滞在10日目。今,4月24日(木)の午前6時。
昨日は,ワイキキ中心部にあるロイヤルハワイアンセンターに行ってきた。無料でレイを作るアクティビティが開かれてたからだ。奥さんと娘がそのレイを作っている間に,息子と二人で辺りを散策。といっても高級店と高級ホテルの森だけど。
しかし,ロイヤルハワイアンっていうホテルは超豪華。メインロビーを抜けるとそこはプライベートビーチ?なのかどうか分からないがとにかくビーチで,暗めの館内から外の眩しい海と空とビーチが見えて,そのコントラストが素晴らしい。館内を出れば,綺麗に刈り込んだ青い芝生の庭,左手にカフェがあり,柵の向こう側に白い砂浜が広がる。左手遠方にはダイアモンドヘッド。館内の作りも全体的にヨーロッパ風に仕立てられていて,高級感抜群。
4歳の息子は,そんなことは全く関係なし。座りやすそうな高級なソファがあったからそこに腰掛けると,持っていた落書き帳に落書きを始めた。これが本来の我々人間の姿であり,こういう高級な仕立ては,すべて色である。彼はこの豪華さや高級さには,なんら価値を置いていない。高級なソファでも,街中の固いベンチでも,座って落書きするという機能においては,全く同値である。
子どもは,景色のような,視覚的な壮観さや綺麗さってのにも,あんまり感動しない。多少はすごいと思うのだろうけれど,あっさりしたもので,すぐに興味は逸れる。むしろ,手や足で触れるもの,走ったり登ったりできるところ,乗れるもの,つまり,じかに身体的に直接感じるものに喜々とする。
視覚的な感動はだから,結構,観念的なのかもしれない。これは滅多に見られるものではない,こういう景色は今までに見たことがない,こんなものは生まれて初めて見た,だから貴重だ,希有だ,珍しい,だから神秘的だ,素晴らしい,というように,背景にある経験や知識が視覚的な感動に関連しないだろうか。
子どもにとっては,今のところ,生まれてまだ時間が経っていないので経験も浅く,多くの視覚的情報がまだまだ生まれて初めてなことが多いわけだから,いちいち大人のように感動していたら疲れてしまう。だから,子どものときの視覚的な情報はまず入力してデータベースに入れていくことが優先されるのかもしれない。だから,一瞬は「おお」と思うけれども,すぐに飽きるのは,情報として入力し終わったからなのかも。
だから,子どもの頃に,なるべく多くの(大人が素晴らしいと思う)景色やモノを見せておくのが良いと言われるのかね。そうして子どもの頃に良い景色やモノを経験しておくと,それがベースラインになるから,大人になって本物と偽物に迷わなくなる,というわけ。音楽などの聴覚的な情報も同じかもしれない。いや,実際,よく分からないけれど。
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