滞在67日目。6月20日(金)の午前4時20分。
ワールドカップ。日本はギリシャと0-0の引き分け。緒戦のコートジボワール戦に1-2で負けたので,これで0勝1敗1分の勝ち点1。同組のコロンビアは2勝して一抜けしたので,後の一席を3チームが争うことに。まぁしかし,コートジボワールはすでに日本に1勝しているので,とにかく勝てば決勝T進出だし,引き分けても日本がコロンビアに負ければ進出。日本はとにかく,コロンビアに勝つしかない。
そういうわけで,数日後に,グループリーグ最後のコロンビア戦である。
当然だが,つい,日本に勝って欲しい,日本に負けて欲しくない,と観戦していて力が入ってしまう。90分間力が入りっぱなしになる。母国を観戦しているのだから,いや,さらにいえば力が入るのを半ば求めて観戦しているのだから,身体に力が入ってしまう。勝って欲しいと思うのは,日本チームに自分を同一視しているからであり,要は,自分が勝ちたいのである。相手を負かして,喜びたいのである。
しかし,いろんなスポーツの日本戦や日本人選手の試合を観戦していて,そうやって力が入り続けているのが,このところ,辛く感じるようになってきた。日本(人)が勝とうが負けようが,心穏やかではない。身体も穏やかではない。心身共に興奮し疲労する。
たぶん,一般的にはそういうワクワクドキドキを求めるのがスポーツ観戦なんだと思うけれど,そういうワクワクドキドキがだんだんと負担になってきた。肩入れして,感情移入して,勝ち負けにこだわって,喜んだり悲しんだり,というのが煩わしくなってきた。人間というのは,勝つとか負けるとか,本質的にはどうでもよいことに,つい心が引っ張られてしまう。勝つということは,魅力的な欲望なのだ。
それがスポーツ観戦の醍醐味といえば醍醐味であり,だから,必然と言えば必然なわけで,だったら観なければ良いのだが,それでも日本(人)の試合は気になって,つい観てしまう。もどかしい。
観戦の仕方として,だから,よりメタな視点から,スポーツとしての一瞬一瞬の美しさを堪能できるようになりたい。その意味では,もちろん日本(人)の試合に注目はするけれども,せめて,どこかに偏って肩入れしすぎることなく,そのスポーツ競技全体を眺めて,それが生み出す一つ一つの運動美を楽しみたい。無理矢理言えば,マインドフル観戦術。
その方が,観戦していて辛くないだろうし,興奮しすぎないだろうし,疲労しないだろう。次戦,コロンビア戦でこの観戦術を試してみよう。
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