滞在72日目。6月25日(水)の午後2時30分。
ある一定の動きを繰り返すのが形であり,呼吸をその動きに合わせつつ,身体感覚を意識する。そうして練り続けるのは,動きを身体に染み込ませるためだ。
武術的にはそうして染み込ませていくわけだが,ときに,逆の動きをしてみると,新鮮な身体感覚を得ることができる。だからと言って,逆も同じように稽古する必要はないけれど,ときにはやってみると良い。
というのも,ボブに教わった易筋経の中の動きで,the body sinking and risingというのがあり,そこでは,身体を沈ませながら息を吸い(inhale),身体を浮かせながら息を吐く(exhale),とある。
こういう場合,身体を沈ませる(下に体重を落とすように締める)ときには息を吐き,身体を浮かせる(上に伸ばすように身体を緩める)ときには息を吸う方が,動かしやすい。呼吸が動きに合っているのだ。
いや,ここで「合っている」と感じるところが,身体の習慣だということである。その方が,慣れているのだ。そういう風に身体を操作することに,馴染んでいるのだ。そういう風に馴染むのが良くない,というわけでなはい。形を練るとはそういう風に徹底的に馴染ませていく,染み込ませていく作業だからである。
沈むときに吐き,浮くときに吸う,という身体操作は,空手のサンチンに徹底的に込められている(なお,サンチンをするとき,沈んだり浮かんだりというのは,身体感覚としてであり,実際に見た目で分かるほど沈んだり浮かんだりするわけではない)。これと易筋経のthe body sinking and risingは,動作と呼吸の合わせ方が全く逆なのだ。
ものすごく,やりにくい。非常に違和感がある。平たく言えば,気持ち悪い。
この気持ち悪さこそが大切なのだ。習慣を破り,いつもとは異なる身体感覚を味わってみる。そうすることで新たに気づく身体箇所の感覚がある。今度は,これが気持ちが良い。
だからときに,逆のことをやってみるのも良い。気持ち悪くて気持ち良いから。
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