6/05/2014

続・気

滞在52日目。6月5日(木)の午前4時30分。

「気」は,生命エネルギーということになっているが,もう一つの形が,息である。息,つまり,呼吸,あるいは,吸気と呼気。おお,確かに,日本語でも「気」と言っているではないか。呼吸とは,気を吸ったり吐いたりしているのだ。だから,気は息でもある。

気というと,非物質的な概念だから捉えどころがないけれど,その点,息は具体的な身体感覚として,「今,息を吸っている。今,息を吐いている」ということが分かる。息を吸えば,気を吸った感じが具体的にあるわけで,息を吐くときもまた然り。

だから,太極拳や気功は,この呼吸の感覚を,気が身体に入ってきたり出ていったり,身体中を巡ったりするイメージに使う。例えば,息を吸うと同時に,手の平にある「労宮」という経穴や,足の裏にある「湧泉」という経穴から,天や地の気が入ってきて,逆に,吐くと同時に出ていく様子を視覚化する。

ところで,気を吸うというのは,空気を吸い込む(おお,空気も「気」だ!)ことだから,読んで字の如く,そのままだけれど,なぜ気を吐く,つまり空気を吐くことを呼気,つまり,気を呼ぶ,というんだろう。

と考えてみると,気を吐くというのは,気を吹くわけで,吹くというのは呼ぶ(何かを呼ぶ時には当然息を吐く,息を吹く)ということだから,呼ぶという動詞は,動作的に,吹くとか吐くとだいたい同じ意味だということなのかな。

つい,呼ぶ,というと呼び込むとか呼び戻すとか,こちらに引き寄せるニュアンスだから,まるで息を吸い込むようにも思えて,呼気ってどっちだっけ,吸うことだっけ吐くことだっけと迷うときがあるのだが,呼気という場合の「呼(ぶ)」は,だから,口から息を出す,つまり吹くとか吐くという意味合いなんだろうなぁ,たぶん。と勝手に納得。

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