滞在113日目。8月5日(火)の午前8時。
昨日また,スティーブからいろいろと太極拳における身体操作を教わった。
その一つ,改めて言われて,そうかなるほど太極拳はそこもそうするのかと思ったのが,「尻を緩める」ということである。
太極拳も空手も,その腰腹の使い方として共通して腰を立てることは分かった。このとき空手は,尻と太ももの裏を締める。締めた力を内股から螺旋状に巻いて絞り上げることで,前傾している腰が立つ。すると自然に下腹が少し上にせり上がる。スティーブの言い方で言えば,尾てい骨を股に巻き込む形になる。見た目の形は同じだ。
しかし太極拳はこの形を維持するに当たって,尻や太ももは締めないのだ。締めずに,緩めることを目指す。あえて意図して緩める。意図して緩めるということは,ここはつい力が入るところなのだろう。だからそういう教えがある。そこをあえて緩める。お尻を柔らかく。なるほど~。
西田先生がときどき言われることだが,高段者になったら,締めながら緩めるのだ,というようなことをおっしゃる。締めることがまずもって重要であって,そうやって空手の身体操作の基礎を学んだ上で,さらに上に行くには,そこから身体を緩めなければならない,ということだ。締めながら緩める。これいかに。一見まるで禅問答である。
ただ,その答えが,太極拳の中にあるような気がした。こういう気づきは楽しい。これもまた武縁である。
そんな話をスティーブにしたら,空手にしてもクンフーにしても,だいたい武術の多くは力を込めるものが多い中,修行を積むことで最終的には緩めるところに辿り着く,柔らかく力を抜く奥義へと至るという話が多いよね,と言っていた。まさにその通り。
太極拳は,その武術の奥義を,最初から練っているのだ。遠回りせず,ストレートに,奥義を練る。
まぁ,しかし,なぜ締めたり力を込めたりすることをまずやるのかというと,そこがまず身体の基礎力であり基本的な操作であり,その上でより力を発揮する(生み出して伝える)ために今度は逆に緩めておく,ということを知らなければ,最初からただ緩んでいても,相当なセンスがなければそういう武術の本質に辿り着きにくいような気がする。
つまり,最初からただ太極拳だけをやっていたら,大切な武術の要諦に気がつかずに,多くを見過ごすことになる場合もあるのではないだろうか。それはまたそれで遠回りである。というか,良い先生に着かない限り,なかなか簡単には武術的に正しいところへ向かわないだろう。
だからまずは空手のような剛の拳をせよ,ということではない。どこでどう気がつくかは,師によるし,その人の武術の修行過程によるし,もちろんセンスにもよるわけだから,これも広い意味では武縁である。
あと,もう一つ,昨日言っていたのは,獲物を狙う虎(猫)のように動かす,と言っていた。集中して一定の身体的緊張は保ちながら柔らかく静かに動かすところを,虎が獲物を見つめ距離をじわりと詰めていくその様子に例える。
太極拳はまさに虎のように動き,龍のように舞う。
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