7/30/2014

焦らずゆっくり

滞在107日目。7月30日(水)の午前4時。

昨日,スティーブにお誘いいただき,彼が教えている別の太極拳教室にお邪魔させてもらった。朝9時15分からの教室。住んでいるところから少し遠くになので,歩けなくはないが,バスに乗って出掛けた。

朝9時15分から1時間の教室。朝早いにもかかわらず,15名ほどの参加者が来ている。一人,日本人の女性に声を掛けられ,彼女もまた,スティーブの人柄と教え方が好きで通っていると言っていた。本当にみな,口々に,スティーブは良い先生だ,スティーブはクラシカルなタイチーだから良い,他の普通のタイチー(だいたい制定の現代太極拳のことを指していることが多い)の先生と比べてずっと良い,ということを言う。

その良さは,スティーブが,外的な身体操作と内的な身体感覚を,バランスよく丁寧にゆっくり根気よく繰り返し説明しながら稽古を進めるからだと思っている。もちろん,それに,スティーブの独特の柔らかい人柄がプラスになっている。

僕ならなかなか上手くならない生徒についいらだちを覚えてしまうかもしれない。しかし,太極拳の稽古は長いのだ。焦らずゆっくり稽古する。それもまた太極拳の太極拳たるところか。上手だろうが下手だろうが,その人のそのときのそれがその人の太極拳である。本来,武道とはそうあるものである。空手も同様である。しかし,つい「早く」上手になることを求めてしまう。もちろん上達することは悪いことではない。しかし何も焦る必要はない。なぜ急ぐ。人間はいずれ死ぬのだ。今どうあるかが重要なのだ。そのことを改めて感じさせてくれるのが,太極拳かもしれない。

柔らかくなればなるほど強くなる(the softer you become, the stronger you will be),という言葉を直々にいただいた。そしてその身体の柔らかさを心の柔らかさへと広げるのだ(Extend softness in the body to the mind),と。

そういえば,昨日の稽古で,Dr. Don Enokiにお会いできた。まさしくGentlemanである。偉ぶったところは一切なく,笑顔を絶やさない。合気道七段の御年75歳ということだが,全然若く見える。まずその身体や表情から発する力が,普通の75歳とは全く違う。なんというか,やはり典型的な武道家の雰囲気を感じる。武道家というのは,熟練すればするほど,他者に優しくなる。そうでなければその人は武道家ではない。Dr. Enokiは,安定した芯(自信)を持ちつつ,他者への配慮と思いやりに富んだ人物であった。

スティーブもおそらく60歳に近い(昨日,チラッと,61歳,と聞こえたような気がする)けれども,なんとも若々しい。武術を真摯に続けるということは,生きている間,じんわりとエネルギーを培うのだろう。

僕もいつか,自分より若い世代からこう思われる武道家になっていたい。

ところで一つ昨日も,面白い説明をしていた。師匠のMr. Pangが言っていたことの受け売りだと断っていたけれど,例えば前に進むとき,足を上げて前方に移動させ着地させるわけだが,このときに,筆で字を書くときのように動かす,というのだ。なるほど~。この教えは,前に進むときの足の動きだけでなく,すべての動きに適用できる気がする。

筆や鉛筆やペンで字を書くとき,強すぎても弱すぎても書けない。我々は当たり前のように紙に字を書いているが,知らず知らずのうちに(無意識に)絶妙なバランスを保った力の入れ具合で,筆を動かしている。というのも,筆を持ち始めて絵や字を書き始めた幼い子どもは,この力のバランスが上手く保てない。だから,線が濃かったり薄かったり,曲がったりのたうったり,短すぎたり長すぎたりする。手の力の入れ具合が,まだうまく調整できないのだ。そうやって何年もの長い間訓練を重ねた結果が,今のバランスの取れた筆記行動なのである。つまり,無意識に安定した技になるためには,何年のかかるのだ。

だから,武術もそういう風に絶妙なバランスを保った動きや技に至るまでには,何年もかかって当たり前なのだ。だから,焦らずゆっくり稽古する。

ところで,全く関係ないけれど,昨日の稽古の帰りにクヒオ通りを歩いていると,①万引きして店を飛び出し店員に追いかけられるホームレスと,それとは別に,②店のドアを殴ったり観光客を脅かしたり押したりして暴れているホームレスを見た。①の人は店員を振り切って逃げたけど,②は観光客に通報されて警官に尋問されていた。万引きしなくちゃいけない事情,暴れなくちゃいられない事情を考えると,悲しい気持ちになる。

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