6/18/2014

規定と伝統

滞在65日目。6月18日(水)の午前5時。

楊式の10式が紹介されている珍しい本が本屋にあったので,買ってきて読んでいる。太極拳の背景や流派などについて,分かりやすく簡単に解説している良書だと思う。10-minute primer Tai Ji Quanと書いてるので,強いて訳せば,『10分間で超入門!太極拳』ってなところか。

著者は中国の大学で身体教育として太極拳を教えている専門の人らしく,他にもいくつか中国武術の本を出しているから,おそらく正当派なちゃんとした人なんだろう。だから,この本に詳しく解説されている楊式太極拳(10式)は,オーソドックスな,見本的な,太極拳なんだと思う。他書やYoutubeで見る規定の楊式太極拳,一般的に目にする太極拳通りである。

やはり,僕が習っているスティーブのとは,動きの質が違う。手の高さ,足の幅,腰の高さ,そしてそれぞれの向きだとか動かし方が,ところどころ違う。全体的には同じ動作をしているのだけれど,ずいぶん違うといえばずいぶん違う。

規定,というのは実際,素晴らしいシステムだ。みなさん,この「動き」で統一しましょう,ということだから,情報に誤差が少なく,時間と場所を越えて一定なので,教える方も習う方も混乱が少なく,したがって,普及にはぴったりである。そして,その規定の「動き」ができるようになれば,それをまた人に教えることができる。それがまた普及につながる。

ここでポイントは,どう「動く」かだけが伝わって普及している点だ。そう。急速で広範な普及は,それはそれで素晴らしいことだけれど,そこで伝えられるものというのは,目に見える「動き」のみである。

なんでそう動くのかとか,そういう動きにどういう意味があるのかとか,動いているときの身体感覚はどうなのかとか,そういうことは後回し。ただ,見た目の形式のみを習って教える。教える側も教わる側も,「動き」にしか注意が向かなくなる。これに競技(試合,大会)が拍車を掛ける。競技は見た目でしか判断しないから,ますます「動き」にしか注意が向かなくなる。

こうして,規定が規定として固定化し,そのマニュアル性が高まっていく。

その後ろで,術としての太極拳の本来的な良さが,失われていく。ただ形の上での「動き」だけを伝えても,それは太極拳を伝えることにはならない。空手にもまったく同じことがいえる。

武術として何をどう習うか,どう伝えるか。本当の意味での伝統とは何か。世の中で,自分のことを武術家(武道家)だと思っている人は,その辺,どう考えてるんだろうか。

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