれ詰めて煮込んだ(蒸した?)のがおかずになってるプレートを,ファーマーズマーケットで買ってきて食べた。美味い。なんていう名前の料理かは分からない。味付け(風味)はハワイ風な感じで独特だけど,しつこくない。中には,分かったところでは,味の染み込んださいころ状のパンとか干しぶどうとか,入ってた。もう一つは,前にも買った,カルア・ポーク。今回はプレートが小さかったので2種類購入。

レストランに入ると高いので,未だ外食はファストフード(ハンバーガー)ぐらい。朝昼は家で作って食べて,夜もまた作って食べるわけだが,夕食はときどきランチプレートを買ってくる。

で,このランチプレート(プレートランチ)ってのを検索してみたら,「ハワイでポピュラーな軽食スタイル」とある。ほほう,この食事の形式はここが本場なのね。なるほど。アメリカ本土でもこういうのは多いんだと思ってたら,ハワイによくある形式なんだ。とにかく,プレートで出す店が,そこかしこにある。店の外には椅子と机が並んでて,そこで食べていっても良いし,家に持ち帰って食べても良い。プレートは,店で食べようが持ち帰ろうが,どっちの場合でも発砲スチロール。ナイフやフォークやスプーンはプラスチックのものが店に置いてある。食べ終わったらゴミとして捨てる。

なお,「軽食」どころか,(店にもよるけれど)大人2人でも1プレートで余るぐらいのボリューム。うちはこれに2人小さいのが加わって,合計4人で1プレート(笑)。一杯のかけそば。なお,だいたい1プレート10ドル前後(8~14ドルぐらい)。

よく見かけるメニューは,BBQ(チキン,ビーフ),骨付きカルビ。あとは,ガーリックシュリンプ,ロコモコ(ハンバーグ),カルアポーク,マヒマヒとか。これにライスと,付け合わせとして典型的にはマカロニサラダが付く。オススメは,韓国系BBQプレート。付け合わせが凝っていて量も多い。キムチとかナムルとかいろいろそろっていて,数種類から選べたりする。

多国籍な州だから,とにかく,おかずの味は豊富だ。加えて,プレートは基本,ライス付き,というのがうれしい。パンではない。ライスなのである。もちろん,スーパーには各種パンが並んでいて,さすがアメリカはパン(サンドウィッチ)の国だと思うわけだけれど,こうして外食としてメジャーなランチプレートには必ずライス。

6/05/2014

続・気

滞在52日目。6月5日(木)の午前4時30分。

「気」は,生命エネルギーということになっているが,もう一つの形が,息である。息,つまり,呼吸,あるいは,吸気と呼気。おお,確かに,日本語でも「気」と言っているではないか。呼吸とは,気を吸ったり吐いたりしているのだ。だから,気は息でもある。

気というと,非物質的な概念だから捉えどころがないけれど,その点,息は具体的な身体感覚として,「今,息を吸っている。今,息を吐いている」ということが分かる。息を吸えば,気を吸った感じが具体的にあるわけで,息を吐くときもまた然り。

だから,太極拳や気功は,この呼吸の感覚を,気が身体に入ってきたり出ていったり,身体中を巡ったりするイメージに使う。例えば,息を吸うと同時に,手の平にある「労宮」という経穴や,足の裏にある「湧泉」という経穴から,天や地の気が入ってきて,逆に,吐くと同時に出ていく様子を視覚化する。

ところで,気を吸うというのは,空気を吸い込む(おお,空気も「気」だ!)ことだから,読んで字の如く,そのままだけれど,なぜ気を吐く,つまり空気を吐くことを呼気,つまり,気を呼ぶ,というんだろう。

と考えてみると,気を吐くというのは,気を吹くわけで,吹くというのは呼ぶ(何かを呼ぶ時には当然息を吐く,息を吹く)ということだから,呼ぶという動詞は,動作的に,吹くとか吐くとだいたい同じ意味だということなのかな。

つい,呼ぶ,というと呼び込むとか呼び戻すとか,こちらに引き寄せるニュアンスだから,まるで息を吸い込むようにも思えて,呼気ってどっちだっけ,吸うことだっけ吐くことだっけと迷うときがあるのだが,呼気という場合の「呼(ぶ)」は,だから,口から息を出す,つまり吹くとか吐くという意味合いなんだろうなぁ,たぶん。と勝手に納得。

6/04/2014

滞在51日目。6月4日(水)の午前5時。

「気」は,科学的には存在しない。しかし,説明概念としては非常に優れている。

科学的には存在を証明されていないけれども,それは単に観測する側の科学の限界,つまり測定の道具や方法の限界なのであって,実際には存在するが,存在が証明されないのは単純に未発見なだけだ,という立場はありうる。この人たちは,「気」が存在することを疑っていない。ここでは,実在派と呼ぼう。

また,科学によって存在が証明されるとかされないとかは全くどうでもよくて,存在するのだからその存在を単純に信じている,という立場もありうる。神様はいる,幽霊はいる,妖精はいる,宇宙人はいる,死後の世界はあるなどなど,対象概念に一片の疑問も挟まず,とにかく,いる(ある)ことを信じているかどうか,という次元の問題として,「気」を信じている人はいる。この人たちも,「気」が存在することを疑っていない。ここでは,信仰派と呼ぼう。

僕の立場(派)はどこ(何)なんだろう。

「気」は,科学的には存在しない。これから未来永劫,どんな観測装置が開発されようが,科学的な意味で,発見されることはないと思う。つまり,物理的にはやはり絶対に存在しない。だから実在派では決してない。

しかし,身体を操作したり意識したりするときに,この「気」という概念を用いて説明すると,用いない場合に比べて,身体を操作しやすかったり,適切な方向に動かしやすかったり,身体の各所を明瞭に意識しやすかったりする。これは揺るぎない。ならば信仰派か。

明瞭に意識しながら適切に身体を操作することが求められる種々の身体技法からすれば,この「気」という説明概念を上手く用いることが,身体を練る上で大いに助けとなる。「気」とはそういう道具であり,つまり,方便である。そう,あくまで方便なのだこれは。だから信仰派ではない。

科学的に存在するとは思っていないし,科学的な存在証明とは別次元で存在を信じているわけでもない。でも,使った方が便利だと考えている。こういうのを,実用派,実利派,功利派,というのだろうか。いずれにせよ,そんなところである。

6/03/2014

首の後ろを開く

滞在50日目。6月3日(火)の午前4時30分。

首根っこの後ろを開く。経絡 channel を開いて(通して)おくように。経絡とは,気が流れる経路(道)である。僧帽筋上部周辺を指して,スティーブは盛んにそこを開けと言う。経絡を開く(通す)というのは理論的な表現であって,実際はとにかく,首の後ろと肩の周辺を緩めて広げるように,というのが身体的な意味合いだ。

こうしようとすると,自然に肩が下がる。武術や瞑想・気功では一般的に,肩を落とす(下げる)ことが盛んに言われる。肩が上がること,肩に力が入ることを避ける。肩が上がっていると,武術的には,受けるとき捌くときや突くとき押すときなどに技が十分に効かないからであり,一方,瞑想や気功などでは,身体的にリラックスしていないからである。

肩が強ばって縮こまると,イメージとしてそこの経絡が詰まってしまうから,通しておこうとなれば,結果,僧帽筋を伸ばそうとする。そうすると,自然に肩が下がる。僧帽筋を伸ばしながら肩を上げることは不可能だ。

肩を下げろという直接的な指示表現が一般的に耳にするものであるところに,こうして首根っこと肩の辺りの経絡が通るように開いておけ,という指示表現は,発想の転換であり,身体を異なる複数の観点から眺めることができて,気持ちよい。

こうして首の後ろの気の通る道を開けておくと,頭と身体の連絡が良くなって,頭が冴える,記憶力が良くなる,とも言っていた(と,自分の師匠が言っていた,と言っていた)。

気を持ち出すのは理論的な表現であって,実際のところは,この辺りが強ばれば血流が悪くなって頭痛がしたりするわけで,何にせよ脳には良くない。その反対に,この辺りが緩んで血流が良ければ,脳に酸素が十分に行くわけで,何にせよ脳には良い。そういうことだ。たぶん。気というのは,優れた方便である。

6/02/2014

イワシとハト

滞在49日目。6月2日(月)の午前5時。

昨日は日曜日で,ホノルル駅伝&音楽フェス2014というのを,カピオラニ・パークとその海側のビーチ辺りでやっていた。ようである。というのも,見物には行っていないけれど,ビーチに音が流れてきていたので,どうやらやっていたようである。

駅伝自体は,カピオラニ・パークがスタート&ゴールで,ダイアモンドヘッドの海側を走って戻ってくるコース。今年で2回目のイベントのようなので,今後も続くことを願う。

そうして音楽が漏れ流れるビーチで,昨日はシュノーケリングをしてみた。ウォルマートで一番安いシュノーケルセットを買ってきて,浅瀬の海面を漂ってみた。いつも行くビーチはクヒオビーチというところで,ここは小魚が大群で泳いでいるから,それを海面下で見てみようと思ってのこと。

なお,泳いでいるのは,たぶん,イワシか何か。グアムやパラオのビーチにいるような,トロピカルな色した魚が何種類も泳いでいる様子を期待してはいけない。大きいのと小さいとのいるから,それはそのイワシか何かの親と子なのか,それとも2種類別々の魚なのかはは,よく分からない。大きい方のやつはとにかく大群で,魚影が濃い。

日本なんかでもときどき公園でハトに餌をやるおじさんとかおばさんがいるけれど,ここクヒオビーチでも夕方に,イワシに餌をやりにくるおじさんがいる。パン一斤を片手に,つまんで引きちぎっては,撒いている。当然イワシは寄ってくる。そしてイワシが周りを回遊して渦になっているその渦の真ん中で,腰まで浸かりながらちょっと得意げな笑顔を浮かべるおじさん。

ハトで思い出したが,ワイキキの高級ホテル街の谷間に一軒,たぶん普通の民家があって,そこがハトの巣というか,居留地というか,休憩所というか,集会所というか,とにかくものすごい数のハト(こちらは主に白ハト)が屋根や庭などいたるところに所狭しといる,そんな家がある。いつ前を通っても,大量にいる。何のひねりもないけれど,うちはこれを「ハト屋敷」と呼んでいる。

と思って検索してみたらやっぱり他の人もみんな「ハト屋敷」と呼んでいた。

有名みたい。そりゃ有名だろうね,これ。ここだけ異空間・異世界で,まさに異様なオーラを発しているからなぁ。当の家主は構わないかもしれないけれど,視界に入る隣のホテルやコンドミニアムの住人は良い迷惑だろうなと,前を通る度に思う。もう見慣れたけど,最初はぎょっとした。

ワイキキの喧噪の中,連れ合いに先立たれ,独り身で寂しい思いをしていたところ,最初はなんとなくハトに餌やって,寄ってくるのが嬉しかったのが始まりで,それがだんだん嵩じて,とうとう今ではこうなってしまったのかなと,ハト屋敷の主の半生を勝手に想像する。勝手である。

6/01/2014

日差し

滞在48日目。6月1日(日)の午前4時。

6月になった。4月の半ばに来たので,3つ目の月。日本はこのところ真夏日のようで,6月ともなれば梅雨だから,かなり蒸し暑くなっているんだろうな。

こっちは,日差しは強いので日向は暑いけれども,汗だくになるような暑さではない。まず,湿度が低い。しかし,その日差しは半端ではないので,日焼けと熱中症には注意しなくてはいけない。

と思うのだが,さすがローカルの人たちは,そんなのはまったく平気。というかたぶん無視。日焼け止めとか塗ったり,帽子を被ったり,とかそんなの一切してない。おそらく。

ただ,ポリネシア系やアジア系のローカルは色黒になるだけであんまり問題ないけど,白人系のローカルのお肌はボロボロカサカサ。もちろん,ちゃんと対策している人は大丈夫だが,そうでないともう大変なことになってる。

まぁ,それでも,ときどき,そりゃ日焼けしすぎだろ,皮膚がんになるぞ,というアジア系のおじさん(おじいさん)がいたりする。茶色とか焦げ茶色を越して,なんか皮膚が炭素化してるみたいに黒焦げのおじさん。黒人の黒とはまた違う,炭色の人。BBQな人。こういう人は,日焼け止めとか全く塗らずに海やプールで長時間日光浴してたりする。その潔さに脱帽。