4/14/2014

日記を書く

日記・日誌というのは,単なる記録ではなく,つい漫然と過ごしてしまう日々の生活にマインドフルな視線を向けて,一瞬一瞬をありありと感じながら生きるための装置になっているのだと思う。

だから何も,後から読み直すために書いているわけではなく,また,将来の夢を綴るために書いているわけでもなく,おそらく今を書くという行為そのものが「今ここにある」ことを浮き彫りにするので,私たちは日記・日誌を書くのかもしれない。

メタな視点で距離をおいて客観的に眺めることを可能にする日記・日誌はこれまで,日々の経験をモニターして(=気づき),整理する(=統合)という筆記開示の文脈で主に理解してきた。しかし,そもそもにおいて日記・日誌を書く(書こうとする)という行為そのものが,マインドフルネスを促す一つの実践的な訓練となってそう。

身体からのアプローチをするにしても,ただ身体技法にのみ没頭するのではなく,身体技法を通して感じたことを言葉にする,文字にして表してみる,具体的にはノートや何かに身体を通して得た経験を書くと良いとされる。これは,筑波大学体育系の遠藤卓郎先生も強調しておられたし,ロバートも著書の中で強く勧めている。

おそらく究極的には言葉に頼らずとも今ここにある身体としての自己をありありとマインドフルに感じることができるようになればそれで十分なのだろうけれど,とりあえず当面は練習として,言葉をうまく利用してマインドフルな視線を向けるのは,大いに役立つだろう。

今,日本時間で4月15日(火)の午前3:00。今晩,日本を発つ。

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